一章 響き渡るレイクエム
 


 

 




 夜啼鳥の舞踏会、歌姫を囲いその歌を聞き、歌姫の競売を行うものであった。否定できない人身売買、身分が低いが歌声が美しく見栄えのいい女を攫い買い奪い、売り買い、人間を商品とした売買の舞踏会。

 それは戦争が終わるまでのことだった、それからも既に数十年の月日が流れている。緩やかに崩壊した国は既に負うという象徴的存在も消え法律さえあるかどうか疑わしい。そんな時代にもこれは存在していた、その名前だけを後に残しまったく別の儀式へと変貌していた。


 だがその舞踏会に入るには制限がある。


 高貴な血を持つ者、そして資金提供をした者、前者の制限は四大貴族と呼ばれる王を支えた貴族達のことだ。将軍家アルファンケベック、それを中心としたネイベック家、オブーズト家、グードスケ家、今を着替えを終え最高級という衣を着た男がその一人であるアルファンケベック家当主であるユーグダーシ=アルファンケベック。

「で、俺はそこで何をしたらいいんだ?お前が情報収集程度で俺を動かすことは無いんだからな」
「いや、一回目は情報収集だけでいい。だがお前なら俺の期待を見事に裏切ってくれるようなことをしてくれるんだろうユーグダーシ」
「俺をどこまでお前は過信してんだよ。家名以外に利点なんて俺にはありはしないぞ」

 だが嫌味に満ちた表情をい差し替えずにジューグは彼を見て、次に自分の妻を見て一言言った「処置なしだこの馬鹿は」見下しいかりにそまり、「そうですねぇ」にっこりと太陽のように、「どういうことだ?」ただ無自覚に素直に。

「過信なんてユーグダーシにするわけが無いだろう、自分という人間を履き違えるな落伍者。貴様のしてきたことはいつも俺の期待を裏切ることばかりだっただろう!」

 そして爆発。

 彼にかかけられた迷惑がリフレインしさらに怒りは爆発する、ユーグダーシはその爆発をおぉの一言で打ち払い彼を脱力させる。頭をかき、「そうだったけ?」と一言、無自覚で彼に迷惑をかけていたことを個々で吐露する。

「こいつ……」

 一瞬にして毒気を抜かれ皮肉を吐くのさえ疲れてしまった彼は、息を大きく吸い吐く。それで場面の切り替えを行ったテレビのように内容が一変した。

「もう一度言ってやる、お前がやるのは情報収集だ。期待以上の事をすることは無い、絶対にするな」
「信用無いな俺は、……分かった出来るだけ努力したいと思います」
「なんだその上っ面だけ整えた希望的観測の言語は?まぁいい、どうせお前だ期待通りのことは絶対しないことぐらい分かってる」
「だから努力だけはするって、結果には責任を持たないぞ俺は」
「…………」

 まったく先程と同じ会話に、彼は諦めた。完全に力を抜いて椅子に座り、くっと口を歪め、にやりと笑った。

「勝手にしろ、ただしそれが守れない場合のお前の命の保障はしないぞ分かったな」
「善処するさ、死にたくは無いしな。じゃあ行ってくる……」

 そこでユーグダーシは首をかしげた、その彼の姿をジューグは疑問に思ったのか声をかける。

「どうした?」

「いや、馬車とか乗っていかなくていいのか。仮にも四大貴族だったから権力とか見せたほうがいいのかと思ってなぁ」
「関係ないだろう、ユーグダーシお前は落ちぶれてるんだからな。そんなのこの国の人間なら誰で知ってるだろう?」
「そうだな」

 納得し首を上下に動かし、次の言葉を促すように彼に視線を向ける。
 さすがかつての将軍家と言わんばかりのその姿は、服装とあいまって変なカリスマのような者を漂わせている。最もその程度のことで驚くような人間はここにはいない。獅子のごとき威圧は今の時代には何の意味も無いのだろうか?

