二章 英雄らしきもの


「さて、と言うことだから、ラグマルクスの英雄は殺されました」
「相変わらずろくでもない授業ばっかりしますよねセンセイは」

 軽いツッコミが入りながら、歴史の授業をやってみるが、どうにも彼の教え方では偏りが出てしまう。
 性格的な問題だから仕方ないといえば仕方ない。だがやっぱり国の犠牲になった英雄を取り上げるあたりが、この国でも非主流派であるファルカイア派と、呼ばれる流れに属する彫刻家なので、仕方ないといえば仕方ない。

 このファルカイア派とは、そもそもが少し前までいた統合芸術家の一人である女性がテーマとした作品から来ている。そしてそういった作品のテーマ系列から、ファルカイア派と呼ばれるようになったのだが、そのテーマこそが悲劇や代償なのである。
 技術面でも色々とあるらしいのだが、テーマによって大体が、このファルカイア派と呼ばれるようになるので、それでいいのだろう。
 フェルドエスも技術的には、ファルカイア派というよりは、ルーマク派の流れを汲んでいる。このルーマク派こそが、この国の主流なので当然といえば当然の話であるが、テーマ性からそちら側だと思われたことは一度もない。

 当然のことだが、精神的には間違い無くファルカイア派の人間なので、無意識で悲劇的な主題を使う事が多く。その知識も豊富で、辺に教養がある所為で授業が偏っているのだが、これを喜んで聞いている子供も子供である。
 風呂などにあまり入ることもない子供達だ、その中でも彼によく質問し暴言を吐く少女こそが、今彼に突っ込みを入れたのが、ラクシアである。

「センセイはあいも変わらず人間が破綻してますよ。この国でよりにもよってラグマルクスの英雄について嬉々と語る人は、あなたしかいません絶対に、絶対にですよ」
「え、楽しいじゃないか、旧貴族街つまりこの場所をかつて焼き尽くした人間だよ。そのお陰でティアネスクの名君が誕生したんじゃないか、同時に腐り果てていた貴族や王族を打ち倒し新たなる時代を作る事になったんだ、もっともその名君によって彼は殺されたんだが」

 暗いにも程があるだろう、開いた口のふさがらない彼女は少し砂などで煤けていたが、それでも太陽のように赤い髪を振り乱し、うがーと叫んでいる。

「貴方の歴史観は絶対に破綻しています」
「違うね、僕以外の歴史観が破綻しているんだ」

 ヌルグといわれるストリートチルドレンのリーダながら、彼の教える事を吸い尽くすように覚えて行く彼女は、もしかすると天才の一人なのかもしれない。彼の部屋においてある歴史書なども実は読みつくして、写本までしている。
 スリなどが稼ぎの主体であった頃とは、最早別次元の稼ぎをしていて、意外と評判なのだが、そんな事をしているものなのだから、より知識が深くなり自分なりの解釈や教養も広がっていく。

 結果として読み書きを教える程度の教養しかない、いやこの時代であればこれだけ出来れば優秀な部類だったりするのだが、それに比べても彼女は飛びぬけていた。グループのリーダと言うこともあるのだろうが、下に示しをつける必要があって必死になっていたのだろう。
 だが元々の性格と相まってか、実は本人が勉強と言うものに憧れていたのか、ぶっちゃけるとフェルドエスを軽く抜くぐらい優秀な人材になってしまっている。

 最もフェルドエスも彫刻と、歴史と言う分野においては、と言うかその分野に限ってだけは、専門家さえ舌を巻くような知識の持ち主だったりするので、ここでだけ威厳を取り戻している状態だ。しかしそれも、偏っている所為で彼女にとっては不服なのだろう。

「センセイは人間の屑だと思います、本当に宮廷にいたんですか」
「だからラクシアにも教えてあげただろう。宮中作法って奴を」
「ああ、そんなものありましたね。相手の弱みを握れとか、そんな後ろ暗い部分をメインに」

 こいつは十五の少女に何を教えているのだろう。
 特に考えがあるわけではないのだが、教えれば教えるだけ、覚えて応用していく少女を見ていると、取り敢えず知っているもの全てを教えたくなっただけなのだから、フォルド辺りが見れば、もうフェルドエスは殴られている事だろう。

 この人材よこせと、そういったところで彼女が、二つ返事で宮廷に行くわけもないのだが、間違い無くそれでもう一回リリスアス辺りに彼は殴られるのだろう。
 隠した罰とか適当に理由を付けられて。

