四章 感情を求める先に何を見る

 少しだけ時間が火事まで戻る。貴族街が燃えているとはいえ、それに町人が借り出されない言われは無い。なによりこの業火放っておけば町民街にまで襲い掛かる。男達は兵士達に借り出され必死に消火作業をしていた。その火の元をゆるりと抜けるみすぼらしい男がいたのだが、夜に隠れてその傷の色を誰も知ることはなかった。
 だが彼とてそれだけで逃げ切れるとは思っていない。実際身の丈に合わない武器は必要ないのだ、だからこそ彼は賢者の家で魔導器を一つ奪ってきた。元々この国に骨をうずめようと思い必死に勉強してきた、就職に一番有利な代物は魔導研究だった。

 皮肉にもそれが彼を半年もの間苦しめる要因になったのだが、彼は資格として四法取り扱い技師を持っている。これは、王法、四法、九六通、などとある魔法の中でも一般人が得る資格の中で最も難易度の高い代物だ。特に彼は魔動器に関してはこの世界の人間よりも使い方が上手かった、なにしろ高校生レベルの計算しか必要としないのだ。すでにそこまで就学している彼にとって、この魔導器は安全な玩具とかわりが無い。

 そして賢者の家にはひとつだけ残されている四法がある。そもそも王法は、国家に一つあればいいような魔導器だ。四法だって国に三つと無い、だが賢者の家には彼女が持つ四法以外にもう一つの四法がある。

 剣王の四法だ。それは宝物庫に隠されるようなことはなく賢者の部屋に、友情の証として持っていた。彼はそれを奪ったのだ、この四法であり根源王法『大地』より分かれる共存四法の一つ『決別』である。正しくは離れるという意味を持った法則であるが、これほど彼に相応しい武器は無いだろう。もっともの話であるが、魔力を持たない彼はこれを使ってもなお八千根程度の力しかないのだ。
 四法とは根源から分かれる最初の四つの法則である。そこから九十六、さらにそこから二百三十、次いで八千とくる。事実上最強の魔導機である、賢者や魔法王はその長きに渡る血脈で、魔導器等なくても四法と同じ力を持つが、そんな彼らに対抗するには四法クラスの魔動機を必要とする。

 すでにここに来るまでに二人ほど彼はこの魔導機で殺害を行なっている。その武器の特性ゆえか、彼に返り血さえ与えない。この武器一つで人間の格があがったとさえ思えるほど、この法則を司る武器は破壊的な力を持っていた。だがこれは彼にとって憎むべきこの世界の象徴だ、どれだけ戦争を憎んでも武器を持たないものは死んでしまえという世界だってある。

 彼はもうこの世界に信頼に足るものは居ない確信した。彼の心の内にあるのは、どうしようもない怒りだけ、それはまるで溶岩のように粘着にとんだ暴威だ。

 ゆっくりとだが確実に太陽門へと向かっていった。だがふと彼の足が止まった、それはきっと偶然だったのだろう。
 しかしそれはまたこの世界の後悔へと繋がる選択肢だ。彼が気付いた方が先だった、目の前にいるその人間を彼は目を見開いてみていた。それはこの世界に来て最初の出会い、そして希望を与えてくれた人だった。
 そしてマイゼミが彼に対しての希望を最初にへし折る道具とした人間でもあった。慌てている様ではあるが、ここは火の海から軽く八キロ弱離れている、まだゆっくりと見ることの出来るその場所ではあった。だから余裕もあったのだろう、男でもその人はなかったのだから。

 そこに居た彼にやさしさを与え、感謝をし続けた人が居た。

「アマハル……」
「ルッコラさん」

 最もこの出会いこそがある意味、海晴にとって幸せなものなのだが、ルッコラにとってはそうではない。
 たとえ金貨二十枚を彼から与えられても、彼女は海晴を許すことは無いだろう。ルッコラと言う人間は別に聖人君主じゃない、かと言って気のいいおばちゃんと言うわけでもない。
 マイゼミは彼を屈服させるためだけに、ルッコラは腕を切り落とされた、子供は陵辱され殺された、夫はその子供を助けようとして殺された。彼女はその責任全てを彼に押し付け、暴行を行い海晴を何度か殺しかけている。

「私によく顔が見せたねぇ、アマハル」

 どこか毒素のついた声は、まだ日の明りを感じるルッコラの過去の残照を忘れさせる言葉の暴力だ。
 あの人を変えたのは自分自身だという、後悔とその見当違いの絶望、そんな事をまだ心のどこかで思っているのだろう。どこか視線に力がない。

