十五章 人間変貌理論
 

 
 




 そこには一つの人の限界があった。その一振りはその全てを引き裂くために存在したように、手の流れに世界を別つ。
 その全てに対して、一つの顎が全ての力を食い破り、人間の稼動限界速度のその上をいきながら目標へと砂塵を上げる。それは足音が後から押し寄せるような幻聴、あらゆる物を後ろに引き連れる様な光。

「っ、こんっの狼ぃぃ」

 全てを後ろに追いやりながら、走り抜ける獣に向け切断の意志さえ消えることなく駆け抜ける。手を振りぬけるだけで、その動きのまま切断の力場が地面を、空を斬り放つ。だがそれは所詮直線の動き、曲線を描こうともそうであることに変わりは無い、そんなものが人類の常識外に効く訳が無い。だがどちらにもこれは所詮、小手調べにすぎないのだ。

 それはギアを上げるように、加速を繰り返していく。力場兵器の廃熱が段々と激しさを増し、彼女の腕が火傷でもしたように陽炎が彼女の腕を曲げた。

 切断力場、振動力場に次ぐ破壊力を保有するとされる力場であり、移動力場と同じくその機動の早さ故に力場兵器の中では最高レベルの完成品だといわれている。だがその力の本性は、どの力場兵器にも無い冷酷な者であろう。まだ二人は読み間が続くが、それはどちらかと言えばあさに有利になるだけであろう。狼の速度は尋常なものではない、なにより車などの無機的な動きではなく有機的な動き、慣れるには少しばかり時間がかかる。

 その速度は確かに移動力場や強化力場には劣るだろう。だが所詮は無機に近い動き、そして何より人としての桁が二つばかり違う。それは四足の獣と二足の獣の混成、地べたを抜き、上下の概念を抹殺しつくしている。手速を上回る移動に一瞬困惑する。力場は動作機動が一番しやすく思考機動よりも動作速度が速い、力場の機動までにラグがコンマ数秒ほどの差があるのだ。

 あさは瞬時に、機動方式を変更する。速度いや人間としての身体的ポテンシャルは、相手の方が確実に上であることを理解したのだろう。

 だがその代わりに思考機動であれば複雑な力場起動が行える。それは一瞬にして野性の狩りから詰め将棋へと形容を歪ませる。
 動作機動と思考機動その複合が、まるで陣形を消し去るように、発動しつくす。不可視と言うだけで尋常ではない、そこに曲線を描き、直線を紡ぎ、果ては絵画を描き出す。それは切断の天空回廊にして、切り裂くと言うよりはその数による圧殺に近い衆合地獄のようなものだ。

「圧殺の地獄とは明快だなぁ、貴様は地獄にして生まれし獄卒か? ならこれは衆合地獄か、だが無駄だな。我を殺すのであれば無間地獄は用意しろ」

 絵を連ねる、その切断地獄。それは一振りにして合切を持って消滅する、それこそが真の意味での対力場兵器だ。切り裂かれた絵画は、その伝達していた全てに浸食して死滅させる。

「でなければ、我に対する断罪など果ての果てよ。末法の世である今になにを望んで地獄を見るのか、そこをよく考えているのか?」
「語るな、語ることは全て行動にこめた」
「まぁその語りもあるが、死ぬ相手の声聞き届け続けたいと言う雅もあるぞ」

 いつ掬い取っていたかも分からない石を投げつける。あさはそれを受けるわけでもなく躱すと言う選択を躊躇いもせずに行なった。
 それを見て笑ったのはどちらが先だろうか?

「悪趣味極まりない。つまり貴方は、そう言う類の人間ですか」
「ほう、弱点がばれても笑えるか。どうやら無価値の呪いは受け入れられたようだな、しかし砕けた力場だ、完成品と名高いがまさか防御が紙以下とは、それで完成品か」
「いえ防御は出来ますよ、ただ私でも常時切断領域を隙間なく展開するほど馬鹿ではありません。そんな異常計算したいとも思いませんし」

 そうそれが彼女だ、足りない部分は自分の努力で補う。それを聞いたとき、王は感心したようなそぶりを見せる。

「貴様はつまり最高力場設定であるBTに対して何の魅力も感じていないのか」
「あるわけ無いでしょう。わたしは、自分のみに余る力は要らない、必要なのは自分の力の範囲で手に入れられるだけの意味だけで十分。BTはあれは人の使うものじゃない、私は人でありたい。人間以外になりたくない、英雄や王様魔王なんて冗談じゃない」
「何を勘違いしている。力を前に狂わない人間が、人間であるはずが無い、お前ももはや変わらない化け物の一人だ」