 何より彼女を宮廷に出したところで、周りからの反発でつぶれてしまうのが関の山だ。それなりの手順を踏まなければ貴族社会のやっかみに潰されてしまう。
 今の時期なら、強引にでも押し込めばどうにかなるだろうが、と言うか他の貴族連中も優秀な人材が欲しくてならない状況だ。そう言う意味では今がチャンスなのかもしれない、だがそう言う状況であっても空気の読めない輩は多い。

 そんな事を彼は心配しているわけでも、考えているわけでもないが、偶然彼女を救っていたりする。
 知らないうちに英才教育を行なっている辺り天然なのだろう。もしかすると本能的に、彼女と言う才能に無意識で気付いているのかもしれないが、本人は無自覚だ。

「大体、彼の行なった旧都大火は、ティアネクスの名君を王に上げ傀儡にして、自分主導で国を動かすためじゃないですか」
「多分そうだろうね、だけど彼はまさしく英雄なんだよ。あの時代はある意味では王国は内患で死に果てていた、実際帝国の前身であるリバルカは、あの当時この国を狙っていたしね。その全てをどうにかする為に、劇薬が必要だったんだよ。あの当時、時間がなかったからね」

 彼女もそれぐらいの事は知っているが、性根が真っ直ぐだからこそ、彼女はこういう英雄が好きではないのだ。
 私ならば違う手段が取れる。
 天才だからこその傲慢かもしれない、だが出来ると彼女は思っていた。時間なんてなくてもどうにかできる、そう言うどこか確信があったのも事実なのだろう。

「ですが……」
「何度も言っているだろう歴史にだけはもしもはない。これがその当時の人間の最善だ、実際に誰かがそれをしなければならないときが絶対くるときがあるんだよ」

 汚名だろうがなんだろうが、被ってでもしなくてはいけないことがある。
 その辺りのことを彼女は上手く把握していない。それ以外に手段があったとしても、彼らにとっての最前はそれしかなかった、フェルドエスはそう彼女にさとしていた。

「歴史は反省と失敗の繰り返しで、一つの教訓を用意している。君はその反省と失敗を見て、生かして次はそうしないようにすればいいだけだろう」

 彼はこうやって生徒をまいてきた所為で、彼女はあきれた視線を隠す事もなくじっと見つめて、大きく溜息を吐いた。
 視線からは正しいことを言っている事だけは、分かっているのだろうけれど、彼が言うから納得できないのだろう非難めいた表情と口調で、責めるように口を開いた。

「教訓はあっても先生が教える歴史は常に陰惨すぎると思います。第二次黄金期の話が聞きたいです」
「そこ専門じゃないんだよ、そうだ暗黒期と呼ばれる建国三十年目のヨルマクス=ライン=サーズの暴政とかなら詳しいけど」
「貴方は絶対に歴史観が倒錯しています。大体第二次黄金期は、あなたの技術の基本である、ルーマク派誕生の頃でしょう、専門じゃなくても知っていないと可笑しいじゃないですか」

 忘れていたのか、ああと声を漏らす。
 そもそも彼にとっては、ファルカイアと呼ばれる芸術家こそが憧れであり、この道に入る理由になった存在の為に、ルーマク派などと思ったこともないのだ。

「そういえば技術と言うか基礎はルーマク派だったよ、心底どうでも良かったから忘れてた」
「あなたは、そう言うところが嫌いです」
「大丈夫大丈夫、僕は君のことが嫌いじゃないからおあいこさ」

 聞けばくどき文句のようにも聞こえるが、こんなことは毎回だし、男だろうと女だろうと、関係なくこんなことを言っているため、まだ年端も行かぬ子供に心底疲れた表情をさせる。
 無自覚な事もあり、そんな表情をする彼女に、少し心配そうな顔をするが、彼女からしてみればお前所為だとしかいえないだろう。

「もういいです、その代わりに先生の部屋にあるリーブル史書を貸してください」
「ああ、いいよいいよ、僕のデッサンの書いている紙以外なら幾らでも持っていってくれ。どうせ部屋にある本は頭の中に入ってるし」
「分かりました全部借りていきます。それに写本で最近は、いいお金になって私がヌルグにいなくてもみんな食べられるようになって来ましたし」

 そう言う意味では教えてよかったのだろうとフェルドエスは思う。
 少なくともそのお陰で孤児達が、食に困って餓死と言う事だけはないのだ。確かに彼はファルカイア派の人間で、その方向性も悲劇に魅入られているといえない事はないが、子供が苦しむ姿が好きなほど人として終わっていはいない。
 自分の行為が結果的にプラスになるのであれば、彼にとってもそれほど悪いことではないのだろう。

