二十一章 たった一つの喜びと全てを喰らう絶望と

 最早国は終わりつつあった。いやもう終わっていただろう、民達の九割が殺害され貴族たちも最早生き残るものは極僅か。
 だがそれさえ海晴は許さずに殺そうと考えているのは間違いない、門から逃げ出すものにさえ容赦無く矢をいるような人間だ。
 きっと生き残るのは極僅か、本来であれば生き延びる事さえ許されないだろう。例え賢者や勇者が現れて海晴たち勢力を一掃しようと既に国の基盤は台無しにされている。それでは死んでしまう国が、息を吹き返す力がなくなるのだ。

 ここに一つの世界が壊れた証明がなされていた。
 そんな中だ、愛国者は必死になったのは、甘く見ていた誰も彼もが魔力も持たない四法使いなど圧殺できると思っていた。だが予想はいとも容易く覆された、牙を剥いてからのあれは、この国にあるあらゆる弱点を平然と使ってここまで追い詰めた。
 完敗と言うしか最早無いだろう、ルッスと言う名の男はある意味海晴よりも狡猾で劣悪だ。
 彼には人を使う才がある、人を集める力がある、何より兵を率いる事を知っている。単体での劣悪な危険性よりも、人を操る術に長けるその男は、海晴よりも危険性がたかいのだ。実際の海晴一人でも国を滅ぼす方法はあったかもしれないがこれほど効果的に殺戮する事はできなかっただろう、ある意味ルッスと言う存在があるからこそこんな賭けみたいな方法を海晴は選んだのかもしれない出来ると判断して。

 ただ愛国者は嘆く今ある地獄を、子供達が地面の上に標本のように縫いとめられている風景があった、無差別な四法の虐殺があった。子を守ろうと盾になり死んだ親が、生きたまま毒を飲まされ息絶えた老人の姿が、この国はこういう風に蹂躙されて滅ぼされるのだ。
 ここまでされる謂れがあるのかと、その絶滅の根源である男の前に向い牙を剥いて吼えていた。

「これが貴様を放置した結果か、これが私のしでかした罪か、あの時強引に学院長に掛け合って辞めさせたのがそもそもの間違いか。だがそれがこの国にあそこまでする理由になるのか言ってみろ国なし」

 四法の守護を持つ城門前で、その怨嗟を慟哭の様にはく男がいた。
 だが海晴は彼に視点が入らない、今時分の過去を反芻しているのだろう。四法の標準を敵に合わせたまま、どこか冷めたような視線で引き金をいつでも引けるようにしていた。
 一瞬誰か判らなかったと言う事もあった、金髪の鍛えられた三十半ばの男が自分とどういう関わりがあるのかさえ思い出せなかった。だが武器を構えながら言葉を連ねる愛国者を見て誰かようやく理解できた。

「ああ、誰かと思ったらログオスト先生か。たかが公爵家の三男坊が僕に意見とは片腹痛いですね、せいぜい奴隷になってから話しかけてくれませんか」

 ようやく思い出して愉快痛快といった風に笑いながら表情を皮肉にゆがめていく。
 海晴がどこまで言っても身分と言うものに無頓着であったが、ここに来てそれを足蹴に扱いながらログオストの神経を逆撫でる。だが動き出す事は彼には出来なかった、向けられている四法が動き出せばどういう行動を起こすか理解できないから。

「何故だ、何故ここまでの事をした」
「ああ、分からないとは言わせない。そして分かっているなんてもっと言わせるかよ、極限まで論戦を交わすとしても結論は最終的にこれにもっていかれるに決まってるだろう。復讐といってほしいかい、けれど違うこれはこの国と俺の戦争だ。誰かに認めて欲しかっただけなんだぞ俺は、誰かに生きててくれてありがとうと言ってくれるだけで良かった。それだけでその人が望むなら自殺だってしてやっただろうよ」

 けれどそれは叶う時には崩れ落ちた。
 誰ひとり救うことなく砂上の楽園は波にさらわれた。武器を持つ手に否応無しに怒りのあまり震えが走り、カチャカチャと音が響いて引き金が今にも弾かれそうになっていた。

「それを奪っただろう、英雄なんていう下らない妄執の為に、宗教なんていうありもしない幻想にしがみ付いて、身分なんていう過去への賞賛を引き連れて、お前らは俺の全てを奪ったんだ。滅ぼされるに足る理由だよ」
「どこがだ、子供の未来をこの国の全てをかけるに足ると思っているのか。貴様のしているのは子供の我が侭と変わらん」

