十九章 楽園祭典

 ルッスは海晴の行なった行為に恐怖どころか歓喜を抱いていた。実際はそれほど殺していないだろうが、百万殺しと言う異名を携えた存在は勇者の守護する国に対する天敵である事を誰も彼もに植え付ける。それだけの異形だ、賢者でさえ犠牲が少なくないと放置せざるを得なかった犯罪都市をただ疫病と言う一振りで切り落とし、その中心の力であった四法までもを奪い取ったという。
 それ以前の名声であり悪名もあったが、海晴が手伝うという事になれば乗ってくる差別される人々は希望を持って彼の元に参じていた。

 だが本当にルッスは哀れだと思う、彼らの思うような人間なら、あんな悲劇を単体で作り出すはずは無いからだ。それこそここにいる人間全ての命を無駄遣いしかねない存在だと言うのに、なんと哀れな存在だろうと、彼からすれば進んで自殺しにくるようなものであるからだ。
 それはまるで暴力に魅せられる人間のようだ。だが納得も出来る、実際部族連合が負けたあとは悲惨だった、殆どの部族が奴隷や強制的な技術奉仕を命じられ、その人生を全うさせられる。

 だからこそ彼らは虚名でも獅子の国に恐怖を抱かせた百万殺しが力を欲しているといった時、いち早く手を貸したのだろう。どちらにしろ彼らは殺される、なにしろ賢者はその命令を撤回せず今もなお死体を積み上げているのだ。
 どうあっても殺されるなら反抗した方がいい、誰もがそう思うだろう。その力を持ち引き連れるだけの暴力を兼ね備え、敗北しかないはずの道に勝利を垂らすものがいるのなら手を伸ばしても仕方ない。あまりにもそれは甘美な誘惑だ、どちらにしろかれらは全滅する以外の選択肢を持たないのだ。

「原因である人間でも助けて欲しいと、思うほどに追い詰められているか。本当に賢者にしろ頭にしろ、業が深くてならない」

 彼が用意した本営である宿の一室で、自分の唯一の上司の愚痴を漏らす。木で作られたリラックスするには少しばかり硬い椅子に背中を預けて、これからを考えて暗鬱な気持ちになるのも仕方の無い事だろう。何より敵も味方も苛烈さとその目的への情熱がただ事ではない。彼らは海晴に殺される為にここに着たようにルッスにはどうしても見てしまう。

「違う、あのアマハルがいなければ賢者に対抗する術が無いだけだ」

 ルッスより年下の女性が、眉間にしわを寄せながら不快そうに言葉を漏らす。彼女からしてみれば、海晴を利用しているのは自分達らしいが、地獄を生き抜いてきた海晴と彼女ではどちらが上手か考える必要も無い。
 その言葉を聴いてあきれたように溜息を放つルッスは首を振りながら残念そうに女性を見て否定する。

「セルスバンアの族長さん、そんな事を言うとうちの頭は烈火のごとく怒りますよ。あの人なんて魔力も力も何にも無いのに、世界に抗ったような人ですからね」
「疫病をはやらせ国を滅ぼすような男が何の力も無いはずがないだろう」
「いえ出来ます、あれはどちらでも良かったんですよ。死体を投げ込み、腐らせ人に摂取させる。つまりは教会の戒律に違反する事になり派兵が否応無しに決定される、伝染病は二の次だとか後で言ってましたよ。ちょっと知恵を働かせれば誰でも出来るって、そりゃもう不機嫌そうに」

 ルッスはこの業さえも受け持つ必要が無く、海晴が全ての重荷を運んでいた。
 魔導技術の進んでいた部族連合は、科学技術になるとどうしても後塵を帰すのは仕方ないが、そう言う知識を平然と持っていることのほうが驚きなのだ。こちらでは誰も気づくことさえない最先端の知識である。
 だが彼女は納得言った様子ではない、その程度の事で二十万の命が消え去るとは考えづらいのも仕方のないことだ。それが化学と魔法の誤差であるのだが、彼女はそのことを認識していない。これが大半の人間の思考であり、その隙間を今回は使ったからこそあれほどのことが起きただけである。

