彼女は孤児だった、偶然ではあるが教会の孤児院に十歳の頃につれてこられる。 賢者は元々この計画の為に集められた子供であった。だがしかし彼女の倫理使いとしての才能は、歴代の最高位倫理使いさえも足元に及ばないようなそんな代物であった所為か、彼女は教会内でその力と権力を強めていく。 最初の攻撃は部族連合からだった。この当時王法以下の魔導機は全て部族連合が所有していた頃だ、通常の兵士でさえ部族連合の歩兵に劣るような装備の差があった。 だがどうしても、ここで簡単に負けるわけには行かない。この最前線で一躍その力を発揮していた剣人は魔力も人並みでありながら部族長ゲルゲを討ち取り四法魔導機決別を手に入れた。四法所持者が増えたことにより戦況は一時的に安定したが、それでも相手の圧倒的有利だ。敵の大部族長連中は総じて王法を持っている。討ち取るとしても破滅的な地獄を受け入れなくてはならない。 ただ唯一救いだったのは部族連合だが、部族同士の連携は悪く王法を所持する部族長達は自分が一番上だと身内どうして下らない喧嘩をして出てこないことぐらいだろう。実際これが五年も続くと誰も予想していなかった。丁度賢者はこの頃、指揮官でありながら一時的に戦闘から離脱し外道の奥義を作ってゆく。そして彼女がいないうちに、王法救世の起動を教会及び国王が承認した。 これが俗に呼ばれる勇者召喚の儀である。 ある意味これが破滅の始まりだったのかもしれない。それから十五年間彼は戦い続ける事になる。 これがマイゼミだ、一人孤独にうち震えた勇者は賢者と関係を持ち異世界に一つの異端児を産み落とす。最初の歯車がずれた音がした、しかしそれでも彼らは戦い続け三つの大戦を経て勇者は魔王ら部族連合の首領にして王法使いを殺すことに成功する。だがここで賢者は一つの誤算をしてしまう、救世の魔導機は望まれた奇跡を具現化してしまえば、勇者はもう要らない、救世は必要ないのだ。 結果として魔導機は一つの決断を下す。使い手の帰還だ、全てを終えた勇者の結果はそんな話しかない。 「ごめん、ごめん、俺は君といられない」 それは最後の別れの時だ。必死に勇者の手を掴む彼女がいた、けれどいくら触れようとしても既に彼はこの世界には必要ない男。 「全部君に頼むマイゼミのことを、全部頼んでいいかい、俺達の息子を頼む。あとごめんって言ってくれるか」 流れる涙など意味はない、そこにいた三人はひたすらに涙を溢しながら。最後の会話を続ける、勝手に呼ばれてかってに消される、道具である勇者は頬を伝う涙だけをこの世界に残していた。それは転送と言うよりは強奪、最初に足と言う存在が持っていかれた、次は腰次は腕、支える足なんてないのに彼の体は宙に浮んでいた。 何度も彼を引きとめようと掴む手が何度も彼から零れる。初めて出来た肉親に、初めて愛した男に、けれど届かないこの物語の結末に幸せがあったことなど一度もない。勇者はこの後召喚されたころに戻る、年齢と記憶さえもまき戻して、彼からは彼女達全てが消えるのだ。ただ何と無く感覚だけが覚えている空虚が彼を破滅させるのだが、それはここには関係ない話だ。 「くそぉ、わすれたくねぇ。お前らのこと忘れたくねぇのに、勝手に消えていくもう名前しか思い出せない、大事だった誰かだったことしか思い出せない」 それは洗い流しているのだ、彼を元の世界には必要ない彼の全てを流し落としている。目の前にいる仲間の名前さえ思い出せない。そんな彼の最後は満面の笑みだった、一生忘れたくなかった全ての事が消えていく中、必死に彼に擦り寄る一人の女性の事が大切であったことだけは忘れられない。もう伸ばす手もない彼は最後に覚えている息子の事を想い別れの言葉を告げる。 「マイゼミを頼む、もう名前も思い出せない大切な人。忘れたくないけど消えていく、残せないんだもうそれしか君には」 その間にも全てが奪われ続ける。全てが貶められていく。彼がこの世界で積み上げた記憶を全て、この世界が奪い去るのだ。