「そう言う意味ではセンセイに感謝なんですかね。少なくとも物乞いや、引ったくりをしてた頃に比べたら大分マシです」
「そう、言ってもらえれば、あの時君にドロップキックを受けた甲斐があるというものだね」 

 彼と彼女の出会いはそんな感じだったらしい。
 しかし彼女にとっては、恥ずかしい過去だったのか、その紙と同じぐらいに顔を真っ赤にさせて、それは、それは、といい訳のようなものをしようとしては、過去の自分の恥ずかしさの所為で、噛んでしまい言葉が出ない。

 子供らしい愛らしさに、彼は軽く笑っているが、彼女にとってはそうはいかない。
 恥ずかしいものは恥ずかしい、それは仕方のないことである。なにしろ勘違いでドロップキックを決め、その場で学がないことを馬鹿にするなと喚き散し、なぜか彼が勉強を教える理由になった事件が、彼女と彼の出会いなのだ。

 その頃は丁度、宮廷から追い出された頃で、彫刻に没頭できる事を喜んでいた時期だ。
 多少の煩わしさが無かったと言えば嘘になるが、やってみるとこれはこれで面白い。子供達の成長を見ることの楽しさは、三人の弟子を持っていた彼としても、分かっているつもりであったのだが、その全ての弟子が逃げ出すほどにその分野では致命的だった男だ。

 伸びてゆく弟子と言う存在がどういうものか良く分かっていなかった。
 しかし人並みである分野に限ってはそうでもなかったらしく、飛び切り優秀な生徒もいるし誰もが真面目で真摯な態度で授業を受けてくれ、何より伸びていく様がわかるこの環境は、彼にとってもなかなかに、刺激的で日々の潤いと感動を与えてくれる代物に変わっていた。
 一仕事終えれば生徒に勉強を教える、だが実際のところ教えるものがないので困っているところだ。優秀すぎる生徒達は、彼を上回る速度で学問を習得し彼の限界を超えるところまで成長してしまい。

 今では歴史位しか教えるものがないのが現状だ。
 しかたしに最近では、そう言うわけにもいかないので、仕事で手に入れた本や、彼の作った彫刻などを見せて、芸術品に対する審査眼を付けさせよう等とも考えているが、どうにもあまり彼らには興味のない分野らしく、少しばかり本職の彼は寂しく思っている。
 彼らにとって芸術とは所詮雲の上の人々の高尚なる趣味だと思っているのだろう、一応彼が元宮廷直属の芸術家であった事もあるのだろうが、見ても凄いの感想しか抱けない代物に興味などないのだろう。

 ある意味最も素直で率直で、何より、ある意味では言葉を並べる賛辞よりも、心に来るものがある感想なのかもしれないが、本職の方を生徒に認められていないようでちょっとばかり悲しかったりする。
 生徒達も彼の作品に関しては凄いとは思っているし、暗くて怖い以外は、かねがね高評価なのだが、彼と同じ道に来たがる生徒はゼロだ。隔絶した才能は時として、たどり着けない山を見るように俯瞰しか出来なくなる。

 登るという考えさえ浮ばないほど長大な山は、それだけの威圧を誇っているのだ。
 彼が少しでもその分野における才が劣っていれば、この教室にいる何人かは、芸術家を目指したかもしれない。
 しかし非常識すぎる才能はその芽さえも摘み取ってしまっていたのだ。

「ラクシア君、そういえば彫刻をやってみる気はないかい」
「私はそう言う分野は、苦手ですが、教えてくれるならやってもいいですよ」

 冗談のつもりで言ってみれば肯定で返された。
 今までこういって返されたのは、アホじゃねこいつと言った感じの視線だけだ。だが表情から興味がないのだけは明確で、ただ好奇心を満たすための物なのだろう。

 それでも嬉しい彼は、飛び跳ねんばかりに感情を膨らませ、ラクシアに抱きつきそうになっていたが、なんか彼女の視線が冷たくて冷静になってしまう。

「あのですね、センセイの表情は読みやすくていいのですが、行動まで読めてしまいますから、そう言うのはやめた方がいいと思います」
「なに、感極まって抱きつこうと考えただけじゃないか」
「黙れこの性倒錯者」

