十章 夢など

 裁判で彼が死罪に成る事はなかった。それだけで民衆が怒りを納めるとは思わなかったのだろう。
 三年間の野ざらしそれだけである。彼に与えられた罰則はただそれだけだ、だからこそ余計に恐ろしい彼は生かされ続ける。人の怒りの劣悪さが、人間が人間あるが故の異常性が彼を殺すことはない。

 また賢者は彼の事を見る事も、もはやする事はなかった。これは殺しても殺さなくても彼女に対して屈服しないとわかったから、だったら自己満足で海春の人間の尊厳を全てそぎ落とすだけだ。そのための野ざらしでもある、地面に杭を打たれほとんど姿勢を直すことさえ許されない。
 手の周りから壊死でもしそうだがそのたび賢者や他の倫理使いが彼を蘇生させる。彼はただの民衆の暴力の的になった。

「貴様のような下民が何故私の家族を殺した。貴様のような生きる価値もない人間が」
「ついでだついで、お前らの息子なんてどうでもよかった。あのマイゼミって男を殺したかっただけだ、偶然だよお前らは」

 あくまで挑発的に笑う。殴りつけられようは腕を折られようが、何も気にならない。痛みなんてものはもう慣れてしまった、その代わりに彼は睨み付ける。彼の視界に入る全ての人を、平民はただの怪我程度の恨みなどが多いがいちいち恨みにもつほどじゃない。身内を殺されたものは彼を許せるわけがない、そのまま拳を振るう。あるものは彼を刺す事だってざらだ。

「ああ、困ったことにそれじゃ痛いだけだ。だってお前らの息子にされたのは、こんなものじゃなかったぞ。低脳の無能たちの世界だけはある、たかが身分なんて自分で積み上げたものでもないそんな下らないものを後生大事に抱えるお前らのほうが下民だろう。乞食やグールと何が違うんだ」

 どれほどの屈辱に受けようと、もう彼は気に成らない。ここにいる事が不運だなんて彼は思わないからだ。
 腕を切り落とされた、血が形容しがたいほどにあふれ出る。それでも彼らを見ればそんな気さえ失せる、慣れてしまったのだ。たかが腕が取れる事ぐらい、血が溢れて死ぬかもしれないが、賢者がそれを許すはずがない。

 そこに砂がつけられ針が突き刺される。痛みに耐えるように一度彼の呼吸が止まるが、呼吸の変わりに胃液を吐いく。人として慣れたとしても、体がそれを受け付けるかどうかは別だ、痛みの拒絶反応が体に変調を起こすのだろう。
 それでの真正面を向いて相手をにらみつけ続ける。誰もがそんな彼の姿を笑うが、誰一人彼に視線を合わせる事はない、彼はどうせ人間としてはもう失格だ。犬のように鎖で縛られている彼の姿は見るだけで惨めだろう。

「で、次はどれをする。何でも良いぞ、どうだ臓器で自慰でもしてみるか、それとも心臓を針で突き刺して遊んでみるか、目を抉り出して標本にでもしてみるか、それとも口でも口にぶち込んで笑って見るか」

 結局彼にとっては通った道で経験し続けたものだったというだけだ。
 どこまでも見下してやると、本当は一番惨めなはずの男は、どこまでも尊大に笑い見下してやる。裸の王様と変わらない、だというのにどこまでも彼は傲慢でいる。もう全てがいまさらの話なのだ、彼にとってはもう前の世界の事などどうでも良い、家族に対する全ての礼儀を果たした。

 この世界で生きて良く彼は、この世界で生き抜くために全てを使うのだ。今ここで物量に負ける一瞬でさえ、体が屈服したとしても、心だけは断じて屈服しないという自信があった。ここに生きる何万という人々我いる限り、この世界に世界がある限り屈服だけはしない。どれだけの事があっても彼はそれだけは確信していた。
 何度も折れた心もあるし、痛みで屈服を何度もしたからこそ言える。

 この世界にだけは屈服だけはしないと、その最後の一線を作ることが出来た。世界の全てが憎いなら、世界の怨念一つ受け止められなくて生きていける世界じゃない。だってこの世界には敵しかいないのだ、勇者でなくては生かされることさえない。
 異物とは道具なのだこの世界では、彼の登場で宗教に対して別の考え方をするものも出てくるだろう、そういったきっかけのために彼は用意されたのかもしれない。だがもう不要なのだ彼は、世界はその手段を遺憾なく振るい彼を殺害するだろう。

「だからどれをするつもりだ、俺はお前たちに生涯屈服しない。それだけは確信してやるよ、首でも刎ねて見るか生涯お前の大切な名代祟り尽くしてやる」

 普通なら唯のハッタリですむだろう、だが彼は千人殺しとまで言われる大罪人だ。その言葉の恐怖は未だ科学信仰を持たない彼らには恐ろしいものだあるだろう。仙人を殺した悪魔の呪い、それだけで彼らは一歩引いてしまう。魔法など平然と使う世界の人間だ、魔力を持たない彼だとしてもその怨霊にはどれほどの恐ろしさがあるかは、想像もつくだろう。

