序章 路傍の石
 


 


 


あらゆる神様に願います


全ての物に願います


誰でも、誰でも、誰でもいいから


―私を殺してください―


彼女は聖堂に封じられた、哀れなナイティンゲール、鳥篭に囚われ動けない少女。

ただもが彼女の声に縛られ女神と慕う。

見目麗しき、停止し涙を流し続ける聖女、彼女を救うのはただ唯一の生きている価値。

紡ぐ言葉は葬送曲、それは死ぬことすら許されない自分を殺す唯一の方法、そして彼女が死んでいる唯一の刻。

ゆえに少女は歌い続ける、己を殺すための歌を歌いながら。


いつか自分を殺してくれる人を待つために


あらゆる神様に願います


全ての物に願います


お願いです


お願いです


―私を殺してくださいー


死ぬことすらできない少女が願う、荒んだ時代の軽やかに響き渡るカプリッツォ



―It is asking and kill me please―



 男は擦り切れたかつては高級品だった出あろう服を着て、霧の世界を歩いていた。落ちぶれた男は、全てを失いながらそれでもまっすぐとどこかに歩いている。

 霧の都 アルファンド 、大通り第十二番 霧の行進 と呼ばれるかつては戦争で勝利した騎士たちが凱旋した。王城への一直線への道、だが今はそこに絢爛たる世界は無い。道の隅には戦災孤児が、乞食が、失敗したもの達の溜まり場になっていた。

「ふん、俺もこいつらの仲間入りか」

 一度辺りを見回し笑う、皮肉気につり上がった笑みは、まともな理性のあるものでも殴りかかりたくなるようなそんな嘲りに満ちた表情であった。

 だが誰一人彼の嘲笑には反応しない、一切反応しない。そんなくだらないことで怒る暇があるなら生きる手段を考えるのだ、放逐された動物のような人間達、男は周りをもう一度見回し自分は人間だこんなのになるのはお断りだと、速度を上げ大通りから逃げるよう歩き出した。

「ったく、本当にお断りだ」

 そして思い出すのはほんの数日前、まだある程度大きな会社の社長だった彼の姿だ。潔白に生きてきたつもりだった、だがどうやらそれが気に食わなかったのだろう、一緒に会社を建てた親友から裏切られ社長としての権限を剥奪、そしてごみ同然に放逐された。

「言ってくれりゃあ良いだろうが、親友に裏切られると流石にこっちも辛い」

 思い出して、ため息一つ。

 手にしていた全ては水泡の様に消えていった、自分の住んでいた場所、友情、会社、信用、そして今では乞食の仲間入り一歩手前。在り来り過ぎる絶望劇を男は歩んでいたのだ、信頼に足る人物なんて一人も居やし無い今の時代である今男は絶望と希望をどちらを手にするかわからず堕落していった。

 だがそれでも最後の一線でとどまり続けている。

「止まって堪るかよ」

 最後の一線を洩らしながら、彼はさらに歩速をあげた。

 時代は一部の豊かな者意外は生きる事すら苦しい時代に変わってしまった。

 王は消え貴族だってまともな者は居ない、だが三十年前の戦争終了以降この国は少しずつ壊れて言った。まだ笑いに満ちていたとき、だがそれさえ今は泡沫の世界だろう。

 突然始まり泥沼化して、片方の国が滅びるまで続いた戦争。だが若い者達は次々と死に、今までの戦争の出費で、経済的に国は崩壊して行った。

 だがそれでもこの国の人間は存外にしぶとかった、破綻した経済を立て直すように一部の権力者達が動き出したのだ。彼らのような人間のおかげで王や貴族といった基盤は消えた者の国の形だけは立て直すことは成功したが弊害も大きかった。

 失敗したものと成功した者達、その差だ。

 失業者となり乞食同然の生活をしている者、かたや富豪となって贅を尽くす者、その比率は当然の様に失敗した者の方が多く、乞食や浮浪者が町に溢れかつて神秘の霧の都と呼ばれたその場所はその形さえ残さない落ちぶれた世界のようになってしまった。

 その代表的な失敗したものから除外される男が彼である。

 彼は一部の失敗したものではなく成功したものだ、機械工業をほぼ独占する形で組み込んだ会社。その手腕は天才的なものだったらしく、他の成功したものでさえその社長達の手腕には一目置いたらしい。

 彼の名をユーグダーシ=アルファンケベック、成功した者達全てに言わせた経営の天才であった。だが、人生とは常に転機に満ちた物だ、人の心までは掌握できなかった彼は、友人に裏切られる形で放逐された。

 そして失敗した者の仲間入りだ。


 かつての栄光を見せる服が今では哀れな失敗者が着る服に変貌し男は、凍てつく空気に体を縮めながら何処とも知れず歩き続ける。

 動かなくなった瞬間失敗者の烙印を自分が認める様な気がして嫌だったのだろうか?