 だから至極全うな意見をログオストが吐き散らかしたところで、海晴がそれを聞き入れるぐらいならこんなことは起こっていない。懇切丁寧に説明してやる気も無い彼は、ただ首を振って必死の叫びを惨殺させる。

「馬鹿だな、子供の我侭を実行して成功させるのが英雄だろう。そして悪魔も自己の暴虐を設立させてこそだろう。お前らが望んだ役割だろ海晴と言う人間は穢れた悪魔だと、わざわざ証明してやったろう疫病を引き連れて毒を撒き散らかして、頭を下げろよ口だけの正論家。まるで自分がしたことは悪く無いみたいな言い訳をするなよ、戦争だって言ったろう、ならどっちも人間の屑にしかなれなかったってことだ」
「正論家だと、貴様が勝手に仕掛けておきながら何を語る。母を庇う子供が殺された、子を庇おうとする母ごと突き刺されて死んでいた、その全てが貴様の所業だ。こんな悪魔の結果を神が許すと思うな」
「お前らが仕掛けてきたんだろう、ログオスト貴様だって俺になにをしたか覚えているだろう。じゃあこの国の人間はどうだ、あの英雄は、この国に生きている人間が俺に何かしたことはなかったか、それを語ってみろ。それが現実だろう、語るたびに馬脚を現して何がしたいんだ卑怯者、その年になってまで人の所為にして自分を綺麗に飾り立てたいか、お前たちのしでかした事を神が許すのか」

 けれどもう話を彼は聞くつもりも無かった。
 ログオストはただ彼を憎んでいる。国をこんな風にした殺戮者を、だが海晴にとってはかつての教師でありそれ以上ではない。
 それでもこれだけの会話した彼には、それなりの理由が合った。

「それにここで止まるとでも思っているのか、獅子の国いや借金大国ヘイディルカの終着は近隣諸国の経済状態を逼迫させるに決まっている」
「なにがいいたい、貴様はまだ何かしでかすつもりなのか。この国で諦めるつもりも無いと言うのか」

 しかし彼は本当に音さえ発していないようにログオストを無視する。
 ただ目の前の怒りの表情を歪める為に興味深そうに視線でかつての教師を観察していた。

「そしてこの大陸の国でヘイディルカが消えてしまっては、この国に寄りかかっていた他国はどうだろう。共倒れもいいところだ、そして今回の経済危機は恐慌へと変わる筈だ。この国から借金をされていた国なんかは最悪だ、経済は確実に停滞する。つまりこの大陸で起きる事がもう分かっただろう」

 解は聞かない、と言うより彼は喋る事が出来なかった。
 彼は一つの動きを見ているのではない、結果を見て行動しているのだ。手段を選ばない彼だからこそだろうこんな思考は、本来はしがらみやら規則で縛られて出来ないはずの行為だが、その枷がない故にここまでできる。
 ログオストは読めなかった訳じゃない、気付きたくなかった。

 海晴の言葉にただ聞きたくなかった事実を刻み付けられ、幼子のよう耳を塞いで喚く。

「黙れ、黙るのだ、そんな事起こる訳が無い。何もかもが貴様の思い通りに動くと思うな」
「ああそうだね、本当にそうだと思うよ。けどさ、起きてくれればいいと思っているだけだ。可能性は高いぐらいだろう。人間なんて自分のためなら何でも出来るゴミ溜めだ、願うほど高潔には生きられないものさ、人の願いを押し潰さずには生きていられない」

 すぐに否定を肯定で返しておきながら、突きつけるのは更に悲惨な現実、愛国者にとってどこまでも国が利用されたようで許されるものではなかったが、反論も思い浮かばずに口を塞いでしまう。
 しかしあふれ出した怒りがそのまま彼の力となるように、腰の納めていた魔導機が淡く輝き始めた。
 