「さて、場所は先にも行ったが嘗ての枢機卿だ。金の川(第十番大通り)にある教会だ、あれはもう大聖堂とかそういうのと同じだが見たら直に分かるそんな建物だ」

 彼はふんと不快そうに説明する。

 あとのことがどんなことになるかいやでも想像が付くのだろう、彼はきっとただでは済まさないと。彼の冗談が大事にならなかったことは無い、それでも頼る意相手は彼しかいないのだ。不快にゆがめたその表情をみてユーグダーシは鼻で笑う。

「了解、場所はわかった。ローウェン教師の家の近くだな」
「そうなるか……、だがローウェン教師はアルヴェルバの今や社長。あのころの優しい表情は汚濁の屁泥と化してるぞ」

 扉に手をかける彼。「知ってるさ」と一笑、「まぁそうか」更に一笑、「俺はあっち側にいた人間だぜ」。そうかつては、人というのは環境でどうとでも変わるものだ。

 ましてや経済界、ましてや滅びた国、人間幾らでも腐っていく。狸の腹芸、そんな者に人間は段々と腐っていく、汚濁の混沌に打ち込まれ人間の暗黒を絶やさず打ち込まれる。特にこんな滅びた国ではそんな事は日常茶飯事だ。まだ力を持って行わないだけまし程度の話、だがこの国ではそれさえもうソロソロ激化をたどることは目に見えていた。

「今更俺はこの国にはどうという感慨はないからな」

 ユーグダーシは軽く洩らす。

「よく言う。まぁいいが、仕事だけは済ませろ、今はお前の命にはそれだけの価値しかない」
「解ってるっての、ジューグ。こういうのは本当はお前の仕事だろう剣術指南役のネイベック家、俺は国外、お前は国内、何処で俺を履き違えてんだか」
「違うぞ、お前の命なんかどうでもいいからお前に頼んでるだけだ。オブズート家の奴らに頼まれてな、こっちは死にたくないんだよ」
「聞耳屋か、わかったもう行く。どうせだ、リーベンウッドマンにアルファンケベック家の祝福をって言ってくれ」

 一瞬首を傾げたジューグだが、意味を理解して。

「はっ、それは最悪なことで」

 どちらが最悪かわからない笑みを作り、慇懃無礼に礼をした。後、扉が閉まる。

***

 じゃらり鎖の音ドームのように広い室内に響き渡る。今日は二度舌を噛み切った、激痛で苦しみ一瞬脳を焼くような紅蓮に襲われたけれど、やはり死ねない。


 私は、ただ呆然とするだけだった、服の白いドレスは真紅に染まり、いまや赤黒く変色している。


 その前の日も死んでみた、脊髄を無理やりへし折り、無理だった。血を出し尽くそうと、脳を破壊してみても、今まで考えられる全ての方法を試した、けど無理だ、私は何故か死なない、時計が撒き戻るように私の体は全てが治っていく。


 残されるのは死んだほうがマシという苦痛、いや死んだ痛み、私が死んだ痛みだ、それが私を殺す。けどそれさえ消えていく、残されるのは精神の磨耗だけ。


 何年まっただろう?何回死んだだろう?あらゆる視線を向けられて、もう嫌悪感しかない。


 だから唄い始めてみた、死んだ自分に対してのお葬式の意味を含めて、死んでいる、私は死んでいる、だから自分に対して葬送曲を歌った、生きてる自分が死んでる自分にささげるレクイエム。


 だが、悲鳴を体が上げる。


 アァァッァ嗚呼嗚呼、亜阿嗚嗚呼、そして来るのは乾き、全てをぶち壊してしまわないばかりの呆れるほどの食欲。


 これが起きた後のことは私は覚えていない。


 唯一つの死体が目の前にあるだけ、もう忘れたい、お願い、お願い、御願い、汚願い、あぁお願いします。汚らわしい、見苦しい、新でも生きながらえる女を、殺してください。


 壊れる、炸裂するように欲求が溢れかえる。


 悲鳴を上げるのは理性、それを食い破るのは本能、あぁ


 あぁ


 ああああああ、誰でもいい、私を殺してください、汚らわしい自己満足なのは分かっています。お願いです、汚らわしいお願いです、迷惑をかけるのは分かっています、それでもお願いです、お願いですから私を殺してください。



 あああぁ…………、お願いです。私をわたしをワタシヲ……………………

***

 彼は呆れるように一度その建物を見上げた。

 昔はこの貴族街(金の川)とも呼ばれる金が溢れるように沸いた地域だが、そこにかつて存在した聖堂は彼の知らない数年間の間に大聖堂・・・・・いやそういうには生ぬるい、その辺りにあった貴族の屋敷を根こそぎは潰して作っている。すでにそれは神殿と呼ぶにふさわしいだけの迫力を備えていた。

 サグラダファミリアのような異形の魅力とヴァチカンの聖堂のような神々しさ、腹狸たちの巣窟で漆黒に染まりながらも、神を敬うことを忘れないその迫力は、尊敬と同時に何の意味があるというあきれを感じさせる。