 だが、彼は一切全てを気にせず、まるで目的地があるように確実にシッカリと歩いていたのだ。多少縮こまった体だがそこだけは感じ取れる。

 町の誰にも無い笑みを皮肉として、だがどこか悪戯小僧にも見える、悪巧みを考えているようにしか見えないその姿は経営の天才と言うよりは、その辺の糞餓鬼、そう言った方が正しかっただろう。未だに、死んだ表情を見せず生きたまま、心は錦と言う諺をありありと表現しながら彼は歩いていた。

 そして一つの建物の前で彼は止まる。


 ―風見鶏の棲家―



 ただの喫茶店、居やこうやってぼろぼろになった国の中でこうも普通に存在し生きていける店と言うのも驚きであるが、何の変哲もないただの喫茶店だった。

 男は扉に手をかけ、深呼吸してから扉を開けた。

 「いらっしゃいませー」、そんなありきたりな言葉が外に飛び出さんばかりに彼に向けて放たれる。その声を聞けば一日の活力さえ得ることができるだろう、それぐらいに元気と言う言葉が詰まった言葉だった。

 だが男は表情を少し和らげるだけで止まる。

「ひさしぶりだな、ジューグ。約束どおり着てやったぞ」

 彼が声をかけたのはウエイトレスではなく店長、黒と白を貴重としたウェイターの着る服を着ている美形そのままの男。社交界にでも出て笑顔を振りまくだけで数十人の女性をとりこにしてしまうだろうと思える様な魔的な美を持つ男だった。

 下手をすれば男でさえ魅了しかねない、しゃれにならない男を見ながらも男の図々しさには一片の陰りも無い。

「ユーグダーシか、その品の無い面はさすがアルファンケベック家だな。呼んだところ悪いがジューディ川に過去形に成りに泳ぎにいくことを推奨してやろう」
「いまさら家柄の事なんて必要ないだろうが、お前との約束通り着てやったんだから。食事だせよ」

 ジューグと呼ばれた男は嫌そうな顔をして顔を顰めた。

「愚劣な、あった瞬間に食物の請求か。卑しくなんと見苦しいか、三途の川を渡りきれ」
「カイベスの奴に裏切られたばっかなんだよ少しは吐く毒押さえられないか?」

 小ばかにするように鼻で笑うだけ笑うとジューグは、首を横に振った。

「ユーグダーシ、貴様がその程度のことで落ち込むたまか。だがまぁ今回だけは抑えてやろう、そうだ!!死んでくれ済まして置いてやる」
「変わんないっての」

 ジューグは、調理場に体を向けると料理を造り始める。

 「こっちです〜」と言う、ウェイトレスの先導に真ん中のカウンター席に座った。

 彼の目の前にはコーヒーが置かれ、食欲のガソリンに火をつけるような匂いが回った。と言っても彼一人だけだが、この三日ほどまとも煮どころから殆どと言っていいほど何も食べていない男が食欲を掻き立てるような匂いをかいだらそれは普通は暴走しかねない。だが彼はジューグに悪口を言われることを避けるためだけに平然とした顔で、今までの三日よりも長い十分間を耐えていた。

「浅ましい豚、餌だ食え」

 差し出される料理と、言葉のナイフ、食欲と言うたてを持った心がそのナイフを軽くはじき、目の前の料理に手を出した。

 流し込むように料理を食べる姿は子供のようだったが。

「ここまで豚のようだったとは……」

 ジューグにはその姿はそう見えたらしい。

 食事も終了すると、浅ましいと呼ばれた食事の時の彼の姿は無く。どこが不敵で、威圧的な空気が漂い始めた。

「食事をしないと人間性格が荒むんだな。あぁ、ようやく元に戻った気がする」
「食事で切り替えられるような存在かユーグダーシ、お前は」
「うるせぇ、ネイベック家の嫌味ったらしい性格そのままに受け継いだ根暗が、男に掘られてて死ね」

 彼は始めて言葉のナイフを返した、本当に食事程度で彼は元の姿に変貌したわけだが。単純すぎではないだろうか?

「ようやく調子が戻ったのかユーグダーシ」
「われながら簡単に切り替えられる性格でよかったぜ、かつて聖人の血に感謝だな」

 おぉ、偉大なるアルファンケベック家に感謝の雨を!!演技染みた動作で彼は先祖に感謝した。

「ふざけるな、その傲慢な台風のような性格は貴様だけのものだ、シンフェスター殿はそんな腐った性格ではなかった」
「ったく、まだ家の母親に惚れてんのか。死んだ人間だぞ。お前の熟女好きもどうにかならないのか」
「違う!!俺がすきなのはシンフェスター殿だけだ。貴様の父親もすばらしい人だから諦められたが、死ぬ前での間だったんだ!!」

