十三章 慈悲の注ぎ方

 彼の言葉を聴いたとき、聖女は何も変わらずに笑みをこぼした。
 刻みつけられた肉の腐臭や血の匂いなどで表情も変えずに彼女は、海晴と言う名の罪人を見る。真向かいで睨み合う二人の姿は、囚人と聖女と言うよりは同類といった方がいいような、同質の存在を感じさせる空気が漂っていた。

 彼らを遠めに見る市民も当然いたが、本当に聖女かと思うほど凶悪な笑顔を作り上げて千人殺しと向かう姿は、どうしようもなく痛めつけられた罪人と同じようにしか見えない。凶暴に混じる視線は、二人の間でしか通じない憎悪同士のぶつかり合いなのだろう。
 それは笑っているのではない、相手の全存在を皮肉っているだけだ。

「何でまたあんたが殺すんだ、俺を殺すのは賢者だと思っていたんだが」
「人殺しがなにを言っているんです。貴方は誰に殺されても仕方の無い人間でしょう、いつ殺されたってあなたの所為なんですから」

 お前に殺されない理由があるとでも思っていたのかと彼女は笑った。
 事実過ぎるその言葉に、彼は力でも抜けたのか肩の力を抜いた。だが別にそれが敗北表現でない事は、目の前の聖女はいやと言うほど理解している。固まった思考は既に介入を許さないところまで彼を追い込んでいた。

「至極ごもっともな意見だ人殺し」
「それはあなたが私に言う言葉じゃありませんよ人でなし」

 一方的に不利な男は、思考をめぐらせるが殺される算段しかつかない。
 目の前の人間はただ未熟な賢者に過ぎないのだ。せめて魔導機があればどうにかなっただろうが、それさえ彼にはない。本来視界に入るだけで殺されてもおかしくないだけの力の差があるのだ、彼が死んでいないのは彼女の慈悲みたいなものだ。
 思考を浮かべても、浮かべても、どうしようもないのだ。圧倒的戦力差に屈服する以外の選択肢を彼は持たない。

 それでも彼が目の前に聖女にいる聖女に対して出来る事は絶対にある。そう思って彼は平静を保ち、この女にだけは殺されてやるものかと心に誓う。彼はある一つの手段を考えていた、それは賭けだろう理解してもなお傍らにおいてある彼を突き刺していた槍に視線を合わせた。
 聖女にも理解が出来るように、あえてゆっくりと確実に視線を槍に向ける。これは彼の彼女の経験の差を如実にあらわすものであろう、どういう状況になっても聖女がまだ自分が殺されるかも知れ無い状況を理解していないその一点に賭けるのだ。

「それをもってどうするんですか、あなたに出来る事なんて無いでしょう」
「試してみればいい、俺がなにをしてもお前に殺される事がわかっているのなら見せてやるぞ逆転劇って奴を」

 あくまで自分が優位であると彼は宣言する。自分にとって出来る事などそれぐらいなのだ。ハッタリをハッタリと自分自身で思いながらも、タダ一つの勝利の手段に自分のこれからの人生を賭ける。表情に一切のかげりも見せずに、聖女を睨みつけてお前に殺される事は絶対に無いと宣言した。
 その態度だけで彼女は不愉快だ、自分自身何に怒っているのかも彼女はわかっていないのだろう。どこまで殺されないと確信している彼の姿が、彼女の神経を肴出ているだけじゃない。目の前にいる彼女に対して彼は感情を障害とも思っていないような、そんな不遜な空気に包まれていた。