「頭曰く、使うと心酔を間違えすぎだそうです。魔法は道具、魔導機も道具、倫理法も治療の手段の一つ、出来る事で格差があるのは仕方ないが差別する理由じゃないそうですよ」

 優れた魔導技術を持っている彼女達部族連合の人間はその事に目を丸くする。
 ありえないと思えることは全て魔導技術でどうにでもなるからだ。

「まるでこの世界を否定したようなものいいだな百万殺しは、だが一つ分かったそいつはそんな考えだから追い詰められたってことだろう」
「でしょうね、といいたいがあの人はそうしなくては生きていけなくなった。ただ認識の誤差があっただけでそれ以上は何一つ無かった、だからこそ余計際立って見えて、異端に見えたって言うだけですよ。ただ否定されたから戦争を始めたんですよ、この世界で生きていく為に、この世界を滅ぼそうとしているだけです。まー、あの人のいう世界と言うのは結構厳しいですよ、何しろ人間が持っている常識と言う名の世界なんですから。ある意味これが人間全てを掌握しているといってもいい、理性といい、当たり前といい、これと敵対するなら全滅戦争しかありえないだそうですよ」

 その常識を持つ人間全てを駆逐するといっているのだ。
 戦争と言うより生存競争といっても過言じゃない、どちらかがどちらを殺すまでそれは絶対に終わらないといっているようなものだ。そして彼女達はその片棒を担がされた挙句捨て駒にされるかもしれない。

「頭にとってはどこまでが世界か分かりませんが、あんたらは魔力を持たない人間を甘く見ちゃいけないって事ですよ。あれが本来の人間のやり方ですよ、力で屈服させるのは獣で、知恵で屈服させるのが人の力って奴ですよ」

 海晴に伝染された狂気が彼に微笑を作る。
 あの地獄をともに見てしまっている彼にうつらない筈もないその狂気は、一瞬でたかが小娘ぐらい飲み込んでしまう。どこまでもずる賢く、下劣極まりなく、その道が敗北だらけだったとしても、間違い無く海晴と言う人間は勝者であり、その勝者に付き添った一騎当千の古強者がまともであるはずもない。

「そして頭の言葉だけではなく、確信して言えるとするなら。頭に付き合う俺も、あんたらも、まともな死に方だけは絶対に出来ないってことだけです。魔王の娘であるあなたなら、自分の父親がどうやって殺されたか分かってるでしょう。少なくともあれぐらいにはされる覚悟を持って来てくれないと、殺されますよ現実に」
「ふ……そ、あ、あれを……あ、最低限だというのか」
「そりゃそうでしょう、全滅戦争って言ったじゃないですか。どちらかが全員死ぬまでこれは終わりませんよ、そう言う戦争にあんたらは加担するんです。大義名分なんてのははっきり言っていいわけ、これからするのは老若男女を問わずの大殺戮絵巻の一幕に過ぎません。そんな首謀者達がまともに死ねると本気で考えているなら、一度首を切り落として人生から退場する事をお勧めしますよ」

 まだ来ていないほかの部族の長も同じ事を言うつもりですが、ただで済むことはないのは間違いなかった。
 部族連合を滅ぼした勇者たちでさえ、まともに死ねた人間はいない。魔導王は仲間に殺され勇者の供物にされた、剣人は敵に捕まった挙句陵辱され魔刃を篭絡し暗殺するが抵抗され相打ちとなって死んでいる。
 もっともししの国では激戦の後、殺害されていた事になっているが王法使いが四法使い如きに負けることは断じてありえない。それだけのことをすればそれだけの報復が俟っている、彼らの宗教では両立の天秤とか万物の調和といったように言われるが簡単に言えば自業自得である。

