三章 挫折の小唄

 しゃらんらしゃらんさ死に晒せ。
 不快指数の上がるこの良き日、結婚などと言う茶番劇を行なう可哀想な男ただ一人。命狙われ、嫁は器量がいいのか分からぬが、取り敢えず性格は大全滅、全く世の中と言うのは、つくづくロクなもんじゃないと思えるわけだが、唯一の救いがあるのなら故郷に帰れたことぐらいだろうか。
 最もだが、その所為でこんな茶番があると考えれば戻ってくるんじゃなかったと思うわけだが、戻ってきた事による安堵も結構なもので、美人だからとりあえず良かったと思い込んでいるわけだが、そんなものでマイナスポイントが埋められるものではない。俺が結婚相手に求めるのは、一にも二にも三にも性格なのだ。

 だが世の中はトンと上手くいかない。
 諦めるとかほざきながら、多分だが一生このことに関しては愚痴をいい続ける気がする。だが一度了承したものは仕方なく、なんか命を軽く奪われそうになる場面もあったがあの程度ならどうにでもなるので、舅の婿いびりだと思って諦めよう。
 と言うかあいつは蒼と赤のオッドアイで、軽く不愉快だったのでどうせ何回か潰すだろうし、八つ当たりするのに丁度いいだろうから喜んでおくべきかもしれない。

 人のコンプレックスを刺激する感じの瞳に、美形とくればどこぞの恋愛小説の主人公のライバルかといいたくなるような存在だ。俺がその恋愛小説の主人公なら間違い無くどぶに落として、肥溜めに叩きこんでギャグキャラにでも変えてやるというのに残念な限りである。

 何気に屋敷に通されてみれば、中がまた驚くほどに広い。集会所をかねた実家よりも大きく、外から見ればうっそうとしたはずの屋敷も中に入れば、期が程よく光をさえぎって、木漏れ日が心地よく屋敷を照らしていた。住む人間の事だけを考えたようなつくりは、自分の事しか考えない一応嫁のこいつの実家に相応しいとさえ思える。
 だが実家に戻ったとたん羽間の機嫌は少しばかり悪くなっているのか、話しかけ辛くあった。殺気までの罵り合いが少々気に入っていたところもあるので、軽口を叩く余裕がない今の状況は少しばかり切ない。

 無駄に眉間にしわを寄せているが、元が美人なので余計に美貌を引き立たせ、何より酷く怒気に包まれている事がわかる。アレな感じの弟の所為だとも思ったが、明らかにこの家に対して嫌悪感を持っているのが反応から見てもよく分かる。
 この無駄に嫌な空気は耐え難い、だがその嫌悪感を隠す事もなくこいつは俺の方を向くと一瞬で楽しそうに笑い始める。

「おやどうした夫、無駄に真面目な顔をして何か気になることでもあったか」

 そしていつもと変わらない弁舌で、弾んだ声が俺を貫く。
 どう甚振ってやろうかとニヤニヤしている様に心配と言う感情を一時でも抱いた自分が馬鹿に思えてきた。こいつに対する感情で常に後悔しかないのは、結婚確定時どころか初対面の頃から変わっていない気がする。

「そんな仏頂面してる奴の言う台詞かよ」
「おやそんな顔をしていたとは不甲斐ない。少々この家には痛くない理由があってな、だがそれでも実家は実家なので郷愁的なものを感じているんだぞ」
「おい、ここになんでそんなもん感じんだよ。地元から離れた事ないとか言ってたくせに」

 いやそもそもお前ってここに住んでるんじゃないのかよ。

「残念な事に私は今まで少しばかり村でも別の場所にいたんだ。と言うか君の家に、いや空恐ろしい男と一緒の生活、貞操の危機を常に感じていたね」
「大丈夫だその辺りは、どうにも俺は親父にその辺りは似ているらしい。浮気とか性格上できるタイプじゃないし、欲望より理性を優先するタイプらしいからな見た目はゴリラなのに」
「何気に葦船も掃討に辛辣なやつだな。身内と言うか男には厳しいタイプなのか」

 そう言うわけでもないんだけど、確かに女性の扱いよりは幾分どころかがくんと扱いは悪くなるのは当然の話ではないだろうか。
 彼岸花のように触れたら折れるような存在と、雑草のように根さえあればどうにかなりそうな存在を比べるだけおかしな話だと思うわけです。何を言ってるんだろうと首を傾げて見せると、少しばかり目を丸くして腹を押さえながらくっくっくと笑いを押し殺すなだが間違い無く押し殺す気など一切ない態度を見せてくれた。
 黒い髪が御簾の奥にいる貴族の子女でも隠すように、表情を読ませないが、どう考えたって笑っているのは間違いない。

「天然、いや常識としてすでに骨髄まで染み渡っている。馬鹿だな、本当に馬鹿だ、女なんてのは、男が思うよりも根性も気迫もあるものだと言うのに」
「確かにその通りかもしれないが、女性は守るものだろう。時代錯誤だろうと、男が命を賭けるのは家族か女、あとは意地ぐらいのもんだしな」
「古臭いというか、心がけだけなら葦船は快男児だな。見た目だけなら優男もいい所だというのに、以外といえば以外だよ。熱血と言うわけでもないのに、冷めた快男児なんか落ちぶれてやさぐれてそうだ。これって葦船にぴったりじゃないか」