 彼の所為で、ここまで追い詰められ禁忌を犯そうとしていたと言うのに、そんな彼女の来歴などどうでもいいと鼻で笑っていた。

 否が応でも感情が歪む、憎悪と言う感情はまさに彼女の為にあるようだ。その砕け散る聖女の様を見て、逆に狂いそうなほど嬉しくなった。人の為にこれほど喜んだ事はあっただろうか、人が狂う様を見てこれほど喜べるとは思わなかった。
 少しずれてしまった、けれど今間違い無く彼は手に入れてしまった。最後の感情をそれは愛情にも似た執着と喜び、殺してもいいほど愛らしい敵が故に、狂おしいほどの罪業を集めた表情は、喜びとして完全に彼にあられた。

「はははは」
「何を笑っているんですか、槍でも持てばいいでしょう。全部打ち砕いてあげますから」
「後悔するなよ、俺は絶対に後悔させてやるぞ」

 そう言うとゆっくりと腰を曲げて地面に転がっている槍を手に取る。
 その時に彼は柄をへし折った、その動作に彼女は目を丸くしたが、槍の利点を全て削除した彼の行動に侮辱以外の感情は思いつきもし無かっただろう。

「そんな槍で何が出来るんですか。後悔でもさせてください」

 そして彼は賭けに勝利する。満面の笑みを感情に正直に表す、それは多分この世界どころか、生まれて初めて彼が心の底から喜んで作り上げた表情だろう。 
 打ち砕いてやる、絶対に打ち砕いてやる、感情ではそう思っているのに、海晴が槍を持ったとたん、背中に氷でも投げ込まれたように悪寒が走った。笑顔であっただろう、だが彼の笑い方は彼の作り上げたいままでの表情の中で一番恐ろしかった。
 その裏にある彼女の憎悪と執着が、世界を呪い殺すようなその感情の剣が、既に彼女を突き刺していたのだ。

「いくらでもさせてやる、俺の人生はもう賭けで以外生きていけなくなってるんだ。一か八かしか世の中には無いんだよ」

 そう言うと彼は腹に向けて槍を構える。
 最早賭けなどではすまさない、ここにいる人間全てに打倒する最後の方法はこれしかない。そして絶対に彼女に勝つにはこの方法しかなかった、彼だって賢者が理由もなしの殺害をしている事ぐらい知っている。だが殺すことに意味があるとするならどうだ、人の命が必要な行為とはなんだろうと、拷問されている間や、されていない間、更にはその前からの賢者の暴挙から逆算してもそれしかない。

 賢者は人の命を何かの魔術かそれに準ずる物に使用しようと考えているという結論を出している。
 つまりここで彼が死ねば、罪のでっち上げが出来る。だからこそその全てを思考して彼は、敵対している全てのものに呪いを下す。

「動くなここで俺が死んで困るという事がわかる奴ら全て」

 たった一言でこの場を掌握したのは、異世界でたった一人の異邦人。
 代償となる家族も何も無いからこそ全てをついやす事の出来る人と言う泡沫の一つ。その泡沫は賢しかった、それが現代人ゆえのものだったのかはわからない、それでも現状で出来る最前の手であったのは間違いない。
 そして聖女に対する絶対的な剣、彼女は海晴をその手で殺さなければ、狂ってしまうほどに追い詰められていた。その前提ゆえに彼女は怯えた、お前にだけは殺されてたまるかと言う、鋭い感情が彼女の心臓を突き刺しているのだ。殺される前にこの男は意地でも命を断つ、視線は他のものではなく聖女一点に絞っている、市民達は今までの拷問で理解していた。
 止める事など出来無いと言うその事実を、経験で認識している。ただ一人の敵だけ警戒すればいい、その眼光はきっと消える事など無い殺意。

「理解できるなお前ら、俺はお前らの命を手中に納めている。ここで俺が死ねば、何しろ法律も守れない傷持ちと同じ犯罪者達なんだからな」

 凄絶な表情のまま全てをこの場で脅す。この槍が心臓にでも突き刺されば直ぐにお前らは殺される、賢者に不信感などは無いかもしれないが、犯罪者は傷持ちと同じ扱いを受けるのは、既にこの国の法で定まった事だ。ましてや自分達が拷問に使っていた武器で自殺でもしようものなら、それは全て彼らの所為と判断されてもおかしくない。自分の所有していた武器を奪われるという失態だ。