 ユーグダーシはどうも尊敬という言葉は無く呆れ鹿感じていないようだったが。かつてはこの国において王以外の最高権力者の家の生まれの彼は、驚きはしてもそれは所詮成金趣味と打ち切ってしまったのだ。

 そして視線を戻す、正面はまるで来る者を拒絶させるような意匠の造り、この壊れた国に何の意味があるのか彼にはわからない。

 歩いて彼は正面玄関に向かう、そこには無骨な守護者が正面に六人中に一体何人いるのか想像が付かないがいた。その一人が彼に気付き足を止めさせる、武器を突き出し、客を歓迎さするような構えを一切取らない。

「何のつもりだお前は、夜啼鳥の舞踏会にこのユーグダーシ=アルファンケベックが着てやったというのに」

 底冷えするほど冷たい視線を武器を持って彼を制止させた男に浴びせる。だが今までにもそんな妄言を吐く奴は何人もいた、その門番でさえ彼の姿に一瞬後ろに引く。

「まぁ、物乞いたちが俺の名前を使ったりその辺の二流がその名を使ったかもしれないが。証拠でも見せて欲しいのか?」
「あ……あぁ、当然だ!!」

 当然のことか……、無意味な演技に二言で飽きた彼は懐に忍ばせているアルファンケベック家の家紋喰らう者を殺す鷹、宝石と金細工で作られた芸術品は、今の時代では到底作られない、それを作った製作者名さえ刻まれている。

 ジードリクスゥ=アルファンケベック、この霧の都が作られるその時の立役者といってもいい。芸術家としても有名であり、彼がかつて住んでいた屋敷は彼の設計であったりする。そしてジードリクスゥ手法と呼ばれる目の錯覚による名前を刻んでいなくても名前として見えるその手法は既に潰えた技術である。

 その一つを見せるだけで十分に効果があった。

「も、……申し訳ございません」

 直に謝罪の言葉を吐く。目の前に存在する者がかつての大貴族というだけで萎縮し、頭を下げっぱなしになった門番、彼はこんなのが役に立つのかと首をかしげる。

「気にするな、別に今更何をするつもりも無いさ」

 門番の間を通り過ぎる、その動作にさえ今では気品さえ感じてしまうそれは目の錯覚だろうか?結局門番は彼の姿が消えるまで頭を下げ続けていた。彼はそれに対して一瞥さえくれようとはしない。

 門を抜けるとそこは更に彼に空きれを感じさせる形になっている。外見は神を敬う場所だったかもしれない、だが中に入れば高級ホテルというか彩色過多の神のフレーズが一言たりとも入れられるような形はしていなかった。

 彼は神殿と感じた感想を既に撤回し、よりいっそうの成金趣味という確信を強め呆れた。

「くだらないなぁ、製作者の意図が一切わからん」

 それから彼は無意味に長い一本道を歩き出す、それはこの建物の外側から段々と内側には一定つくりをしておりまるで蛇のとぐろの様なつくりをしていた。距離にして百メートルと五十程度だろうか?一つの扉が現れる、飽き飽きしていた彼も流石にその扉を見たとき呆然と立ち尽くした。

 一言で表現するならそれはきっと石の巨人ゴーレム、一瞬そう錯覚させるほど堅牢な鉄の扉、その扉の前で五十人を超える人間がその扉の前に立ちざわざわと世間話をしている。

「見たことある顔ばかり、人間は上に行き過ぎるとカルトにでも走らなきゃやってられないのか?」

 誰もが同じ内容、同じ瞳、同じ視線、同じ方向、同じ微笑、同じ表情、…………なんと醜悪なことか!!

 それは吐き気のするほどの同一で、誰もが誰も殉教者、崇拝という錯覚で、いつでも死んでしまえるだけの支配力をそこは兼ね備えていた。

 その門の奥には何があるというのだろう。彼らの視線はその扉の奥の一点だけを見つめていた。

「あぁ、本当にこの国は終わってんのか?」

 亡者達のようなその人間を見て彼は何のために戦争で何人もの人間が死んだのか解らない。かつての先人達に遺憾の意を込めつつ彼もまたその信者達同様その扉の奥を覗く。

 檻のようにも見えるその堅牢な扉、中には何か恐ろしいものでも封じているのであろうか?悪寒にも感じる震えを一瞬感じたが、その扉が開くまで彼はどこか楽しそうに、やはりこの壊れた国では見ることさえないのではないと思うような小憎たらしい笑みを作り、壁を背もたれた。