 無駄に迫力のある声もきっと彼女の生来の指導者としての素質なんかなのだろう。
 彫刻と言う分野以外は基本的には、人間として終わっている彼も、このカリスマ溢れる獅子の咆哮に、あと一歩で土下座の用意まで完成させていた。
 自分の素質を知らない少女は、年上の男の卑屈な態度に更に怒りを深めようとするが、そもそもこの男にたいしてプライドとか求めるのが無駄であることを思い出す。彼女にとっては尊敬できる人間ではあるのだが、こういうところは尊敬できたものではない。

 彼女よりも多くの経験をして、国にすら認められ、そして排斥された彫刻家。こんな非常識すぎる経歴を持っている存在にラクシアは、実際軽蔑と言うよりは羨望の感情の方が多かった。
 一つの知識を得るたびに、彼女の背中には羽が生える、けれど空の高さは天上ほどでいつも頭を売って転げてしまう。経験と言う名の力がなく、それでも有り余る知識がそれを許さず、知識とそれ以上の実践を必死になって求めている。
 本当にそれだけの力を持っていて、器に足らぬ酒を汲まれ続けることが、続く現状がどこかもどかしいのだろう。だというのに、その経験と言う質を持っている男は、嬉々として馬鹿をやるのだ、彼女からして見れば、力の無駄遣いにすら感じる。

「それはそれとして教えてくださいね。仮にもこの国最高の彫刻家にして悪魔に魅入られた、なんていわれるセンセイの、ご指導ご鞭撻心から楽しみにしてますからね」
「いやそれはいい過ぎ、僕はそんなことには一切興味がない。あるのはただ一つだけだよ、後継者とか欲しいけど全員無理だったし。ラクシア君、冗談抜きで後継者目指さない」
「そうですね冗談だけ抜いてお断りします」

 それは絶対に嫌だといっているようにしか聞こえない。
 残念そうに俯くが、精神的にはタフと言うか、諦めが良すぎる方なので、さっくりと諦めて、仕方ないと呟く。
 別に彼女は彼女で、気にしたそぶりもなく、何気に彼に教わっていた部分を、黒板に書き留めると、少し前とは変わって落ち着いた様子で顔を澄ましてみせる。

「それに、私はもう少しこいつらの面倒を見ないといけませんから。無理に決まっていますよ」
「別に好きにすればいいさ、君の人生であり、僕は人生の師でもなんでもない。できる事はするけど、出来ない事はしないもんだよ」

 出来ない事以外は全てするとはそれはそれで傲慢だが、自分の出来る事の狭量さを知っているからこその発言なのだが、知っている人間でなければずいぶんと独覚じみた発言だ。
 ふぅんと、興味もなさげに呟くと、軽く黒板に目を通し消していく。彼女の頭の中には、書いていたことがコピーされるように刻まれていっているのだ。

 才能と言う以前に写真記憶させ出来る超常ぶりに、人外の才を感じずにはいられないのだが、この中で彼女のそう言う能力に疑問を持つものはもういない。驚きすぎてもう飽きているのが現状で、誰もがその現状に不思議な感情を抱く事もない。
 彼が捻出しているとは言え、貴重な紙に他の子供達は書いているというのに、一人黒板で澄ます辺りも彼女の強情さと、能力の高さを表しているのだろう。実は彼に貰った白紙の本などは、全部写本の代わりに使っているので、けち臭さが一番引き立つかもしれない。

「センセイが好きにしてくれればいいじゃないですか。私は私で、王立の学院に通うという目的も出来ましたしね」
「あそこか、行かないほうがいいとは思うんだけどね。反対しても辞めるつもりもなさそうだけど、あそこは少しばかり世界が違う。能力なら間違い無く問題ないんだけど、出自がね」
「そのことについては平行線ですよ。好奇の視線に晒されても私は諦めるつもりはありませんよ」

 そう言う問題でもないのだが、何度かこればかりは彼も止めている。
 王立の学院は言い換えれば貴族や豪商といった、権力を持つものたちが通っている場所だ。そこには常に、隔絶した身分と言う壁がある、才のあるものなど容易く手折られてしまうのが関の山だと、彼は確信していた。

「上昇志向は問題ないけど、後ろ盾を作らないとちょっと学院で生活できないね。君は身分をあまりに容易く考えすぎだ、上に行けばいくほど人はそれに囚われるものだよ。人はこの世界だけじゃない側面を幾らでも持っているんだ」
「じゃあセンセイが後ろ盾になってくれるとでも」
「無理無理、悪魔に魅入られた彫刻家がどうやって推薦して、了承されると思うんだい。マイステン卿にでも頼んでみようか、そうすれば大抵の人間なら文句を言えない」