 反論したくても出来ない、彼女たちは既に堰を切っていた。
 これらから先は復讐線に向けての闘争だ、一心不乱の地獄への邁進しか選択肢は残されていない。簡単に抜け出せるほど戦争は甘くない泥濘のようなものだ、殺した犠牲が彼らを縛り、二十万以上の屍の手が彼らが死ぬまでそこから抜け出すことを許さない。

「脅しても何にも変わりませんよ、ここにいるのは貴方と違って虐げられてきた人間だ。監禁されていただけの人が、あの戦争以来虐げられた人間の感情をもう押し留められるはずないですからね、本質はただの復讐戦、感情のままに虐殺を実行するだけです。それはある意味最も頭と近い行為ですよ、所詮あれも感情だけで動いていますから」
「どういうことだ、あんな悪魔のように狡猾な戦い方をする奴が、人としてまともな感情を持っているはずがないだろう。勝利のためならどんな手段でもとる類の人間の戦い方だぞ、冷静か冷酷の極地にあるとしか考えられない」
「そりゃそうでしょう、狂気と言うのは一回りすれば正気ですけど。狂った奴が正気になったってまともなわけがないでしょう、だからこそあんな事ができるんです、あれが出来るからこそ単体で国家の敵になっている」

 心底滑稽な存在だと大笑いするルッス。
 酷くうるさい拍手に、怯えたような表情を作ったのはセルスバンアの長。少しの間響き渡った不協和音に体を震わせていたが、突如まるで消えうせた嵐のように時間が止まったように静寂が訪れ、辺りの喧騒が溢れてきた。
 枯れた目をして、たたいた手の痛みに顔をしかめて見せるが、それは痛みではなく彼の頭に一つの矛盾。

 それが海晴と彼が仲間でいる理由でもあった。

「だが、一つだけ私と頭が違うところがあるとするなら。あの人は裏切らない、絶対にどんな事があっても信じた人間を裏切らない」

 だからこそ今までの海晴と言う人間の人物評を覆す。
 つまりはどういうことかと言う疑問が浮んで口に出しそうになるが、目の前にいる男がその事実を心底面白くなさそうに歪めていていた。

「だから裏切れなくて困るんですがね」

 そういって彼は一人面白くもなさそうに、酒をあおってグラスを窓から投げ捨てた。
 苛立ちなのか分からないが、悲鳴がしたから響きそれを見て軽く笑うと、一度手をたたいて場を仕切りなおす。

「さて、頭も着た事ですから、作戦会議と行きましょうか。とりあえずその場で裏切りを考えた人間は一族郎党殺されると思うんで覚悟だけはしといてくださいね」
「っていま当てたのがそうだろう。なんで上司をそんな風に扱ってるんだお前は」
「嫌ですね、私は困ったことにあの人の逆らえないんですよ。きちんとなんか知らない人が盾になってますから気にしないでいいです」

 いままでの緊張感を一瞬で霧散させて、彼女の肩の力を抜かせた。どうせこれから後悔ばかりの日々が始まるのだからこれぐらいの優しさがあってもいいだろうとルッスは思いながら笑う。これから先は彼の言った通りの、大虐殺絵巻にしかならない、これは戦争でありながら領土を求めるものでもなんでもなく、目的があるとするならその国の人間の命だけだからだ。
 まだ部族戦争すら幼な過ぎて経験していなかった姫様にはこれからのことはきっと夢にさえ見るような悪夢にしか見えないのだろう。

 まだ十五の子供に求めるものはあまりに酷い現実だ。しかし神がいるのならまた平等ともいえるかもしれない、誰であっても容赦ない苛烈すぎる運命の濁流を作り上げてしまうのだから。
 だがもう止まらないところまで動き出していた。誰も悲劇を作り出すと理解していながら逃げることさえ出来ない、彼らには彼らの正義があり、海晴には海晴のエゴがある。誰も本当はこんな事したくないのに、誰かがそれをしてしまったからどうにもならなくなった。その引き金は海晴のなのか賢者なのか、それともルッコラだったのか、もしかして勇者だったのかもしれない。

