二章 許さないと呼ばれる

 俺は生まれて始めて絶望を知った。
 心に深い傷が出来てそれは、修復不能レベルでダメージを負ってしまいどうしようもないところまで追い詰められている。満足そうに笑顔を作り俺に喧嘩を売る女は、いつの間にか俺の嫁になってしまった存在である。
 しかもだ、俺は父親にファーストキスを奪われたごときで気絶した男と、言われるようになってしまったのだ。こんな不愉快な思いはそうは無いだろう、だって俺は全て惚れた女に捧げるつもりだったんだぞ。

「遠い目をしてるところ悪いが夫よ、まだする事は一杯あるだろう。たとえば私の家族に報告とか」
「おい、なんで俺が好き好んでお前の両親に挨拶しに行かなくちゃ行けないんだよ」

 いや分かっているが、もはや俺は性も根も尽き果てている。ニヤニヤと笑うこいつを見てなんか腹が減る、いやそんなわけは無いだろうが、とりあえず不愉快だ。
 だというのに俺の苦しむ姿を見るたび、子供のように喜ぶこいつを見て殺意が募ったって悪くはないはずだ。
 けれど、このふざけたほどに心に働く強制力が、目に涙を滲ませて俺を甚振るのだ。大学の友人連中ならきっと哀れすぎるとでも笑ってくれるのかもしれないが、最早笑い事じゃない、誰も助けてくれない状況で俺にとっては鬼と変わらない腕力が、覆いかぶさるように俺の服を掴んで、お互いの顔が引っ付きそうなほど近くに寄せる。

「男らしく、結婚の報告をしてもらおうじゃないか」

 嫌に挑戦的な笑みを浮かべて俺に向かってのたまう。
 
「と言うか俺と一緒にいるだけなら別に結婚しなくてもいい気がするのに」
「よく言う、君は外に逃げる事だって出来るだろう。そんな事させないように体ででも君を縛ろうかと考えているところだ」

 なにその俺にとっては最低最悪な発想、否応無しに冷たい汗があふれ出すんだけど。
 しかもこいつ俺が嫌がることを理解して言ってるから余計最悪だ。

「はっはっは、いいかい君はもう逃げられないんだ。さあ行くぞ、ちなみにだが私には弟がいるが、とことん君を嫌っているから気をつけておくといい」
「え、って言うかなんだよそれ、何で見たこともない奴に、俺そんな敵意を向けられているんだ」
「いやなぁ、血縁的な問題でどうも私は弟か君としか関係を持ってはいけなくて、この美貌だろう弟は私を狙っていたらしく」

 いや、え、なに平然と近親相姦を考えているんだ。
 田舎の村でもっとマシなチョイスがあるだろうが、だが俺の嫌そうな顔に嬉しそうに鼻を鳴らす。

「おやおや、キス程度で既に独占欲を発揮するとは縛る男は嫌われるぞ」
「縛った女が言う台詞か」
「何を言う、ちなみに私は浮気は許さないけどする女だ」

 台無しだ、自慢げに胸を張っているが、いっていることは人間の屑と変わっていないことに気付けないのだろうかこいつは。
 軽蔑の眼差しを向けてもきっと嬉しそうな顔をするだけなのだが、一体どういう了見なのか突っ込みを入れたい。

「しねーよ、俺が出来るような性格して無いの知ってるだろうが」
「当然だろう。だからこそこんな事を言っている、それに私のほうは結構独占欲が強くて君を手放すつもりも、弟に体をやるつもり心をくれてやるつもりも無いんだ。処女もくれてやるから一緒にいてもらうぞ、じゃないと葦船を殺してしまうかもしれない」

 愛されてないのに愛が重い。
 なにこの愛情の欠片も無い愛情は、言ってて意味が分からないけどこいつはこういう奴なのだろう。なぜか俺に執着していやがる。
 何かしらの理由があるんだろうが、俺にはそれがわからない金があるわけでも、土地を持ってるわけでも権力を持っているわけでもない。何も持たないトウヘンボクの甲斐性無しときているのに、そんな俺に執着する理由が理解できない。

