六章 王道開眼

 世界と言う定義は異眼使いにおいて実は最も必要なものである。
 彼らにとって世界とは自分の目から見るものであり、それ以外は世界ではなく別の世界と認識される。つまり目とは世界を観測する事に他ならない、そもそも世界とは観測される全無意識によって構築される箱庭だ、そもそもが観測されない以上世界はその実情すらあやふやになる代物なのだ。
 異眼とは目を通じて無意識における世界を、自意識によって塗り替える事が前提の代物だ。異眼使いとは、結局は現象と言う自意識を見ることによって具現化させる存在なのである。

 そう言う意味で考えれば見識の異眼とは、見るという世界に対する観測を意味する力であり。自意識を強引に押し出すものではないのかもしれない、時間の観測である未来視に、世界の観測における遠視、物質さえも障害としない透視、見たいという願望の結晶でありその分岐であろう。その頂点に立つ千里眼は、その全てを可能とするといわれているが基本は遠視の異眼だ。
 だが両眼と変わったとき、その本質が開眼したのだ。しかしだ、その本質の中に破壊の力はない。

 本来であるのなら、異眼の掌握は出来てもそれ以上は出来ないはずなのだ。
 それでも彼は暴走して破壊を振りまいた。どこの奇跡かと思うような剣の暴走を、ただ狂いにかけて強引に開いた、彼自身の失態にして、千眼王の本質。しかしその可能性は今、抉り出された眼球と共にのたうつ体と悲鳴が全てを吐き出していた。彼の目からは溢れるのは、絶望染みた慟哭と血だけだ、そのまましているだけで間違い無く息絶えてしまうだろう事は、間違いないほどの出血に、それを容認してしまうだけの心の傷があれにはある。

 その絶望的な彼の姿を見ることもなく、ただ彼の眼球を愛しそうに抱きかかえる。白地の服は真っ赤に染まりそれでも、宝物でも手に入ったかのように、大事に抱えて、押し殺したような笑い声が響いていた。

「……ちゃったぁ」

 その喜悦に見た喜びの声は、成功した復讐ゆえだろうか。それとも手に入れた千眼王の眼球の所為だろうか、だが血で隠れた火照った顔は、どこかかしみに悶えるような表情にも見えた。それでも響く声は、間違い無く喜び以外の代物ではなく、彼女自身の感情はそれ以外いなかったのではないかとさえ感じてしまう。
 うずくまるように抱きしめる姿は、まるで子を守る母のような姿だ。

「やっと、やっと、祭の目が手にはいったぁ。ようやくだ、ようやく、観測者がいなくなる」

 たった二つの目にどれほどの価値があるというのか、彼女はそのまま大切にしていた目を喰らう。
 そのまま丸呑みするように眼球を咽喉の奥に押し込むと、口から血を滴らせて満足そうに笑う。それが彼女の願いだったのだろう、千眼王と言う存在の瞳をその体に納める事が、だがそれが意味を要するはずも本来ならない。

「悲願成就か浄眼王、それだけの為に、そこの屍に絶望を与えていたと思えば、やはり道化は道化のままだったか」

 そんな彼女の姿を見て千眼王が一人、不快そうな声を出しながら話しかける。
 所詮彼女と千眼王は、ある理由から力を貸したに過ぎない。そして千眼王の目的はもうすでに終わっている、同時に奉の目的もだ。二人の間に剣呑な空気が流れているが、力の差は歴然としているからだろう。
 奉はやけに落ち着いた様子で、彼女を振り向きもせずに答えた。

「そうだ、これで世界が終わる。この下らない茶番劇がようやくだ、こんな場所はもう見飽きたんだ」

 どこか弾んでいた声は、彼女の願いの成就を告げているのだろう。

 だがこの言葉にこそ浄眼王の本質がそこにある。世界を拒絶する存在の本質がそこにあるのだ。
 浄眼使い達は何かしらの要因で、一度は世界を拒絶したものたちであり。同時に自分が認める世界以外を認めない存在でもある、だからこそ他人の異眼を消し去る力を保有しているのだ。自分たちの世界で、他の世界を消し去る、それが浄眼使いの本質である。
 故に盲目の異眼といわれたりもするのだ。だがそれはあくまで浄眼使いの話、浄眼王はそこから更に一つ踏み込む。