 もはや詮索さえ無益なこの悪夢の始まりは笑い声があった。
 ルッスは一人、誰かも分からない悲劇の作り手を思い浮かべて、あまりの荒唐無稽さに溜息を吐いた。

「冗談じゃない、誰もが原因に決まってるじゃないか」

 そう誰にも聞こえないように呟いて立ち上がる。
 まだ少しばかり放心している少女の手を取ると、優しく拾い上げるように立ち上がらせ、この戦いの中心であり、最悪の中心である男と初めて会う少女に最後の優しさを示して、悲劇にいざなう悪魔のような狡猾さを持って楽園へと連れて行こうとする。
 こんな悲劇も知らない少女をそれ一色に変えようとする自分も、大概な人間だと分かっていながらやめる事もできず、顔を押さえて喜悦に歪む顔を必死に押さえながら歩き出した。

 所詮彼も犯罪都市から出でた人間まともであるはずがないのである。
 それから五分程してだろうか、一応の本営に海晴の元に七名の異端の黒を体にもつ部族の人間が現れた。と言っても三大部族の氏族に過ぎないが、それでも合計で三千にも満たないだろう、実際全盛期は六十万人規模でいた彼らは駆逐されこれが残っている人間と言っても代わりがなかった。
 あとは非戦闘要員が四千人、つまり彼らはもうそこまで追い詰められているのだ。一万にも満たない敗残兵たちの集まり、かつての戦争で散した命や処刑された命をあわせたとしても十分の一まで追い詰められる事になった彼らは一縷の望みとして海晴を頼った。

「多いな、これだけ人数が多いと裏切りがあっても分からない」

 しかし百万殺しは自分たちの全戦力を多いとぬかす。戦争は所詮数の暴力が勝敗を分けると言うのに、彼にとって一番最悪なのは裏切り者が出てくる事の方が恐ろしかった。内通者もいるだろう、信用できる人間が少ないと言うことが彼にとって最悪だった。所詮海晴は戦略や戦術が得意な人間ではない、軍を操る術など知りもしない、突撃ぐらいならタイミングもわからずできるだろうが、その程度だ。
 だからこそ彼は小細工しか出来ない、だからこそ小細工を成功させる為には信用できる人材が欲しかった。

 最初は彼らに突撃させてそのドサクサと言うのが彼に出来る最高の作戦だったのだが、困ったことに海晴は彼らを裏切れなくなってしまった。少なくともここにいる人間全てが、彼を信頼し信用していた。ルッスが面白くなさそうにしていた理由がこれだ、裏切る事だけはできなかった。命を台無しにして根絶やしにするような行為をすれば、海晴自身が賢者たちと同じ存在になってしまう。

「先に言っておく、俺はこの三千人を万全に扱う力はない。なにより軍師と言うわけでも将軍と言うわけでもない、だからそう言うことに関して役に立てる部分は一切ない」

 現実でも彼の知っている戦争は教科書に載っている程度であり、統率力や戦時の動きを見る能力も何一つ持ち合わせていない。
 だからこそ彼ははっきりと告げた、裏切りに成るようなことだけはしたくと言う意思を示したのである。

「そんなことは分かっている。貴様がそんな才能がない事ぐらい、だがそれでも勝てる算段があるから召集したのだろう。それを教えろと言っている」

 ひときわ大きな声で彼を威圧する男がいた。
 海晴の所為で家族を殺された人間も当然この中に入るのだろう、それでもあの国を滅ぼさなければ自分達は殺されるだけになってしまうと言う事も理解していた。だからこそ自分の怨念を押し留めて、勝てる可能性のある男のもとに参上したのだ。
 口調が悪いぐらいのことで咎めることもない海晴も、自分の業ぐらい分かっている。恫喝するような男の言葉を涼しげに作戦を告げる。