 そして自分で殺せないからこそ、己の失態に気付いた彼女は、自分の敵の賢しさを甘く見すぎていた。
 力が無いものは頭を使わなくてはいけない、そのためなら手段を選ばない。弱いからこそ手段を選んでいられないものもこの世には確実に存在する。海晴はその弱いものだ、口で騙し裏切る、そんな事でもしないと勝てる人間なんていないのだ。

「卑怯者なんていうなよ、俺にはこれしかないんだから。これ以外で勝てる方法は一切なかったんだ」
「惨めですね貴方は、力が無いからそんな卑怯な手を選んで、卑怯すぎます」
「言うなって頼んだのにな、だが最初から何もかも持ってる奴が俺に向かって卑怯なって言うな。魔力も無い、力も無い、何かしらの権力すらない俺ができる事は、自分の命をベットして、騙って、嵌めて、裏切って、そういうことをして勝利する以外にないんだよ」

 すぅっと息を吸った。唯一つの怒声につなげるために、周りはそんな彼の姿を見て何もできない。この一瞬であれこの世界の全てを信じないものに、隙などを見せるなどという甘い男ではなかった。

「だからこそこれが俺の王道だ。自分にできる事を全て使ったからこそこうなるだけだ、後悔なんてないし卑怯だなんて思った事はない。俺はお前ら全員が許せないだけだ、この世界なんか滅びれば良いんだよ」
「部族戦争ですらそんな事を言ったものはいなかったのに、この世界の人間でありながら何故そんなことがいえるんでしょうか。はずれ者らしい言葉です」

 はずれ者という言葉を聞いたときこれほど自分にあった言葉も無いだろうと、彼は頭の中で反芻した。
 確かに自分はそういうものだ、もしこの記憶が偽りのものだったとしてもその通りであろう。

「だが、忘れるな。この国に生きた奴ら、お前らが俺をこうしたんだ、英雄の息子程度の成績を上回った程度で俺の全てを壊したお前らが、俺をこうしたんだ。こうするしか生きて行く決断ができない決意をさせたお前らが、俺に選択肢をなくさせた」

 最初からしたいわけではなかった。
 人殺しも何もかもしたいと思った事なんて一度もない。だが決断した事実が彼を追い込み、回避不可能なところまで追い立てたのは事実だ。全部終わったことだし彼は、この世界に生きる限り自分に本当に味方がいるとなんて思った事はない。
 だらこそ自分がこうなったのは世界の所為だ、お前らの所為だといって逃げたのだろう。

「人の所為にしないでください。貴方の所為で失敗しただけでしょう」
「ああ、多分そうだろうな。だが俺がここまで追い込まれる理由は、無かったはずだ。俺のミス唯一つ身分をわきまえていなかっただけだ、それがルッコラさん達に行く必要はあったか、お前らの作り上げた英雄の息子はその全てを破壊した。
 そして英雄の行動だからと肯定した全ての人間が、俺を追い込んだ、何故土下座して靴を舐める必要がある、たかがそれだけのために目を抉り出される必要がある、ただそれだけのために努力を怠る必要がある、ここにいたとき全ての希望を絶やされる必要がある、貴様ら全員が答えてみろ」

 たまった鬱屈が吐き出されている瞬間だろう。
 だがここで答えられるものはいない、何しろ彼らは実際そうやって彼を追い込んできた人間たちの一人だったからだ。金を用意して食べ物をい給すれば金だけ奪ってリンチ、こんな事を平然としてきた人間が答えられるわけがない。

 この声を聞いて彼にそんな事をしなかった人間が果たしていたか。全部子供がそう言う事をした事を聞かされている親もいた。当然ここには復讐以外にも正義感で来た者たちもいる。そういった人間をねじ伏せるのには丁度良かった、お前らが何もせずに俺がするとでも思っているのかと、欺瞞だらけの発言を突きつけた男は冷めたで彼らを見た。