 たしかにやさぐれているかもしれないが、落ちぶれてはいないだろう。
 泣いた子供が笑うように、俺の失態と言うか悪口とかを思い浮かべたとたんに、ギアがいきなり最高レベルまで引き上げられる。全く持って元気のよすぎる奥様である、それに比べて俺はどんどん力が抜けていく。
 何と言うかこいつの親父とかおふくろさんに会ったら、凄まじい勢いで疲労しそうな気がしてならない。

 少なくとも請い追加のキャラの濃さはなさそうだし、弟とか見てるとそんな風に理解させられてしまう。あんな濃さはごめん被りたいが、あれの親だと思えば嫌でもああいう風な感じだと思ってしまっても仕方のない話ではないだろうか。と言うか絶対に薄いことだけは無いと言う確信が持てる、どういうベクトルか想像したくもないが、町ギアなく疲労するのだろう。
 一日で三日以上の精神疲労をした気がしてならない。と言うかどれぐらいの消費を行なうのか、神に追及したいところではある。

 八百万の一柱でもいいから、我が願いに至言をかけて頂けないだろうか。祝詞とか詠うからさお願い、超お願い。

「なにげに神職に有るまじきこと考えてないか」
「さあ、俺は常に神を敬う事しかしたことがないからよく分からないな」

 だってそのための神職だろう一応だが俺って正階にいるんだぞ。まだ三級ではあるがその辺りは、大学卒業したばっかりのぺーぺーだからだ。
 一応ここに来た手前だって、明階を取るための神社奉仕と言う名目があるんだよ。色々と研修もあったりするが、それはそれだしな。なんかいきなり結婚なんて言うイベントの所為で、そのあたりのことを忘れかけていたが、それは仕方ない話だろう。
 衝撃が強すぎた挙句に、刺激が強すぎだ、正直今まで生きてきた中でもトップクラスの異常事態の目白押しだったのは間違いないだろう。

「ちょっとお前の家族がまともであるようにと祈っただけだろう」
「なに天地創造級の難易度を神に求めているんだ葦船は、それは君の父親がゴリラの直系かどうかを聞くぐらいの難易度だろう」
「その暴言に対して俺は肯定したいんだが、肯定すると俺もゴリラの血を継ぐ事になる所為で、何もいえなくなるっての」

 なんで神職の直系がゴリラの直系になってるんだよ。
 一応この神社は宮に当たる結構由緒正しい神社なんだぞ、きっと俺の血を紐解けばかつてここにいた山窩であった頃の生活とかも分かったりするかもしれないんだぞ。と言うか日本でゴリラは動物園とかにしか存在しませんが、無粋だよなこれに突っ込みを入れるのは。
 最も多分この家の血を紐解いた方が、山窩の頃の生活とかがわかる方が可能性は高い気もする。だってこの家を見てみると所々現代の生活に合わせているが、基本的には相当古い時代から存在している家を何度も改築しているのだろう、ずいぶんと現代と過去の混在したいようなつくりが見て取れる。

 本当にいつからここに住んでるんだろうと首を傾げずにはいられない。
 相当振るい歴史のあることは間違いないのだろう、今ではあまりお目にかかることの出来ない建築法が使われたりしている辺りも、その証明なのだろう。

「葦船は本当に気楽な奴だよ、ゴリラの直系ぐらいいいじゃないか。私なんて変態の弟持ちだぞ」
「あ、うん、それはなんというか、ご愁傷様、いやざまあみろ、どちらだ」

 いやほんと、どちらを考えるべきなのか教えて欲しいです。
 だが俺のそんな態度に不服そうに、じっと俺を見る馬鹿は、ぶつぶつと嫁に対するフォローがない最悪の夫だとか呟いている。明らかに俺に聞こえるように言っているあたり、間違い無く嫌味で言っているのだろうが、こいつが嫌がることなら率先してやりたい気するのは、あの小学生が好きな子に悪戯する心理と同じなのだろうか。

 単純に嫌がらせと言うのが強い辺り自分と言う人間の信頼感が安定してくると言うものだよ。けどこれって人間としては最低と言っていないか、と言う疑問が浮き上がるが、相手が相手なので問題ないと結局心の中で決着をつける。

「しかし無駄に大きいな本当にこの家は」
「そりゃそうだろう、昔は使用人なんかもこの家に住んでいたんだから。今となっては定期的にくる掃除の業者ぐらいのものだがな」
「じゃあ無駄に大きいだけなのか今は」

 かつての栄光が朽ちてしまったかのようだが、その俺の言葉に羽間は否定的な視線を俺に向けてきた。
 間違ってはいないようだが、自分の家を無駄に大きいと言われて喜ぶものもいないか。

「違う無意味に大きいだけだ」
「おい、まて、なにその悪い方向への修正って、本当にお前実家嫌いだな」
「ここにいる人間は葦船の家で言う、葦船だ。分かるかこの不快さ加減が」
「何でそこで俺に対する悪口が追加されるんだよ。そんなサポートはいらねーよ」