 親父が金を持ってるとも思えないし、あの性格だし権力を持ってと言うよりこの村のまとめ役ぐらいだろう出来ても。

「俺さお前の事嫌いだったんだけど、もっと嫌いになりそうだよ」
「気にしなくてもいい、私も葦船を殺したくてならないぐらい嫌いだから、似たもの夫婦だな」

 嫌だよ、こんな愛のないどころか殺伐とした夫婦って。
 俺の持っていた結婚生活への憧れが粉砕され続けている、何か悪いことでもしたのかこいつに。確かにここにいた頃の記憶はあいまいになっているところが多いが、そもそお五歳ぐらいの記憶を持っている人間の方が珍しいだろう普通。
 あっちも多分そんな感じだろうから、おあいこだと思うんだが、一体どうしたもんか。

 しかも嫌いなわりにひどく俺に擦り寄ってくるが、これは愛情の裏返しなのか。
 なんか腕を組んできた入りしてるし、あれうっ血し始めた。やっぱり嫌われてるなコリャ確実に。

「痛い」
「痛くしているから当然だ、腕が真っ白になってきたぞー」
「やめんか、何お前そんな嫌がらせをして楽しいの、どこまで性格歪んでるんだよ」

  ついカッとなって声を荒らげてみるが、アホは心外そうな顔をして俺を見る。
 ツラが相当ととのっている所為もあるだろうが、一つたりともない罪悪感を芽生えさせそうになるぐらいの表情を作るが、なんと言うか一瞬でも芽生えようとした罪悪感に殺意を抱けるのは、この女の人徳ゆえのものだろう。断じて褒め言葉じゃない。

「何を言っているんだ、どう考えても愛情からくるちょっとしたお茶目と言う奴だろう」
「愛情のない奴のこんな行動はいじめって言うんだよ」

 完全に嫌がらせだしなこんなの。
 渋々だが俺の腕に絡ませていた力を緩ませる。そのとたんに流れ出す血の感覚がやけに気持ち悪いが、不機嫌な俺の表情を見て楽しげに笑う女は、拳で語り合う必要があるように思えてならない。
 九割がた負けるだろうが、男には引けない戦いが障害で一度や二度はあるものだ。

 そう今がそのときなのかもしれない。

「しかしだ、それが乙女の愛情表現と言う奴かもしれないぞ。照れ隠し的な」
「お前が照れ隠しなんぞするか、お前がするのは、そんな表情をしながら行う美人局だけだ。そのときは男がいなくて、自分の力のみで脅してるんだろうけどな」

 そんな想像が的確に浮んでくるよ。
 なんか股間を押さえて悶絶している男が絶対にいそうな感じがしてきた。うわその顔が俺に見えてきた辺り末期だ。
 などと考えてみたらドツボに、はまってきたので思考を落ち着かせてみるが、なんとなく股間辺りがやけに冷たく感じてしまう。漏らして等はいないが、明らかにあのイメージに俺が完全に重なっていたのだろう。

「恐ろし過ぎる」
「いやお前は失礼すぎるの間違いじゃないのか」
「うっせーよ、どう考えてもお前が悪いんだろう。それだけの実績と経験を俺の前で見せ付けやがったくせに、いま言った発言の確かな土台はお前が作ったんだろうが」
「経験と確かな技術に裏打ちされたって、どこの職人技術だ。私の性格をどこまで悪く見ているんだ夫は」

 強いて言うなら地獄の釜のそこの無限地獄辺りだよ。
 なんかそれがしっくり来るのが、間違い無く羽間と言う女の器だと思います。

「全く似たもの夫婦過ぎるだろう、口も悪ければ性格も悪いと、挙句にお互い嫌っていると来ている」
「性格だけは否定したいが無理なのか」
「無理だろうどう考えても、葦船の性格がいいと誰が言うんだ。君は馬鹿だろういや馬鹿じゃなければ馬鹿だ」

 結局馬鹿なんだろうが。

「かわんねー」
「だからこそ似たもの夫婦なんだろう、もしかするとその所為で同族嫌悪にでもなっているのかもしれないが」
「もう今更過ぎて反論とか浮ばないあたり本当に似たもの過ぎる」

 二人共々に溜息をはく。波長だけは合う所為で色々と不愉快だが、それも言ってられるのはいまだけのような気がしないでもない。
 まぁその波長のお陰で会話のひと段落着いたのか、二人して嫌に冷静になってしまい、ふざけた会話も終わってしまった。