「それで質問はお仕舞いですか人でなし、結局はこの国はどちらもの自業自得で死ぬんだよ。俺とお前らの自業自得でだ、もう笑うしか無いだろう。そして俺はこういうしかないんだよ残念でした、笑って死んでしまえ」
「貴様、貴様、貴様が死ね。死ぬのはお前だけだ、お前だけ死ねばいい、死ね、死んでしまえ、お前の生きる意味なんて無いだろう、さっさと死ね。お前が死ねばこの地獄は終わるんだ、早く死んでしまえ」
「あるさ、誰かに認めて欲しいんだよ俺は、生きててくれてありがとうと言う言葉が欲しいだけだ。そしってこの世界じゃ俺の望みが成立する事は無いなら、滅ぼしてやるよ一つや二つ、誰かに認めてもらえるなら、もう一人は嫌だ。もう一人で生きる事なんてしたく無い、だからさ俺の為に死んでくれよお願いだからこの世界ごと」

 頭を下げてまでお願いする事かとログオストは殺意を向ける、だが次の刹那彼の持っていたもう一つの武器が淡く輝いた。
 海晴の感情は最早彼らの英雄信仰にも似た代物だ。これ以外無いしこれ以上のものを彼は知らない、そして魔導機の全ては強い感情でその力を増す直接的な魔力原動程強くないが、それでも何かしらの足しにはなるのだ。

「それがお願いで、これからが命令だ死ね、これ以上の時間は全て無駄だ。笑って死んで生きて死ね、呼吸をするように死んで、幸せのままに死ね」

 そのとき陽炎が揺らめくように海晴の姿を消失させる。
 一瞬なにが起きたかログオストには分からなかった、ただ腹を貫くように酷い衝撃が彼を抉り、懐にようやく海晴の姿を見た。
 その武器は継承だった、ただ彼の内臓を吹き飛ばして体に空洞を作り上げている。

「これは最後の手段だったんだけど、これ以外じゃ力を余分に使っちゃうんでね。しかししぶといな、あれだけやってまだ生きてるのかよあの女、だから最後の手段だったのに」
「な、なんだこれは……が」

 生きている間の絶望を口にする前に海晴はその口に決別を突き刺した。まだ意識もあるがただ殺されるだけの絶望がログオストに染み渡る、ここまで距離が近ければ最早威力は関係ない、だが海晴は後もう少しで死亡する男を城門に突き立てる。
 鉄の城門に決別が突き刺さるが、四法の防壁がそれを阻むように火花を立てながら激しい音を響かせながら、二度引き金を弾いた。

 蓄積された魔力が決別の内外魔力調合増幅機関に溢れ激しい反発を起こしながら凄まじい力を作り上げる。その方向性を定めるための頭脳は、単調ながら明確な力の方向を作り上げ、激しい光を放ちながら激しく振動し始めた。
 だが想像への力が足りないのか海晴はもう一度引き金を弾く、これからなにをされるかログオストは理解するが抵抗できない。最早彼にとって殺される事は確定した事で、目の前で血を吐きながら苦しんでいても必死になっているこの人間の姿にただ絶望を刻まれるだけだ。

「先生あの時と違って最低限の受け答えが出来るようになりました。だから笑って死んでください、これが教え子の成長ですよ」

 その瞬間決別の本流が四法の才能の守護を得た堅牢な城の城門を、その構成元素全てを乖離させて消滅させた。 
 当然のように巻き込まれて人体の全ての細胞と言う細胞を乖離させられたログオストはまるで水になるように足元に流れて、酷い匂いをさせながら地面に染み付いた。そのしたいであろう悪臭の塊を避けるようにして歩き出す。
 まだ破壊したり無いのか決別は唸るような音を立てて増幅機関を動かしていた。

「やっぱ無茶だったか、剣人の能力を継承する為の並列機動は、しかし二割程度しか継承していないはずなのに副作用も酷い。けどまだ生きてたのは失敗だ。本当にどうしようもないな、最後の最後までやっぱり邪魔が出る」

 副作用と言う奴なのだろう、明らかな喀血をしながらふらふらと歩いてく。
 顔色が明らかに蒼白となって歩く姿すら覚束無い。ただ海晴は歪み果てる体の変調に、体の機能すらも及ぼすような事をしたと言うことだろう。だがそれでも四法に力を加える為にも彼は最小限の消費しか出来なかった。
 彼の体の調子よりも四法のが増えるほうが彼にとっては勝機が高いと判断したのだろう。

「命を賭ける以外に選択肢は無いけど、これ以外の手段で生きていけないんだ。諦めずに抗い続けてやるさ、頑張ろう、頑張るんだ、この状態だって自業自得なんだ。後悔なんかしていられるか」