 拍手を一回、まるで彼女の持っているその刃物と同じく言葉を両断する。
 その姿は祝福するようでさえある神聖を持っていた。だがあさがそれを喜ぶはずも無い、自分が人間以外と認めたくない化け物は、その言葉に過剰なまでに反応する。糸のように拡散する切断は、蜘蛛の如き形容を見せた。

「どうだ図星だろう? 人間は自分が人間であることに固執しない、人から外れない限りはな」

 彼女の言葉は心を抉る。普通であれば必要ないはずの説得力があるからだ、自分と十も違う幼い子供から紡がれる言葉に、彼女は言い知れない恐ろしさを感じる。

「人間は人間以外を拒絶するが、人間は自分達が人間であることに疑問も抱かない。人の上に立ちたい猿が、そのための力を手に入れないわけが無いだろう?」

 動物としての本能が上を目指す、人間の優越である欲求に支配があるのは必然だ。この世界に、暴君はいても名君はいない、所詮それは自分の自己満足の結果に過ぎないからだ。支配と言う優越のために人が行なうには絶対的に必要な力がある。
 それが力である、金でもいい、人脈でもいい、その当人の才能でもいい、それなくして支配はならない。
 人間はそれを捨てられるほどの強い生命体ではない。目の前に宝箱があって開かない人間がいないのと同意の話である。

 狼はその人間の本能の隙間を抉り取る。誰が定めたとも知れない本能の公式を、理性と言う理論によって、事実とも知れないそれをあざ笑う。

「ここにもいたのかこの世界でしか生きることの出来ない我等同類が、なんと哀れに成長したものだ」
「笑うな、私の生涯を笑うな」
「落ち着け、我が笑っているのは貴様の人生などと言う軽いものじゃない。この世界の面白さに喜んでいるだけだ。こうやって一つ一つが転換期以前の人間の有様とは程遠いことに、我が父がしでかした事はこういう事か、人間に安定を与えてもあの人にとってはつまらないくだらない事、そのための手段がこれであると。素晴らしいことこの上ない」

 狂ってくれた世界に感謝した人間が何人いるだろうか?
 いるはずが無い、過去の幻想にすがり付いて暴れているだけだ。この世界において一度たりとも地獄を望んだものは勇者を含めていない、ただの一人だその目の前にいる狼こそ、それを何の苦もなく言い放てる存在。

 迫り上がるって来る克服したはずの恐怖、勇者の呪いではない。これこそが全価値とまで言わしめる少女のあり方だ。

 普通であるのなら異常とでも感じるのだろうか、だがあさは残念ながら普通とは言いがたい。その感情は恐怖であったのだろう、だがそれ以上にもう一つの感情が彼女に芽生える。その名は屈服、存在の重さが彼女の行動をゆっくりと縛り付けていく、勝てるわけ無いと脳に刻まれる地獄を押し付ける。

「だからどうした!!」

 やけっぱちだ、それはただのやけっぱち、存在の重みを受け入れながら恐怖を踏みつける。
 魔法の言葉のようにその言葉は響く、それは内外問わず、彼女に世界に狼に、波紋の様にその全てを振るわせた。

「ほぅ、そう来るか。理解しそれでも抗う、それだ、それだよ、それこそ我等が望む人間だ」

 王はふざけた態度もとらずに、矛盾ばかりの発言を受け入れ喜ぶ。

「本当に素晴らしい、それが人間だ。そして我等が忌むべき敵だ。何にも変わりはしない、我等とお前らの主義主張は、ただ方向性が違うだけに過ぎない。無謀だろうと抗い続ける、なんとこの上ない人間だ」
「なにを、なにを、言っている」

 一度王は頭を下げる、口から零れた透明な液体に言葉を刻むそれは食欲だ。
 
「感謝する、今まで見た中では二番目に食いごたえのある獲物だ。無駄な会話で思考もぶれただろう、覚悟しろどうせに我も貴様も一生このままだ結論は出ない。議論はそもそも、暴力には勝てないと相場が決まっている。国における戦争が最終手段であるのと同じことだ」
「つまり今までの会話に意味がないと」
「それは受け取り手が決めろ。我は有意義であったぞ、だからこそ手加減せずに殺しつくしてやるのだ」