 あいも変わらず隙をつけば暴言ばかり出すやつだ。口が減らないのもそこまでいけば才能だよ。
 いつの間にか完全に霧散した彼女の怒りのようなものはともかく、俺のほうの怒りが溢れてきたよまったく持って性質が悪い。まるで感情のシーソーゲームだ、最もどちらかが踏ん張ったりして、ぎこんばんったんとはいかないんだろうけど。
 最も基本的にどっちかが不機嫌だったらどっちがか喜んでいるパターンしかないのが馬鹿らしいが。

「けれどうちの両親は、実際まともだよ。嫌いだが、その辺りは私の個人的な感情だ、心配は要らないさ葦船」
「夫がそこまで嫌われている理由をいつ教えてくれるのか分からないが、それでいいのか」
「ああ、葦船に責任はない。だが原因は葦船だというだけさ、嫌われて置けばいいさ、少なくとも弟ほど嫌ってはいない」

 何と言うかあれ以下の扱いは受けていないのなら喜ぶベキかもしれない。
 と言うか俺より嫌われているって言うのも、同情と言う単語が浮びそうになったがそれ以上に妥当と言う言葉が、頭を埋め尽くしてしまう。駄目だ、根本的に羽間の評価に納得してしまうが、何よりあいつと比べられるのが死ぬほど嫌だ。なんと言うだろう霊長類としてこの上ない侮辱のような気がしてならない。
 流石にこれに嫌がらせの要素はないのだろうが、比べられる事自体が不愉快になると言う存在もある意味では珍しいだろう。そんな人間になりたくも会いたくもないのは、全人類同一の意見であると思われるし。

 嗚呼つくづく、その馬鹿を作り上げた原因の一翼をになう馬鹿共にあいたくなどないと思ってしまう。これから父や母となる存在に、ここまで罵詈雑言を言う奴もそうとうに性格が腐っているように思えるが、これぐらい思っても仕方ないイベントだろう今までの出来事は。

「そんな事を言っている間にとりあえず部屋についたが、もうこっちの両親は中で待ってるから挨拶としよう」

 え、心の準備とか、いやそもそも今までだって超展開の目白押しだ今更過ぎる。もしかして神経衰弱とかそんな症状に陥ってないかと、自分の精神状況に一抹の不安さえ抱いている。それはともかくとして、どんな変人がこの襖の奥に存在しているのかと思うと背筋が色々と冷えてくる。
 良くて変人、悪くて変態、そんなイメージの中俺はどうやって義理の父と母と付き合っていくのだろうと、涙が溢れそうになっていた。

「ああ、分かったが少々緊張してきた。深呼吸ぐらいさせてくれ」
「そんな殊勝な考えの持ち主とは思えないんだが、どうせろくでもない事を考えていたんだろう」
「図星と言うか、さっきからそう言ってるだろうが、どうにも精神の疲労が凄まじくてな」

 俺のそんな言葉を知ってか知らずか、楽しげに目を細めて垂れた髪を手櫛で整えながら、視線で心の準備は万全かと挑戦するように笑う。
 知っている間違い無くこいつは俺の心を読んで嫌がらせをしているのだろう。ここまで完璧に読まれると逆に苛立ちもなくなって諦めの領域だ、南下も喋らなくても会話出来そうでそれはそれで、楽かもしれないと思う自分がいるのはきっとその諦めの最初の段階なのだろう。
 ちなみにこうやって心の中で愚痴っているのは、心の準備をするための時間稼ぎだ。関係ないことを考えてたら変人どものことも忘れられるだろうと思っているのだが、困った事にそう言うことはないらしい。むしろ羽間の性格の悪さが分かってこれからの先行きが不安極まりない。それに関しては今更感が強いというか、今更過ぎるが、一歩歩くたびにそんな事を感じる人生に苦言を申し入れたいものである。

 申請場所が自分だと言う事に不快感を感じずにはいられないのも、最早当たり前の極めて普通な一般的日常生活に変わっているのだから、人生の展望に暗雲が立ち込めやがっていると言うものだ。
 退いてもどうせどうにもなりはしない、三十六計だろうがなんだろうが結局のところ、逃げて解決する事なんてその場の状況だけだ。次の対策を打つまでの時間稼ぎに過ぎない。現状では、逃げようとも絶対に解決しないと言う事実しかないので、玉砕と言う選択肢をとるしかない。覚悟が決まれば心に少しだけゆとりが出来る、同時に心に複合装甲の配備が完了した事の証明だ。

 今なら戦艦の手法だって何度か防げるはずだ。

「で、完了したようだし開けるぞ」
「深呼吸ぐらいさせろよ。覚悟は出来たけどさ」
「大丈夫だ、弟よりはマシだからな。父よ入るぞ、婿を連れてきた」

 奥の方から入ってきなさいと声が響く。声だけを聞くなら、なかなかに格好いい壮年の男と言った感じの男の声なのだが、いやこいつの父親なんだから美形なのは間違いないのだろうが、第一印象は実は好感触だ。あっちはどうか知らないが。
 蝋でもぬっているのか摩擦を感じさせずに、すっと開く襖に少々驚きを感じる。きちんと手入れをされている証拠なのだろう、これだけ一つ一つを丁寧に扱う人間なら、もしかしたらまともな人間ではないのだろうかと言う希望を持ってしまいそうになる。同時に襖を開けると、一瞬部屋に目を奪われてしまった、古くから変わっていないのだろう古めかしい屋敷ながら、この一室に限っては更にそれが色濃い。