 美麗極まりない表情を歪め、テーブルを殴る。

 普段では見れない店主の奇怪な行動に、ウェイトレスはオロオロとしていた。

「最も親父が死んだ瞬間自殺、親父にべたぼれだったがまさかあそこまでとは俺も思っていなかったね。遺書はぐっばーい後は任せただもんなぁ、お前なんてアウトオブ眼中もいい所だったよな。多分息子の知り合い程度の者だったと思うぜ」

 そのときのことを彼は思い出して疲れたような表情を見せる。だがその場所にいた男は顔を赤くさせ、導火線が末端まで来た爆弾のようにいつでも破裂しそうな様相を見せていた。

「ガッデム!!そのような事実をいまさら突きつけるな、そんなことは自覚していた。死ね、アビオールの爺に犯されて死ね」
「昨日万全の俺にかなうとでも思ってんのか熟女キラー。クージェー叔母さんでも呼んできてやろうか、くくくくくく」

 一歩も負けていない、それどころかジューグは顔を青くさせ、悔しそうにうつむいた。どうやら何かしらの因縁があるようだクージェー叔母さんとやらには。

 二人の関係は幼馴染である、しかもかなりの時間を一緒に過ごした兄弟みたいな関係だ。だからだろう、その二人の暴言さえも周りから見れば子犬のじゃれあいにしか見えない。

 だがそんな中、みすぼらしい姿をした小僧のような男は笑みを鋭くさせ空気を一変させる。

「っと、くだらない話はこのあたりでやめるぞ」

 そしてようやく彼は本題を切り出した。

 そこで呼び出した当人も彼の発言で正気に戻りようやく用件を思い出したようなそぶりを見せる。

「そうだったなユーグダーシ、呼んでいた事をすっかり忘れていたな」
「金と権力のなくなった俺にいまさら一体どんな必要性があるっていうんだ?」
「あぁ普通ならないな。だがユーグダーシ貴様はアルファンケベック家の第十八代目当主だろうそのお前には必要性がある、くだらなすぎてつまらない経歴だがな」

 今となってはまったく意味の無い権力を彼は振りかざした。

「五年前ぐらいなら意味があっただろうけど今じゃあ貴族なんていうのはただの足かせだぞ、意味なんてあるわけ無いだろうが」
「ふん、その辺の貴族ならそれもあるだろうが。四代貴族の一つアルファケベック家なら別問題だろう?」

 大きなため息を吐き、心底嫌そうな顔をする。その表情は、彼がここに着てから一番癒そうといっても過言ではなかった。

「気にするな、残念ながらお前がそんな表情をする意味は無い。調べてほしい事があるだけだ、お前レベルの貴族ならそこになんて簡単にいける、過去の栄光だろうと難だろうとな」
「ならお前が行けばいいだろうが、お前だって四大貴族の御当主様だろうが」

 ジューグは皮肉に口を歪める。

「すまんなこっちは新婚だ、そんな危険なことする理由は無いだろう?お前なら命の無駄にしかならない」

 この言葉を言いたかったのか、ユーグダーシとはまったく逆の顔をしていた。

 ジューグの視線は一人のウェイトレスに向けられている。
 よく見たらこれでもかというほど彼の母親に似ている容姿と空気、唯一つ問題があるとすれば年齢が明らかに十は離れていることぐらいだろう。

 見た目だけなら美男美女で十分通用して、その二人がいれば一枚絵になっていた。

「お前は……、まぁいい。で俺にしてほしい情報収集って一体なんだ」

 大体この男のやったことは彼にはわかった。それを三文字で的確に表す言葉がある光源氏、呆れも感じたが底までの執念に彼は呆然とした―家の親も女冥利に尽きるだろうーそんなことを思い浮かべながら、はぁと息を洩らした。

「かつて貴族の馬鹿がやっていた、夜啼鳥の舞踏会。そこに行ってくれればいい、昔のような下種な者じゃなくなったのはいいことだがよりいっそう何かゆがみが出てきているらしい。それを掴んできてくれればお前に新しい仕事と報酬をくれてやる」
「それはいつあるんだ、拒否権を与えないような内容くれやがって」
「今日の日付が変わる頃、元オーガス卿の屋敷で行われている。何が起こるかわからないが、命の保障はせんから自信満々に死ね」
「誰が簡単に死ぬかよ、お前だってそれぐらいのことは分かってるだろうが。俺だってこの国の将軍になる程度の力は持ってるんだぞ、剣と銃で俺にかなう奴がいるか。お前は馬鹿か」
「違いない、なら服も武器も全て用意してある。仕事程度きっちりこなせよユーグダーシ」

 うるせぇよ、彼はそれだけ言葉を紡ぐとウェイトレスの先導についていく、家の母親は若いときこんなのだったのだろうか?そんな疑問を頭にめぐらせながら動き出した。


 ユーグダーシ=アルファンケベック 二十五歳


 人生最大の転機を迎える事になる十時間前の話である。

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