十五章 慙愧の声を耳に聞いた

 それは悲劇の日だっただろう。千人殺しによって王城の一角が破壊され国の重鎮達が死んでしまった。
 王の寝所近くを破壊したその一撃によって、獅子の国の基盤が崩れようとしていた時、賢者がその全てをまとめいつの間にか国の中心にすり替わっていた。そして何より、教会と国の実権を彼女は握ってしまった事になる。
 これには英雄信者や教会信者が待ちに待った日だと喜んだが、それですむなら悲劇の日とは言えないだろう。

 それより三ヶ月先の話だ。

 千人殺しが作り上げた悲劇を傍観していた兵士や、それに関わる人間は処刑が決定されている。また直接の原因である、聖女を外に出した罪で教会の人間も幾人か首を落とす事になった。さらには、彼に脅されていた国民も罪人を逃がした罪で処刑されることが決まっていた。
 そんな実行の前日に彼女の部屋に部下の一人が殴りこみをかけるかのように入ってきた。

「賢者殿、なぜこのような惨い裁きを下すのですか。国から国民を消すつもりですか、そうなったら国が成り立ちませんよ」
「しかしここで責任のあるものを放置すれば、この国が荒れ果てます。治安の面や、秩序の面から行っても行なわなくてはいけない行為でしょう。大火の所為で治安もこの国は悪くなってるのですから」
「ですが、死刑はどう考えてもいきすぎでしょう、一族郎党殺されたものもいるんですよ」

 しかし賢者は冷たい目をして吼える人間をにらみつけた。
 英雄だったものの眼光だ、幾多の戦場で命を散し続けたものの眼光に反論など、咽喉の奥に押し込まれてしまう。

「じゃあこの罪人の楔まで外して悲劇を行なっていた国民を許すのかしら。その所為で国が立ち行かなくなったのでしょう、私もこれだけの悲劇の責任は取るつもり、だから国民も取る必要があるでしょう。それに彼の拘束を外してまで暴行をしたものしか処罰していないでしょう国民は」

 まだ子供の時からこう言う事をしてきた彼女だ、ギリギリのラインを見越してしか悲劇を行なっていない。
 だからこそいいわけも用意してある。本当なら傍観者まで殺すつもりだったが、この王城を壊した人間のこれからの行動を考えれば、自分で手を汚す必要も無いと判断したからだ。
 王法は少しずつではあるが起動して行っている。彼女の目標まで、たった一人の人間が虐殺を繰り広げてくれるだけで目標は達するかもしれない。

「それよりも私達のするべき事は、復興と原因の切除でしょう。原因は本来なら私が行けば終わるのでしょうが、生憎と私は今の地位にいる以上戦場に赴く事は許されません」
「そうです、ですが、復興の力たる国民をあれだけ殺してしまっては人心も離れます」

 けれど彼女はやわらかく笑うだけだった。それに意味はないかもしれない、ただやさしく笑みをこぼす。
 その為の策ならすでに練ってあると、高等獅子官であり宰相となった彼女の部下は、背筋からずるりと脊髄でも抜かれたような喪失感を感じた。

「ちょっと話を変えてお話しましょう。ここ最近の大量殺戮は殆ど国家危機のレベルまで到達しています、その原因の一因が私の政策であるのも認めざるを得ないでしょう。そこは反省していますが、はっきり言ってアマハルと言う犯罪者は最早見過ごす事のできるレベルではないでしょう。私の息子を殺すだけじゃない、聖女を殺しなにより、法律によって人を殺すように仕向ける知能、どう考えても直接戦うような相手じゃないのに真っ向から国に挑む気でいる」

 神妙そうに顔を整える。先ほどの笑顔が何の嘘かと思うほどに、けれんみの無い表情に変わっていた。
 本来視点に入れる事さえ必要もなった彼女の孤独の原因、最初に目にしたときは既に彼女の興味を失っていたのだ。しかし彼は、もはやこの国では止められないかもしれないと思っている。
 何しろ彼女の目的さえ、彼の目的の範疇であるように、賢者にとって都合のいい行動ばかりとってくれるのだ。だからこそ嗅ぎ取れる同類の醜悪さを彼女は知っているのだろう。あれと私は根本的に手段を問わない下劣さがあると言う事を、その嗅ぎたくも無いに同類の匂いを嗅ぎ取っていた。