 道を歩いていく、詳しい場所は既に情報で仕入れているため体調以外の心配は無いが、途中に配置している兵士達を殺すたびに彼の体は壊れていった。
 総計で三百名ほど殺す頃には海晴の喀血は酷くなって歩く事すら難しくなっていた。それでも壁を杖代わりに引きずるようにして歩き続ける彼は、もう目の前に何が起きているのか分から無いぐらいにその反動は視力までも奪いつつあった。

 本来なら命すら危ういと言うのに、必死に歩く彼は体から命を吐き出しているように思える。
 曖昧なままでも必死に地面を踏みつけ歩き続ける。誰からも嫌われ続けた人生はここで終わると信じているのだろうか、こんな事では何も変わらない事ぐらい理性は分かっているのに。
 けれど世界を滅ぼさずにいられなかった。

「わかってるさ、こんなことしても怯えるだけで誰も認めちゃくれない事ぐらい。けど俺だけでも認めてやら無いと、生きていることが辛かったんだよ。こんな人生だけど、今は、今は信頼してくれる奴らがいるんだ」

 叫びながらも歩く事をやめない、殺すことをやめられない人生に涙が出そうになる。
 血塗れになっても、体の激痛が命をはくように血を口から溢れさせ、体中が震えて足元さえ覚束無いのに、彼はここに来ても道を違えずに歩き続ける。

「止まれない、ここでもう止まれないんだよこっちは、八つ当たりみたいだったあの頃とは少し違う。自分と信頼してくれた奴ら為にこっちはここにいるんだ」

 不可能を踏破するように彼は朦朧とした視界と、酷く思い体を揺さぶり動かし続けた。
 けれど彼が儀式場に到達する頃には立ち上がる力すらなく、這いずるようになっていた。吐いた血を服がぬぐい床に伸ばしている、だが彼の血では無い跡が、儀式の間には飛び散っていた。

 その辺りには散乱した人の体だったものが転がっていた。散乱した人の体が身につけていたと思われるものは、金の細工を凝らした意匠の物で、高貴な存在だった事ぐらいしかわからない。
 ただその儀式の間の中心で二人の女が真向かいに、にらみ合っていた。だが座り込んだ女は顔を青くさせて震わせているが、海晴が到着した事をもう一人が気付いたのかやけに妖艶な笑みで迎えに来た。

「お久しぶりですね、百万殺し 甘里アマハル。であいたくて……本当に仕方がなかったですよ。けれど前と同じ構図ですね、貴方は動けず私が見下ろす全く同じですよ」
「あ、は、ははは、違う。違う、絶対に違う、動ける心臓も動いている。何もかも前と違う」
「ふふふふふふ、何を言っても構図は変わりませんよ。そうでしょう異世界の来訪者さん、私は貴方に聞きたいことがあるの」

 そしてそれがこの世界で海晴が経験する最後の始まりになる。
 最初海晴は何を言っているのか分からなかった、賢者は彼を異世界の人間だと判断していた事もそうだ。だがあれが会いたいということなんて彼には想像もつかなかったのだ。動揺を明らかにした彼の姿に口元を隠して上品に笑う賢者は、満ちている空気さえ優しく思える。

 だがそのことに安心できるはずも無い。海晴が目の前の女を信用する事は一度として無いのだ。
 それはあちらも重々承知している事だろう。彼が彼女を信用する事が無いのは、逆もまた然りだが、だからこそ何かの目的があることを理解して表情と心を冷静に象ろうとするのだが、体が悲鳴を上げて虚勢さえはけなくなっている始末だ。

「嫌だね、何でお前の為に俺が語ることがあるんだ」
「駄目です、貴方は今から私の目的の最後の道具になるんですから。拒否権なんてありませんよ、今から貴方を無視して貴方の被害者達を殺すと言って拒否できるわけも無いでしょうけど」

 最悪戦力の彼女が動き出すのだ。その動きを止める為に海晴がいるというのに、所詮魔力無しに彼女を止める力は無いと言う確信だろう。
 目の前にいるのは英雄なのだ、不可能であるはずの王法使い殺しを成し遂げ、歴代の人類でも最高位の魔力を誇る倫理法使いにして外道使いである。ただ小ざかしい知恵で世界を相手取ったとしても正攻法でこられれば彼が勝てるはずがない。

「海晴しゃべっちゃいな、どうせこの女の願いがかなうはずも無いんだ。たかが言葉でこの女が止まるなら楽なもんだろう」
「嫌だ、誰がこの女に与えるか、何一つくれてやるものなんかあるか。たとえあんたでもこれだけは譲れるか、俺は死にそうになってるだろうけど、それでもこいつにくれてやるものなんかあるか」