***

「嘘ではないのだなその報告は!!!」

 私はその報告に驚きの声を上げた、殆ど諦めたといってもいい存在がこの場所に現れたのだから。

 夜啼鳥の歌姫をいっそう高らかに唄わせる為の餌がここに来たのだ、驚愕と驚きが私を包む。もっとも清らかな流れを持つ一族(貴族)の中でも純潔に近いその流れを汲む四大貴族、それだけでも喜ばしいというのにそれはアルファンケベックの者だという。

 私ラインデ=グランデスは驚喜に狂うような想いだった。

「間違いありません。将軍家当主ユーグダーシ=アルファンケベック殿であります」

 聞いた名前、…………あるわけだ。あのユーグダーシ、コーネリオ社のかつてのトップ、設立者といってもいいあの男か。

 裏切られ、再起を図るためにここに来たというわけか…………、私の歌劇場をそんなもので汚すとはなんと無粋な男だろう。だがそれでも、私の口元は緩み始めていた、本性が千切れそうになる。

「そうか……、彼は今回のVIPだ丁重に扱え、なにしろ彼はアルファンケベック御当主様だ」

「解りました!!」

 そういって名も知らない男が出て行った。

 口元が変貌する、いや私は喜びで口が歪んでいるだけに過ぎないのだろう。アルファンケベック、私のような三流貴族とは違うかつては神のような存在であった家のもの、それが今では私の手で踊る人形の一人だ。

 あぁ、国よ滅んでくれてなんと感謝をしよう。

 彼女とあわせてくれるだけではない、かつての神を私は操れるようになるまでになったのだ。何でも言おう国よ壊れてくれて感謝する!!

 折角私が見つけた存在で一つの可能性が出来るのだ、唄ってくれ、私の歌姫、踊ってくれ私の歌姫、より素晴しい餌を用意した、次こそ、次こそ、次こそ、美しいあの声で高らかに唄ってくれ、私を捉えたあの時と同じように、唄ってくれ、唄ってくれ、唄ってくれ私の歌姫、あの時の美しき奏でてくれ貴方にふさわしい餌(ユーグダーシ=アルファンケベック)は用意してある。

「あぁ、あの美しい顔が歪まない、それだけで珠玉、あぁなんと素晴しい。我が愛しき、不死の歌姫、ああぁぁぁまたあの素晴しき旋律を!!!」

 貴方には素晴しき歌の代価は神の血をささげましょう!!!

***

 餌とも知らずに男は一人待ち続けた、妄信者たちとは全く違う一つの表情をしながら彼は待っていた。

 かなりの人間が集まってきたが、どこかで見たことがある成功した者達と、かつての貴族たち。だが何も変わらず誰もが同じ顔をしてその扉の前に視線を集めている。ユーグダーシはその人間達にはアボトーシスでも体に刻まれてるんじゃあないかとそう思えるほど同一的でレミングにも似た妄信がそこにはあった。

 五十を超える人間が集まった時扉はようやく開かれる。

 だが扉が完全に開かれてもなお人間達はその場所から動かない。そこから一人の人間が現れる、それは五十過ぎのどこか切れ味のある空気を放ち、刻まれた皺がその人間の苦労を象徴し、地の底から輝くような何か秘めた者がある黒、服装は聖者とも愚者とも取れるで体を着飾る。

 ユーグダーシは、一歩引いた。それは同じ表情で、同じ行動で、同じ妄信者だったが、視線だけが違ったから。

 彼を絡めるような鎖の視線、ユーグダーシを見ていながら見ていない。君の悪い視線が、彼を絡める。静寂と信仰が混沌とし、信仰を持たない彼はごくりと息を飲んだ、ようやくそれが恐怖という感情だということに気付く。

「我らの歌が響き渡る」

 かくて舞台の幕は開かれる、静寂がその一言により崩壊した。息を吐きたわむ空間に彼は自分の空気を取り戻そうとする、その押し寄せる波(恐怖)に飲まれないように。そしてその狂ったような感情の嵐巻き込まれないように。

「渡りし音は、我らを生かし不死への道を開かせるであろう」

 教祖といっても良い男は体を大きく見せるように腕を横に上げまるで自分の雄大さを体で表すようにしている。

 その瞬間信者の目の色が変わり欲望に染まる。

「そして我らの女神の聖杯を選択しよう!!!」

 そして何時の間にか彼の前に男が二人現れていた、屈強に鍛え上げられたその体は鋼のようでユーグダーシの細い体とは対極的で荒々しい生の力がある。

「今宵の聖杯は、ユーグダーシ=アルファンケベック!!!」

 そして空気が一瞬で脈動を始める。最初は嫉妬、染み入るように時間をかけて驚き、そして驚愕に、続けるように快楽へ!!!