 何より驚いたのは、入江長八の鏝絵を髣髴とさせる職人の妙技が至る所に、調和するように配置され、天井の八方にらみ龍を思い起こさせるような鬼の絵には、流石に面食らった。

「すげー、これやた左官まじすげー。おい、これ凄いよな、鏝絵とか長八て以来だけど、すげー」
「葦船相変わらず空気をぶち壊すな、仮にも花嫁の父親を無視して、目に付くのがそれか。と言うか思っていたことだが実は君はこういうの大好きだろう、そういえばさっきも景観がどうとか言ってたし」
「そりゃそうだろう古い建築物には興奮するもんだ。冷静に考えたらお前の親父との対話なんて、しなければ結婚は気になるかもしれないんだ喜んで、こちらの芸術品を堪能させてもらう」

 いや本当に凄い、いつから鏝絵なんてのがあるのか詳しく調べた事はないけど、この家の古さから考えても、軽く二百根に錠前からあるんだろう。
 もしかするとかなりの古い作品なんじゃないだろうか、意外と調べてもらったら重要文化財になったりとか、実際問題これはしかるべきところに出せばそれだけで、ちょっとした騒ぎになるのは間違いないだろう。

「しかしいい代物じゃないかおっさん、古い家をここまで丁寧に扱うなんてなかなか出来る事じゃないぞ」
「あ、そうなのか、昔から見ている所為でありがたみはないが、褒められるとなんか嬉しいな」
「しかもいきなり花嫁の父にタメ口だ。どこまで周りが見えなくなるんだ葦船は、と言うか父、何でそんなに褒められて嬉そうだんだ。彼の度肝を抜いてやるつもりが、思いっきり取り込まれてるし」

 本当にこのおっさん、いい管理の仕方をしている先祖からなのか、それともこのおっさんからかわからないが、これだけいいものを何百年ももたせることが出来ていることからも、これがどれだけいいものなのか無意識ながらに理解しているのだろう。
 でなければ、温度管理のシステムを用意する事なんかもないだろうし、本当にこのおっさんいい奴だ。これにはかなりの金がかかると言うのに、さらに左官職人なんかも呼んでいたりするのだろう、ところどころ補修の後が見受けられる。この職人自体もいい腕をしているのは間違いないだろう、今となってはかなりへってしまったというのに、現代の技術さえも手にした職人の手により、かつての芸術が今もなお残っているこの現実に感動さえ覚える。

 更にこの芸術品の維持費も相当なものだろうというのに、それを誰に見せるわけでもなく金を払い続けているこのおっさんに感動すら覚えてしまう。金を持っているものそうだろうが、これだけの代物を大切に扱っている事実が更に嬉しい。建築業者なんかは、穴を掘って遺跡を見つけても納期に遅れると言う理由だけで、貴重な代物を破壊する馬鹿達もいるのだ。
 本来であれば大発見と言う代物が知られずにどれだけ台無しにされているか、さらには思慮のない観光客達がどれだけ貴重な史跡をゴミやいたずら書きで台無しにしているか、そんな事を考えれば価値を知らなくてもこれだけ丁寧に扱ってくれる人間が居る事に感動さえしてしまう。

「おっさん、あんたみたいな人間がいればどれだけの代物が台無しにされなかったか。価値が分かるわからないじゃない、その気持ちを大切にしてくれ」
「ああ、なんかよく分からないが分かったよ。君のように、価値の分かる若者もきっと少ないのだろう、その審査眼を大切にしてくれ」

 肩を組み感動を分かち合う俺とおっさん、お互いに通じることがあったのだ。どこか父親とも似た感覚に感動を覚えながら、久しぶりに出会った分かり合える人に心を開いていた。
 しかし本当に凄い、どれだけ職人がこれを作ったかわからないが、同人物である事だけは間違いないのだ。一種の儀式場を髣髴とさせる、この一間の装いに、不可侵の神聖さを感じてしまう。多分このつくり自体にある方向性があるのだろうが、厄除けだったりするのか、その辺りはさっぱりながら、喜びを分かち合っていた。

「おい羽間、どうだこのおっさん凄いいい奴だぞ」
「そうかい、これでもかって言うほど良かったな。まさか私のほうが度肝を抜かれるとは思わなかったよ。っていうかそれが私の父だぞ、分かってるのか君の義父だぞ、何で私が君にこんな説明をしなくちゃいけないんだ」
「え、なんで、お前の親父って確か弟を十倍ぐらい駄目にした屑だろう」

 驚きだよ、こんなまともな人物がお前の父親って。

「ああ、母親か」
「否定できないが、何でそんなに諦めたように呟くんだ。言っておくが、そこの父親も変人のひとりには変わりないぞ」
「本質が善人であるならそこまで非常識な事はしないんだよ。そうですよね義父さん」

 サムズアップで返してくれた。
 なんかちょっと心がほんわかしましたよ、やっぱりこの人はいい人だ。

「娘を頼むよ息子」

 そして希望をぶち砕きやがる。一瞬思考が吹き飛んだように俺の世界だけ時間が止まった。
 どれ具ライン間があったか知らないが、羽間はその言葉を聴いた瞬間楽しげに笑い始める。そして俺は血の気が引くのを感じて、更に意識をどこかに飛ばしてしまう。それでも数秒の空白ぐらいしかなかたと思うが、その間にたまった感情がどうにも荒ぶって声に出てしまう。