 ルッコラが耐えかねて叫ぶが海晴は首を振る。
 咽喉の奥から必死に耐えていた衝動を撒くように叫ぶが、ただたしなめるような賢者の声が響いた。

「強情な子ですね、貴方に選択肢などあるはずも無いのに、見捨てるつもりですか信頼してくれたものたちを」
「お前が死ねよ、そうすれば裏切りにもならないだろう」

 ただ怒りだけで彼は前に進もうとした、継承に魔力を全弾激発して継承の力を更に倍化させる。
 それが継承するのはこの世界で最強の剣術使い剣人だ、単身にて決別の力を発動させたその姿は全盛期の剣人にも劣る事は無いだろう。その経験を継承し、爆炎をあげるように砂煙を作り上げると賢者に向けて決別を放つ。

「祝福じゃ決別とは対抗できないけれど、自分の体が病に冒されているというのによくもこれだけの無茶を途中で死にますよ。それが並列機動の代償ですか、どうやら生きてる人間の全てを継承したようですが」
「死ぬか、ここじゃ死なない、お前と違ってこっちは死に様が決まってる身なんだよ」

 剣人の魔力を継承したのだろう、だがそんな魔力とは別の体から色々な欠陥が見つかり震えが止まらなかった。
 血みどろになりながら武器を振り下ろして賢者と拮抗するが、どれだけ経験を吸収しても海晴では地力の差で賢者に劣る。これが剣人本人であればタイプの差で勝つことも出来るだろうが、海晴には拮抗が限界だった。
 しかもこのまま放置しているだけで彼は死ぬ程度には、追い込まれている最後の悪足掻きに近いのだろう。

 祝福と彼女の魔力が炸裂し一瞬で決別を阻む壁が出来上がるが、属性の差で多少ではあるが海晴のほうが押している状況だ。けれどそんなものには何一つ意味は無い、このまま死ぬだけだ海晴が。

「もういいですから、そこでくたばってろ失敗作」

 更に魔力を篭めたのだろう、力が失速していく海晴の魔導機と体は彼女の力に一瞬で屈服させられる。
 壁が絶望的だった、武器はその障壁ではなく自分の力の反動で手から零れどこかに転がってしまう。継承も同じだ、ただ海晴だけが武器と別れ地面に倒れ動けなくなっている。
 指一つ動かせなくなった彼は、賢者によって蘇生されなければそのまま死んでいただろう。

「語ることは少なかったけれど、喋らないならいい。私は勇者に会える気がしないの、なら会いに行くしか無いでしょう、けれど貴方は役に立たない道具のようだし、あそこの道具を使って勇者に会わせてくれる道具を作るしかないのかしら。本当に勇者と言うのは都合のいい道具にしかなってくれないようだし」
「どういうことだよ、それはどういうことだ。何で道具と言われるんだ俺が」
「だって私が呼んだ勇者が貴方だからです。あの時、恭介が消えた時に、救世に願った勇者が貴方だからに決まっているでしょう。私の二人目の勇者様、恭介と会うためのきっかけをくれた都合のいい道具さん」

 そしてそのまま彼女は踵を返してルッコラの元に向かう、体が痺れて動けなくて何も出来ない自分と反論さえ出来ずに居る自分に涙が出てきた。
 道具と言われた事が許せず、まるでこれまでの彼の人生が賢者のためのものと言われたような気がした。いやその通りなのだ、結局彼のここまでの道は全て賢者の為にあった、賢者が望んだように動いて、賢者のためだけに死体を連ねたようなものだ。

 悔しさがこみ上げ来て、無力感が体を貫くが、その感情だけで飲まれるには彼の抱えているものは重すぎた。
 もし彼に感情がなければこのまま食いつぶされたかもしれない、そもそも道具のまま終わっていただろう。動けない体を必死に叱咤するように震わせる、激しく声を上げるように暴れようとした。
 しかし体は動かない、彼の積み重ねた責任がここに来て重圧で彼を押しつぶす。抱えているもので立ち上がりながら、抱えているものの重みで彼は動けやしない。

「貴方が恭介の息子でもどうでもいい、貴方のお陰で彼と会えるかもしれないんだから」
「なんだよそりゃ、納得なんていくかこれは全部お前のためだと、お前にくれてやるものなんか無いんだ。誰がやるか、俺はお前に何もくれやるものなんか無いんだよ」
「いいえ、とりあえずこの悪魔みたいなおばさんは貰いますよ」