「まず一つ目にいまいる軍の家族全てを人質にする」

 だが吐き出される言葉はあまりにも陰惨な言葉だった。
 これを理解していたのは彼の腹心であるルッスぐらいだろう。海晴ならこれぐらいはやると言う考えがあるので、何かしでかすと言う信頼感だけは二人の間に共通するものがあった。
 彼の発言を最初誰もが理解できなかった、勝てる算段に家族の人質が入るともなればそれは仕方のないことかもしれないが、その反応を見て楽しそうに笑ったのは海晴だけだった。何人かは顔を真っ赤にさせて今にも海晴に対して掴みかからんばかりの怒りを感じさせる。それを理解しながらも訂正する事すらなく周りを一瞥して、机を蹴り上げる。

「それが第一段階だ。負けたくなければすぐにやってくれないか、出来なければそれでいいからさっさと賢者に殺されて来い」

 あくまで自分が上位であると言わんばかりに喧嘩を売るような態度を取る。その彼の態度に歯噛みし怒りを隠そうともしない人間が数名いたが、よりにもよって決別を彼らに向けてお願いしている海晴は、本当に人に認められたいのかと首をかしげる一面だが、何か目的があるのだろうことは理解しているのだろうルッスと話していた少女はすぐに実行にうつす。
 ルッスに聞いていた、信頼したものを裏切れないのが海晴であると、ならとことん信頼して見せようと言う開き直りだった。最早負けることが許されない戦いだ、勝機を持っている奴にかける以外の選択肢は無かった。

「ふざけるな、これのどこが必要な作戦だ。これでは私達は命を尽くして戦えと言われているだけだろうが」
「当然だ、あとはどこかの馬鹿が命惜しさに人を売り渡さないための保険だよ。ちなみにだが、これで差し出さない人間は裏切る可能性があると思っていいのかい、はっきり言っておくが、俺がお前たちを信用していない事ぐらいわかるだろう。今まで何もしなかった馬鹿共だ、ちょっと勝ち馬に乗ろうというぐらいできているならさっさと消えろ、次ぎあったときは皆殺しにしてやる」

 百万殺しはあまりに朗々と彼らを脅し、屈服させようとする、信用していないと嘯き、そのあふれ出す感情を撒き散らすように言葉にして吐き出す。
 一歩も引く気は無いと言う海晴に多少なりともそう言う気のあったもの達は口を塞ぐ。そういった人の感情の動きを楽しむように咀嚼しながら、二度三度視線を動かす、使えるつかえないではなく信頼できるか出来ないかを必死に探っているのだろう。

「わかった、お前の言葉に従ってやる。ただし裏切るなよ、我はお前を信頼するのだ敗北など絶対に許さん」

 そう口を開いたのは先ほど彼に罵声に近い声を上げていた男だった。
 顔は苦渋に満ちていて並々ならぬ程に我慢を積み重ねているのだろう。その姿を見て居住まいを立たした彼は、ゆっくりと男に視線を合わせる。

「分かっているさ、俺は裏切らない。たとえこの世の誰が裏切っても絶対にそれだけはない。だからこそ勝つためにも、最小単位での裏切りすらいまは困る」

 脅していた人間にいきなり真剣な表情を見せて誠意を示す。
 彼は屑あり下種ではあるが、誠実には誠実で返す。その態度にルッスも纏めて驚いた、あまりに変容に一体誰かと入れ替わったんじゃないかと思うほどの変貌だった。彼らの種族よりも一層黒の引き立つ髪をして、相貌までもを漆黒に濡らしたように読めなかった表情がこの時ばかりははっきりとした誠実さを見せていた。
 だがそれでも彼らは今までと違う海晴の姿に不信感を露にする。我々を試しているのかと、だが彼にとってはここにいる残り五人は敵であるのだ。信頼に足る人間でない限り彼は容赦なく切り捨てる。