 夜鳴鳥の歌劇場は幕開く!!!

 彼は男二人に半ば抱え上げられる常態で移動する、周りからは嫉妬や羨望、他多種多様の感情を打ち込まれながら連れて行かれる。彼が動けると何度言ったところでそれは変わらない、まるで死刑囚を逃げないようにするためのような事を行っているように彼は思えた。

 そして彼を絡めるように見た男の前に下ろされた。

「ようこそ、ユーグダーシ=アルファンケベック殿。我が歌劇場に来ていただき感謝の極み」

 それは王に向かって貴族が行う礼だった。最高の礼儀と最大の敬意を持って行うその礼を彼に向かってする人間がいるとは思っていなかったのでユーグダーシは面食らった。

 それと同時に最大の拒絶が体に現れる、彼の目は鋭くなり。貫くように視線を固めた。

「こちらこそ、このような歌劇の聖杯にしていただき感謝の極み」

 四大貴族の当主と呼ばれた彼の姿である。表情は瞬時に和らぎ彼もまた最大の礼儀を持って礼をする。その行為は皮肉であり相手は流石に驚いたのか面を上げた口をぽかんと開けていた。

 周りもそれは一緒のようで、あの四大貴族が殆ど平民と変わらない人間に男が行ったその行為をそのままに返した。誰もが思っただろう、本当にこの国は終ったのだと。

 名誉を誇る貴族が下々の者に頭を下げるなど…………、国が在った頃ではあり得ない事だった。

 だがそれと同時に口元がつりあがるのが誰もが分かっただろう、貴族とか平民とかそう言う境は関係ない。今あるのは成功するかしないか、金が有るか無いか、そんな単純なパワーバランスで成り立っていると、もうあそこにいる四大貴族は神ではなくなっているのだと、成功した者達はユーグダーシの姿を見て嘲笑いながらそう思った。

「これは勿体無い事を、早くお顔を上げてください」

 自分の優位がわかった男とは笑いながらその言葉を繋ぐ―表情にボロが出やがった―そして彼も笑う。一切の警戒色を見せず彼は警戒した、その目の前の男に、嫌でもわかる、死ぬ程に感じるのだ、腹狸たちの芸なんて彼は見飽きている。それが政財界に生きていた彼ならなおさらだ。

「では、祭壇の間へと行きましょう」

 詳しい内容もいわずに男はユーグダーシを連れて行く。逃げ道は当に塞がれ、彼はその道を歩むしかなくなっていた。

「分かりました行きましょう。私はどうやらそこに行く必要があるようだ、拒否権は無いようだ」

 あえて貴族としての仮面を被り彼は、それを演じきる。あちらも本性を出していない、絡むような目線だけが嫌でも彼の言い方向に自分に執着していない事だけを教えているが、所詮今行っているのは仮面舞踏マスカレイドと大差のない。

 男はユーグダーシに背を向け歩き出す。彼もその後を追う、奈落のように光無い世界にその男は彼を誘いながら、暗黒でその狂ったばかりに歪む表情を隠す。

 扉を越してからは鎖の音が響いた、じゃらり、ジャラリ、じゃらりと、反響し暗い世界でありながらそこがどれ程音響的に素晴らしいところかを教えてくれる。オペラの舞台のような場所、暗くてもユーグダーシはそれを理解する。だが男はそのことを話す事無く彼を誘う、一歩先は闇であるのにそんな事を気にせずに。

 じゃらりと、じゃらりと、じゃらりと、じゃらじゃらじゃらと、鎖の音が響き渡る。何故こんなにもこんな音がするのか?一瞬舞台装置かと考えるが否定する、幾らなんでもそれは生物的だったのだ。だからこそ彼は二度目の思考をする、だがそれは簡単に彼の中で正解が導き出された―人間だろう―、なにしろここは夜啼鳥の舞踏会、言い換えれば人身売買のオークションだ。

