少しだけ時間が火事まで戻る。貴族街が燃えているとはいえ、それに町人が借り出されない言われは無い。なによりこの業火放っておけば町民街にまで襲い掛かる。男達は兵士達に借り出され必死に消火作業をしていた。その火の元をゆるりと抜けるみすぼらしい男がいたのだが、夜に隠れてその傷の色を誰も知ることはなかった。 皮肉にもそれが彼を半年もの間苦しめる要因になったのだが、彼は資格として四法取り扱い技師を持っている。これは、王法、四法、九六通、などとある魔法の中でも一般人が得る資格の中で最も難易度の高い代物だ。特に彼は魔動器に関してはこの世界の人間よりも使い方が上手かった、なにしろ高校生レベルの計算しか必要としないのだ。すでにそこまで就学している彼にとって、この魔導器は安全な玩具とかわりが無い。 そして賢者の家にはひとつだけ残されている四法がある。そもそも王法は、国家に一つあればいいような魔導器だ。四法だって国に三つと無い、だが賢者の家には彼女が持つ四法以外にもう一つの四法がある。 剣王の四法だ。それは宝物庫に隠されるようなことはなく賢者の部屋に、友情の証として持っていた。彼はそれを奪ったのだ、この四法であり根源王法『大地』より分かれる共存四法の一つ『決別』である。正しくは離れるという意味を持った法則であるが、これほど彼に相応しい武器は無いだろう。もっともの話であるが、魔力を持たない彼はこれを使ってもなお八千根程度の力しかないのだ。 すでにここに来るまでに二人ほど彼はこの魔導機で殺害を行なっている。その武器の特性ゆえか、彼に返り血さえ与えない。この武器一つで人間の格があがったとさえ思えるほど、この法則を司る武器は破壊的な力を持っていた。だがこれは彼にとって憎むべきこの世界の象徴だ、どれだけ戦争を憎んでも武器を持たないものは死んでしまえという世界だってある。 彼はもうこの世界に信頼に足るものは居ない確信した。彼の心の内にあるのは、どうしようもない怒りだけ、それはまるで溶岩のように粘着にとんだ暴威だ。 ゆっくりとだが確実に太陽門へと向かっていった。だがふと彼の足が止まった、それはきっと偶然だったのだろう。 そこに居た彼にやさしさを与え、感謝をし続けた人が居た。 「アマハル……」 最もこの出会いこそがある意味、海晴にとって幸せなものなのだが、ルッコラにとってはそうではない。 「私によく顔が見せたねぇ、アマハル」 ぼんやりと彼はルッコラを見ているが、その目はどこか昔とは違っていたのだが彼女は気付かない。しかし言うまでもなくそこに居るのは彼女の知っている甘里海晴では断じて無い。 「学園は辞めさせられたようだしね。どうせあんたの頭ならどこでもやっていけるだろうけどね」 彼女とて、マイゼミがやったことが不当だとは思っている。ただ当たり所がなかっただけだ、そこに居た弱いものに当たっただけ。自分より弱い立場のものをいたぶっただけに過ぎない。 「あの二人も死んでしまって俺と貴方だけが生き延びたわけだ、まぁ俺もこの半年でちょっとばかり死んでましたよ。けどお金は受け取ってもらえましたか、それでもう貴方とは関わるつもりはありませんよ」 ルッコラは息を呑んだ。狂っていた、海晴は狂っていた、この炎の先にあるものつまり自分こそがこの惨劇を起こした人物であると言っている。 「それにさ、俺としてもここにいるのはもう終り。だからこれで貴方とも関係はお仕舞い」 おどけてみせる、だが道を外した者はどう見ても人間とは思えない。彼は自分が狂ったことさえ分からない、狂人は自分が狂人である自覚など何一つ無いのだ。 「あんた、どうするつもりだい。一人で出来る事なんて」 孤独と言うものがあるとするなら、一人で居ると言う事がそんなものじゃないだろう。自分しか居ないことを言う、万の砂漠の真ん中に居たとしても孤独と言う言葉は使わないのかもしれない、だが万の人間に囲まれても孤独という言葉は使われるだろう。彼は一人しか居ない、思い出さえも世界の彼方だ、世界の外に居る、誰一人海晴を理解する事さえ無い。 ただひたすらに月面を流離うような物だ。 「あんたは、あんたは、何人殺すつもりだい」 この男の結末は見えている、末は世界につるし上げられて終わるだろう。 彼女にゆっくりと近付く男は、いつもと変わらない気弱な笑顔を作り続ける。 「ではまた会えたら会いましょう」 ずぶりとルッコラは腹に異物感を感じる。痛みより先に灼熱が腹を焼いた、ただ彼の差し出した異物だけが腹の中に絶対零度を作り上げる。 