「あ、じゃ、ま、そろそろ父とあってもらわないと困るし行くか」
「心底嫌なんだけどな」
「拒否権などあるか、葦船は私の夫つまりは両親に会う義務がある。男の甲斐性の一つや二つ見せてもらおうか」

 男の甲斐性ね、そもそもいまの俺は甲斐性無しなんだが、その辺りの事は突っ込んでもくれないのだろうか。
 一応この神社の跡取りとして戻ってきたんだけど、そう言う建前が実はあったりするのだが、知っててもどうでもいいんだろうけど。

「それにその程度の事も唇を奪っておきながら出来ないのか」
「お前が奪ったんだろうが、いつ奪った、奪われたんだよ俺は。本当に可哀想なのは俺だろうが」
「そういいながらも罪悪感に打ちひしがれる葦船であった」

 勝手に人の感情をモノローグ的に語る馬鹿はさておいて。
 これ以上くだらないことをして時間を潰すのもあれだ、なんかドツボにはまりそうな感じになるのでそろそろ打ち切ろう。

「分かった、分かった、さっさとお前の両親に挨拶しに行くぞ」
「そうか、ようやく小さい肝っ玉を振り絞る気になったのか。ならさっさと行くぞヘタレ」
「なんかまだあって一日なのに漫才だけはうまくなって言ってる気がするよ」
「それが夫婦漫才と言うものだろう」

 断じて違うと信じたい。
 下らない会話をやめる事は無かったが、ようやく目的の場所に歩き始めた俺は、逃げ出したはずの家の中から出てきてもう一度実家を見回した。なんかこう感慨深い、成長期にいなかった所為もあるだろうが、昔の視点と全てが変わってしまった光景は、かつてと違い全てが小さくなったように見える。
 数分前にキスされて気絶した場所とは思えないほど輝いて見えた。

 最後の入らない気がするが、どうにも余計な事を考えてしまう。

「ぼやぼやするな、家はこっちだ」
「そっちは明らかに山の中だろうが」
「いやこっちが正門なんだ。一応麓にも通じる道もあるには、あるが、ここからじゃ遠いしな。しかも裏門、結婚の報告には少しばかり不恰好だろう。もっとも今ではあっちが正門扱いなんだがな」

 訳の分からん事だが、結構古い家なのだろう。
 もしかするこの村の昔の権力者と言ったところだろうか、それだったらこの神社への道があっても驚くべき話じゃない。この村はかつてはこの神社を中心に回っていたのだ、だからこそいまでも神社の中に集会所なんかも入っているのだろう。
 元々が山窩であったらしく、風土が合ったのかよく分からないが漂流の果てにこの地に定着したらしく。その生計もかつては農耕ではなく狩りだったと言うし、もしかするとこいつの家はその頃の中心人物だったのかもしれない。と言うかそれぐらいしか考えられない。

 それこそ昔なら完全に隠れ里だったのだろう。何かしらの理由があるのだろうがそこまでの資料は残ってないしな。
 母親の又聞きだから、所々間違っているだろうが、こんな推論が立てられる。

「つまり玉の輿と」
「人の心でも呼んでるのかお前は、なんで俺の思考にとんでもねー邪推をひけらかしてんだよ」
「葦船自身の口で喋っていた事で遊んだだけだぞ」

 俺に妄想を語る思考はねーよ。

「嘘付けどうせ、俺の考えを誘導しただけだろう。お前性格悪いからそれぐらい可能だしな」
「おやおや、そこは愛の力のとでもしておけばいいものを、そうすれば私の好感度が鰻登りだぞマイナスに」
「全身全霊を篭めて下がってんじゃねーかよ」
「いやだって気持ち悪いだろう。隙でもない男にそんなこと言われたって」

 こんな下らない会話も慣れてくると多少は面白いのだが、歩きもしないで馬鹿やってるものだから目的地に着きもしない。
 いい加減俺もあいつもそれを悟って歩き出す。本殿を通り抜け木の生い茂った中に石畳の道があった。それが多分と言うか確実に羽間の実家に繋がっているのだろう、なかなかに年季の入った石畳は、今までの人の歩みで丸く磨り減っている。