 鎖につながれた人間如きで驚いてはいられない彼はそう完結させた。

「ここにお座りくださいユーグダーシ=アルファンケベック殿」

 暗く形さえ判別できないが、男はそこに座れと言う。言われたとおりに座ると、彼は暗さに多少慣れたのか男の顔を見た。

 吐き気がした、どの妄信者の虚ろな笑みよりもそれは気持ち悪かった。感情で人間を縛る、ただしその鎖は圧倒的に強固で独善的だ。

 男は笑っていた、笑っていただけだ、その暗く表情さえ分からないところで男は笑っていた。真夜中に浮かぶ三日月の如く、裂けたように唇を歪め、異様な執着の感情を彼に撒きつける。

 感じた恐怖の理由を彼は納得した、だが彼は顔を崩さず感情を崩さない。能面技術ポーカーフェイスは、簡単には崩れない。

「では、聖杯の方の役目の説明をしましょうか。ユーグダーシ様」

 男の手から光を彼は感じる、この暗い世界で嘘のような破邪の銀の光。


 光は落ちた


 そして灼熱が彼の両手に降りかかる、それが痛みだと感じるのはその熱が冷めてからだった。だがユーグダーシは口を歪めるだけだ、そこで仮面舞踏は終了する。

「どう言う事だ?」
「いえ、驚きですよ。まさか叫び声一つあげないとは」

 やけに嬉しそうに男は男は口を開く。

「いや、痛すぎて考えられないだけだ。脳を焦すような痛みだぞ、正気を失う…………が、早く質問に答えろよ」

「貴方が逃げないように、それだけの傷では簡単に動けませんから」
「そうか分かった。ここまでカルトだったとは思いもしなかった、俺は生贄になるのか?」
「ありていに言えばそんなところです」

 そして足にも灼熱が、意識を消し去るほどの一撃が彼を支配する。だが叫び声一つあげずその一撃に耐える、いや痛みさえ麻痺するほどの激痛だったのか?

「最初から足を潰せよ。…………見ろよ涙目だ」

「それはただの演出です。彼女から逃れられる人なんて居るわけがない、そして食欲を駆り立て歌声を引き出すための演出」
「…………彼女?」
「そうですか……、そうですか、知らないとは哀れな限りです。どうやら此処が、ただの人身売買の会場だと御思いのようだ」

 不愉快そうに顔を作る男、彼を刺しているナイフがそのまま蓋に成っているのか出血多量にならず未だに痛みと戦うユーグダーシを嘲笑う様に直ぐに表情を戻す。

「くっくっく、確かに正しいですが。それは昔の事、今は違う」

「そうか…………、狂信者どもを作ってどうになるんだか知らんが。心霊主義なんて下らない物に捕われてんだな、これだから戦争は嫌いだ、こういう危険な宗教をつってしまう。そこまでして救いがの欲しいのか?」
「残念だから、そう言うのではないんだよ俗物」

 そしてあちらも仮面を外した。その侮辱は逆鱗のようだった、目は座る、だが直ぐに死にたくない人間の死ぬ前の戯事だと打ち切った、だが代償はあった、拳が彼の顔に打たれる。口を切ったのか血が彼の口から零れる。

「見せてあげよう死ぬ理由ぐらい教えてあげよう」


 聖火をともし聖女を映し出せ!!


 男は空間を揺さぶるような大きな声を放つ、そして少しの間を置き、悲鳴が響き異臭が漂い、光が放たれた。

 最初は目もくらむような炎、暗がりになれた彼の目はその光に耐え切れず一度目を暗黒に落すが、その耳に着く悲鳴はとまることはなかった。そして徐々に光に慣れるように目を開ける。


 まだやまない悲鳴の理由が分かった


 そしてまだ消える事の無いそれどころか悪化する異臭の意味も


 人ガソノ場デ燃エテイタ、ゴロゴロゴロト転ガリナガラ、サァウタヲト、セイジョサマ、サァ、サァ、タダ苦ルシミナガラモ、コンガンヲ、コンガンヲ、ハヤク、ハヤク、ハヤク、ウタヲウタヲウタヲウタヲ。

 
 それで全てを彼は把握する。吐き気がするのを感じながら、その光で脅えた顔を見せることは無く、どちらかといえば呆れたような表情で、


「確かにそうだな、正気じゃないが。聖火と言えば聖火だ何しろこれほどの成果は無いな、命を燃やしてるんだ聖なる火ではある」


 簡単に死んだ命を嘲笑う。納得した男は「あははははははははははは」と拍手しながら笑った。


「実に面白い冗談だ、その辺のこじきに彼女の魅力を気付かせてあげたら望んで死んでくれた。だが君の言う通りだ、命を使った炎だ十分に聖火になりうる。そして聖女を見たまえ」