「別そう言うわけじゃなかったんだがルッコラさん、色々僕にもありましてね。偶然ですよ偶然、それよりまだ都に居たんですか」

 ぼんやりと彼はルッコラを見ているが、その目はどこか昔とは違っていたのだが彼女は気付かない。しかし言うまでもなくそこに居るのは彼女の知っている甘里海晴では断じて無い。

「学園は辞めさせられたようだしね。どうせあんたの頭ならどこでもやっていけるだろうけどね」

 彼女とて、マイゼミがやったことが不当だとは思っている。ただ当たり所がなかっただけだ、そこに居た弱いものに当たっただけ。自分より弱い立場のものをいたぶっただけに過ぎない。
 海晴にはいくつがの傷がある、親に与えられたもの、姉に与えられたもの、この国にはいってから一般の生徒に、貴族に、マイゼミに、その中で彼の心を抉った最初のものは、このルッコラである。彼の胸には一つの傷がある、それこそがルッコラが与えたものだ。
 心臓を抉るように与えられた割れたビンを突き刺されたのだ。ただ成績が良かっただけでこんな目にあった、どちらが悪いかどう考えてもマイゼミだ。しかし彼女は力のあるものに屈服した。だからこそ彼女はその復讐の対象を彼女にただ謝罪をし続ける海晴にしたのだ。どちらが悪いわけじゃない、しいて言うなら二人共に力がなかったのが悪かっただけだ。

「あの二人も死んでしまって俺と貴方だけが生き延びたわけだ、まぁ俺もこの半年でちょっとばかり死んでましたよ。けどお金は受け取ってもらえましたか、それでもう貴方とは関わるつもりはありませんよ」
「謝罪はもうしないのかい」
「するわけ無いでしょう、金はやった、刺された、浮浪者として生きてきた、拷問をされた、殺されかけた、心を折られた、後は死ねと、ふざけるな弱者。屈服したのはお前も同じだ、賢者の威光に怯えて何も出来なかったくせに俺に関わるならこの炎の先にあるものを見てから言え」

 ルッコラは息を呑んだ。狂っていた、海晴は狂っていた、この炎の先にあるものつまり自分こそがこの惨劇を起こした人物であると言っている。
 それを誇るわけでもない、結果としてしか見ていなかった。それどころか渇望さえその目には染まっていた、まだ足りない、この炎で足りてなるものかと、だがその態度さえ普通に思えるほどに彼は狂っていた。

「それにさ、俺としてもここにいるのはもう終り。だからこれで貴方とも関係はお仕舞い」
「あんた、じゃあなにかい。これをやったのは、あんたと」
「そう言ってるだろう。あんたは俺に復讐すればいいだろう、俺はどうせもう復讐の対象が分からなくなったところだ」

 おどけてみせる、だが道を外した者はどう見ても人間とは思えない。彼は自分が狂ったことさえ分からない、狂人は自分が狂人である自覚など何一つ無いのだ。
 何か違う、何処でどう道を踏み外せはああなるのルッコラには、理解できないししたくない。彼女は悲しみで狂ったと思った、自分がいかれたと本気で思っていた。だから海晴を刺した、殺そうとした。

「あんた、どうするつもりだい。一人で出来る事なんて」
「教えない、何一つ誰一人、言葉なんかもう信用しない」

 孤独と言うものがあるとするなら、一人で居ると言う事がそんなものじゃないだろう。自分しか居ないことを言う、万の砂漠の真ん中に居たとしても孤独と言う言葉は使わないのかもしれない、だが万の人間に囲まれても孤独という言葉は使われるだろう。彼は一人しか居ない、思い出さえも世界の彼方だ、世界の外に居る、誰一人海晴を理解する事さえ無い。

 ただひたすらに月面を流離うような物だ。
 どれだけ人が居ても死の大地を歩いているのと変わりは無い。彼はその事実を気付かされた、徹底的にその事実を刻み付けられた、この四年近い月日をその全てに費やされた。

「あんたは、あんたは、何人殺すつもりだい」
「さぁ、わかりませんよそんな事。僕が知っている事は拷問は諦める事、尻に注がれた屈辱は一生消えない事だけです。あとはなんでしょうね解剖される蛙の気持ちでしょうか、まぁあとは何度も尻につっこまれてりゃ緩む事と、魔法はそれを簡単に修正してしまう事か、あんたはその中で何を知りたい。いくらでも実体験をさせてやるよ」