「その程度の恨みならごみに捨てて消えてしまえ。たかが家族が皆殺しにされる程度の恨みだろう、そんな恨みどこにでも転がってるだろう」

 だからお前ごときの言葉で俺の何が変えられると、あくまで上から下を見るように見下す。こんな挑発より一層の暴力にしか繋がらないと言うのに、それでもこんな事を平然とやらかすのは、それだけ彼の心が戻ってきたといえないこともないのだろうか。
 その方向性が少なくとも周りのプラスではないだけだ。使える手段は全て使う、呪いを必死に手繰り寄せ自分はお前ら如きじゃどうにもならないと負け犬のようにきゃんきゃんと吼えたける。

 振るわれる拳の痛みも、抉られる目の痛みも、血のあふれ出す喪失感などもう慣れてしまった。だからこそ彼はこうやって抗う事を覚えたのだろう、一度も抵抗さえ見せなかった彼がそういった考えに到ったことは、もしかするとこの世界で唯一の救いかもしれない。
 どれだけ反吐を撒き散らしても変わらない。今までよりも先に積み上げた地獄が彼にはある、たった二人の奴隷の子供とルッコラの家族、殺した結果はある。彼らもきっと彼の死を望むだろう、そういった怨嗟だけが彼を立ち上がらせる。

 目の前にいる恨み、目の前にある呪い、全部彼の力にしかならない。
 人の負の情念を喰らうことでしか生きていけない、どこの邪神かと笑いも取れない三文芝居の大魔王だ。

「だから殺したのか、歩けるようになった子供を、目の見えなかった娘を、そんなただの恨みと貴様は言うのか」
「そうだろう、当たり前の悲劇だ。悲劇だよ、可哀想な悲劇だ、だから悲劇でしかないんだよ、俺にもあってお前らにもあった」

 その程度でしかないと、別に彼はそれが悪いといっているわけじゃない。
 恨めばいいのだ存分に、だが誰もが経験して無いとは思うなといいたいだけなのだ。耐性のない悲劇は、その心の深くに刻まれるだろうが、誰にでもあるのだそれがいつかと言うだけ、そしてどれだけ印象に残るかの差でしかない。

「何でそんなに必死なんだ」

 これは感情の問題である、それを海晴は理解している。彼とてその一人だからだ、意味も分からずこんな世界につれてこられたのはいい、それは自身の願いだからだ、ただ成績がよかっただけであんな扱いをされ、挙句に人間としての全てを貶められた。
 自分の解体される姿を見せられる理由は無かったはずだと憤るだろう。だからこそその憤りを理解してなお、その悲劇を大廉売される商品と変わらないと嘯いた。

 どうせこのままじゃ何も動かない、喋れる口を持っているのだ、それこそが彼の唯一つの武器なのだ、大群衆に対抗する唯一つの武器。
 これを振るわなくて何を振るう、屈服しないと決めて必死に痛みを受け入れ、振り落ちる暴力の代わりに言葉を返す。杭打たれた手を必死に動かしながら大声で叫ぶのだ、貴様らの悲劇は俺にとってはどこにでもある当たり前のものだと。

 怒りはさらに酷くなるだろう、暴力もさらに激しくなるだろう。もしかすると何かの拍子に死ぬかもしれない。
 既に口からは、血しかでなくなっているのにそれでも抗うしかないのだ彼は、この世界が彼を救ってくれる事など無い。あらゆる全ての人間が敵として彼を殺す、抉り出されていない片方の目を見開き、眼前の敵を見据え続ける。

 一人じゃない、百人は超える。睨め付ける彼の姿は鬼気迫るものがあっただろう、誰一人忘れるかといわんばかりに見続ける。その視界に収まる限りの復讐が彼の刃になり、全てが自身に突き刺さる処刑器具だった。

「ひぃは、ああははは、ご、げぇ、ああははは」

 殴られようがなにをされようが笑う。それは開き直っただけかもしれない、脳を焼き尽くし体を滅ぼしそうになる痛みに、心さえ浸食して動けなくさせる痛みに、感情さえねじ伏せる暴力を彼は受け続ける。その全てを笑うことでしか自分を救えない、自分の人生全ては傷つけられる人生だったことを彼は理解している。そんな自分の境遇をわら手やることしか彼に救いはないのだ。