「もっとも俺もお前らと同じ事をやってるんだ、同じ穴の狢だよ」
 
 なにより自分もまた同じ事をしている事を理解していた。
 ただ彼らと違う一点があるとするならそれは、流されたのではなく時分で決めたと言う一転だけだろう。それが正しいことだというつもりも無いが、余りにためらい無く言う彼の姿は、少なくとも彼らと一線を博している様に見えた。

「そのためだけに命を使うあたり貴方は自分の事なんてどうでも良いようですけど」
「価値観の相違だろう、俺はお前らが殺したいほど憎らしいからここで自分の命を使っても殺したい、それに俺の故郷では命よりも大切な事があるという価値観があるんだ、お前らとは生き方の質が違うんだよ」

 それは彼らだって同じ事かもしれない。
 だが実践している人間はまれだろう、現代人でそんな奴がいるという話も聞いた事が無い。しかも皮肉のためだけに使うのは彼ぐらいだろう。

「野蛮ですね命より価値のある者があるとでも思っているんですか」
「ああ絶対にあるね、それが無ければ人間は生きていけないからな。生きる目的っていう大切なものがあるだろう、ここで死んでもお前を殺せる、お前は俺を殺せない俺の勝ちって事だろう、命に代えてもお前に俺を殺させてたまるか」
「私の外道法を甘く見すぎじゃないですか、それが刺さる前に貴方の命ぐらい奪えますよ」

 脅しではないだろう。彼の動作を見てもまだ余裕の在る動作をしていた事からも確実だろう、しかしわかっていても彼がいつどのタイミングで行動を起こすかわからない。何よりまだ策があるのじゃないかと言う思考が、彼女に殺人の一手を与える時間を奪っていた。

「やってみろよ、俺はいつでも殺され準備は万端だ。まぁあとなんだ、お前は話を聞きすぎだとっくに槍は腹に刺さってるぞ」

 その一言で全盤面が崩れた、当たり前のように言葉と同時に突き刺さった槍が彼の腹を突き破って、そのまま貫通したのだろう地面に転がる音が響く。そのまま倒れて行く彼は、残酷なまでに勝利を確信した笑みだった。
 何よりこの中で命がなくなる様を見たものは少ない、聖女である彼女はなおさらだ。
 血が溢れながら、地面を浸食して行く。だがまだ呼吸が合った、本当ならここで殺せば良いものを彼女は、動揺していたのだろう彼に走りよって倫理法を使う。息があるのなら、生き返らせる自信が彼女にはあるからだ。

 必死に彼を蘇生させながら彼女は、その倫理方を行使しながら全てが凍り付いていた。
 全て狙ったものだったのだろう、裂けんばかりに開かれた海春の笑顔を彼女は見てしまった。自分の心臓を突き破る槍の寝音が自分の中に反響する。それは即死の傷だろう、ただ命が消えるのを確信した彼は彼女の耳元で。

「お前はまだ多重起動ができるほどの能力は無いだろう。これが俺とお前の差だよ、自分の命だって俺は賭けられるんだよ勝つためなら」

 笑う一撃で貫き通した心臓は彼女の機能をほとんど瞬間的に奪っていった。ただこの瞬間だけを狙っていたのだろう、確実に心臓を抉り、彼女の声は喘ぎ声のように響いた。

「あ……う、あああ…………が、……あああああああああああ」
「ここでお前の命だけは断ってやる、俺の勝ちだろう。俺は戦いに美学なんて求めやしない、勝利なしにこんなことできるか」

 これが彼と彼女の差だ、甘かった最後の局面まで甘さが彼女にはあった。
 人を信じないで自分だけを信じて行くしかないのだ。その結果が彼の今の思考だ、勝つためなら相手の弱点とも言える部分を使用して徹底的に貶める。自分の頬に掛かった血を舐め取り、死体を蹴り飛ばして踏みつける。