 ちょっとした木のトンネルは、この村に入ってきたときのそれとは違い、きちんと整備されているのか、鬱蒼とした気配はない。
 かなりいい雰囲気なのだが、一つ文句をつけるなら、左右に等間隔で備え付けられてある灯篭が、電灯と言うことぐらいだろうか。

「景観が台無しだよ」
「こっちの方が管理もしやすいし、山火事にもならないだろう。安全を考えればこれが妥当だ」

 そこでまともな発現されても嬉しくないんだが、時として、安全性よりも絵になるという事が、大切な時があるはずなんだ。
 だがいちいち否定してもこいつに、皮肉で返されるのは目に見えている。

「そう言うもんか」

 だから合間に濁してみるのだが、絶対に俺の思考を理解しているのだろう。
 やけに目を細めて楽しげだ、歩き方も少し軽くなったように見える。こういうのを見るたびに性格の悪さを実感してしまう。
 これが嫁だと思うと絶望を感じて、足取りが重くなっていく。

「ああ、そうだ葦船少し止まった方がいいぞ」

 絶望を方にしょわせていた時、強引に俺を後ろに引っこ抜く衝撃が襲った。
 それと同時だ、先ほどまでいたところに刀が振り下ろされたのは。

「……え、いや、ええ、それ、えええ、おい、おいおいおい、これはないだろう、なんなのこれ、そこまでの殺意でもあるのかお前は羽間」

 こいつの殺意ってマジなの、流石に恐怖しか感じないぞこんな行為には。
 だがあきれた顔をそのままに、見下すように俺を見ながら溜息を一つ吐いた。いやよく見れば口元が緩んでやがる、このありえない光景の中でこいつの性格の悪さだけが、ふざけた事に俺を正気にさせているのが不愉快極まりない。

「何を言っているんだ、これは弟だ。しなれたら困るのは私も同じだ、しかし相変わらず私に関してだけなら倫理と言う名の常識をスキップ感覚で超える奴だ」
「いや、え、お前の弟どこまで頭おかしいの」

 正気の沙汰じゃないよ。

「そうだな軽めに言うなら、相当とか、超越とか、異常とかそう言うレベルだな」
「フォローぐらいしろよ、なにそれどこまで人間として残念なの」
「困った奴だ、もう笑うしかないな。この刀だって、明らかに君のことを考えて、苦しんで死ぬように作られてある」

 なにその誰もが要らない気遣い。
 しかも思いっきり拍手しながら爆笑してやがる馬鹿が目の前にいるし。

「ああもう、本当に気持ち悪い奴だなあいつは」

 届かない思いってこういう感じのものなのかもしれない。
 俺は届きもしないというか、最初からない思いに振り回されているんだが、同じようなものでも人に迷惑かける分あいつの弟は性質が悪いな。しかも俺に書けるところが最悪だ、望まないのは俺も一緒なのに。

「女としてここまで思われているのは喜ぶべきか、ちなみにだが葦船は嫉妬しろ」
「嫌だよ、なんで嫉妬する理由があるんだよ。頭おかしいとは思うが、それ以上は同情しかしてないっての」
「そこは私に同情しておくべきだろう、何しろ肉親からこの体を狙われているんだぞ。こんな悲劇があっていいのか」

 気にしてもいませんでした。
 こいつの姉弟ならそれもありかと自然に納得していた自分が恐ろしい。ある意味順応だが、現代社会から廃絶されるべき思考の一つじゃないか、目の前に振り下ろされたままの刀なんて、普通に捕まえられるレベルだ。
 犯罪過ぎるにも程があるが、もうなんか今更過ぎて感覚が麻痺してきている。

 その代わりに押さえるつもりもない怒りがわいてくるのは仕方のないことだろう。いやむしろこれに怒らないでどこに怒ると言う話だ。
 すげー嬉しそうに笑う一応の女は置いておいて、いや視界に入れず、思考さえいれずに、駄目だ殴りたくてしかない。なんか怒りの方向性が間違っているような気がしないでもないが、感情にあかして人を殴るような人間にだけはなるなと教育されているのでそんなことは出来ませんが。