 しかし彼女はどうにも貴族様と言うのが好きではないらしく、不機嫌な顔をする。
 普通であればこの国における軍神のような存在に、そのような表情をすること自体が不思議なのだが、実はこの国最高の天才の一人なるかもしれないいまだ未完の大器は、どうにも彼女がおきに召さないようだ。

「私は力で物事を解決する人が好きじゃないんです」
「そう考えちゃいけないね、そう言う人間達から僕達を守る役割を持っているのが兵隊と言う人たちだと考えるべきだ」

 なまじ知識がある所為だろう。
 彼女は言葉や見聞、知識、そういったもので戦争を無くセルと本気で信仰している節がある。最もそれを感じ取っているフェルドエスは、少々困った顔をする。
 若いうちは少々無鉄砲なぐらいの方が丁度いいのだが、理想が高すぎれば力が伴っていようと妄想になりうることはある。現実と言う壁の非人道的さ加減をまだ少女は知らないのだろうか、人の闇ならこの辺りに住んでいれば理解しようと言うものなのに。

「それでも嫌いなんですよ。ヌルグなんてのにいると、暴力で金を得ようとする人間をよく見るんです。子供だからやりやすいんでしょうけど、私はそう言うを飲み続けた所為で、暴力なんて知能も思慮もない馬鹿のやる行為だと思っています」
「仕方ない話さ、所詮国と言う単位をそれを大きくしただけの話。規模の大きな人間関係に過ぎない、結局のところ感情が最後に優先される。もし本気で君が上を目指すなら、感情を操り、コネを使い、他人を蹴落とすぐらいの覚悟は絶対にいる」

 こればかりは、嘘をついても仕方のないことだ。
 どれだけ夢を見ようと現実だけは忘れてはならない、足元も不安定な希望など、簡単に崩されてしまう代物なのは、彼も十二分に心得ている。
 悲劇と言う専門家だからこそ、人の心の闇を深く知りえているのかもしれない。

 納得いかないが彼女も、思い当たってしかるべき事なので何も言い返すことも出来ずに俯く。
 実は謀略家としての才能を持つフェルドエスは、何気にこうやって彼女の英才教育を図らずもしているわけだが、リリスアスにあわせたら間違い無く殴られる事を理解できない辺り、彼自身も足元がお留守である。
 彼と彼女の会話を聞いている子供達は、大体理解できていない。

 そもそも文字やちょっとした歴史に数学、後は教養を教えているだけの場所で、後ろ暗い話を教え込んでいるという状況がおかしな話なのだ。
 もしかするとこの中に謀略などで後の世に名を馳せる子もいるかもしれないが、そんなのは誰にも分からない未来の話だ。

「そんな事をしなくてもと言いたいんですけど。宮廷を知ってるセンセイの話を否定できないし、悔しいです」
「そりゃそうだ、あそこは見栄と嫉妬が混沌に混じる餓鬼の馬鹿騒ぎだ。新参者が上にいこうと考えるなら、その餓鬼達を黙らせるだけの力がないとどうにもならない。しかも敵は無駄に力を持った奴らだからよけいにだよ力で黙らせるしかない」

 もう一つの手段もあるが、彼はそう言う風にしか宮殿を見れない悲劇の専門家。
 それでも納得がいかないのだろう。彼女は自分ならどうにか成ると信じている、それを証明するには時間が掛かるのは仕方のない話だ。

「それでも絶対に認めません、センセイの言う事を絶対に捻じ曲げて見せます」

 少々涙目になっているのは今はまだ彼に敵うだけの力がないことを証明しているのだろう。
 彼女に今足りないのは経験だけだ、ある意味では学院に行く理由がそれなのかもしれない。それとも彼女が信じる道を証明するための最短の方法であるのかも知れない。
 何より意志の強い少女は、どこまで彼がとめても諦める事はない。実際に彼は忠告として言うだけに留めている、知っているのと知らないのでは、どうあっても覚悟の差が出てしまうからだ。

「まあ、頑張ってください。応援だけならするからさ、実際リリスアス卿とも話をつけていいだけの力を持っているんだ。ナージェンドック卿のほうがいいかな、優秀な人材欲しがってたし紹介してもいいかもしれない」
「リリスアス家の異端者とはまた、武門の家の中で唯一の賢者だと評判の人ですよね。確か外交関係をメインでやってると聞いていますが」
「そりゃそうだよ外務卿だしね。名門のリリスアス家でも、最も優れた人じゃないかな、実際にリリスアス卿程ではないしにしてもでも腕の立つ人だから、総合力だったらあの人を上回るのは王様か王子くらいじゃないかな」
「家の王様達ってそんなに凄い人でしたっけ。変人奇人の類だと聞いていましたが」