どれだけ必死に抵抗しても所詮人間が世界に敵うはずもない。 その消える記憶に絶望の涙を流しながら、仲間達を見る。もう思い出せない全ての記憶が消え去った、本当ならこの前に消えていればよかったのに、だがそれでも絶望は止まらない。必死に足掻いた彼の結果だ、けれど全て結果が報われるのならこんな涙は流れない。 「あ……ここはどこ、君達誰だい?」 その言葉を最後に彼は姿を消してしまう。カランと王法が一つ零れ落ちて、全てに絶望が響き渡った。 「命を賭けた代償はこれか、私たちの出会いさえお前には」 しかしながらそれは当たり前の話である。救世に願った優しさは絶対的な部族連合の壊滅であった、王法はそれを忠実にかなえたに過ぎない。そして迷惑をかけた勇者には、当たり前の日常を返してやる。その召喚された日に気の狂いそうなほどの屍を積み上げた勇者を日常に返してやるために。 けれど彼女は何度も踏みつける。魔導王だって止めることはない、今まで一緒に戦ってきた仲間の最後の言葉は君たち誰だいだったのだ。自分達の今まで全てを否定されたと思ってもしかたない。 何度も踏みつけながら、悲鳴を上げる。お願いした奇跡を何度も祈った、だが彼女の前に現れることは二度とない。 「帰ろう、君にはまだマイゼミがいる。恭介との架け橋がまだ生きているじゃないか」 彼らは栄誉を受けるだけの功績を果たした。世界が彼らを見放さないのだ、だがそれでも賢者がすがりついたのはそんな栄誉よりもマイゼミだった。仲間に差し出された手を受け入れ立ち上がる。けりつけて血にぬれた王法を持ち上げる、その武器の形の変貌は一切ない。 彼女や魔導王はこれから三年間、本人の分野において多大なる功績を残している。それは勇者が消えた寂しさを取り戻すためだったのかもしれない、だがこれにより元々勇者や彼女が戦いで放置していたマイゼミはさらに母親である賢者との溝を深くしていった。 彼女は、孤独に対する恐怖を経験した。何度も、生まれて意識を持つようになってから孤独だった彼女は、女を売りながら次席教皇まで上り詰めた。所詮自分の体はそういった道具だと思っていたのだ。それが勇者に会うことによって、孤独から開放されてしまった。 焼け落ちた館の地下に彼女はよく来るようになっていた。ここからは血の匂いが絶えない、戦場を経験した彼女でさえむせ返るような匂いが溢れていた、人間一人でこうなるはずはないのだ。けれど盲目になった彼女は気付いても気付かない振りをする、ただひたすらにマイゼミの仇である海晴と言う男に彼女は憎しみを向けた。それは母親としてか分からない、だが少なくとも彼女はそんな所に視点を合わせない。 ひたすらに孤独が恐ろしかった。 その矛先が復讐だった、けれど彼女はそれでも足りない。ひたすらに孤独が怖かった。 「ごめんなさい……、ごめんなさい、みなさん。マイゼミ、ごめんなさい」 ここでだけ彼女は泣いて謝る、殺した屍が怖かった。マイゼミが死んだことが、そして構ってやれなかったことが愚かだった、そして何より自分の心にある浅ましい感情が彼女を突き動かしていたから。それは怒りではない、ましてや憎しみでも、それは最早彼女があることをなす原動力に過ぎないのだ。 彼女の謝罪、涙を流しながら零れる声。 ただひたすらに満面の笑みを作り上げる一人の賢者。ただ一つの所為で全てがアンバランスに歪み果て、喜色満面の泣き声が地下牢に反響した。 そしてそれから三日の時間が流れる。 「これ以上はやめよう、いくらなんでも今回のは暴走にしか見えない」 賢者の新居に魔導王が来たのは、マイゼミが死んで以来であった。傷持ち狩りなどと言うことが横行していたこと自体彼は、研究に耽っていた彼には寝耳に水の話であった。偶然市井に降りたときにその話を聞いてその足で彼女の元に参上したのだが、薄ら笑いを浮かべる賢者に彼は愕然としてしまった。 「ああ、教会としても犯罪の原因である傷持ちを許すわけには行かないの」 被害者の数だけ恨みがあるのだ、さらに今回は貴族ばかりが死んでいる。