「当たり前だ、こっちは何度裏切られたと思っている。お前らが信用に足る人間だと言う証拠がどこにある、誰一人裏切らない人間だとどうして信用させてくれる」

 お前らが俺を信用しないのなら、俺もお前らを信用する言われは無いと、冷やかな目で彼らを見た。息を呑むように理解させられるアマハルと言う人間の彼らに対する不信感、味方と言ってきた人間を選別するような真似は本来海晴もしたくない。だが今回ばかりは話は違う、三千人もいれば内通者も絶対にいる、賢者がそこまでぬるい人間であるわけが無いからだ。
 しかしその心配は実はなかったりする。ルッコラとの対面と海晴の本来の出生を知ってしまったが為に、動揺どころじゃなくなっている賢者は、それだけで明確な穴を作り出していたのだ。結果として内通者を用意する事ができずに、未だに部屋にこもっている状態である。最もそんな事を知るはずも無い海晴には意味のない事で、無駄な苦労と信用の崩壊を意味していてもする必要のあることだ。

「それで信じさせてくれるのか、それとも裏切ってくれるのかはっきりしよう。あの国は潰すどういう手段をもってしても、だがお前らはそれに乗ると言ってここにいるんだろう、なら俺に対する信頼を見せてくれてもいいだろう」
「だが裏切らなかったとしてもお前は殺すかもしれない、そうだろう百万殺し。お前の字がそういっているんだ」
「そうだ、お前はただ殺すかもしれない。そこまで信用して家族を明け渡す事などできるはずがないだろう」

 つまりはこれが本来の彼の正当な評価であるわけだ。
 自分の業の深さを久しぶりに認識して、どうしようもなく体が重く感じていたが、それも殺した命の重さだろう。こう認識されるたびに自分がどれほど劣悪な人間が教えられているようであった。
 だがここで彼もひいていられるわけがない、ここで裏切りがない証明が最低限でもされなければ恐ろしくて次には進めない。

「だったらお前らが裏切れば誰が責任を取る。これからの作戦ははっきりいって裏切る奴が出ても仕方のない類の戦い方だ、家族と言う免罪符程度用意してやらなければ人も殺せない。何よりそれぐらい縛らなければお前らは絶対に裏切る」
「ふざけるな私達がそれほどまでに信用できないか」
「出来ないね、俺はお前らの無様さかげんを知っている。勇者如きに無様を晒して、王法使い三人が前線に出ればいいのに下らない事で自己主張するよう馬鹿共だ、裏切るに決まっているだろうが、お前らにどれほどの信頼を抱けばいいと思っている無能の上、醜態さえ忘れたのか圧倒的戦力を持ちながら部族連合を敗退に導く民族性を」

 誰一人そこで口を開く事ができなかった。彼らの信頼感は所詮その程度だ、裏切るかもしれない、どれほど信頼しても裏切られる事を海晴は知っている。
 彼らが多少でも自分を信頼してくれているから、裏切らないためにも裏切りを許したくないのだ。本来こんな形で人の信頼を勝ち取ろうとするものではないことも重々承知していてもなお、こんな形で以外彼は信頼を勝ち得ることが出来ない人間になってしまっていた。

 ここまでしても裏切られる可能性はいくらでもある。こんな事をしている時点でその芽を育てていると言っても過言じゃない。

「自分たちの醜態を忘れていないだろう。ならお前らは俺に何をするべきだ、なにをしてその醜態を拭ってくれるんだ」

 彼の腹心以外はそれはそれは苦渋を噛み締めるようなものだろう。
 表情からは怒り以外は一切ない、だがそれをそよ風のように受け止める彼は早く答えろと言わんばかりに言い訳はまだかと笑った。

「信用に足る対価をくれ、じゃなければこちらも信頼と言う対価をくれてやる事ができない」
「悪辣すぎますよ、少しは妥協を覚えないと、彼らだって最早尻に火がついているんです。裏切り者が出たところでどうせ最終的には使い捨てにすればいいじゃないですか。つまるところいま拒否している人間はそうしてくれって頭を下げて頼んでいるんですよ」