「ふはははは、あはははははははは、とりあえず聖女は殺してやったぞ。俺は生きていかないといけないんだ、騙してやるさ滅ぼしてやるさ、お前ら覚悟しろよ人質は俺だぞ、お前らが一歩でも俺に飛び掛れば殺してやる」

 首に刃物添える狂ったように笑う。彼の姿はもはや生きていくというより、死んでしまったというのだろう。
 だが隠しようも無い感情を溢れさせて、大笑いする彼の姿は、勝利の凱旋ではなく亡者の行進だろう。高らかに笑い続ける、賢者でも現れなければ、何も起きる事はないだろう。
 彼はそれを理解している、賢者は間違いなく命を欲しているのだ、彼がここで死ぬか逃げるかしてくれれば、とてもありがたいと感じるだろう。
 考える時間だけは無駄にあったのだ、これも全て賭けだが、これ以外に勝利の手段など無かった。賢者は今必死に軍部を止めようとしているだろう、つまり軍は動けないのだ。国民大虐殺が始まるのはもはや隠しようも無い事実だ、だが今現状でそれを予想できたものが何人いるだろうか。

 両者の利害は一致していた、劣悪なる二人は共に凶暴な笑みを作り上げて笑うだろう。
 今ここにいるものたちは殺されるだろう。間違いなく命の根こそぎねじ伏せられるのだ、それが彼の復讐だ、気づいているものも手は出せないだろう。そんな事をすれば賢者が何をしでかすかわからない。
 自分が大量虐殺の引き金を引きたいわけが無いのだ。

「かつて苦労した太陽門だがこれだけ大手を振って逃げられるときが来るとは思わなかった」

 だが彼はここで会えて後ろを振り向いた。まだ彼を必死に捕らえようとする人間や、その憎悪を忘れてはいない人間も一杯いただろう。だから彼は声を大声で上げる、憎しみというには性格が悪い。眼前どころかこの国の全ての人間に告げるのだ、それは罪人たちの国と同じだろう。

「君たちには実に感謝している、この国で俺はこんな風になれた。本当に感謝しているんだ、だからとても嬉しいから教えてやるお前らは死ぬぞ、確実に殺される、誰かっていう必要も無いだろう。お前らは死ぬんだ、だから教えておいてやる、この国から逃げても俺が殺してやる、お前らは死ぬ以外の選択肢を与えてやら無い」

 この国に生きとし生ける全てのものを殺してやると、彼は大声で叫ぶ。
 誰もが彼の言葉を聞いた、聞きすぎていた。勝利のためだけに彼は叫ぶ、喉が傷ついてまともに声が出せないほどに予告してやった。ただ一人の犯罪者の予告が恐ろしいと思うものなどいないかもしれない、力なく殺されつくしていた男がこうやって予告しているだけだ。
 けれど笑えないだろう、その悪魔のような声を聞いて、その指全てが凍りつき動けなくなるような恐怖を与えられたのだ。聖女を殺し自分のためなら全てを殺すと予告するような人間だ。

 人の心なんて持ち合わせてないといわれても仕方ない。
 だがこの国で彼は全てを感情を埋没させて、持ち合わせることすらなかった感情までもこの国で手に入れた。だから軽い会釈をする、全ての感謝と憎悪を込めて、臓悪さえ超えたところで必死の感謝を繋ぐ。

「そしてルッス、お前は逃げられないぞ。逃げる準備をする暇があればこちらに来い、お前はもう俺の仲間だろう逃げられると思うなよ、お前も俺も同類だろう」

 そして恐怖から彼を味方にするといった男は、ここで選択肢を失うのだ。
 せっかく貴族となったというのにこの男の所為で全てが台無しだ。だが逃げられるとは思っていなかったのだろう。人ごみからゆっくりと現れる彼は、もう開き直っていた何処か力の無い笑顔を作ると、人の流れを割って彼の前に現れる。