 困ったように笑うフェルドエスだが、否定はしていない。
 実際に変人奇人の類だ、だが未だに国が平穏であるのも彼らの力だった。能力にしてもその類なのだから洒落になってない存在だと苦笑してしまう。

「事実だけど、能力もそうなんだ。外務卿が言ってた嘘じゃないと思うよ」
「聞いているだけだと、この国の未来が危ういんですが」
「大丈夫だよ、今の国の重鎮達は最低でも十年に一度の天才達ばかりだから、どうにかしてくれるさ、それとも今らか自分の力を見せ付けてみるかい」

 本気ならどうにかしてやるという目は、彼女の決意を窺うためなのだろう。
 どこか愉快に笑う姿は、彼女の心構えを問うているのだろうか。多分本人としては面白半分なのであろうが、根が真っ直ぐな彼女は、言葉を窮する。
 フェルドエスは昔から本気と冗談の境がよく分からないやつなのだ。と、知り合いなら行ったものなのだろうが、それなりに付き合いが長くても彼の本気と冗談の区別はいまだにつかない。

 ある意味ではとてつもなく迷惑な奴である。だがこういう性格だからこそ、宮廷において浮いていたのだろうが、そう言う事を問うのは正直にいえば意味がない。
 とは言え問いに対する返答が出来ない彼女は、若干涙目になりながら気丈に彼を睨みつける。

「そんな目で見ても特に何も変わらないんだけどさ、それと他の子はもう帰っていいよどうせ授業自体はお仕舞いだし」

 これ以上は蛇足だし長くなるだけだけだから意味がないと、他の子供達に帰りを促す。その間も気丈な視線に晒される彼だが、特に興味もないのかどこ吹く風と言った具合に、帰る子供達に挨拶をしながら、彼女の反応を楽しみにしていた。

「悔しいだけです。これ以上センセイの世話になるのはお断りですが、それが一番の近道なのが不甲斐ないと思っているんです」
「そういえば僕も他人の世話になんかなるかって思って、家を飛び出して一人で勝手に彫刻を始めたっけ」

 あの頃は若かったと笑いながら言っているが、いまでも十分に若い方だと思われるが、彼にとってはそう言う問題ではないのだろう。彼女の都市に家から飛び出して、あれよあれよと言う間に、宮廷芸術家の一人になり、神童と持て囃された事だってある人物だ。
 人生の濃度においては他者と比較にならないものもあるのだろう。

 彼のような波乱に富んだ人生を送るものなどそうはいない。本来であれば目的のためなら彼を使えばいいのだが、実はフェルドエスに対抗心を覚えているラクシアは、彼の世話にだけはなりたくは無かった。
 何より今までだって十分に世話になってきている事を彼女は知っているし、それに対してどこか後ろめたさを感じてもいた。むしろこちら側の理由で、彼に迷惑をかけることを極端に嫌っているのだろう。

 フェルドエスはそんなこと気にする事はない。彼からしてみれば今やっていることは趣味の範疇で、彫刻に打ち込むだけでは、手に入れることの出来ない部分であり、ある意味では彼にとって作品を作るうえで最も大切な事を手にする為の物なのだ。
 迷惑どころが、今やっていることの全ては自分のためであると言う考えの持ち主である。
 元々が独立独歩の精神で生き抜いてきた人間であり、自分にとって大切だと思うもの以外はどうでもいいと感じている人間だ、彼女が思うほど単純な人間ではない。

「駄目だな、そう言う風に高潔に生きていると、低俗な人間に食いつぶされるよ」
「高潔に生きようとせずに低俗のまま生きていくよりそちらの方がマシですけど」
「そう言うことが出来る土台を作るべきなんだよ。心は常に弱いところがあって、それが毒となって心を陵辱する。孤独はその代表例であり、絶対的な破滅を用意する事になる最大の言葉だよ」

 悲劇の専門家は楽しげに語る。
 彼の本質はこちら側であり、人の暗黒を覗きすぎたが故の達観でもある。これから彼が作り上げようとする作品であるサイアの聖人もまた、この国が作り上げた孤独の中で生まれた狂気の産物であった。