 この男の結末は見えている、末は世界につるし上げられて終わるだろう。
 そんな末路を理解しているのか分からないままひたすらに狂う彼にルッコラは怯えた表情するそんな彼女に心外だと笑う。その表情を隠そうともせずに彼女を常に目に囲った。

 彼女にゆっくりと近付く男は、いつもと変わらない気弱な笑顔を作り続ける。
 何も変わらないのだ彼は、あのときのように涙を流しながら土下座し続けた彼の姿はもう無い。何もかも彼女と会う前に変わっていた、誰も気付きもしないが明確にある彼のと断絶、それが今ここに明確に示された。

「ではまた会えたら会いましょう」

 ずぶりとルッコラは腹に異物感を感じる。痛みより先に灼熱が腹を焼いた、ただ彼の差し出した異物だけが腹の中に絶対零度を作り上げる。
 それは余りに簡単に行なわれた殺意、決別の力が彼女の腹を貫いた。それを理解したのは彼が殺意を抜き放った後、泡のような血を吐き出し重力に耐えかねたように地面に体を打ちつけ倒れる。
 懐から財布を奪われる、最低限の治療費だけを彼から投げ捨てられた。

「こちらもこの国に居られなくなったもので許してくださいね。最低限野垂れ死にしないようにしておいて上げましたよ、誰か救ってくれる願うといいですよ」

 ここに世界の最後の希望は断絶した。
 躊躇いの無い目に、無感情の涙が頬を走る。それが彼の最期の人間らしい感情だろう、殺さなかったのがその感情かそれとも狂気ゆえか、分からないだろうだが決別の世界表明だ。彼は最後の最後まで感謝していた人間を殺そうとする、もはや彼に世界に対しての後顧の憂いは一切無い。

 零れて止まらない涙がそれを嘆くように彼の頬を何度も伝う。理解できなくなった感情に、いや生まれて以来理解した事の無い感情に、自分が侵されていることにさえ彼は気付けない。それがもしかしたら一番の悲劇かもしれない、彼は家族からの虐待の末、感情が最初から壊れている。でなければ普通の人間が虐待されて、自分が消えてなくなる事だけを望まない。
 それは恐怖と悲しみの末に出てくる結論でなくてはならない。
 彼はそれを飛ばした、家族に要らないとそれを最初から受け入れ受諾した。こんな破滅的な人間は世の中にさえいない、ただ流れる事を享受する訳でもなく、漠然と自分は要らないと結論付けた。

 結果彼は人間の感情がアンバランスに育っていく。
 磨耗し果てた感情は、彼に涙を流す事をようやく許した。だがそれを彼は悲しみとは理解できない、彼の中には喜びも無い悲しみも楽しむ感情さえ、ただ怒りがあってそれだけだ。

 ルッコラは理解できもしないだろう、世の中にはじごくを見続ける人間もいるということを、ただ彼女は疑問に思うだけだ。溢れる血を必死に縫いとめようと押さえて、それでも流れる血に、今日を覚え続ける。なぜ殺される、なぜ彼は涙を流す、だが結局理解は出来ない。
 彼女は自分の命が大切だから、死にたく無いという感情にその全てが上塗りされる。

 気道の枯れた音に、粘着とした血がついているのだろう激しい咳と悲鳴を上げる。それでも謝罪の声を上げる、殺さないで許してくれと、そんな彼女の姿を彼は数秒眺めて消えて行く。簡単に人間は力に屈服する、八割の人間は絶対にだその恐怖を肌で感じれば動けなくなる。

「アマハル、助けてくれよ」

 誰も助けてくれない事を彼は理解している。言葉では足らない、行動ではまだ足りない、幾つも足りないものがあるというのに、一人それをさせるのは難儀な話だ。

「げぃあ……ぐ、げ、…………ぎ、あ、……あ、ま……、は……た……」

 結局この程度の話だ、海晴は金が欲しかったからルッコラを刺した。ルッコラは死にたく無いから悲鳴を上げる、それはもう音にもならない代物であったとしても、もしこの時にルッコラに一抹の優しさがあれば、彼女の未来も変わったのかもしれない。この世界が壊した人間であるとしても、狂人を理解しろと言うこと自体だ、人間には無理だ。異端を廃絶するその猿の精神を持つだけで。