「どうしてそのようなことが分かるのです。確かに彼はどれほど拷問を受けても、整然としたまま彼らを脅しました。行動は正気の沙汰とは思えませんがどこまでも冷静に、その辺の政治家よりも有能ですらある、けれどそれでもこの国の上位の政治家に位置するほどじゃないでしょう。四法を持っているとはいえ、獅子翼元帥一人にすら劣るレベルであるのは間違いない、被害は相当ですが危機のレベルとしてはそれほどでもないでしょう」
「そうだからこそ、逆に不思議なんですよ。あれほどの殺戮を行ないながら、何故彼は犯罪者止まりなんでしょうか、そう言う思考の誘導が恐ろしいのです。魔力を持たない、力も優れていない、だからこそ危機レベルが低いだけ。だが彼は間違い無く私達の国に毒を染み込ませているでしょう、いいですか彼が次にこの国に戻ってくる時はきっと何か酷い事が起きますよ」

 それこそ部族戦争と変わらないほどの悲劇が、起きるかも知れないと暗に告げていた。
 彼女の予測は、彼にとっては予想外だったのだろう。部族連合の王達は、本来獅子の国を破壊するだけの力を持っていたが、部族同士の不和や勇者の登場によってどうにか討ち取ることが出来た存在だったのだ。
 自分たちではどうにもならなかったと言うのが本音なのだ。

「ですが、あの人間にそれほどの能力があるとは思えません」
「ではどうして、彼は生きていて王城を破壊させたのですか。千人を殺し、国の中心に牙を立てた、じゃあ次はどうなるんでしょう。だからこそ放置しているわけでもなく対策を考えているのです」

 だんだんと彼女の言っている言葉の意味が分からなくなる。
 顔を青くさせた彼女の副官は、話をそらされている事にも気付いていない。ただ喉を嗄らして震えている、賢者が次に口出す言葉は予測もしたくないが一つしかないからだ。

「千人殺しの危険性は部族戦争級の災害であるといっているんです。更に加えるとするなら、これから彼を捕獲できる可能性は少ないと思っています。だからこその対策があります、それ以上にこれ以外の策では人心を取り戻すことも出来ないでしょう」

 たったいま、アマハルを勇者級災害だと断言した。
 それ以外の選択肢など無いというほど威風堂々と、彼女は決定する。本来それは口にするような代物ではない、数年前の悲劇がまた始まるというその予測など国家元首クラスのものが言ってはならない。
 だが会えて彼女はここで断言した、英雄としての発言を部下の一人の告げる。それはきっと悲劇の階段を進むとき、けれどこの国には一つの救いの手がある。

 けれどその救いは動かない。命を喰らい、世を救う武器は未だ休眠状態のはずだ。だからこそ、その絶望を彼は知ってしまった。
 その中で、腹の筋肉が引きつるほどに笑みを刻んだ賢者の姿を彼は知らない。余りの絶望に目さえ見なくなってしまった、希望が見えるはずが無い部族連合の戦いですら彼らは本来勝てなかったのだ。

「安心しなさい、それでも私たちは救われる」

 だからこそこの言葉を受け入れてしまった、本来宰相に居ても可笑しくないほどの男を、賢者は慈母の笑みで包み救いを悪魔のように優しく語りかける。
 本来ならきっと彼はこんな言葉を受け入れる事はなかった。安易な救いの言葉を信じるはずが無かったのだ、けれど彼は戦争を知っていたからこそ、絶望を知ってしまう。今この世界に勇者は来ないことを知っているから。

 けれどそこにある救いの手、伸ばさずには居られない。
 どれほど不確かでも彼にとってはそれが、あの戦いのような地獄にならないのであれば願うしかないのだ。きっと起きる悲劇を彼は、視界にさえ入れる事はないだろう、救いに対する盲目だ。
 それは間違いなく宗教家としての彼女の手練手管、余りに優しく語り掛けるその言葉に彼はありもしない救済の手を信じてしまう。

「勇者はきます。救世とはそういうものでしょう、勇者は来るんです」
「どうしてです、救世は最低でも百年以上の休眠期間が必要なはずです」
「大丈夫です。救われます私たちは、魔導機は目を覚ましつつあります」

 命を喰らって蘇る救世の力がまた輝きを増したことに、彼はまた目を輝かせる。それは黄金にさえ勝る言葉だっただろう。
 この世界の住人にとって勇者や英雄は、神とも言うべき存在だ。この国を救うために全てを費やした者たち、その信仰は子供にさえ及び海春は英雄信仰とさえ言っていた。それは大人だろうと子供だろうと問わない、それだけの功績を立てたものたちなのだ。
 偉大なる姿に彼らは魅了され、敬われる事になっただけ。その中心に立つ、最強の存在である勇者などは彼らにとってどれほどの救いに代わるだろうか。