「センセイは、何と言うか悪いところを見て重箱の隅を突くんじゃなくて、いい所を見てみたらどうですか、暗いというかそんなんじゃあ、センセイ自身が孤独になっていくだけですよ」
「そうかもしれないな、いや本当に、だが君も少しぐらい我侭になってみよう、そうしたら考えてあげるよ」

 これが有意識かわからないが、彼らは二人して実は同じような欠陥を抱えているのだろう。
 本質的に彼は人の善性を信用しないし、彼女もまた悪性を信用しない。このスラムにおいて、尽く騙されてきたであろう彼女も、人の温かみを知った彼も、同じような欠陥品なのだろう。

「困った事に先生の力は欲しくないですね。それにもしそう言うコネがあるのなら私自身がその人に会ってお願いするべき内容だと思います」
「その仲介ぐらいはさせて欲しいけどね。彼や彼女なら間違い無く、喜んで君を迎え入れて支援してくれるだろうしね。その時には流石に悲劇以外の彫刻を造ってみようかと思うよ」

 そんな彼の笑い声と共に出された言葉は、実は彼の彫刻に欠ける情熱を知る者からすれば異常の事態であったのだが、彼女も本来の彼がどれほど必死な存在か実は知らないので、作ってもらえるのはありがたいとか思っている。

「そのときはお願いしますよ。その時は力と海の女王でお願いします」
「また性格の悪い題材だ、それのどこが悲劇じゃないんだよ。石の魔女なんてろくでもない、この国最大級の悲劇を作った男だろう」
「そう言うところもありますけど、英雄ですよねあの人も。ただ女王なんて名前がついていると言うのに、何で男の人なんでしょうか」

 困ったような仕草を見せる。
 子供に語るような内容ではないのだが、無駄に強い彼女の好奇心が聞くまで話さないという目で彼を見ている。

「本来はリベックアルドスルの愛人だからだよ、彼に見初められて女装とかさせられていた所から、ライアルサビスに力を認められていたが彼が性別を勘違いしたためだよ。彼に殺されるまでずっとそのことを知らなかったらしく、生前の資料には女性と勘違いしていた事を証明する記述がいくつも発見されているからだよ。実際ライアルサビスが彼に殺される際には、この魔女と言った事が石の魔女の由来でもあるしね」
「何でそんな人が、偉大な英雄だったりするんでしょうか」
「彼自身の来歴は間違い無く歪なものだけど、それでも成し遂げた功績は凄まじい物があるからね。結局裏切られて殺されるまで、まさに英雄であったんだよ彼は、だが彼が死んだ所為で何もかもが台無しになるんだけどね」

 だがそれでもその彼の影響は未だにこの地に深く根付き、この国をギリギリまで追い詰めながら均衡を保っていられるのは彼の影響だ。
 当時は国自体が四方の国どれかにつくかで酷い謀略劇が起きており、その中で独立を必死に訴え続けたのが、石の魔女と呼ばれることになる存在である彼だ。当時であろうと今であろうと間違い無く、魔女と呼ばれた男の能力は飛びぬけていたのは間違いないだろう。
 現状で彼らの国を狙う三つの国を、言葉巧みに操り。この国に対して視線を外させ、その間にこの国は力をつけ、他の四国と拮抗させる状況にまで国を高めていったと言う実績は、どこの世界のハッピーエンドを語っているのかと言える様な物だ。

 しかし彼の力の異常性を感じるにつれて、誰もが彼を恐れだしてしまったのだ。
 あまりにも国を正確に操りすぎたのが原因なのか、未だに明確な要因は分かっていないが、と言うよりも要因があり過ぎてどれか特定できないでいるのだが、今より八十年ほど前に、石の魔女と呼ばれた男は、リネルト=アイランズ=カインテロと言われ、盟友の一人キルリア=サインズ=タツシンによって殺害される。

 これにより拡大し始めていた国は、その行動を停止させ中途半端に拡大した国力が、他の国による無視できるほどの国力から無視できない国力に変わったことにより、より一層この国が他国に狙われる理由となってしまう。
 超常の天才だからこそ、彼を理解できるものがおらず、後に国は疲弊し現在の状況があるのだが、そもそも二十そこらで後継者を考える事など天才であっても考えないのだろう。それとも自分で成し遂げたかったのかは、本人しか知らない話だ。

 だがその結果が今滅亡の淵に立たされる事になった国の末路へと変わっている。
 最もだがこの後に、呪いの様に疫病がはやり一人の魔女が生まれるのだが、考えても見れば彼女自体が暗殺された彼の呪いと言う風説を阻む為に犠牲だったのかもしれない。