 それは人間が人間でなくなることを言うだけだ、だがそれが最後の救いだったのだ。この手に掴む事を許されない水のように、余りに困難な代物でも。だが彼女に文句を言う事は誰も出来まい、誰一人として狂人に触れ合う事はできない。それが同じ狂人だとしてもだ。
 誰もが出来ない事を誰かにしろとはそれは筋違いでもある、しかしそれは彼女にしか出来なかった。まだ人間の感情を抱えていた彼の最後の感情を潰す事が、だがそれが出来なかったからこそ海晴はこれから永劫に苦しみ、そして狂い果てるのだ。

 ただ一度心から彼を受け入れるという、最後のかけらを今完全に世界は放棄した。

「ああ……何であんな事を、ルッコラさんは悪くなかったのに、悪くなんか何一つなかったのに。けど殺さないといけないじゃないか」

 もはやただの逆恨みだろうか、これから最後まで彼はこの感情を消す事ができなくなる。だからこそ悲惨なのだろう、悲しみと言う感情をが彼にようやく芽生えたのだ。それは誰でも持っているはずの感情、ようやく彼は得てしまった。
 自分の世界では持つことさえなかったその感情を、ルッコラか彼のその感情を最後まで殺しつくさなくては成らなかったのだ。

「殺さないといけないだろう」

 しかし彼の人間の心が結局ルッコラの心を折り、本当はその場で殺されるはずだった彼女の一命を救う。ここで殺せば、殺していれば、人間の感情のなくなった人形であったのだ。
 人形を殺すには躊躇いも無い手段も必要じゃない、力押しで叩き潰せばいい。しかし感情があるのなら全ての感情が人間を生かすために機能する。

 今も歩く黄泉路、同じ世界から来て救った勇者と、動き出した悲劇、結局分からない世界の動き。

 ただふらふらと泣きながら道を歩く、彼の姿は親をなくして道をさまよう迷子、いい得て妙でなんと喜劇染みた悲劇だろう、迷子なら救われるだが彼は親からさえ捨てられた子供。世界から捨てられた子供だ。
 
 いくら流しても涙は自分のためにある物で、結局人間する行動全ては自分に帰結するもので、誰かが救われるのではなく人間は自分が救われる事しか考えられない。

「俺も誰も死ぬまで死ねって事だろう」

 理解できるのは、子供でも歩いていかなくてはいけないという事実だけだ。
 色々あった綺麗なものも、目をつぶれば全て消える。ようやく悲しみを知った子供に、襲い掛かるのは差なる苦痛だけだろう。世界から逃げたものが世界に救われるなんてそんな虫のいい話は無い。

 だが、世界から逃げてまた逃げることを良しとしなかった彼は、ただ存在自体が悲劇なまま歩き出す。

 この後一命をとりとめたルッコラの証言の元、海晴はこの獅子の国にして英雄達が住まう楽園、ヘイディルカ最大の犯罪者として交付される。最もこれが更なる悲劇を呼ぶことになるのだが、所詮人間の浅知恵の始末だ。
 器から唯一零れる運命の人間、世界も誰も救わない、番外して除外は、この後さまざまな事件や地獄を作り上げることになる。それに最も傷ついたのも、満足したのもきっと彼だ、一つ一つ取り戻すであろう感情の中。それが彼を苦しめ、それが世界を苦しめる。
 そうそれは当たり前の話、いつでも優しい幻想よりも凍て付く現実の方が世界に根付き、それだけが世界を滅ぼしも優しくもするのだ。

「最初はメレスティにでも行って見るか。あそこなら差別は無いだろうし、人殺しだろうが受け入れる」

 その国は王さえ居ない、ただ大盗賊ルベラス=コルドルが作り上げし犯罪国家。あらゆる犯罪を受け入れ容認する、あらゆる差別と侮蔑から離れた世界。
 ここで彼はもう一つの感情を手に入れることになる。それこそがようやくの始まりなのかもしれない、人間を取り戻した末に起こる悲劇がある。だが誰一人そんな事を知らない、人は感情があるからこそ人間足りえるが、その感情ゆえに人はすべてを滅ぼしかねない化け物に変わるのだ。

 太陽門から悲鳴が響く、誰が産み落としたのでもない状況が作り出したに過ぎない者が一つ生れ落ちていく。今はただの母の胎からゆっくりと出て行っている、赤子ですらない孕み子だ、生まれるまでは少しばかり時間がかかる。

 だが子供の成長と言うのは予想より早いものであるのだ。ならすでに悲劇の足音は、世界に忍び寄り続けているのかもしれない。
 そして最後の砂すら、世界は握ることもなくさらさらと手の中からすり抜けて消えた。


戻る  TOP  次へ