 咽喉をから唾液の代わりに血を飲み酷い咳を二度ほどしながら、地面を這いずるが当然のように賢者を止められるはずも無い。
 朦朧とした視界に彼は何も写ってもいないくせに、必死になって抗うが何も達成する事はできない。出来るはずが無いのだ、全てが彼の邪魔をするここはそう言う世界なのだ、唸り声を上げても何をしても彼は何も出来なかった。

「こんなのがありか、どう考えたって理不尽だろう。これじゃあの時と変わって無いだろうが、それだけはいやだったから抗ったんだろうが俺は」
「その抗いさえ私のためと言うだけでしょう」

 それにこれは全てに対する裏切りだ。彼はそんな事を許せる人間じゃない、けれどなにをしても何をやっても何も出来なかった。
 結局は賢者の道具であったと言う証明をされるようで、今までの全ての犠牲が崩れ落ちていくような喪失感を彼は覚えて、何度も心が折れそうになってそのたびに必死に持ちこたえていた。
 だが賢者の儀式執行は、当然の事のように行われる。

 けれどこの世界ではなく、個人が彼を見捨てる世界ではない。その儀式を当然のように世界が受け入れながら、大きな声が響き渡った。

「男がうだうだごねるな海晴」

 それは多分賢者からも予想外のところからの声だろう。本来海晴を憎んでいると思っていた女が、いや力に屈服するはずの女がここに来てようやく、目の前の敗北者の事を気にかけたのだ。体中の酸素を吐いたような疲労感にルッコラは顔を赤く染めて、二度三度と大きく息をしていたが誰がその言葉を発したのか最初海晴たちには分からなかった。それぐらいの予想外の人物だったのだ。
 だからこそ一瞬声を発したもの以外全てが固まった。それが氷結する頃には、混乱の原因は次の声を発していたが二の句を告げさせるつもりはなかったのだろう賢者は視線と力を見せて圧殺しようとする。

「あら、何で生贄が騒ぐのかしら」

 しかし命を賭けた彼女に今更脅しなど意味があるはずもなく、ただの老齢の熟女はその最後のヤケクソを持って賢者を一睨みで黙らせる。
 実際はそんな力もないのだが、ここで生贄である彼女に死なれては儀式は失敗するのだ。ここで不用意に手を出せば彼女はルッコラを殺すかもしれないし、自殺するかもしれないと判断したのだろう。
 そうすれば彼女の願いの時間が延びてしまう、それを嫌がった賢者は止める事もできずに、儀式を実行した。ルッコラの声に意識が戻ったのか視界さえ回復したように、目の前が開け海晴はルッコラを見た。

「うるさいよ死ぬ前なんだ私の遺言ぐらい残させろ卑怯者、自分で手も汚さない女こいつが何したって言うんだよ。あんたの道具だって、違うだろうあんたの敵だこいつは、勝手に道具とほざいているだけに過ぎないだろう。海晴あんたは敵なんだよこいつのなに勝手に絶望しているんだい、目の前にあんたの敵がいるんだろうが、うだうだ言わずに立ち上がって殴り飛ばせ」

 それでも海晴は動けない、ただその声にかつての思い出を思い出して心が喜びに震えた。
 こんな自分に差し伸べてくれる手があったことを感じて、心が充足されていくが、彼のそんな感情を思い出させておきながらルッコラはここで生贄になる。その事実に気付く前に、まだ酷く大きな声が響いた。

「満足している場合か、あんたは私を刺してまで決別を考えたんだ。そしてあんたに従っている奴らを裏切る気かい、それはこの女と同じだろう。あんたは裏切っちゃいけないんだよ、これと同じ存在になりたい訳じゃないだろう。私に謝らせるだけの人間になってくれよ海晴」
「黙りなさい下劣の一人が、貴方も彼をああした原因の一人でしょう。私達が作り上げた殺戮兵器に生きがいを与えるつもりですか」
「ああそうだよ、私は自分の弱さからあいつを捨てたさ。甚振ったさ、家族ごと捨てて暴力に屈したよ。けれどね死ぬ間際になってようやくだ、本心をいえるようになったのさ、遅いだろう涙が出るほど遅いがね、それでも生きているなら海晴に言う事は山ほどあるんだよ」