 それはもう人間のする構えじゃない、だがもしかするとこれが彼女の本性なのかもしれない。実戦だけを重ねて殺し続けた一つの成果だそれは、その存在の質量が津波のように押し寄せ、朝は一歩後ろに逃げた。
 自分の行動にまさかと言うかを示す。彼女は逃げないつもりだった、今までとは違う形容しがたい威圧、あらゆる方向から感じるのに、どこから来てるかさっぱり分からないその異常性。それは彼女が転換期に刻まれた最後の恐怖、世界全ての人間を操りつくして崩壊させたあの……、

「さすが家族と言うべきかしら?」

 あの悪魔のような、得体も知れない恐怖が彼女に押し寄せた。

「これが私だ、顔もまともに見たことの無い父親の事など知るか。今も生きていることだけしか知らん、あいつを放置していればもしかしたらまた元の世界に裏返すかもしれない。そうなればあれも我の敵だ、さぞふざけた敵になるのであろう」
「どうせそれも貴方の楽しみの一つでしょうが」
「当然、それが我だ。緊張は抜けただろう、もう間抜けな返答も応答もいらん、どうせ返せなくなる」

 それはもう四足獣以外の何者でもない、口に加えた対力場装備。実際彼女がこんな戦い方をするという事は知られている。この勇者が生れ落ちた地でなの知れた殺戮妃であった彼女だ、だが見れば見るほど異質にしか思えまい。その彼女の構えから想像出来るのは確実に猪だ、直線行動しか考えない牛のようなもの。

 一撃で決着をつけるという意思表示にも見えた。刃と口の間から漏れると息にはあからさまな興奮が、尖った犬歯が刃を貫き固定した。

 そしてその体の行動が隙を許すことは無い。視線を外すことも不用意な行動も、瞬きさえも一瞬で自分を絶命させるであろう空気を、獣のいななきに、空気が小漏れる。

 敵に意識を集中しながら、機動を開始する。ここで最大は既に必要などあるわけも無い、相手は確実に近くによらなければ殺害など出来ない。いやしない、それだけはしないことを彼女は理解している。それでは面白くないと、あの化け物ならそう思うと彼女は確信している。どうせあの武器の前では、力場は意味が無い、単純な破壊であの獣は潰れることは無いから。

 極小の必殺を展開する、人一人殺すには十二分すぎるその力。振りかざす腕も何もなく、彼女が狙うのはたった一度の殺害。

 無限よりは手の無い時間が走り抜ける。どちらも攻撃の一瞬を浮ばせては消していく、しかし常に先手は王である。本当であれば隙を見せればどちらかが死ぬ状況、しかし無駄な時間の経過を王は好まない。隙と言う隙を敵の隙へと変貌させる、それに彼女は動いている方が良く似合う。

 凶暴な表情が、何の技巧も篭められない愚直な進撃が、白銀の影を纏い獣の本分を見せる。最短の距離を最速で抜ける、たかが十メートル程度どの銃弾よりも遅いくせにそれ以上の迫力を見せながら大地を抜ける。
 あさの腰以下の低さを突き抜ける王は一瞬だが確実に彼女の視界から消えうせた。その死滅的な隙を彼女は最初から理解していた、瞼も許されず擦れた視界の中で、その戦闘はまさに原初の様相を作り上げる。

 しかしながら彼女は最初から視界を無視していた。嗅覚と空気の流れ、肌で感じたその恐ろしさの方が何倍も鋭敏に王の場所を象る。だがそれでも先は王であった。

 開いた両手が獣の顎のように上下に振り上げ振り下ろされる腕。指の一本から体を抉るその狼の第二の口に、ずるりと皮膚と服を削り取られた。しかしながらそれは想定内の話、さらに口に咥えられた最後の必殺これこそが一番恐ろしい。剣豪の寸見切りと同等の回避を見せながら、その小柄な狼を蹴り飛ばし彼女の首を両断するはずだった最後の一撃を阻む。

 王のその小さな体躯では、大人のあさの蹴りはどう足掻こうとその衝撃を完全に抜くことは出来ない。不用意に体を浮かせてしまう、それは凶悪的なほど致命的な隙、不用意なままに浮いてしまった狼は、切断力場の殺意に晒される。