「それもいいか、彼も一応は大英雄の一人だ。この国を中途半端に大きくした所為で、今の状況に国を追い込んだといえばそうなんだけど、実際彼がいなければこの国は轢殺されていただろうしね」
「センセイの皮肉は酷いですよ。流石はこの国唯一のファルカイア派の彫刻家だけのことはありますよね」
「別に悲劇がすきなんじゃないんだけどね。悲劇はねどんな事があっても必死になるんだよ人が、どうやっても抗えない運命に必死になっているんだ。そんな風に溢れた感情が混沌となっている様が綺麗に見えて仕方ないんだよ僕は」

 人の足掻くさまが好きなのか、それともその姿が人間らしいからこそ好きなのか、人の感性は全てのおいて違うが、彼の言う言葉に少し賛同してしまいそうになった彼女は、自分の目の前にいる変人と感性と一緒かと思うと少々傷ついた。

「ま、いいや、この辺りで今日はやめておこう。こっちはいつでも紹介する準備は出来ているから、いつでも来るといい、若いうちに荒波にもまれるのもありだよ。スラム出身の時点でもまれている気もするけど、上はえげつないよ。死はないが屈辱はある、それを跳ね除けるためには何でもいいから屈服させる力を持つんだよ」
「センセイは色々と駄目ですけど、なんども忠告するだけの理由があるんでしょうね。ですけどどうでもいいことですよ、屈服させるなんて生ぬるいです、服従させるだけの力を持てばいいだけでしょう。その力が必要な時はよろしくお願いしますよ」

 格好のいい言葉に思わず拍手してしまうフェルドエス。
 彼らいがいいなくなっている部屋の中に無意味に反響するその音に、彼女は満足げな顔をする。彼女の発言に参ったと諸手を挙げるが、その姿は少しばかり嬉しそうだ。

「王にでもなるつもりかい、言っておくけどこの国の王様は化け物ぞろいだ。上なんて君の常識じゃ考える事のできるレベルの存在じゃない奴らまでいるぞ」
「そんな人間と並べば文句も出ないでしょう。そうです私の目標は今度はそれにして見ます」

 より一層激しく手を叩いて笑い出す。

「あははははは、馬鹿だ、馬鹿だ、こんな馬鹿なこと言うのは嘘つきか本物だよ」
「それは本物の馬鹿か嘘つきと言うだけじゃ、ただセンセイ、私って嘘が死ぬほど嫌いなんですよ。言うからには成し遂げますよ、それが嘘をつく人間とつかない人間の差ですから」

 目の涙まで溜めて爆笑し始めた彼だが、彼女の最後の言葉に背筋が寒くなる。
 なんかの地の未来に大英雄とか、そう呼ばれそうな人物が目の前にいるような、気がしないでもない感覚に囚われる。
 若さゆえの無知なのか、それともそれを知っての無謀なのか、彼自身が人の心が読めるわけでもないのでなんともいえないのだが、何か彼女は大きな事をやらかすだろう確信だけは持ててしまう。

「そうなったら、一つ君をモチーフにした作品を作ってあげるよ」
「その時はモデルにでもなって上げますよ、ヌードにでもなりましょうか」
「年頃の乙女が言うもんじゃない。それに僕は裸の作品は対象外だ、ファルカイア派にヌードと言った代物はないんだけど」
「知ってるから言ったんじゃないですか、私はセンセイの教え子ですよ」

 優しく笑う少女がこれからどうなるのかフェルドエスは一切知らない。
 ただどうあろうと少女の間違い無く大人物の一人に数えられるのだろう。その事を思い彼は楽しげに笑う、捨て台詞のように図れた言葉に少々の恥ずかしさもあって、俯いて表情を隠したが、抑えられない感情は口元を歪ませていた。

「ずいぶんとトンでもない子が育ってしまった気がするよ」

 押さえるように笑いながら、椅子にどがんと投げ出すうように座ると、使っていた教材で顔を隠しながら、まいった、まいったと呟く。

「ナージェンドック卿にばれたら間違い無く殺されるなこりゃ」

 そのくせやけに嬉しく声は弾んでいた。
 これからの彼女がどうなる変わらないが、自分が英雄の一人を作り上げていくような楽しさに、彫刻を作るような感覚に囚われてしまう。
 だがそれを押し殺すだけの彫刻への執着が、その感覚を気付かぬうちにねじ伏せる。

「全く罪深い存在だよ彼女は全く、傑作だ」

 

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