 それは復活した救世主に喜ぶ弟子のようだったかもしれない。
 目を覚ましかける魔導機 救世 が、起動しつつあるという事。それはきっと彼らを救う救世主が現れる事と換わりは無い、だか逆に言えば救世が起動するほどに海春の危険性があるという事でもある。

「そして何より今からの事ですが、彼のついて調べておきましょう。どうしても彼がどういう人物か調べる必要があるようですし」
「確かに、調べておきます。けれどこれで安心です、勇者様が居てくれれば、どうにでもなるはずですから」

 それは希望の言葉というよりは、何か別の物のように聞こえる。
 勇者という名を救いの道具と勘違いしているような言葉、そして何より王などと違い海春と勇者の相性の悪さたるは壮絶なものがある。彼女の目的は勇者を呼び孤独を消し去ることだ。まかり間違って勇者が死ぬことがあるなら、まだ孤独を彼女は受けなくてはいけない。そうなってもらっては困るのだ。
 だからこそ部下と自分の余りにも酷い差に、彼女はようやく一つの疑問を解消してしまう。

「あなたどうも勘違いしているようだから教えておきますよ。勇者は万能じゃありません、いいですか私たちもできる事をしなければならないのです。内政面で彼をお支える力が必要なほどに、今回の敵は戦争を仕掛けません。勇者は人心を掌握するため使うだけに過ぎませんよ」
「何をおっしゃっているんですか、勇者様ならそれぐらいの事はどうとでもしてくれますよ」

 勇者とは命を救うものであり、それ以上ではない。
 魔導機の食った代償分の命を持って、それと同じだけの命を救う代物なのだ。何より勇者は人間であり、神ではない、できる事と出来ない事があるのは当たり前の事である。だがすさまじい偉業を立ててしまった、勇者だからこそ仲間でもない人間たちは、神のごとき人物と勘違いしているのだ。

 そして何より、古来より英雄が人間に殺されてきた理由は実はこれじゃないかと思った。
 それは英雄信仰の悪しき部分、英雄の無様な姿を見て人々はこう思うのだ。彼は手を抜いている、英雄は自分たちを救う力があるのに助けてくれない、こんなものは英雄ではない。

 そんな英雄は要らないと、人々は英雄を殺すのだ。

「そういう事なの、確かにそうかもしれないわね獅子官。じゃあ勇者が来る前に一つだけお願いしていいでしょうか」
「どういうご命令でしょうか。勇者様ご光臨のために何を私はすればいいのでしょう」
「簡単な事なんだけど、どうしてもあなたにお願いしたいの。これだけは貴方にしかできないから」

 一つ分かった事があれば、その対処をするのが彼女の仕事だ。
 否応なしに彼女は一つ理解した。英雄の敵が誰かという事を、確かに大本の敵はいるかもしれないがもう一つの敵を甘く見すぎていた。この情報をやるわけには行かない、勇者は復活しないほうがいいと彼女は判断する。

 慈母の笑みを口にもとに称え、やわらかく笑った。
 二度見ようと何も変わらないカリスマと、勇者復活で光悦に染まった感情は、信託を待つ神官のようだった。

「早くご命令を、今すぐに実行しますゆえ」
「じゃあお願いするわ、死になさい」

 そして何よりも冷徹な声で彼女は審判を下す。ここに居るのはもはや英雄ではないのだ、人々はそう見ても彼女は海春の同類といっても言い存在だ。そんな存在が自分の目的以外を考えるはずが無かったのだ。
 あんまりの言葉に放心する男、自分が何を言われたのか理解できなかったようである。ただありえないと意識的に耳を塞ぎ、現実から逃げるように全ての感覚を遮断していた。事実出ないことを祈るために口を開かなくてはいけないが、事実であれば自分はどうするつもりだろうと思い、口を開くことを体が拒絶した。

 懇願のような瞳に対しても彼女の表情は変わらない。
 何より死ねといわれて拒絶しても、彼女が彼を殺すぐらい容易いことだ。逆らえない、喉から干上がる息に体中が震えた。どちらにしろもう選択肢は無かった、干上がった喉から溢れる唾液を飲み込み喉を潤す。