 しかしながらここでは終わらない裂けるような笑みを刻む、その凄絶な表情に一瞬だが世界が飲まれた。 

 そこで見せられたのはまさに獣であったのだろう。
 鋼糸のように伸ばされた切断の極致、それは体を両断するための一振りであった。そうあさは忘れていた、力場戦闘における基本を、切断力場とはいえそれはあくまで一つの方向だということだ。地面に着地し一瞬の硬直を与えるその場所に力場は降りぬける。
 そのタイミングは殆どぎりぎりであった、狼は口から刃を離し手に持ち替え、それを強制的に地面に突き刺す。

 強引に腕力で一瞬の目標の困惑を導く、後は第二世代の身体能力がその隙をつく。無理な体勢からとはいえ一瞬の制動、切断の側面を蹴りつけ強引に向きを変え着地する。

 切断力場とは、言い換えれば刀のようなものなのである。一方向のみの移動を目的としその過程で切断と言う言葉があるに過ぎない。斬ると言う指定しかしていない場合、当然力場はその原初目的以外のものは発動しない。

 本当であればここで、首を切り落とされて仕舞いだっただろうが、狼もまた力場をけるという余りにも無茶な行動の所為で、片方の足がズタズタに切り裂かれていた。

「見事、足を犠牲にせねば死ぬところであった。これで一方的に不利になったわけだが、あと二度ほどは全力行動もできるだろう」
「そんな事をしたら足がおかしくなるに決まって!!」
「気にするな、気にするな、どうせ次で終わらせる。お前は次でどう死ぬか考えていろ我には、模造品があるのでな。しかし本当に稀有な人間だ、この戦いのさなか敵をそれも王である我に情けをかけるか」

 だがそこに感謝は無い優しさはない、純粋すぎる憎悪があった。

「戯けが、手加減などこの状況でして欲しいものがどこにいる。我を甘く見るのも大概にせえよ格下」

 喋ることさえない、銀が消えうせその代わりに黒が浮き上がる。その速度は先ほどよりもさらに遅くなる、と言うより彼女はゆっくりと歩み寄ってきたのだ。だがある意味では有効であった、いくら力場をこの状況で放ったとしてもそこにいる化け物であれば一切合切、切り伏せていただろう。

 だからこそあさは攻撃が出来ない、そしていつの間にか二人の間合いぎりぎりで止まる。ゆっくりと口に刃がまた咥えられる、それからは読みあいもおこがましい戦いであった。

 両腕から展開される力場を、皮一つで受け流しながら一つ二つと腕を抉り落とす。それは黒い影がまるで体を奪い去るようだ、時間が切断されコマ送りで彼女の目に広げられる、人間の手が自分の体にゆっくりと沈んでそして吹き飛ばされるまでのその描写、気が狂いそうになるほど明確二度をそれが展開される。
 神経伝達が消えうせた今、力場の発動はありえない。消えうせた力なんてあさはもうどうでもいい、だが殺意だけが彼女の動かす最後の抵抗が繰り出される。

 最後の武器を彼女は振るった、それは多分獣における最強の武器であろう口。

 だがその攻撃は空を振る、歯が重なる音が悲しく響き、鳩尾から斜めに刃が切り抜ける。だがそれだけで即死に繋がるはずのないことを既に理解している、唾液と共に刃を口から放す。強引な体捌きにより、そこで彼女は運動方向に忠実にその場で回転し、ナイフを頭に打ち込んだ。

 それでも狼は納得しない、まだ倒れるという最後の行動が出来る死体を視界に納めたまま、着地を気にせずに首に最後の殺害を敢行する。

 地面ごと死体を抉る最後の一撃はあさの体を完膚なきまでに殺害した。そのまま死体をクッションにしてどうにか頭だけは、地面打ち付けることだけは阻んだ、零れた血の跡が彼女の服を汚す。

「ははは、あははは、はははははははっはは」

 笑う、楽しかったのだろう。久しぶりにここまで死に掛けた、これが転換期の戦争の一つだったのだろか。
 それとも魔王戦争がこんなものだったのだろうか。

「まぁなんにしろこれからだ。もっと面白いことが起こるのだろう」

 そういいながら薬を一つ飲む、そして疲れきった体を一度落ち着かせる。どうせ足が治るまで少しの間時間がかかる、血の匂いと勇者の戦いの後を味わいながら彼女は、次の地獄に心躍らせた。
 この後思いっきり彼女は暴走した力場の巻き添えで、壁に頭を打ちその首謀者達に向けて文句を言うためだけに全力で走り出す。そこが血に濡れる最後の決戦地であるのだから。

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