裁判で彼が死罪に成る事はなかった。それだけで民衆が怒りを納めるとは思わなかったのだろう。 「貴様のような下民が何故私の家族を殺した。貴様のような生きる価値もない人間が」 あくまで挑発的に笑う。殴りつけられようは腕を折られようが、何も気にならない。痛みなんてものはもう慣れてしまった、その代わりに彼は睨み付ける。彼の視界に入る全ての人を、平民はただの怪我程度の恨みなどが多いがいちいち恨みにもつほどじゃない。身内を殺されたものは彼を許せるわけがない、そのまま拳を振るう。あるものは彼を刺す事だってざらだ。 「ああ、困ったことにそれじゃ痛いだけだ。だってお前らの息子にされたのは、こんなものじゃなかったぞ。低脳の無能たちの世界だけはある、たかが身分なんて自分で積み上げたものでもないそんな下らないものを後生大事に抱えるお前らのほうが下民だろう。乞食やグールと何が違うんだ」 どれほどの屈辱に受けようと、もう彼は気に成らない。ここにいる事が不運だなんて彼は思わないからだ。 そこに砂がつけられ針が突き刺される。痛みに耐えるように一度彼の呼吸が止まるが、呼吸の変わりに胃液を吐いく。人として慣れたとしても、体がそれを受け付けるかどうかは別だ、痛みの拒絶反応が体に変調を起こすのだろう。 「で、次はどれをする。何でも良いぞ、どうだ臓器で自慰でもしてみるか、それとも心臓を針で突き刺して遊んでみるか、目を抉り出して標本にでもしてみるか、それとも口でも口にぶち込んで笑って見るか」 結局彼にとっては通った道で経験し続けたものだったというだけだ。 この世界で生きて良く彼は、この世界で生き抜くために全てを使うのだ。今ここで物量に負ける一瞬でさえ、体が屈服したとしても、心だけは断じて屈服しないという自信があった。ここに生きる何万という人々我いる限り、この世界に世界がある限り屈服だけはしない。どれだけの事があっても彼はそれだけは確信していた。 この世界にだけは屈服だけはしないと、その最後の一線を作ることが出来た。世界の全てが憎いなら、世界の怨念一つ受け止められなくて生きていける世界じゃない。だってこの世界には敵しかいないのだ、勇者でなくては生かされることさえない。 「だからどれをするつもりだ、俺はお前たちに生涯屈服しない。それだけは確信してやるよ、首でも刎ねて見るか生涯お前の大切な名代祟り尽くしてやる」 普通なら唯のハッタリですむだろう、だが彼は千人殺しとまで言われる大罪人だ。その言葉の恐怖は未だ科学信仰を持たない彼らには恐ろしいものだあるだろう。仙人を殺した悪魔の呪い、それだけで彼らは一歩引いてしまう。魔法など平然と使う世界の人間だ、魔力を持たない彼だとしてもその怨霊にはどれほどの恐ろしさがあるかは、想像もつくだろう。 「その程度の恨みならごみに捨てて消えてしまえ。たかが家族が皆殺しにされる程度の恨みだろう、そんな恨みどこにでも転がってるだろう」 だからお前ごときの言葉で俺の何が変えられると、あくまで上から下を見るように見下す。こんな挑発より一層の暴力にしか繋がらないと言うのに、それでもこんな事を平然とやらかすのは、それだけ彼の心が戻ってきたといえないこともないのだろうか。 振るわれる拳の痛みも、抉られる目の痛みも、血のあふれ出す喪失感などもう慣れてしまった。だからこそ彼はこうやって抗う事を覚えたのだろう、一度も抵抗さえ見せなかった彼がそういった考えに到ったことは、もしかするとこの世界で唯一の救いかもしれない。 目の前にいる恨み、目の前にある呪い、全部彼の力にしかならない。 「だから殺したのか、歩けるようになった子供を、目の見えなかった娘を、そんなただの恨みと貴様は言うのか」 その程度でしかないと、別に彼はそれが悪いといっているわけじゃない。 「何でそんなに必死なんだ」 これは感情の問題である、それを海晴は理解している。彼とてその一人だからだ、意味も分からずこんな世界につれてこられたのはいい、それは自身の願いだからだ、ただ成績がよかっただけであんな扱いをされ、挙句に人間としての全てを貶められた。 どうせこのままじゃ何も動かない、喋れる口を持っているのだ、それこそが彼の唯一つの武器なのだ、大群衆に対抗する唯一つの武器。 怒りはさらに酷くなるだろう、暴力もさらに激しくなるだろう。もしかすると何かの拍子に死ぬかもしれない。 一人じゃない、百人は超える。睨め付ける彼の姿は鬼気迫るものがあっただろう、誰一人忘れるかといわんばかりに見続ける。その視界に収まる限りの復讐が彼の刃になり、全てが自身に突き刺さる処刑器具だった。 「ひぃは、ああははは、ご、げぇ、ああははは」 殴られようがなにをされようが笑う。