「だがその子供のわがままの結晶である私が、それを止めなくてはいけない事も知っているのだろう」
「はっ、違うだろう。それなら僕がまだ事実を知らない時に殺せばよかった、千眼王あんたは、次世代を作る為にそれを失敗するんだ、それにねようやく千眼王が僕の腹の中から生まれるのに、本当に殺すつもりかい」
「浄眼王が千眼王の何を分かると言うんだ、所詮同一の紛い物だ。貴様には生涯分からんよ、目の本質は別に目があるからこそじゃない、ただ目を喰らって千眼王の片鱗を得た胎児が何の意味があると思う、千眼王はそんなものじゃない」

 だが香禅坂はそれを否定した。
 それも滑稽な事を言うと鼻で笑いながら、彼女の悲願を否定する。だがそれが彼女にとっての事実なのだ、千眼王と呼ばれた存在だからこそ理解している本質。浄眼王では理解さえ出来ないその事実。

「そもそもだ、世界を否定した存在が世界を容認する存在の何が分かるんだ」
「じゃあ何かい、父親の頭を壊して道化に変えて犯された僕は、無駄な努力だったとそう言いたいのかい」
「無駄じゃない、無意味なだけだ。もっとも浄眼王、お前が望む千眼王は出来るだろう、正真正銘の代物は不可能だがね」

 その瞬間何もない空間の中から、炎があふれ出して千眼王を襲ったのは。
 だがなんてことはない現象の一つ、両眼の浄眼使いが使う異眼の力は、外敵の消滅であり太古からの破壊の化身であると言う形でそれは具現化する。炎に焼かれる痛みもなくただ存在ごと消し去れるような代物だ。
 けれど千眼王と呼ばれたものがこの程度でやられるはずもない、春斗を殺した硝子の剣がその炎を容赦なく斬り刻んだ。

「ああ、それならいい、だがそうなると最後の観測者が要らないわけだ」
「だろう、なにしろ千眼王の最後の観測者である私がいるわけだ。お前の世界には邪魔だろう、何しろ世界の観測者はもう目を抉り出されてしまっている」
「それにしては余裕だね、ここで殺されないとでも思っているのかい。祭を無茶な方法で開眼させたんだろうけど、お前はもう要らないんだぞ千眼王」

 世界が変容していく、最初の変化は千眼王の腕だった。
 いきなり指が一本増えに本増え、腕が三本に分かれる。それを認識した瞬間彼女は腕を吹き飛ばし、辺りに血をぶちまけた。咽喉の奥から囀る小鳥の悲鳴が、四つの硝子の刃を奉に向けて振りぬく。だがその一撃さえも途中で破砕し、地面に割れた結晶が落ちて酷い音を響かせた。

「それが世界最強か千眼王、いつでも殺せるじゃないか」

 そんなことは言われるまでもなく分かっているのだろう千眼王は、攻撃をやめる事さえ考えない。奉とどこから具現化させた七つの塊、爆砕する破片が中空を打ち抜き、奉の腕を抉り肉片を地面に叩きつけるが、その音が響くよりも早く抉られた体が元に戻る。
 それでも攻撃をやめるわけにはいかない。彼女の背面より、四十八の銃口が奉に向けられ、容赦ない銃声と共に隙間ない銃弾が撒き散らされる。それと同時に、八の鎖が拘束するべく、風に吹かれる糸の如く奇怪にうねり四肢を縛ろうとする。

「同類だろうとさ、この場じゃあ勝てないことぐらい知っているだろう。ましてや格上ですらない、だからこそあの時お前は千眼王になればよかったんだ」

 その全てが触れる前に消し去られるのだから、彼女たちの戦力差が如実に分かる事だろう。
 戦う事すら無駄なレベルだ。

「冗談じゃない、誰があんなものになるか。いいか、私では分不相応なんだ、どこまで行ってもお前の思い通りの千眼王だ。それじゃあ何も変わらない道化芝居だ、ならどんな事をしてでも完全な千眼王を作る必要がある、浄眼王に対抗する為にはな」
「そのためなら命も惜しまないか、流石失敗作、たかが暴君に人生を台無しにされただけの事はある。あの道具もずいぶん愉快に動いてくれたよ、あの人がいなければ流石に、母さんを殺すのに骨が折れただろうしね」