「こちらもこの国に居られなくなったもので許してくださいね。最低限野垂れ死にしないようにしておいて上げましたよ、誰か救ってくれる願うといいですよ」 ここに世界の最後の希望は断絶した。 零れて止まらない涙がそれを嘆くように彼の頬を何度も伝う。理解できなくなった感情に、いや生まれて以来理解した事の無い感情に、自分が侵されていることにさえ彼は気付けない。それがもしかしたら一番の悲劇かもしれない、彼は家族からの虐待の末、感情が最初から壊れている。でなければ普通の人間が虐待されて、自分が消えてなくなる事だけを望まない。 結果彼は人間の感情がアンバランスに育っていく。 ルッコラは理解できもしないだろう、世の中にはじごくを見続ける人間もいるということを、ただ彼女は疑問に思うだけだ。溢れる血を必死に縫いとめようと押さえて、それでも流れる血に、今日を覚え続ける。なぜ殺される、なぜ彼は涙を流す、だが結局理解は出来ない。 気道の枯れた音に、粘着とした血がついているのだろう激しい咳と悲鳴を上げる。それでも謝罪の声を上げる、殺さないで許してくれと、そんな彼女の姿を彼は数秒眺めて消えて行く。簡単に人間は力に屈服する、八割の人間は絶対にだその恐怖を肌で感じれば動けなくなる。 「アマハル、助けてくれよ」 誰も助けてくれない事を彼は理解している。言葉では足らない、行動ではまだ足りない、幾つも足りないものがあるというのに、一人それをさせるのは難儀な話だ。 「げぃあ……ぐ、げ、…………ぎ、あ、……あ、ま……、は……た……」 結局この程度の話だ、海晴は金が欲しかったからルッコラを刺した。ルッコラは死にたく無いから悲鳴を上げる、それはもう音にもならない代物であったとしても、もしこの時にルッコラに一抹の優しさがあれば、彼女の未来も変わったのかもしれない。この世界が壊した人間であるとしても、狂人を理解しろと言うこと自体だ、人間には無理だ。異端を廃絶するその猿の精神を持つだけで。 それは人間が人間でなくなることを言うだけだ、だがそれが最後の救いだったのだ。この手に掴む事を許されない水のように、余りに困難な代物でも。だが彼女に文句を言う事は誰も出来まい、誰一人として狂人に触れ合う事はできない。それが同じ狂人だとしてもだ。 ただ一度心から彼を受け入れるという、最後のかけらを今完全に世界は放棄した。 「ああ……何であんな事を、ルッコラさんは悪くなかったのに、悪くなんか何一つなかったのに。けど殺さないといけないじゃないか」 もはやただの逆恨みだろうか、これから最後まで彼はこの感情を消す事ができなくなる。だからこそ悲惨なのだろう、悲しみと言う感情をが彼にようやく芽生えたのだ。それは誰でも持っているはずの感情、ようやく彼は得てしまった。 「殺さないといけないだろう」 しかし彼の人間の心が結局ルッコラの心を折り、本当はその場で殺されるはずだった彼女の一命を救う。ここで殺せば、殺していれば、人間の感情のなくなった人形であったのだ。 今も歩く黄泉路、同じ世界から来て救った勇者と、動き出した悲劇、結局分からない世界の動き。 ただふらふらと泣きながら道を歩く、彼の姿は親をなくして道をさまよう迷子、いい得て妙でなんと喜劇染みた悲劇だろう、迷子なら救われるだが彼は親からさえ捨てられた子供。世界から捨てられた子供だ。 「俺も誰も死ぬまで死ねって事だろう」 理解できるのは、子供でも歩いていかなくてはいけないという事実だけだ。 だが、世界から逃げてまた逃げることを良しとしなかった彼は、ただ存在自体が悲劇なまま歩き出す。 この後一命をとりとめたルッコラの証言の元、海晴はこの獅子の国にして英雄達が住まう楽園、ヘイディルカ最大の犯罪者として交付される。最もこれが更なる悲劇を呼ぶことになるのだが、所詮人間の浅知恵の始末だ。 「最初はメレスティにでも行って見るか。あそこなら差別は無いだろうし、人殺しだろうが受け入れる」 その国は王さえ居ない、ただ大盗賊ルベラス=コルドルが作り上げし犯罪国家。あらゆる犯罪を受け入れ容認する、あらゆる差別と侮蔑から離れた世界。 太陽門から悲鳴が響く、誰が産み落としたのでもない状況が作り出したに過ぎない者が一つ生れ落ちていく。今はただの母の胎からゆっくりと出て行っている、赤子ですらない孕み子だ、生まれるまでは少しばかり時間がかかる。 だが子供の成長と言うのは予想より早いものであるのだ。ならすでに悲劇の足音は、世界に忍び寄り続けているのかもしれない。 |