「頭って人は、あれだけやられて諦めるって事を知らないんですか、こっちも諦めると思っていなかった所為で、賞金全部使って完成させましたけどね」
「ご苦労、それにもう止まれるところにきてないんだよ。全部この国決まったことだ、それにお前には最後の最後で役目が在る、お前にしかさせたくない役目があるんだよ。だから待ってろ、お前だけは裏切るつもりは無い」
「何ですかその信頼は、生憎とこっちはそんなものは欲しくもないんですけど」

 二人して軽く握手した。
 多分海春が生涯信じられる人間を手に入れた瞬間かもしれない、それが恐怖ゆえの感情であろうとどうでも良い。何しろそれは彼が生まれてはじめて裏切らないと確信できる味方を手に入れた気がした。

「逃げられると思うなよ」
「生憎とあんたの味方をすると決めたときから諦めています。それにこのタイミングで呼ぶんだ、逃がす気がない事ぐらいわかっていましたよ」
「かかわった相手が悪かったと思ってくれ、なんども言うが悪いようにはしない。少なくとも歴史にだけは名を残してやる」

 どうせ悪名でしょうそんなの欲しくないですよと軽口をはくと、彼が完成させた四法を握る、柄を改造したのか形としては刃にトリガーが付いたようなものだろうか。使いやすさを考えられたデザインで、どこまファンタジーでありそうな武器だと思っていたが、考えてみればここはファンタジーだ。
 生まれて此の方、住だって売った事が無いくせに長年持っていた武器のように操る。これは宣戦布告だ、何人死のうとかまわない、千人殺しの異名が変わる程度の話だ。夜だというのに淡い光が世界に輝く、回数制限ありとは言え彼が四法を使う事のできる機会だ。殺すと決めた彼の目はどこまでも冷酷だった、弾かれるトリガーが魔力を四法に送り込む。

「なぁこれは俺の負けか勝ちかどっちだ」
「どっちで良いでしょう頭は、どうせこれからなんですから」

 ふっと軽く笑った、この武器は決別という名の異名を持っている。それは大地を生きる存在全てに訪れるもので、それは死を冠した事がある、それは全ての別れを意味した事もある、何よりそれはこの世界で彼がルッコラという慈悲から決別したときの証だった。誰もが騒然とした、卑劣に笑う二人の魔人を見て彼らは鳥肌でも立っただろう。殺す気しかない、殺す以外の選択肢を彼らは持っていないのだ。
 冷淡で冷徹、それだけでもいい、しかしそこに彼は渇望が含まれていた。破壊など再生しか生まないというのに、命など死しか作り出さないというのに、それでも目の前の人間たちは、それ以上の何かを生み出す気がして誰もが怯えた。

「間違って全弾打っちゃったんだがどうなるんだ」
「一度だけですが英雄と同格の攻撃ができるはずです。たった一度の一か八かです、頭が賢者と相対する際それをどうやって決めるかで勝敗が分かれると思いますよ」
「わかったとりあえず今攻撃したら、この目の前にいる奴ら全員吹き飛ぶな」

 誰も動けない、四法とはそれだけの武器だ。逃げようと何をしようと全てを台無しにする、彼らの全てが絶望に歪むのだ。
 心底彼は喜んだ、やっと殺せる、やっと準備ができたと。感情が魔力でも生み出したのか、さらに四法は明るく照らされる。それは夜の太陽、感情を手に入れた彼はどこまでも貪欲に力を求め、感情だけで四法に更なる力を与えていた。論理が分かって作られているようなものじゃない代物である魔導機だ、感情で多少左右されても仕方ないのかもしれないが、その光はかつて見たことがあるものもいるだろう。
 大軍を両断した剣人と同じものだ、懐かしさが浮ぶ、そして思うのだろうあの時代はよかったと、だが戻らないし戻れない。過去を見て全ての現実から彼らは逃げている、もう走馬燈で見る以外の選択肢は無いのだ。