「じゃねぇーーー、なにそれなに、何でそこで俺の希望打ち砕くの。そこはうちの娘はやらないだろう普通」
「いやさ、ほらね、なんというかさ、あれだろ」
「なんだよ、お前実は娘苦手だろう。絶対に脅されたりしたろ、明らかに娘を見る目じゃねーよそれ、何でご機嫌伺ってるんだよ」

 侵害だなとそら吹くアホはともかく、明らかに娘の態度を窺い続ける父親に威厳など在る筈もない。
 いい人だと思ったのに、常識的な感性をもつ人だと思ったのに、いやだからこそ非常識の権化みたいなあいつに怯えているのか。そもそもなんであんな奴に怯えるのか理解が出来ないぞ俺は。

「当然の話だこの村にとって、アマハシの巫女はそれだけの価値があるのさ」
「そういえばお袋もそれだったとか、どうでもいいだろう。だって所詮羽間だぞ、所詮は純粋馬鹿だぞ」
「葦船は私のことをそんな風に思っていたのか、初夜か今日初夜迎えるのか」

 俺の嫌がることばかり適当に言う奴だが、今回のは流石にあきれてしまう。嫌がらせのためならプライドぐらい捨てられる根性だけは凄いと思いますがね、俺は絶対にまねしないと思うが、何気に恥ずかしそうに顔を真っ赤にするぐらいなら言わなければいいと思う。

「あのなお前の脅し方が、どう考えたって馬鹿丸出しだろうが、何だその慎みの欠片もない馬鹿の極みのような発言は」
「ふん、気にするな。流石に言って後悔しているから」
「やめろよ、お前何気に頭の回転はいいんだから少しは、嫌がらせ以外にその力を発揮しろ」

 軽く頭を小突いてやる。いきなりの俺の反撃に驚いたのか、叩かれた猫のように体を縮めて、いまどき子供でもしなさそうな態度で頭を守ろうとする。
 俺が一体どんな力であいつを殴ろうとしたと考えているのだろうか、痛みなどないはずなのに、目に涙を溜めて少々体を震わせているように見える。そんな羽間の姿を覚めた目で見ていると、冷静になったのか先ほどの初夜発言よりも顔を真っ赤にして、俺に視線も合わせず。

「頼む、お願いだからせめて馬鹿にしてくれ」

 ドM宣言をしていた。なにをやって燃えになる美形と言うのは見ていて腹が立つ、これが女じゃなかったら間違い無く何かしらの嫌がらせをしていたかもしれない。
 とりあえずあいつの発言を軽く無視して、ただ笑いを抑えるようにして羽間を見ていると、何と言うか表情がころころ変わって、綺麗と思っていたこいつが可愛いと思えるようになるから不思議だ。
 どう思うを、あんまり気にしないのだが、どうにもこいつに女と言う性別の感情を抱いていないのだろう。

「なんだいままでの仕返しか、その所為で本気で殴られると思った私に対する同情とかないのか」
「自業自得の極みって言うんだよそれを、おいおっさんこんな奴になに怯えてるんだよ。やっぱただの馬鹿だぞ」
「いまだかつて、羽間をここまで人間的に崩壊させたのは君ぐらいしかいないんだが」

 そうか今日あってから何回かこんな風にぶっ飛んでる気がするんだが、ああ親に猫被ってたのか。
 と言うかお礼外には絶対猫被ってただろう、鬼に人間の皮かぶせるレベルで。

「くそ、悔しい、ここまで弄ばれるなんて」
「そうですね、自爆して恥ずかしいですね。あと、あからさまにこちらが悪いような戯言はくな」
「そこは君も妻に対してフォローするとかしないといけないんだが、全くと言っていいほど愛情もないな、無理もないが」

 大体俺とこいつの間でなにが起きているか知っている筈だし、冷静に考えたら今回の悲劇を作り上げた元凶でもあるのだ。
 お義父さん、お嬢さんを下さいとか言う必要ってなかったんじゃないのか。だって両親合意の上でこれ進めてるだろう、どう考えたって。

「なんだよ、娘さんを下さい的発言しなくていいじゃねーか無駄な事した」
「そこは父親の美学でして欲しいところなんだけど」
「いや葦船しておくべきだろうそこは、妻として夫がヘタレだと泣けるぞ、男なら父から娘を奪う気概ぐらい見せろ」

 なんだこいつら、いちいちいう必要ないだろうどうせも事前にそう言う打ち合わせしてる癖に、しかも羽間にいたっては分かっているのだろう。先ほどの仕返しもあわせて、ここぞとばかりに俺を攻め立てようとしている。なんて迷惑な奴だと思わないでもないが、それ以上に父親の美学に凄い追及したい。
 そんなのどぶに捨てて増し前と大声でいいたいのだが、かなり美形で格好のいいおっさんなのだが、線が細そうでなんかあんまり怒鳴ったりすると倒れそうなイメージが浮んで、手加減をしないが心情の俺には少々困った相手なのだ。羽間にならいくらでも言えるのだが、どうにも娘から被害を受けているという点においては同じである為、同情的な視線を送ってしまっているのだろう。