 けどこいつの弟だけは多少お仕置きが必要なんじゃないかと思うんだよな。
 明らかに命奪う気だし。

「葦船がなんか始めてみせる楽しげな笑顔だが、凄くいやな予感がするのは何故だろうな」
「そりゃ怒るだろうここまでされば、それにビビルって言うのは性に合わない」
「命を奪われかけて、性に合わないで済ます君の性根には疑問しか抱かないが、それならそれでいいんじゃないか。私もあいつはいい加減ウザイし、そろそろ痛い目をみてもいい頃だろう」
「酷い姉だ、これが妻なんだからありがたいよ」

 生まれて始めてこいつが妻であることを喜んでしまう。
 理由は一つだ、今からこいつの家族に徹底的に屈辱を与えてやろうと考えているのに、容易く認めてくれるなんて、どれだけ罪悪感を抱かずにすむか。殺人の免罪符でも貰ったような気さえしてしまう。

「なんと殊勝な態度だ、いい加減に私の魅力に参ってきたところか」
「ああ眩暈で視界もかすむよ」

 皮肉だけど。額面道理に受けているわけでもないのだろうが、機嫌はよさそうだ。
 取り敢えず立ち上がり、軽く砂を払って、変わらない憮然とした表情を作る。こいつが機嫌がいいと反比例して俺は悪くなる仕様だしな。

「なに、これだけがトラップとは思えないが、葦船がそう言う態度なら助けなくても問題ないな」
「え、マジで」
「いちいち否定する必要もないじゃないか。お前が嫌がることは率先してやるのが妻としての勤め」

 いらないよそう言う気遣い。
 だが取り敢えずどうにかなるだろう、こいつを盾にすればきっと。

「ほれ」

 次の瞬間背中を蹴り飛ばされた俺が、前のめりになりながら罠のある道をひたすらに進む姿があった。
 ちなみにそれほど罠は仕掛けられてなかった、と言うかあの一箇所だけだったが、心へのダメージだけは洒落になっていない。どうにかバランスを完全に崩す事も無く、激しく自己主張する胸を押さえて、全力で振り返ってみるが後ろにはあいつはいない。

 その代わりにまた後ろに服を引っ張られ尻餅をついた。無抵抗だったためもあるが、酷い勢いでぶつけた為に涙が溢れたように目が熱くなっても悲鳴の様の声を上げそうになる。

「だがまぁ、妻としてではなく、あいつに嫌がらせをするのなら手伝ってやるさ。なんか生理的にすかんのだよアレは」
「ってやめろまた移動のたびそれやるのか、お前の力でやれたら、摩り下ろされるだろうが」

 そんな事をいってもやめてくれる類の女じゃないのは知っているが、予想外の速度で走り出した俺は悲鳴を上げることしか出来なかった。
 背中から血でも出てないかと嫌な予感を、拷問後に感じながら、嫁の実家にたどり着く。どうやら服以外の損害はないようだが大迷惑である。運よく怪我がなかったからいいものの、そもそもなんでないのか分からないが。

「お前は毎度毎度、恨みがありそうだが取り敢えずアレはやめろ地味って言うかかなり痛いんだよ」
「怪我もないくせになにを言ってるんだ葦船」
「この服の絶滅ップリを見ろよ。怪我がないのが奇跡のレベルだ」

 何でそこで目を輝かせるの君は。

「ふむ、いい体してるな。しかし私のような未通女の前で、そんな格好は刺激的過ぎると思わないのか」
「見るところが違うよな、どう考えても怪我の心配をするべきところだろう」
「無いのに、心配もクソもあるか。大体乙女に肌なんか見せて誘ってるのか、幾らでも誘われてやるぞ」

 下らないやり取りながら、えらいでかい屋敷の中に入っていく。
 周りを鬱蒼とした木に囲まれながらある、家よりはちょっとばかり小さい程度の屋敷だ。なんか古い神社を髣髴とさせるつくりながら、むだに金のかかってそうな内装が、戸の奥から見えている。
 正門だと聞いていたが、どうにもこうにもあまり人の通る気配がないのか、この屋敷のつくりにしては門が狭く、昨日としては既に裏門扱いなのだろうと軽く思ってしまう。それと馬鹿がいるけど無視しておいてもいいだろう、美形だけど残念な感じに気取ったアレな人が扉の前にいたりしたが、視界にいれ無いと言う最大限のリアクションだけしておく必要があるかもしれない。