 この世界で生きる為に必死に成っている彼とは全く別の行為だろう。
 それを見ながら全部を受け入れるつもりも無い視線は、魔導機にのみ感情を注ぐ。飛び掛るという選択肢はもう無いだろう投げ捨てた、槍を見ても何の反応も示さないのだから確信しているだろう。

「ああ、忘れていた。俺はお前らを殺さないぞ、狙いはたった一つなもんでな」
「よくもまぁ、宣戦布告には少しばかり派手すぎるんじゃないですか」
「どうせどうやっても宣戦布告なんだ、国の重鎮が減って権力闘争を始めてくれればこっちとしては御の字だろう」

 えげつないが、彼の言っていることを聞き納得した。
 どこまでも貶める事しか考えていないのだ、自分の実力を弁えそれでも勝利する方法を模索し続ける。ここまで勤勉であるからこそ、あんな事になったのだろうが、誰一人それを追従するものはいない。
 何より現状では利害の一致している賢者と彼だ、顔も合わせていないのに凄まじい連携を示しているのだが、敵は敵だいつ裏切ったっていい。

 ようやく構成を終えた力は、決別と呼ばれるに相応しいだろう。この国は彼にとって最後の未練だ、ここにいたときの全ての記憶がまだある。
 いいこともあったし、その倍以上の地獄もあった、早く早くとはやし立てる感情を抑えて過去を反芻し、生涯忘れられない過去を鋭い剣に意思に変える。あとは剣術ですらない、ただ横に城を指定してゆっくりと横に腕を動かすだけ。
 城は四法によって守護されているが、それでも英雄クラスの一撃を受けるのは少しばかり問題がある。

 障壁に衝突して火花が弾ける、夜を剥ぎ取る光はこれからの世界の歴史に刻みつけられるだろう。
 そして浸食する決別の攻撃は、その障壁すら切り開き城門を抉り。そのまま城の一部をなぎ払う、結界に干渉された分威力がなくなったがその代わりに、範囲が広くなったのだろう美しい白亜の城は、四法の蹂躙によって中にいた人間ごと瓦礫に沈んだ。

「これで少しは俺を敵に見てくれよ」
「無理でしょうあの人は、どうやら目的があるようですから」

 そう言うと二人は踵を返した。これがこの国の落日の始まりだ、世界はきっと彼を許さないだろう。
 だがそれは彼とて同じ、彼は世界を許さない。その復讐の狼煙にはきっと相応しい、彼の人生の始まりなのだ。
 
 それでもだ、この気に乗じて賢者は全ての権力を強奪するだろう。どうせ王様もまだ生きているのだ、彼女が生かしてるに決まっている。何より賢者によって邪魔なものはこの間に殺されているはずだ。それをきっと海晴は理解している、それでも彼女は自分の事を無視すると確信している。命を使ってマイゼミでも生き返らせるのかとも思ったがそう言うものではない気がした、きっと何か別のことを彼女はしようとしている。

「その目的なんかどうでもいいけどな。俺がするのはまずは約束を守ることだ」

 だが彼はそんな事を取り敢えず忘れた。嫌な予感はしていたが、どうしてもまず自分のしなければいけない事があったからだ。
 これはただの自己満足であり謝罪、生きているからこそしなくてはいけない兄妹への鎮魂だろう。きっと殺す何人も殺す、そう言う意味では彼も賢者も変わらないのだ。自分の為に死肉を漁る、動物なら誰もが行なう当たり前の常識、人間がそれを行う時それは生涯と言う目的に捧げる犠牲に変わるだけに過ぎない。

 そして賢者も彼も、その犠牲を必要とする願いを求めているだけなのだ。

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