 男はそう言って指を指す。そこには黒い塊と檻が在った。

「そしてこの目の前のがお前の見せたい理由…………」

 彼は止まった、その全ての衝撃を上回ったそれが在ったのだ。今までポーカーフェイスを崩す事の無かった彼だが、― 一瞬放心した ―、じゃらりと鎖の音が響く、それで意識を取り戻すと男を睨みつけた。

「お前は何処まで腐ってんだ」

「嫌なに彼女の癖だ、最初は流石に必死に治療したが。彼女は特別でね」 

 そこには一人の少女が居た、喉と心臓には杭を打ち。両手は深々と切り裂かれ血を溢れる様に零した、少女が居た。両手足には鎖が巻かれ逃げることは出来ず、完全なオブジェとかした死体が一つ。銀で作られた鳥かごの檻に入り、それを棺としながら赤黒い血を鳥かごのような檻から零れるぐらいに溢れさせ。ぴちゃんと、歌劇場の舞台を血で染める。

 死体があった、徹底的に殺された尚足りない死体が在った。見れば見るほどの死体だった、目立つ傷だけじゃない、喉には何回も渡って刃物で切った様な後が在り、心臓には再三にわたってつぶされた後があり、腕は複雑に折れているのか何箇所も関節があるように曲がっている、手首の切られた痕が一箇所ではなかった、両腕に何箇所も切られた後がありその痕は肘の辺りまで在った。

 骨は突き出され其処から白い骨が見える、徹底的に殺されつくした死体が在った。傷が無いところは一箇所たりとも無い、開いた口は舌すらない。

 だが…………、掠れた、音が響いた、人間の悲鳴を上塗りしてユーグダーシには響く。普通ならばそれは掻き消される言葉、だがそれは響いた、確実に響き渡った。

 空気の流れる音だ、それは空気の流れる音だった、正し口から、かすかでは在ったが、ありえない場所から響く。

「おい……、まてよ、幾らなんでもおかしいだろう!!!」

 彼は自分の正気を疑う、それでも否定できない現象に彼は声を出して現実を歪めようとした。

「すごいな、この中でよく聞こえる」

 男は否定したその現実を事実だといい、歪めた現実の土台を壊す。

「否定さえさせないのか、なら聞くぞこれは事実か?それとも幻想か?」
「現実だ」

「はっ……ははははははは、そりゃ凄い限りだな。これは間違いない事実なんだな」男はその言葉に頷いた。「それは素晴らしい限りだな糞が、つまりこう言う事だな。俺が聞こえた今の音は」掠れた空気の音、不恰好だが在りえない場所から響いた音は!!「呼吸かよ、世界はそりゃビッグに出来てるんだな、なら納得だな聖女と呼ばれる理由とこの狂信は」

 ユーグダーシは、何時の間にか消え去った杭を見て呆然とした。死体が動き始めていた、光が傷口を隠しその次の瞬間には全てが元通りになっている。そんな幻想的な映像ならまだ救いも在っただろう、細胞が増殖し、繁殖し、形を作り上げる、組織同士がまるで糸を結ぶように重なり合いもとの形に体を戻していく。

 増殖と結合、そして最帰化、一切の傷を消し去り生まれたばかりの肌が蘇る。それを繰り返す、骨は作り上げられ、折れたはずの影はもう見えない。見る者が見れば、嘔吐したであろう光景、人間が元に戻ると言うその変貌が、悪魔に契約して死にたくないとでも願った人間ならそれを見せてくれたであろう光景が、阿鼻叫喚の聖火さえ無視するほどの光景がユーグダーシの前に開かれていた。

 そして少女は生き返るが、残念ながら服ではその回復範囲ではないのだろう。穴を開けた心臓から、成長し切っていないつつましい乳房が零れていた。ぼろぼろになった服はあらゆる所に穴が開いて幼いながらにその姿はどこか艶かしく、ぞくりとするものがあった。