 本来ならその程度の事を気にして言わないような男じゃ無いと言う自信だけはあるし。

「奪われたのはこっちだ、そんなに言ってほしけりゃ言ってやるよ。おっさん、そこの太宰治の作品のタイトルみたいな女を嫁に下さいお願いします」
「ああいいよ、どうぞ嫁に貰ってくれ。ほら何と言うか、羽間は男が出来ないといろいろと、女として終わりそうなところがあるし、なにより君なら羽間を止められるしね」

 もう拒否しない事はわかってたんだけどさ、理由が少しおかしくないか。女として終わりそうとか、止められるとか、一個人に使うには酷い形容詞の数々のような気がするのだが、やはりと言うか羽間は父親からの暴言に少々憤慨しているのか、目を細めて発言した親を睨み付けている訳だ。
 その視線を感じているのだろう。先ほどあいつを小突いた時と同じリアクションをするおっさんが居た、こいつらやっぱり親子なんだと、変なことで納得させられる。

「何と無くこいつの所為で苦労しているのは分かったけどさ。とりあえず俺から離婚するような事はないから気にすんなよ」
「先代にどうにも変な常識植え付けられているらしくて、接吻一つで縛れると言うある意味お手軽な男だからな」
「ああ、あの人は仕方ないな。そうやって弘樹を調教じゃなくて、拘束、いや監禁、ああ教育してた人だから」

 何で親の話を聞くだけで、ありえない不穏当は発言が出るのかもう想像したくない。
 もう聞かなかった事にして薦めたいが、俺の隣に居た女が唖然とするぐらいだからよっぽどなんだろう。そして何気に頷いて参考になるとほざいた瞬間、もう一度頭を小突いてやった。
 今回は少々強めにやった所為か、少々目舐めに涙を溜めて俺をにらむ。

「あんたの娘も同じぐらいアレだぞ」
「諦めた、羽間は自由に生きて欲しいものだよ」
「既にこれでもかって言うぐらいの自由人なんだがその辺に対して何か言うべき事があるんじゃないか」

 しかし諦めを再現するように首を左右に振って言葉は無しだ。
 自覚してるのによく言うおっさんだ。

「君のお陰さ、羽間がここまで自由に、あの子も色々あったからね」
「そうだぞ病気だったと言ったろ」

 確かにそんな事をいっていた気もする。結構酷い病気だったのだろうか、俺はてっきり盲腸とかそんな感じかと思って居たんだが、どうにも違うらしい。何気ないおっさんの慈愛の表情が、その裏付けになっている気がする。完治しているらしいが、父親としては娘が動き回る姿が喜ばしいのだろう。病気とかで歪んだ性格の所為で、大分困った人間になっているが。

「そういえばなんかそんな思い設定が会った気がするな。どこまで本当なんだか知らないが、よかったな嫁」
「殆ど忘れていたんだな葦船は、それが嫁に対する扱いか。ここで脱いで襲い掛かるぞ」

 半分以上忘れていたし、なんだかもう痴女レベルの発言をしている嫁が居るわけだが、泣いていいだろうか。
 あいつとしても何度もその手のネタで自爆しているくせに、俺に嫌がらせをするためならどんな手段も厭わないその男らしさにだけは敬服させてもらうが、絶対後悔しているのは判っているからやめればいいのに。
 とりあえず言うだけ言って、自己嫌悪に苛まれている羽間の頭を撫でてみる。

「とりあえず、自爆するぐらいなら言うなよ。一度駄目だった行為を二度したって俺は変わらないぞ」
「分かっていたさ、だがそれでもしろと体が動いてしまう。憎いよ、何で怨敵にここまでフォローされないといけないんだ」
「いや、一応夫だからな。怨敵ってなんだよ、お前にどこまで恨まれれば俺は許されるんだよ」

 恨まれ続けてたら許される事もないとは思っていますが、もう困り果てるよ。恨まれる理由とか正直どうでもいいが、恨むだけなら俺だって結構理由がありそうな気がしないでもないし。
 そんな俺の疲れた言葉に、

「多分一生だと思う」

 とのたまいやがった。

「なにそれ、俺は仮にも嫁に、どこまで恨まれる人生送らないといけないの。せめてさ、後二年ぐらいにまけてくれないのか」
「あと二年で私の心を葦船に完全に向けることが出来るのなら可能だろうさ」
「お前な、今は憎しみが完全にこっちに向いているだろうが、どんな理不尽だよ」

 前々から言っていたがこう何度も言われるとへこむ。
 俺の結婚への憧れはどんな風にぶち壊されるんだよ、ただちょっと奥さんに仕事の後に汗を拭いてもらうぐらいの願望しか持ってないのに。子供が出来たら、おなかをさすりながら赤ちゃん言葉で、子供に話しかけるとか、そんな馬鹿みたいなことが望みなのに。

「何と言う願望破壊魔だ」
「下らん妄想を壊して何が悪いんだか良く分からないな葦船」

 こっちのささやかな願望が、本来なら枕を涙で濡らしてやるのだが、今更なのでノリであきらめておく。
 それにここには俺の心を癒す、左官技術の結晶であろう一つがあるのだ。精神安定剤にはこれほど相応しいものはないだろう、天女の鏝絵なんかを思い出しながら、首を切り落とされる鬼に心を癒す事ができないよ。