 咽喉に血が混じり、まともな笑い声さえ出せなかったとしても。その彼の姿を見て笑う全ての聴衆達の姿があったとしても。
 これが彼に出来る精一杯の抵抗であることは間違いなど無いのだ。暴力は苛烈さを増し彼の四肢は分断される、ただの暴力もあったそのまま肥に落とされて、糞尿でおぼれる、何をされても数には敵わない。
 腐らせるつもりなのだろうか、排泄物が傷口をぬりこむように彼を投げ込んだのだ。痛みと苦しみで呻き声を上げるが、人の暴力性に限りなど無い、ましてや大義名分があるのなら人を楽しく壊せるだろう。

 実際彼は死なないだけであった、達磨になった体は杭打たれた手の近くにお情けのように置かれている。

 これから一週間彼は死なないようにされた。腐っていく体の激痛を感じながら呻き声を上げて、体から蛆の沸いていく姿を笑われながら。そして口からは呻き声と悲鳴しか聞こえない。
 痛みで体をひねる事もできない、膿みの溜まった傷口に蹴り込まれその場で人の声とは形容しがたい悲鳴を上げる。
 体が腐り始めて絡もう彼は笑うことすら出来なくなっていた、痛みは人を殺す。折れない心などありはしない、それでも彼は救いを求めなかった、最後の境界線が彼に意地を保たせる。

 笑えなくなった、痛みで喋ることすら出来ないのだ。挙句それでも口だけは笑みを刻めば、咽喉を砕かれた。
 更に爪は一枚一枚剥がされ、何一つ彼は出来ないままに陵辱される。

 死なないからこその地獄もある、彼は死なない本当にそれだけだ。痛みに悶え苦しみそれでも何も出来ない無力、服の中で溢れる糞尿に屈辱を忘れる頃。その処理の為に、そのまま川に投げ込まれた。それで二度死に掛けている、実際心停止までしていた。その時ばかりは賢者が彼を救ったらしいが、彼女の感情が海晴を生かす事で喜悦に歪んだのは海晴ぐらいしか知らないだろう。
 彼女の与えられる慈悲など彼にとっては屈辱でしかない、折れそうな精神を頑強に固めるには丁度いいかもしれない。

 賢者に施される全ての慈悲は、海晴にとっては死にも勝る拷問だ。
 それでも死にも勝ったとしても、死ぬわけにはいけない。死ねば彼の全てが終わってしまう、本当であれば舌を噛み切って死んでしまえばよかった。それでも生きている、生き足掻くにはそれしかないのだ。
 死が怖くて怖くてならない、痛めつけられることよりもここで何も出来ずに死んでしまうのがいやなだけだ。
 
 彼の心に生涯刻まれるであろう、何で死なないのかと言うただそれだけの言葉の為に。

 もう彼は死ななければ何をしてもいい人形に変わっていた、体をダーツの的にされた事もある。人体実験の道具になったこともある、更には病気などの進行をはかるそんな代物になったときもあった。毒を飲ましてモルモットにされたこともザラであった、目の苦から血を流しながら悶え苦しむ経験など彼は、経験したことすらなかっただろう。疱疹が体中に溢れ、その中で皮膚を剥がれた経験さえも。

 そこに人間の尊厳など与えられるはずもない。
 彼に与えられる慈悲は死なないことだけだった、皮を剥ぎ取られ眼球を抉り出されそれを蘇生させられ、何をやっても生きることしか出来なかった。

 それは彼の野ざらしの処分が決まって二ヶ月ほど経った頃だろう。
 突如として彼の体は蘇生された、晒された暴力で彼の思考は最初はまともに動かなかった。彼を復活させるには少しばかり時間が早い、まだ四肢のどこも壊れていなかったからだ。

「なんです罪人にここまでしていいんですか」

 倫理使いの一人だろう。しかもかなり高レベルの使い手だった、だがそれ以上に海晴が驚いたのはそんな事は自分を救う存在の事。事実を知らないのであろう若い気高い志を持った倫理使いの一人穢れる事さえ知らない聖女。
 本当に世界の全ての人間は善意のみで出来ていると勘違いしたような、疑いも知らない瞳に海晴はかつての自分を思い出した。
 全く似ている訳でもなんでもない、ただその家族を必死に信じて自分が悪いと思い込んだ彼の姿が被っただけ。

「そいつは千人殺しだぞ、この国を焼き払った悪魔だ」

 それは陳腐だったかもしれない、けれどそれは当たり前の事実だった。一人の男が聖女の神聖性に打ち負けぬようにと声を高く叫ぶ、ならば周りも続けと堰を切ったように彼に対する怨念を撒き散らす。彼女は知らない、死体さえ見つからない家族の事を、炭になって死んでしまった子供や親を、その怨念に彼女は耳を貸す。
 だが疑うことを知らない彼女は、首を横に振った。