きちんとした情報はまだ流れていない今、被害者である貴族たちは情報の断片だけである身分の低いものと言うただそれだけの情報で、二等市民以下の人間に向けその怒りの矛先を向けている状態だ。すぐさまそれを開放し犯罪率の多いスラム街を狩り殺すことが彼女の考えだ。 これは彼女のうちに秘めた、憎悪の発散と手っ取り早い治安維持に過ぎない。 これにより単一民族化も彼女は狙っているのだろう。そうすることによって常識の差による人種問題を阻もうというのが策略だ。それと同時にスラムとは海晴をこの国に留め生かした場所。また同じようなものを出さないようにと言うただの復讐でもあった。 「そう言う問題じゃないだろう。お前ならまだマシな方法も考えられたはずだ。いまじゃもう黒狩りじゃないか、同じ人種同士ですら当たり前のように拷問して傷持ちだと言い張らせるというこの状況を俺はやめろと言っているんだ」 あくまで神聖に、淑女として、内に秘める最後の希望を表すこともなく政治家としての顔を作り上げる。魔導王がこんな彼女の顔を見たのは、勇者と出会う前ぐらいだっただろう。世界には自分しか居ない、自分は全てに認められるものだと思っていた当時の彼女そのままだ。 けれどまだ彼女の言葉はとまらない。まるで自分が行なっていることがどれほど腐った行為か理解しているようだった。 「それを否定するのは私以外じゃないといけないの、そしてその落とし前もつけなくちゃいけない。ただ英雄は穢れちゃいけないの、だってそうでしょうこの国でそれが起きるということは、恭介の望みから外れることなんだから」 ここで英雄が嘘といえばそれだけで、この国の常識が破綻するのだ。それは魔導王が考えているよう理も被害が酷くなる。 「だが、だがこれは」 いまだに顔の表情さえ変わらない女は能面のように笑みを見せた。 「分かっている、君はそうやって俺を殺したいだけだろう。何をするか分からないが、君のすることだ少なくとも君のためにはなるんだろう」 魔導王は目を見開いた、そのためなら彼女は今なんでもするだろう。最早彼女を縛るかせはなくなっていたのだ。 咽喉まで、でかかった否定が一瞬で真逆に変わる。一人は愛情で、一人はただ過去のような幸せを、どれだけ血に塗れても二人は勇者を求め続ける。彼らもまた英雄信奉者であるのだ。 万の重みなど片手で持ち歩いてくれるだろう。今彼らはここに結託してしまうのだ、凶暴な笑みを作り上げ、ただひたすらに勇者を求めるために。 「わかった、君がそう言うつもりなら僕は何も言わないしなにもしない頑張ってくれ」 内に秘めた汚濁を二人は受け入れ薄ら笑う。一度の会釈の後、このくらい部屋から魔導王は出て行った。 「けどね」 彼女は彼にさえ聞こえないように、醜く歪んだ怨念が吐き出される。それは彼女の表情に写るように、その表情を作った本人ですら否定したがるような表情に歪んだ。 「え……、なぜだ…………ふぇ……る……」 それは決別と、宣誓。彼の心臓からゆっくりと抜かれる凶器の間から血があふれ出す。それを見て満足そうに一人の女が、凶器の血をなめとった。 「だって貴方が生きてたら、勇者の復活が遅れるじゃない。貴方を代償にしてさらに加速しないと、これでもっと早くなるの」 だから早く死ね、もう一度そう言って心臓を突き刺す。二度三度と、四度五度と、二度ほど酷い咳をして彼の息は止まった。この結末よりも後二日でも魔導王の登場が早かったら変わっていたかもしれない、しかし彼女の心は既に決まっていた。 そしてその日、傷持ちによって魔導王が殺害されるという事件があった。その結果さらに異端狩りは度を越した悲惨な悲劇に変わり、無用な命が全て消え去っていった。それを同じくしてマイゼミを殺した男の情報が入ってくる。 「待っていてね恭介」 彼女の声が死体を震わせるように零れでた。どれだけ涙を流しても、それだけ体をその自分の浅ましさに震わせたとしても、最早自分の欲望から逃れる術などはなかった。 今、三日月の喜悦が空に浮んだ。 |