「どう言う事でしょうか。流石に理解しかねる命令だったような」
「いやどうしてもお願いできませんか、貴方のような考えの人間に国を任せるのは少しばかり困るんですよ」
「なぜ、なぜですか。私が何をしたから死ななくてはならないんです」

 もう逃げることが出来ないことは理解している。体の穴という穴ら抵抗という手段が抜かれていく中、彼は懇願するように彼女を見た。
 だがはじめて笑みをやめた彼女は不快そうに顔を歪めていた。それ見て彼は顔を引きつらせ、呼吸が止まるような恐怖を体に刻み付けられる。

「貴方の考え方は英雄を殺すのよ。なら私は貴方を殺すしかないでしょう、なにより折角信じたのにそんな風に裏切られれば、人々に勇者の存在を知らせるわけには行かないじゃないですか」

 人が英雄を殺すなら、教えられるはずは無い、英雄である彼女は人間を信用するつもりは無いとこのとき断言したのだ。
 本来であれば彼らに向けるべきではない視線が、唯一人の人間に向けられる。これが英雄という、そして人間に敵対する存在をこう呼ぶのだ裏切り者と、だが所詮英雄も人間であるのなら、人としての意志がある。

 その意志が人と敵対するのであれば仕方ない、まるで病気のように伝染する海春と同じ病気。
 どちらもがウイルスでありながら、対抗できるワクチンのようにも思える。だがどちらも人体にとっては劣悪であることは変わりないのだ、ならその病気が人体を抉り体を蝕むことは止められはしない。
 この病気には適切な治療など存在しないのだ。

「何故です、我らを何故裏切るのです」
「違うわ、貴方が私を裏切ったの。英雄は人間、勇者も人間、決して神になれるわけじゃないの。そう扱う人間はきっと私たちを殺す、失望し裏切られたと絶望して、牙を剥く」

 叫ぶ、必死に叫ぶだろう。理由は分からない、理解も届かない、まるでそれは別の星の人間と話しているようなすれ違いだ。
 据わる目に振り上げられる殺意という名の暴力、英雄は戦う限り英雄である。負けることなど想像できないそういう偉大な存在だ、敵対するもの全てに死を与えてくれるのだろう。
 そうたとえば今はどうだろう、彼女の敵は一体誰だろう。

「英雄は困難を退ける力を持った人です。人々を救う力を持った人です、何故貴女を敬う私を殺すのですか」
「だってそれは信仰じゃない、それは神様に捧げるもの。英雄には必要ない、私たちがあなたに望む事は不干渉だけなの、神と勘違いして私たちをいつか殺す、万能だと勘違いして殺す、そして何よりあの人間はその誤差を突いて私達を殺そうとする」

 そしてそんな要因が国のトップに居てくれては彼女は困る。
 彼らはきっと英雄を狩り殺すことを考えるから。信仰は破綻すれば終わる、だからこそ彼女はここに居る信奉者を生かしておくことが許されないのだ。それは彼女にとって明確な敵だ、空気さえねじ切るように瞳を曇らせる。
 これこそが教会において最強といわれた賢者が敵と相対するときの当たり前の敵意、だがそれが人には重いのは彼女も当然知っている。だがこれだけで人は呼吸すら間々ならなくなるのだ、部族戦争における最前線を十数年も行き続けた女傑だ。その迫力たるや想像する事すら危ういだろう、喉か削れるような声が響きながら彼は怯える。

 いつの間にか足は破壊され痛みさえないのに大きな声で悲鳴を上げた。
 それでも声が響かないのは、彼女がこの部屋を結界で遮断しているからだろう。まだ話したい事でもあるのだろう、本来なら一瞬で消滅させられても仕方ないのに生きているのはそれだけの話だ。

「そしてあなたのような人ばかりがこの国をきっと形成しているんでしょう。まだ悲劇の理由があるからきっと彼らは私達を見ないだけ、対処できるのが私達だと知っているから。英雄というのはきっと貴方達にとって都合のいい道具なのでしょう、けどただそれだけじゃあ逆をされる事を理解しなければいけないの」
「何故なんです、私は貴女のために命を使って尽くしてきたのに」
「だからそれに何の価値があるの、貴方達の為に私は息子さえ構わず人生を捧げてきたでしょう。変わらないでしょう、尽くしてきた量なら何一つ、だからこそ一つ理解したの、この国はもうどちらにしろ終わるしかない。そうじゃないと私達が殺されてしまうの」