「何気に殺伐とした、鏝絵だなぁおい」
「葦船突然何を言い出すんだ、またお得意の妄想か、しかしそりゃそうだろう。この鏝絵は昔のこの村であった山賊の襲撃の悲劇かなんかを書いたもの筈だ、村の人間に返り討ちにされて首を切り落とされたりしてるのが山賊だがな」
「ちょっと違うが葦船君、かねがね娘の言うとおりだ。この絵は私たちの家がかつて指導者になりあがった頃の絵なんだよ、これで活躍して発言力を得たと思ってくれればいい」

 血に何気なく塗れているがそう言う理由があるのか、しかしこういうものを残していると言うのもある意味、羽間の実家らしい気もする。
 普通ならここまで開けっ広げに、こんなのまで作って自慢するようなものじゃない。これは一種の教訓も含まれているのだろう、こういう悲劇を忘れるなと、そう考えると殺伐押してはいるが、感慨深いものもある。
 この村では昔こういうこともあったと言う事実が、この村出身の自分からすれば、悲しくだが少しばかり誇らしい気もする。

「ようは、人を殺して権力を得ましたって言う自慢をそのまま表現したんだな」
「台無しだよお前はもう、それでも普通家にこんな殺伐としたものを置くはずないだろう。これは教訓なんかが篭められていると判断するべきなんだよ。芸術以前に、これは戒めと取るべき内容だろう」

 そうなのかと、羽間は驚いたのか目を丸くして頷いた。
 多分あいつのことだ、本当に自慢の為に用意したものだと思っていたのだろう。ついでに言えばこいつの親父もそう思っていたのか、なるほどと小さく呟いてやがった。あのさ、多分両方頭はいいはずなのになんでそう対応が馬鹿臭いんだ。

 馬鹿なことばかり考えていたらいつの間にか、羽間の怨敵発言とかどうでも良く感じてきた。一応夫になったんだし、こっちが愛してあげればいい気もするし、今みたいなわけの分からない関係もまぁ嫌いじゃないし。

「そうか、そう言う考えもあったな。昔から見てると自慢かなんかだとしか思わなかった。家に置くには陰気すぎる上子供に見せるようなものじゃないと思っていたんだが」
「いや、確かにかなり殺伐としているし、子供に見せるようなものじゃない気もするが」

 首を切り落とす以外に、臓器とか零れているものまであるから余計にその意見には同意しますが。
 多分専門の人が聞いたらきっと、活火山の如く怒鳴り散らすレベルだが、確かに見に行くのはいいが、家にあるとちょっと困る題材だな。美麗な絵でも夜にモナリザ見たらただの幽霊画と変わりはしないし。
 ああいうのは見に行くから価値があるもので、おいておくものではないし。ゲルニカなんか家にあったら、絶対に困るのと一緒だろう。

「確かにそうだな、思考をめぐらせて見ても。結局お前の結論に至ったよ」
「そうか夫婦の共同作業としては少しばかり嫌なものがあるが、納得してくれて何よりだ」
「あまり父親の前でいちゃつくのはやめてくれないかな。さて結納的なことをそろそろやろうか」

 あ、だめなの太宰治の作品のタイトル的な娘さんを下さいって。
 俺の表情を読んでかまた馬鹿なことを考えていると溜息を吐かれて少しばかり不愉快ながら、やっぱり挨拶とかはきちんとした方がいいのだろうと自分に言い聞かせて、勘定を納めてみる。
 今更こんなところで言い返していたら、きっと結婚生活はもっと混沌としたものになる気がする。

 既になっているがこれ以上深みにはまりたくはない。それもきっとうたかたと言う奴なんだろうけど。

「さて、と言っても私はそういう事した記憶もないので、どうやればいいのかわからないから。水杯でもしてみるかい」
「成るほど結婚も命を賭けるものだしな。なにより新でも葦船を放すつもりはないから丁度いいかもしれない」
「そこは三々九度でいいじゃないか。固めの盃だろう、神社の跡取り的にもさ」

 だが首を横に振って羽間は嫌がった。少しばかり今から言う事が恥ずかしいのか、視線を俺から外している辺り、禄でもないことか自爆のどちらかを言おうとしている事だけは分かるが、格好をつけるように髪を軽くかき上げて少しばかり表情を固めた。

「それは結婚式の時にするべきだ、今回は葦船と私が一生添い遂げる事を確約する為に行なうのだ。女一人の心血をそそぐぐらいの覚悟をしてもらう為にな」
「うわー恥ずかしいなそれ。別にお前が嫌がらない限り、逃げる事なんて絶対しないぞ俺は、アホみたいな方法で結婚してしまったけど、俺は羽間ほどお前の事を嫌っていないし」
「うわ、むかつく位の余裕だし、なんでプロポーズ今更されているんだ。恥ずかしい奴だ、恥ずかしい奴め」