 彼らの介入前にルッスが一言笑って死刑宣告を告げる。
 それに顔を真っ青に染めたのは彼らだった。どっちが悪辣かといわれれば間違い無くルッスだが、ここまで言われて何も返せなかった彼らにも問題はある。形だけでも出来なかった以上そうされるのは困るところだろう。

「貴方達には選択権があったと言うのに肯定も否定もしないってことは、私達に裏切られてもいいってことですよね」
「ちが、違う、簡単にはいと答えられるほど私達の家族たちの命は重くない。考える機会があってもいいだろう」
「無理ですよ、ここに来た以上皆殺しにするかされるかだけです。私はそう説明しましたよ貴方達を呼ぶ時に、覚悟は出来てるんでしょう、そう言う言質も取りました、ならもう裏切るつもりがあると言うことで捨て駒になってもらう以外の使い道があるはずないじゃないですか。君達の部族全てを捨て駒に」

 普段の口調を隠して残酷な事実を次々と告げる。嘘であったとしてもこれはただの恫喝外交と変わらない。
 カードをあえて晒してまだおまえらはあきらめないのかと言う最後の勧告だ。後ろに下がっても前に行っても変わらない、彼らには諦める以外の選択肢することが出来なかった。それから二分の静寂の後に彼らは人質として家族を差し出すことを否応無しに決定せざるを得なくなった。

「それは重畳の限り」

 そして彼は少しだけ嬉しそうに表情を笑みとも取れない表情を作ると、これからの作戦を嘘を交えて告げていく。そのたびに彼らは顔を青くし、自分達が頼った人間がどれほど劣悪な存在かを再確認させられた。
 抜け出せないであろう地獄の扉を開いた彼らにとって、唯一つの救いの道があるとするなら負けてはいけ無いと言う事実だけ、最早退くに退けなくなった彼らの勝利の手段はあまりに悲劇的で、無差別な殺戮劇であったとだけ語っておくべきだろう。

 ただ顔を全員が蒼白とさせ、絶望に顔を歪めたまま人質を用意する為に兵士達に許可を得る為に歩き出した。
 最早自分達が安穏としている事は許されない、海晴の用意していた策はそれほどまでに人間を追い詰める。戦争は最低限度の大義名分を掲げなければ民がついてこない、何より周りの国が許さない、だが彼らはいまから行う戦いに大義名分を持ってこれなかった。
 それほどまでに海晴が用意した策は下劣極まりないものであったのだろう。海晴の知能で出来る範囲の下劣を引っさげて、彼に反抗する者の心さえも叩き折った。

 絶望しながら出て行った彼らがいなくなった部屋の一室に、海晴とルッスだけが残っていた。
 二人して向かい合い酒を飲んでいる。先ほどまでの作戦会議で並べた嘘八百と少しの事実をきいて唯一の共犯であるルッスは酷く愉快に怒っていた。

「頭、よくもあんな作戦を考え付きますね。正直な話、どこまで信用できる内容なんですか」
「八割は事実だ、二割は嘘、話していないことが幾つかあるけどな」
「やっぱりですか、あいつらを裏切らないのは分かっていますが、語っていないことの何割がルッコラさんの事ですか」

 彼の怒りはそこにあったのだろう。海晴はルッコラの事を憎みきれていないことを知っている。
 だからこそルッスはその一点だけは聞いておく必要があった。海晴自身もそのことに対して言及される事は分かっていただろうが、酷く動揺したのかグラスを床に落としてしまう。
 硝子の割れる音が響いたが二人は視線を合わしたまま、語ることもなく動かずいた。

 それから数秒の静寂の後に、ゆっくりと海晴は口を開く。だがここまできて嘘を言う男じゃない事を知っていながらルッスは、一瞬聞き間違えたんじゃないかと思った。

「ゼロだ、あの人のことは何一つ考えていない」

 海晴が捨てられるはずのないものを捨てていたからこそ目を見開いて彼は驚いた。
 彼の驚きは表情だけで分かるもので、海晴もそんな彼を見て同じような表情を作ったが、すぐに泣きそうな表情に変わった。