 内と外の脅威によって滅ぼされる、尽くしてきた英雄が国を終わらせると彼の前で嘯いた。
 だがそれより勝る英雄の迫力に彼は動くことも反論も出来なかった。ただ優しく彼の腕を撫でれば、腕が消える、彼女は痛みもなく彼を殺していく。
 痛みの無い死の進行に、喉の置くから悲鳴を上げようとするが、ただ純粋に彼女は首を絞める。

「そしてこれはお礼なの、貴方にだけはこれより先の絶望はあげない。だってそうでしょう、貴方は人間の浅ましさを思い出させてくれたから、人間が私達をで追う思っているか教えてくれたから、本当の絶望はあげない。おやすみなさい、この国はもうどちらにしろ終わるわ」

 ただゆっくりと握力を強めて首を締め付ける、苦しみが激しくなって行くのだろう。必死に体を揺さぶり、まだ転がされていない腕で必死に首にまとわりついた腕を剥がそうとするが、何一つ意味も無くただ賢者の皮膚の肉を抉るだけだった。けれど締め付ける強さは苛烈さを増して行く、既に抵抗がないというのに首を絞める彼女の握力の強さは、変わらないどころかその強さをあげていく。

 身体強化も行っているのだろう、その強さはじわじわと獅子官の首にめり込んで行く、肉を潰しながら血を彼女の部屋中に溢れさせる。その返り血は当然賢者にも降りかかるだろう。それでも彼女はやめるそぶりも見せずに、死体の惨殺を続けている。
 彼女がそれをやめたのは結局、肉を抉るに変わったときだっただろう。その心の内に溜まっていた暴力衝動を全て、一人の人間に吐き出したのだ、多少清々しい感情もあったが、自分のしでかした殺戮の結果を見て彼女はちょっとだけどうしようと困ってしまう。

「けどこれでいいのよ、ようやく止まっていた方針が決まったわ。基本あれと私は変わらない、唯一つ変わるのは私が英雄であっちが敵というだけ、まだ私は英雄ある必要がある。恭介に会うためなら私はもう止まらないの、それが結局私が出来る最後の望みなの」

 倫理法を行使して彼女は全てを直して行く。
 死体の惨殺さえも無かったことにして、殺された現実だけを台無しにして彼女は英雄の椅子に座り続ける。
 これがある意味彼女望む最高の結果なのだろう。彼女が望むのはきっと初めてのときだ、あの勇者と会った当たり前の出会い、そして愛を育んだあの時代を願っているだけ。だが彼女はまだ気付きもしないだろう、その全てを台無しにしたのはほかならぬ彼女自身であることを、仲間を殺して、彼との約束を破り、あらゆるものを台無しにしたのは、自分自身である事をまだ気付けない。

 彼女を滅ぼしたのはきっと海春だろう。けれどその海春を作り上げたのは彼女自身の業だ、それはまるで鏡面のように相対する同類だった。けれど彼らで違うことがあるとするなら、ただ立場が違うだけだ。
 どちらもがきっと違う立場でもこうなったに違いないというだけだ。

「ねぇ、貴方達は何を私達に望んだの。私達は、同じ人間だったのに神のように扱っても何も出来ないの。神話の英雄じゃない、戦って殺して命を助ける事のできるだけの殺戮者なの、そんな人間に願ったって命がなくなって命を救う方法を考えるだけ」

 代償を払ってもっと大きなものを手に入れられるだけの存在。それを人々は誇張して神のように扱う、けれどそれはきっと意味が無いのだ。
 神話の英雄なら憧れるだろう、現実の英雄はそうはならない、そう見られるだけだ。神話の英雄とまったく同じなのだ、何より代償を払わないで結果を手に入れるものなど神以外にこの世には存在しない。

 彼らはそんなものにはなれない。
 最も気付いたところで彼女はもう遅かった、英雄信仰という名の呪いは既に彼女達を蝕み逃げる事のできないところまで縛っている。それだけの名声を手に入れてしまった、けれどそれは勇者が出てくるまでだろう。
 人々が英雄を求めなくなるまで人間に奉仕するしかない、だが自分の目的は知られてはいけない。知られたとき自分はきっと、彼らを殺す確信があるのだ。

「だから欺いて壊してねじ伏せる。結局あれを使って人間の戦力を消すかが勝負という事なんでしょうね」

 殺戮の道具として生かしてみたが、ここまでやるとは思っていなかった存在に、ようやく彼女が関心を抱いたときだろう。
 邪魔になった死体を自分の政敵である獅子冠大臣のもとに死体を放り込んでおく。これで少なくとも示威行為と、あちら側の行動の停滞にはなると確信していた、今考えてみればあちらの方が敵意を明らかにしている分、自分の本来の敵よりだいぶましだと思って軽く笑ってしまう。