「そうかもしれません、けどこの世界に悪いものなどいないんです。ただの何かの間違いです、きっと何か理由がただの事故だったのかも知れません」

 それは必死に罪人をかばう聖女、けれど倫理使いに攻撃など彼らは出来ない。
 何しろこれだけの使い手に暴力を振るえば、国が許さないのだ。能力のあるものを保護し、それに対して傷つけるものは一家全てを皆殺しにされかねない。不満はあるかもしれないがこれ以上、家族が消えることを拒絶するもの、まだに死にたく無いものは彼女に対して何も出来ない。

 それでも彼に対する暴力は止まないだろう。彼女の停止なんてものは一時的な防波堤に過ぎない、ただ余計に苛烈さを増すだけだ。

 一の茨を避ければ千の茨が彼を刻むだけのこと、けれどこの中で一番我慢がならなかったのは海晴であった。
 賢者の祝福と同じく彼にとっては暴力だ、人間としての尊厳を奪われるのはもいい。自分の最後の壁をそれはねじ伏せる行為だ、体がいくら破壊されても彼は気にしない。痛みに苦しむだけだ、けれど今彼女が良かれと思ってやる優しさだけは海晴は許せない。
 逆恨みといわれればその通りだ、だがもう今更救われても彼は変わらない。そのまま死ぬ、あの日階段を抜ける時で決めた事がある、そして何より積み重ねた犠牲が彼に優しさなど許さない。それだけは彼も望まないと決めた事だ、その為にこんな事になっている。

 最早止まるには遅すぎるのだ。とめて欲しいと願った時誰も救ってくれなかったくせに、今更救われても海晴は何も受け入れるつもりはない。
 子供のように見えて当然で、老人のように頑固に見えて当然だ。彼にとってはそれが全てなのだから。

「ふざけるな卑怯者」

 だからこそ海晴の発言は全て仕方ないことなのだ。頑固に固まった思考と犠牲の上の人生が、彼のこれからを全て決めてしまっている。
 その狂気がにじみ出る、重ねてきた悲劇を受け入れて彼はまた彼女を睨みつける。

「な、なんで」
「黙れ、ただの暴力だろうが、お前みたいな人でなしが勝手に俺の悲劇を肩代わりするな。俺が殺した全ての人間がまるで、何かの偶然で死んだような言い方をしやがって、俺が殺したんだよ、殺さないと俺が死ぬから。
 殺さなければ殺されるから、この視界中の人間の家族はそうやって殺されたんだ。この俺の人間の尊厳も、生きる場所も、人間としての存在すら許されない俺の最後の一線まで奪う気か」
「けれど……私は、あなたを、たすけようと…………」

 一度として受けた事の無い拒絶、眼前にいる海晴はその聖女の言葉をひとつたりとも受け入れるつもりはなかった。
 いやらしそうに笑う彼、卑屈なその表情には彼女に対する侮蔑と、民衆達に対する侮辱があった。

「はははは、お前らなにやってるんだ。一人の人間如きに論破されるなんて、俺に対する暴力でもう満足したのか。動けない弱者にあの程度のことをしただけで満足したのか」

 その場でぐるりと周りを睨みつける。彼から視線を外すものは相当数だった、彼が怖かったのかもしれないが、いつの間にか彼と視線を合わすものは完全に消え。ただ一人聖女がその姿を呆然と見ていた。
 一人の犯罪者に群集が圧倒されるのだ、そんな光景見た事が無い。悪魔に甘言を施される群集に、もしかしたら失墜しているのかもしれないのだが、少なくとも彼女はそんなものには当てはまらなかった。

「つまりお前らは弱いものを嬲ることだけが楽しかったわけだ、そのために俺はあそこまでされたと」

 唯一つの彼らにとって遺体部分を彼は抉り出す。一言一言が嘲笑だった。

「結局だ、お前らの家族の恨みなんて、弱者を嬲る事に比べればたいした事じゃなかったと。ああ何時でも反論は受け付けるぞ、犯人の居場所さえわかっていながら俺を殺しにさえこなかったお前たちの反論を……、って石を投げるのが反応か、許さないなら別にそれでいい。俺がお前らを許す事もないだけの話だ、それはただ絶対にだから約束できる」

 そして石を再度彼は投げられ額を割って血を溢した。
 彼の言葉の終わりとその石が彼らの怒りをまた再燃させる、本当ならこんなことをせずに黙っていればよかっただけの話だ。けれど彼はその目の前にいる人間の善性しか信じない少女がどうしても許せなかった。

 だから見せてやるのだ、人間にあるのは理性と本能に過ぎず。 
 善などと訴える物は人の価値観一つで変わり、それは悪もどう価値で、その二つと人間を隔絶して阻むものがあるとすればそれは、現実と言う難攻不落の壁に過ぎ無いと言う事実を、一日で彼はまた人の体を保てなくなる。その凄惨たる悲劇を彼はただ一人の聖女に見せつけ、高らかに笑い潰してやった。

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