 いや、だって基本的に嫌いじゃないんだから仕方ないだろう。恋愛感情かと言われれば微妙だけど、これだけくだらない事で馬の合う奴も珍しいし。
 本当に俺だっていやなら、ありとあらゆる方法で拒絶させたんだが、贔屓目に見ても美人だし。ある意味では役得だと思えばそれもそれだ、少なくとも飽きないことだけは間違いないだろうし。
 そう考えると悪いことでもないのかもしれない、なんか超強引なお見合い結婚みたいな感じではあるが、なんかこういうものいいが苦手らしく子供のように慌てる一応妻を少々愛らしくも思うが、どう考えても子供をめでる程度の感情だが、何か代わるやも知れないし笑って済ませよう。

「それでいいんだね、特攻隊とか直訴や一揆を髣髴とさせるが、死んでもあえるか斬新かもしれない。死さえも二人を別つ事はできないか、陳腐ながら王道だね」

 この親父はどうにも儀式と言う空気を呼んで嫌がらない。しかも悪い方向ばかりを髣髴とさせやがる。
 確かに有名な水杯の使用場面はその辺りなのだが。

「早く道具を出せ、祝いの席に不謹慎な物言いはやめておくのだ父」
「わかったよ、男らしい娘の為にお父さんは頑張るよ」

 どこからか取り出したのか銚子や盃がトンと目の前に出されて少々驚く。道具の準備のよさに感服しそうになるが、多分羽間が用意して置けと言っておいたのだろう。
 井戸辺りから汲んできたのであろう水が注がれた銚子と、漆器の盃が前に出された。どちらもかなり歴史の深いものなのだろう、今の量産品のようなスクリーン印刷では出来ない味わいを持った、蒔絵で作られた細工は見事の一言だ。
 この家がかつては、いや今もそうなのだろうが、権力者であった事を象徴する品物の一つなのだろう。

 義父は、楽しげで赤い器に水滴を伸ばす様にそそいで行く。どういう細工か、注がれた水は赤い盃を移すようにまるで血の様赤く写って、少々驚かされた。かつての職人の技術に少々感動しながら、空気を楽しむ事にした。周りを見渡しても、おっさんと羽間だ、両方楽しそうに笑っているのも、どういうわけだか釣られて笑ってしまいそうになる。
 しかしこんなのが結納なのか分からないが、二人して恋愛感情もないのに、よくもまぁこんな事が出来るものだ。少々くだらないことを考えながら、これから起こるであろう少々の混乱と騒動に少しばかり心を揺らめかせる。

「葦船、はやく飲め」
「あ、ああ、悪い。ちょっとぼんやりしてた」

 ちょっと慌てた所為か、盃を手に取る前にこぼしてしまう。こういう間の悪さは生まれつきだが、こういうミスは少々困る。
 羽間もわざとじゃないのを分かっているのだろう、恥ずかしがっているのかと耳元で呟くが、知るかと悪態を返すだけだ。だが俺の返答が不服だったのだろう、再度盃をそそぎなおそうとする父親に静止をかけた。

「父、もういい、こう言うぼんやりする奴にはお仕置きが必要だ」

 この時、過去を俺は思い出せば良かったと思う。しかし厳かだった空気を台無しにしてしまった後ろめたさに、忘れていた。
 俺を責める様に正面から目を合わせて来る羽間の視線からそらそう努力したが、あいつの腕力じゃあ俺はどうしようもない。固定された顔は微動だにしない。少しばかり口を膨らませるようにしているが、どうにも美人だから反応に困るが、動けない自分の表情が赤くなっている事ぐらい嫌でも分かる。

 この時悪寒が体中に走った、だが既に逃げる事の出来る状況を逸していた事に気付いて必死に成るが、何一つ無意味であった。
 今から一時間ほど前の悲劇が俺を襲う、強引に唇を合わせて唾液をそのまま咽喉に押し込まれた。先ほどのように気絶する事はなかったが、あまりの驚きにそのまま唾液を飲みこんでしまう。

「こう言うのも乙だろう葦船、二人だけの水杯だ。なかなかにロマンチックと言うしかないじゃないか」
「父親のいる前でして欲しくはなかったがね」

 ああどいつもこいつも、もうこうやって振り回されるのは間違いないのだろう。どうしようもない事には、諦めがついたが、逆にこうなると笑いがこみ上げてくる。こうなると開き直りだろう、俺の目の前で抱きしめるような形で居る羽間の頭を撫でて、逆にこっちが視線を合わせる。
 ふと思うのだが、こいつの目に著と前まであった拒否感が消えている。開き直れば、コンプレックスも吹き飛ぶようだ。

「どうでもいいが、よろしく奥さん。別に好きでもないけど、お前以外の女は考えられないわ」

 どうにもどこか初心な性格であるのはわかっているので、普通にプロポーズをしてみる。
 いや、こんな馬鹿だが流石にこいつ以外の女は考えられなくはなってしまった。

「ああ、ああ、なんかよく分からんがよろしく頼む」

 これが恋愛感情なのかよく分からないが、流石に笑いがこみ上げて止められそうにない。
 少しの間俺は大笑いして動けなくなるのだが、どうせこいつ以外の女は、面白くもなんともなさそうだと、ある意味では一途に想ってしまうわけだが、どうせ浮気も出来ない性分、同じアホなら踊った方がまだマシだ。

「ああ、よろしくだ」

 少なくとも、これ以上に笑える奴は存在しない事だけは間違いないのだ。

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