 目の前で真っ赤になって突っ伏している、羽間を見るまでだったが。

「なにこの馬鹿、ありえないにも程があるだろう」
「ああ、お前の身内の恥かこれ。俺の親父もアレだが、なんだ、気にすんなよ」

 だがそんなフォローはこいつの前では無駄だったようで、悲痛な表情を作り更に悲しげなオーラを漂わせる。

「うう……う、葦船なんかにフォローされた」
「何でそこで余計ダメージ受けるんだよお前って女は、なにどうレベルの奴にフォローされて悲しいって感じなの、俺の親父とアレがどうレベルって流石にへこむぞ」
「うるさい、アレを見てみろどう見てもナルシスト極みじゃないか」

 そういって羽間は、あいつを視界に入れそうになる。それを強引に腕を引っ張る事で、視界から外してみるが、なんか抱き合うような形になってしまう。
 なんかそれだけで嫌な予感が膨れ上がるのだが、気にするだけ無駄だろう。どうせきにしてもいい予感に変わることはないし。

「黙れ視界に入れるな、入れたらこっちにくるだろうが」
「ちょっと大胆すぎるがそこまでアレと視界を合わせるのがいやか」
「違う、係わり合いになるのが嫌なだけだ」

 だってあいつお前の弟なんだろう、むかついて復讐とか考えたけどさ。アレは係わり合いになっちゃ駄目な人種だ。
 今から逃げ出したくて仕方ない。だってものすごく残念な美形だしさ、無駄に鍛えられた感じのする整った体は、明らかに何かやってる人間の体つきだ。あっちの友人にもそう言う奴は居たが、全く持って面倒なやからだ。

 と言うか完全に抱きついた感じになってるが、何でこんなに恥じらいとか、そういった感情が一切芽生えないんだろうと問い詰めたい。
 けれど鬱陶しい事に視界に入れなくても、無駄に襲い掛かる圧迫感が、おれとあいつに圧し掛かり同じ感情を抱えて軽く複雑な顔をする。多分こいつとの相性は実は悪くないだろう、出会いさえまともだったら惚れてたかも知れない。

「姉さま、何でこんな男とキスなんかしてるんですか」

 だが、だがな、出会いがまともじゃないから駄目なんだよ。
 それにこいつは俺に行っちゃいけないトラウマを言いやがった。どうやら我慢の限界が来たようだが、視界に入れなかったので、近くによってる事にも気づかなかった。

「まてや、いつしたそんな事を」
「黙れ変態、ひ弱な姉さまを力任せに抱きしめ、挙句に接吻だと、そこまで所有権を主張するか俗物め。絶対に許さないぞ」
「ふざけんな、今のどこにキスシーンがあった、お前俺の前でその暴言殺されたいのか」

 女に強引にキスされて気絶した、そんな悪夢のような事実を、折角忘れようとしていたのに抉るとは。
 しかも次は俺が羽間に強引にだと、そんな男として最低なまねできるわけないだろうが、恥じらい以前に女性に対する冒涜だ。そんな畜生にも劣る行為が出来るはずも無いと言うのに、こいつの頭の中どうなってるんだ。

「いや葦船、珍しいぐらい激昂しているのは分かるが、やめておけ。時間の無駄だ」
「でも、いや、まぁそうか」

 なんか意味も無く真剣な表情をしている。
 多分そこまで面倒な弟なのだろう、小細工で叩きつぶす以外に無いと言うことなのだろう。胸倉を掴んでいた手を外すと、羽間の隣に立ちあえていやらしく笑いながら、見せ付けるように耳元であの馬鹿に聞こえるように分かったと呟く。
 とりあえず俺に出来る最大限の嫌がらせだが、正直キスより卑猥な感じがするのは何故だろう。

「貴様、貴様、可憐な姉さまになんと卑猥な行為をしているんだ」
「あのな、今の行為はえろいぞ、無自覚エロ紳士め」
「ってまて、何でお前らはここで息を合わせて俺を変態扱いしてるんだよ。折角の嫌がらせが台無しだろうが、そこの一応妻」
「さあな、人前で余りしないほうがいいぞ。何しろエロイからな」