「さて、そろそろ幾ら刺してるナイフのお蔭で血が簡単には減らないといってももう限界だろう?」

 くくく、顔も隠さず男は笑った。痛みはもう麻痺して殆ど感じないが、それは体が限界を超えている証拠だ、致死量にはまだ遠いがそれでも零れる血が彼の視界を掠めていく。

「もうとっくになサディストめ、だがなぁ自殺癖のある聖女ってのはどうだろう?」
「どうも彼女は自傷癖があるんだ、世界の恵まれない人たちに対しての謝罪のような物だろう。いや、自分が殺してきた人間に対する謝罪かな」
「そうか…………、聖杯ねぇ。ったく、一回の儀式で何人殺せば気が済むんだ?」
「彼女がレクイエムを歌わなくなるまで、その美しい声を死んだ人間に捧げず私に捧げてくれるまでだ」
「じゃあ俺がこの女が歌う歌は俺に捧げる歌になるわけだざまぁみろ」

 自分が死ぬことを含めこの男は平然とする、その理由は一体何なのだろうか?

 深淵より深い闇を目に宿す男はユーグダーシのその態度に驚く、恐怖の感情があることも全て分かっている、だが彼はここに来てまたポーカーフェイスを崩す事は無くなり、死ぬことすら享受していた。

「まぁいいさ、捧げてくれるかもしれないだろう?今回は四大貴族だそれで無理なら次は王家の人間でも捕らえてみる私はそう言う道を選んだ、死んで捧げられるのではなく生きて捧げられるほうを」

 男はその鎖のまなこを、聖女に向ける。そして凄絶に口を歪める、狂気性を感じるほどに。

「ロリコンかったく知り合いにもいるが、その性別差別は女性に失礼だろう」
「うるさい、減らず口も其処までだ。聖杯の役目を果たせ、堕落が、彼女ももう限界のようだ」
「最悪だな、最期の悪口がロリコンかよ。死んでも死にきれねぇ」

 ばきん、鎖が弾けとんだ。檻は簡単に引き千切られる、なら何故あの檻から逃げないのか?そんな事をユーグダーシは死ぬ間際になっても思って笑う、近寄る少女はまだ艶やかな姿のままで、男に近寄る。ただ、檻を引き千切る力があるというのに、ゆっくりと歩いていく、はぁはぁと吐息さえ悦に聞こえ、彼に近寄る。

 ふらふらと歩くその姿は、自分を殺す死神には見えない。両手足を串刺しにされ動くことすら難しい男はそんな馬鹿なことを考えている、背筋に氷を入れられたような悪寒を感じる震えた。それが死が近付いてくる、息をごくりと飲み込む。

「おいそこの人殺しロリコン、死ぬってのは怖いぞ、自分がなくなるんだ。今からあの女が俺に何かしたらその瞬間」
「ふん、黙って死ね四大没落貴族」
「嫌だね、死んだら黙るならうるさくして死んだ方が楽しい。器すら三流なのか」

 皮肉に笑う、だがその間にもその少女は近付いていた。座った彼と同じ目線に立っている少女、銀色の目をして、茜色の髪の長い髪を邪魔そうに扱いながら、彼の目の前に立っていた。

 綺麗だった、目の前で見たら嫌でもわかる。死んでいたときとは別の世界の存在だった、大きな目が彼を見る、何かを懇願するような、自分を餌さとしか思っていない、そんな視線。だがそれを見ても言えるのは一言だろう、その生まれた子供のような肌、艶やかに桃色に染まった肌、ぁ・・・・あぁなんと屈辱的なことか、本能に染まったその姿にユーグダーシは同情すら感じ、殺す相手にありえない感情を抱いた。

 少女は動けないユーグダーシの膝に乗り、首筋を舐めた。ぴちゃり、ぴちゃりと、唾液が彼の動脈の近くに、舌が彼の皮膚を撫でるように舐める、びくりと体を動かすユーグダーシ。少女からすればそれはきっと消毒のような物なのだろう、丹念に何度も何度も、そしてすこし糸を引くように。

「ったく、餓鬼の俺は犯されてんのか。捕食者の癖になぶり殺しにするなよ」

 小さな口を大きく開ける、きっと少女はそのつもりなのだろうがその姿はウサギのようだ。だが鋭い犬歯だけが確実に彼の首目掛けて打ち込まれる、一瞬の痛みと少女に座れる血。それでなくても少なくなっていた彼の血は一層激しくなくなっていく。

 視界は掠れ、映像は消え去り、暗幕が彼の視界に下ろされる、必死に耐えるが喉に血が通る音を聞いたのを最期にに彼は意識を失っていた。ポチャリと床に血が落ち床が赤黒く染まっていた。

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