 死体を消したところで結界を解除すると彼女は部屋から出てしまう。そして部屋を出ると同時に大声で叫ぶ、その声の激しさは近くに居た兵士が余りの声量で数分耳が麻痺してしまうほどだったというから相当なものだろう。

「誰かいませんか、いまから王城攻撃の首謀者の情報が欲しいのです。今すぐに誰でもいいから来てください」

 だからこそ彼女は何もかもを使おうとしていた。
 英雄の権威だろうと何だろうと使う、彼女は自身の寂しさを埋めるために必死になっていた。その為の都合のいい道具があるのだ、その情報ぐらい仕入れておいたほうが言いに決まっている。
 しかしだその迫力のある声に、誰もが震えすら抱くほどの迫力を感じてしまったが仕方ないだろう。彼女とてもはやとまることは許されない場所に居る、何もかもを欺いて自分の大切なものを取り戻さなくてはいけない。だが彼女に残る英雄の残滓が人々を否応なしに、動かしてしまうのだ。

 使えるものを使うといった彼女の意志は、もはや別の意味のカリスマを纏い更に人々をひきつけていた。ある種の人間臭さが、更に親近感を与えたのだろう。だがそれが彼らにとってプラスであるということは無いはずなのに、本当に英雄の威光はすさまじいものである。
 そして物の数分もしないうちに彼女の前に情報局局長が現れる。賢者のその表情に裂ぱくの意志を感じ身の竦む思いであったが、ここで何もしないほうがきっと恐ろしい事になると思っていたのだろう。

「アマハルの事ですが、メレスティで出現しているという噂を聞いております」

 目撃情報は無いが、ここ最近頻繁に起きている行方不明事件の犯人ではないかと言う噂が流れている。実際もう被害は無視できるレベルじゃないものになっていた、もはや彼を千人殺しというのはもはや数が少なすぎた。資料を差し出し、軽い注力を入れながらの説明だが、何処か怯えたように語尾が上がっていた。
 彼女は海春がこの都市の人間に復讐すると予告していた事を知っているからこそ、殆ど直観的にではあるがそう判断してしまう。これはあいつのせいだと、きっと何かしらの策があるのだろうが、都市の住人にはさぞ恐ろしい事だろう。見えない殺人鬼は、見える殺戮者よりも恐ろしいに決まっている。

 そしてもう一つの資料を見て彼女は、目を見開いて驚いた。
 それは体を震わせ、恐怖さえ感じたといってもいいだろう。その都市にはいつの頃からか、行方不明者が増えていきいつの間にか無視できない量の数になってしまった。そこまではいいのだ、別にこの都市では実際問題よくあることだから、海春が関わっていたとしても都市の総数から考えれば微々たるモノだ。
 疫病の発生、また倫理法使いの殺害。この二点によって否応なしに彼女は震えてしまった、こんな事まであれはやるのかと身震いどころの話じゃない。あれはあの時から本気で都市を滅ぼそうと考えていたと理解させられた。

「これは事実なんですか局長」
「間違いありません、しかしメレスティも哀れなものですね。千人殺しの帰還による殺害に伝染病が追加されるとは、私達は疫病が来ないように犯罪都市の人間の立ち入りを禁止させようと思っております」
「ええ、ええ……お願い、します」

 これは知識があるからじゃない、それ以上にこんな事を行う発想に恐怖を抱いた。
 もしかすると自分は敵になるべき相手を、力が無いからと甘く見ているのかもしれない。あらゆる手練手管を使うのは相手も同じだということを彼女は忘れていた、鏡面に居るからこそ、最後の理性の部分で彼女は彼に遅れを取っていた事に気付かされる。
 それは強者の余裕、弱者の必死、その差がいつか明確な差になって彼女の首を刈り取る気がして恐ろしくなった。

 なによりそれがたった一人の人間の報復であるとは、彼女と部下を除いて誰一人知る事はないのだろう、それが事実として公表されるとき、世界はもう一人の人間に対して怯える立場に変わるのだろう。
 その資料には最後にこう書きとめられてある。

 犯罪都市メレスティ 伝染病発生 死者 三万八千人 現在都市の八分の一が死滅 救援は不可能です。

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