 訳が分からない、あのどこにエロスを感じるんだろう。いや俺は感じたけど、それは性癖的なものじゃないのか。
 いやそれだと俺が特殊な趣味の持ち主になるが、少なくともマゾだけではないと信じたい。いやだってあんな嫁持ったら誰でもマゾ以外に感じないだろうし、友人連中とかも。

「失礼なんだよお前らは、いきなり殺人とラップ作ってみたりとか、結婚させてみたりとか、ここ数時間で俺の人生どこまでアップダウンしてるんだ」
「と言うか右往左往って感じだな」
「死ねば上にも下にもいかないから死ねよ」

 本当に嫌だこいつら。平然と死ねとか言うし、そう言うこと言っちゃいけないって教わらなかったのか。
 取り敢えずうるさい男の不意を打って、石で頭を殴りつける。死にゃしないだろう、そのぐらいの手加減心得てるし、手ごたえから見て少しの間気絶するぐらいだ。

「君とあってまだそれほど時間が経っていないが、何でそう人を傷つけることにためらいがないんだ。引くぞその行為は」
「手加減ぐらい心得てるし、この位は神職をつかさどるものとして当然のたしなみだ」
「どこがだ、どこぞのストリートファイターでも覚えないわ、そんな理解不能の嗜みは」

 そうか、一応俺の友人連中は基本その技術を持ってたぞ。
 神職に入るなら必要な嗜みだよの程度。

「分からなくなる、なにこいつ、葦船って実は馬鹿じゃないのか。何でそんな技術を平然と持てる環境にいるんだ、私には理解が出来ない」

 なにいきなり暴走してるんだろうこいつ。
 取り敢えずフォローぐらいしておいてやるか、あんまり女性がこうなるのは、はしたなくて見てられるものでもないし、何より正気に戻った本人が余計ややこしくなるし
 だから出来るだけ優しく肩に手を叩いて、本来ならあまりしたくないのだが自分を貶める言葉を使おう。

「類は友を呼ぶものさ」
「なにか、私はそんな変人達の一人と言いたいのか。納得いかない、何でこんな非常識な思考が出来るんだ葦船」
「何で逆ギレされるんだ。フォローだろ今のは、どこをどう取っても金太郎飴の如く」

 余計ややこしい事になったぞ。なんでだ。

「ああもう、くそう、久しぶりに訳の分からん事で取り乱した。だが分かりたくもないが理解した事はあるぞ、葦船は実は天然なところがあるという事と、君の友人関係は明らかにおかしいって事だけは」
「失礼な奴だな、十年来の友人ばかりだぞ。しかし神社の跡取りでもあるまいし、よくもまぁ同じ大学にまで来たもんだよ。昔はよく鬼ごっこと称して、上級生を狩り出したりしてたもんだけどな」
「そこにはあえて触れないが、まあもういい、葦船も大概だと今更気付かされた。そういえばアハシマが母親だったな、当然と言えば当然か」

 うん、また人形の方が有名そうな神様を上げたもんだ。
 そういえばここは恵比寿とスクナビコナを奉ってるんだっけ、船繋がりかな、なんかふざけた話が色々あるんだろう。

「さて、さっさと私の父親に会ってもらうぞ。お前にいちいち突っ込みを入れていたら日が暮れる」
「それはこっちの台詞でもあるんだが」
「もういいから早く行くんだ、これ以上お前の異常行動に付き合ってられるか。それより結納だ婚約だ結婚の日取りだ」

 ああもう、あっちもこっちも疲れ果てて、これ以上のふざけた内容を知りたくないんだろう。
 それはこっちもなんだが、視線をたった今潰したあいつの弟に向ける。美形は気絶しても美形であると言う事実をはじめて知って、不快感を感じながらもう一つの疑問にぶち当たる。

 そういえばこいつの名前ってなんだっけ。

「まぁ、どうでもいいか」
「そうだそうだ、本当にどうでもいいことだ。それよりもさっさと結婚してお前を私だけ物もにしてやるから覚悟しろ」
「あーはいはい、勝手にしてください」

 もうどうせ諦めるしかないんだ。
 これから先は、少しでも楽しめる時に楽しもう。性格を除けば美人だし、少しはラッキーと思うしかない。

 そう思え、思うんだ俺よ。

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