 だからと、ここであきらめるなんて彼女は許さなかった。
 ルッコラは死に追い込まれてようやく本音が出せた、その言葉に背中押されるように海晴は立ち上がろうとする。頑張るしかなかった、ここで諦めるには抱えている者たちが重過ぎる、歩くにも生きるにも何をするにも重いけれど、ここでそれを引き連れなければかれは立ち上がることさえできなかった。

 数刻も持たず彼は病に殺されるだろう、だがここで死ぬのは海晴にとって裏切りだ。はたから聞いていれば泣き声のような声が反響し二人の耳朶を揺らす。

「ふざけるな、どっちもふざけるなよ。俺は、あんたらの玩具か、嬉しいよ本当に嬉しいさけれどな、捨てた人間になんで救われないといけないんだよ。ありがとうございますと言いたくてならないけれど、それだけは言えないんだよ何で認めてくれるんだこんなところでルッコラさん」
「別にいいんだよあんたが私を捨てても私はあんたを捨ててないだけなんだ、もう私も死ぬけどさ本当にごめん、今でもあんたを息子のように思っているよ、あとは頑張れとしかいえないよ」

 だがもうそんな言葉さえも遅い賢者は不愉快に顔をゆがめながら異世界に自分を連れて行ってくれるための勇者を召喚しようとしている。
 そのうるさい二人のいいあいを無視して排他が不快そうな表情を隠す事もできずに、二人を視線で囲う。

「なにをいいあってるのか分かりませんがこれでお仕舞いですよ」

 儀式は最終地点に到達したのだろう、詠唱さえやめただの防寒に彼女は徹した。彼女の世界を救う為に海晴の世界はまた蹂躙されていくのだ。まるで粒子になっていくように足からルッコラは消えうせていく、痛みもなくただ海晴に言葉を告げ続けるが、それも結末に近付いていくのだ。
 だから最後の命を振り絞るように海晴とルッコラは叫びあった。

 やけに親しそうに、何よりかつての昔のように語り合うように放たれた言葉は、二人にとて最も幸せな時間だったかもしれない。

「さようならルッコラさん、最後の最後に俺を認めてくれてありがとうございます」
「なに私もあんたにこれだけいえて満足だよ。そっちこそ最後の最後まで頑張りなよ」

 だがそれがルッコラ最後の言葉になる。
 だが海晴は泣く事も嘆くこともしなかった。彼女の願いを聞き届けたからだろう、ただ維持になって体を揺り動かして立ち上がる、本来の体の状態からすればそれさえ異常なことだったが、彼の比類ない意思が体の限界を忘れさせたのだろう。
 どれだけの絶望を心に秘めていた変わらないが、自然と笑顔を作り死に行く彼女と一度だけ笑いあう。

「本当にありがとうございます」

 ルッコラは体を全て光の粒子に変えて消えうせた、ただその光から一人の人間を作り上げていく。海晴はその人物に殺意を向けてしまうがそれは仕方のないことなのだろう、彼は自分を認めてくれた人間を奪った存在なのだ。あの穏やかな表情からは予想もつかないほどの何の感情も感じない表情に変わる、ただ心を冷酷に冷やしているのだろう。
 極寒のような冷静さが彼に緊張感と次の手を彼に考える時間与えようとしていた。笑顔のまま消えていったルッコラ、そして現れる勇者なにより彼の最大の敵になるであろう賢者はいまだ彼立ち上がっても気にした様子もなく勇者の光臨を待っている。勝機だとは思いながらも海晴は動けない、立ち上がるだけ立ち上がったが、そこで生も根も尽きていたのだ。

「やっと私の願いがかなう、これで私は一人じゃない」

 狂乱したように叫ぶ賢者は、自分の望みをかなえてくれるはずの勇者の光臨に奇跡を見るような目をしていた。
 ただ粒子になったルッコラを体を利用して人間を作り上げて行くその光景を高悦とした表情をしてみている賢者を確認しながら、殆どない思考の時間を与えられ最後の策を作り上げる為に思考を走らせる。ここで浮かばなければ勝利はない、それだけは彼も核心していたからだ。

 しかし世界は過酷に苛烈だった、海晴が勇者の姿を見たときその思考の全てをやめてしまう。

「舞蝉姉さん……」

 今、彼の体に一振りの剣が突き刺さる。
 それこそが彼の最後の戦いにおける絶望の始まりであった。

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