それは開き直っただけかもしれない、脳を焼き尽くし体を滅ぼしそうになる痛みに、心さえ浸食して動けなくさせる痛みに、感情さえねじ伏せる暴力を彼は受け続ける。その全てを笑うことでしか自分を救えない、自分の人生全ては傷つけられる人生だったことを彼は理解している。そんな自分の境遇をわら手やることしか彼に救いはないのだ。 咽喉に血が混じり、まともな笑い声さえ出せなかったとしても。その彼の姿を見て笑う全ての聴衆達の姿があったとしても。 実際彼は死なないだけであった、達磨になった体は杭打たれた手の近くにお情けのように置かれている。 これから一週間彼は死なないようにされた。腐っていく体の激痛を感じながら呻き声を上げて、体から蛆の沸いていく姿を笑われながら。そして口からは呻き声と悲鳴しか聞こえない。 笑えなくなった、痛みで喋ることすら出来ないのだ。挙句それでも口だけは笑みを刻めば、咽喉を砕かれた。 死なないからこその地獄もある、彼は死なない本当にそれだけだ。痛みに悶え苦しみそれでも何も出来ない無力、服の中で溢れる糞尿に屈辱を忘れる頃。その処理の為に、そのまま川に投げ込まれた。それで二度死に掛けている、実際心停止までしていた。その時ばかりは賢者が彼を救ったらしいが、彼女の感情が海晴を生かす事で喜悦に歪んだのは海晴ぐらいしか知らないだろう。 賢者に施される全ての慈悲は、海晴にとっては死にも勝る拷問だ。 もう彼は死ななければ何をしてもいい人形に変わっていた、体をダーツの的にされた事もある。人体実験の道具になったこともある、更には病気などの進行をはかるそんな代物になったときもあった。毒を飲ましてモルモットにされたこともザラであった、目の苦から血を流しながら悶え苦しむ経験など彼は、経験したことすらなかっただろう。疱疹が体中に溢れ、その中で皮膚を剥がれた経験さえも。 そこに人間の尊厳など与えられるはずもない。 それは彼の野ざらしの処分が決まって二ヶ月ほど経った頃だろう。 「なんです罪人にここまでしていいんですか」 倫理使いの一人だろう。しかもかなり高レベルの使い手だった、だがそれ以上に海晴が驚いたのはそんな事は自分を救う存在の事。事実を知らないのであろう若い気高い志を持った倫理使いの一人穢れる事さえ知らない聖女。 「そいつは千人殺しだぞ、この国を焼き払った悪魔だ」 それは陳腐だったかもしれない、けれどそれは当たり前の事実だった。一人の男が聖女の神聖性に打ち負けぬようにと声を高く叫ぶ、ならば周りも続けと堰を切ったように彼に対する怨念を撒き散らす。彼女は知らない、死体さえ見つからない家族の事を、炭になって死んでしまった子供や親を、その怨念に彼女は耳を貸す。 「そうかもしれません、けどこの世界に悪いものなどいないんです。ただの何かの間違いです、きっと何か理由がただの事故だったのかも知れません」 それは必死に罪人をかばう聖女、けれど倫理使いに攻撃など彼らは出来ない。 それでも彼に対する暴力は止まないだろう。彼女の停止なんてものは一時的な防波堤に過ぎない、ただ余計に苛烈さを増すだけだ。 一の茨を避ければ千の茨が彼を刻むだけのこと、けれどこの中で一番我慢がならなかったのは海晴であった。 最早止まるには遅すぎるのだ。とめて欲しいと願った時誰も救ってくれなかったくせに、今更救われても海晴は何も受け入れるつもりはない。 「ふざけるな卑怯者」 だからこそ海晴の発言は全て仕方ないことなのだ。頑固に固まった思考と犠牲の上の人生が、彼のこれからを全て決めてしまっている。 「な、なんで」 一度として受けた事の無い拒絶、眼前にいる海晴はその聖女の言葉をひとつたりとも受け入れるつもりはなかった。 「はははは、お前らなにやってるんだ。一人の人間如きに論破されるなんて、俺に対する暴力でもう満足したのか。動けない弱者にあの程度のことをしただけで満足したのか」 その場でぐるりと周りを睨みつける。彼から視線を外すものは相当数だった、彼が怖かったのかもしれないが、いつの間にか彼と視線を合わすものは完全に消え。ただ一人聖女がその姿を呆然と見ていた。 「つまりお前らは弱いものを嬲ることだけが楽しかったわけだ、そのために俺はあそこまでされたと」 唯一つの彼らにとって遺体部分を彼は抉り出す。一言一言が嘲笑だった。 「結局だ、お前らの家族の恨みなんて、弱者を嬲る事に比べればたいした事じゃなかったと。ああ何時でも反論は受け付けるぞ、犯人の居場所さえわかっていながら俺を殺しにさえこなかったお前たちの反論を……、って石を投げるのが反応か、許さないなら別にそれでいい。俺がお前らを許す事もないだけの話だ、それはただ絶対にだから約束できる」 そして石を再度彼は投げられ額を割って血を溢した。 だから見せてやるのだ、人間にあるのは理性と本能に過ぎず。 |