「どうあっても手詰まりなんだよ。俺はあの人を救う事が出来ない事ぐらいわかっているんだ、迷惑をかけてかけてかけっ放しで、それでも救えないんだ俺にはあの人は」
「頭ならどうにかできるんじゃないですか、まだ策があるとかないんですか。それじゃ頭は救われなさ過ぎじゃないですか」

 だが横に彼は首を振るだけだった。
 無理だと言い切ったのだ。海晴は自分の知恵でどう抵抗しても無理である事を既に理解している。
 すでに生贄の対象がルッコラだと分かってから、思いつく限りの方法を用意してみたが全部無理だった。

「無理だ、それはルッスお前を裏切るのと同じだ。だからそれだけはどうしても出来ない」
「そこは俺を捨ててくれればいいだけでしょうが、義理立てするようなことじゃないですよ。普通なら捨てるべきでしょう」
「無理に決まってるだろう、恐怖だけでも俺を信頼した男を裏切れだって。俺には出来ない、今でも裏切れとまで言うような奴を裏切れるわけないだろう。あいつらと同じさ俺も選択肢なんてなくなってるんだ、だからこんな馬鹿みたいな八つ当たりの策を用意したんだ」

 それは賢者の望んだ方向に海晴が進んでいる証左だ。だがあんまりにも救われない、賢者は現実に潰されかけて仕掛けた自分の剣さえ忘れている。だが海晴もそれは同じだ、賢者に振り下ろされた事が分かっていながら彼はとめようがなかった。
 道化は理解しながらそれでも望んだように動かされる。それはもうだれも望まない殺戮と言う名の軍靴が響く時だ。

 いつまでも泣き出しそうな表情を作りながら彼は泣くように笑っていた。
 その世界に狂わされた海晴と言う名の人間は、最後の最後まで世界に蹂躙されるような気がしてルッスは怯える。それが更なる悲劇を作り出すような気がしてならなかった、けれどどこまで泣きそうになっても海晴は涙を流す事はなかった。ただ必死立ち上がり痛めつけられた体でも立ち上がろうとする。

 どこまでいっても世界と言う名の現実から逃げる事だけはしない。それは我侭すぎるたった一人の暴力だ、どれほど泣き出しそうになってもそれを歩く力に変えようとした、走る力に変えようとした、それは立ち上がる崇高な意思だ。止まらない、結局海晴は止まれない、どれだけ悲劇を積み重ねて折れようとしても、信頼してくれた人間を裏切るようなマネだけはしたくなかった。

 だって海晴が生きていた中で一番辛かったのは多分、知っている誰かに、裏切られる事であったのだから。
 だからこそルッコラを切り捨ててでも信頼を裏切ることだけは出来ない。

「それにお前は俺のことを嫌ってるくせにそれでも信頼してくれてるだろう。だから絶対にお前だけは俺は裏切っちゃいけないんだよ」

 その言葉に生涯の万感を篭めてルッスに送る。
 笑顔で言えることではないのに、彼は一生懸命笑いなんてことないように言い切った。生涯裏切られ続けた海晴にとって、一度も裏切らずに自分の言葉を信じてくれた人間を裏切る事なんて最初から出来るはずもないことだった。
 自分自身がその辛さを噛み締めていた以上、それを人に与える事ができるほど彼は器用な生き方を出来る筈もなかったのだ。

「その信頼重過ぎますよ頭」
「それぐらい受け取っとけ、俺は今お前にそれぐらいしかやれないんだからな」
「別にいりゃしませんよ、けどくれるものは貰っときますよ。今はまだそれで十分お釣りがきますからね」

 やけに響く軽口は同じグラスで飲み交わす二人に、また一つの絆を絡めだしていた。
 それが深夜に響く掠れた笑いと信頼の奇跡。
 その奇妙な二人の関係は、海晴が生まれて始めて手にする友情と言う名の絆なのだろう。

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