 そうやって彼女を言葉で笑う。千眼王はそうやって、暴君に人生を狂わされた。それは間違いない事実だからだ、最後の最後に暴君の意思を台無しにすればここで死ぬことが確定していると来ている。
 しかし自分も今まで生きてきてそれだけの事をしてきていた。

「違うな、死んでも仕方ないだけだ。適正のある道化を作り出して、延々と道化芝居をさせた挙句殺そうとしている。それになにより復讐と言う名の代償は生きていようと死のうと変わりないんだ。死ぬ覚悟は出来ている、殺される覚悟もな、だからこれは時間稼ぎだ千眼王がその本性を開眼させるまでの」
「だがすでに、観測者はもう千眼王お前一人だよ。どうやって、観測者もなしに世界を存続させるつもりだ。それに祭はもう死ぬ、幾らなんでも完全な覚醒もしていないなら死ぬだけさ、ましてや心が戻ってこない」

 それを聞いて千眼王はさも滑稽だと笑った。
 道化ばかりだった、道化ばかりなのだこの世界は、そんな世界に風穴を開けてくれる存在が千眼王だと誰もが思っていた。だが本当は誰が道化なのだろうか、正解はない何しろ今まで起きた全ての事は、全て道化芝居に他ならないからだ。

「道化が、道化を笑う。まさにそれだ、それなんだよ、心だとあの化け物の息子が、二度三度心が折れた如きで、生きるのを辞める筈がないだろう」
「ここにその娘がいるんだけど、違うとでも言うつもりかい」
「最初から心が折れてるくせに今更どこを肯定して欲しいんだお前は、心が最初からくたばって卑屈になっている奴が、あの女の腹から出たところで子供なんて言わないんだよ。私の言っている子供ってのはな、その母親の元でなにを見て育ったかだろう。めくらがなにを見てなにを知ったと言うんだ」

 明確な侮蔑だ、だが彼女は否定できない。何しろ彼女は自分の母親を殺そうと企んだような人間だ、何より彼女にとって母親とは、自分を作り出した人間だ。
 恨み憎む対象であっても、慕う対象ではなかった、だがいざ否定されればわき上がる感情は不快な代物だ。千眼王が死んでもなお敬意を示された人間と彼女は全く違う存在だと鼻で笑う。

「最もあの母親の教育は一長一短だ、化け物が出来るか出来ないかだろうが、めくらの娘と一体どんな息子が出来るのか」
「じゃあなんだ私は化け物でもなんでもないと」
「ただの人一倍弱い人間だろう、無駄に力を持って世界を否定している辺りがろくでもないが」
 
 吐いて捨てた言葉を拾うことも出来ずに、血が滲むほどに歯を食い縛る。
 ただ感情のままに行動すれば千眼王は間違い無くここで死んでいただろう。だがそんな事をすれば彼女の発言を肯定することになり、自分がどういう人間か認めざる終えない状況になる。今の彼女はそれが許せなかった。

「本当の化け物は、一度や二度倒れた如きで立ち止まらない。何度地面に楔が打たれて、四肢をねじ伏せられようと、立ち上がって必死に空を掴むようなやつらのことを言うんだ。浄眼王お前にそんなことは出来ないだろうし、そんな事考えもしないだろう」

 だけそれを出来る奴らだけ化け物っていえるんだと、彼女は楽しげに語る。
 出来るはずがない、そんなことが出来るのは、無謀な馬鹿だけだ。だがその馬鹿の中からしか化け物は出てこない、十割は絶望のまま何も達す事もなく死ぬだろう。だがその十割の中の異端こそが化け物なのだ。

「うるさい、どうせそれでも祭は死ぬ。そしてこの子がいれば全ては終わりだ」
「浄眼王と千眼王を合わせた導眼王か、世界を殺すも産むも容易い存在への変化、それに私を殺したところで何も変わりはしないさ。どうあっても世界は終わらない」

 どれだけ望んでも叶うがないとせせら笑う。
 しかしどれだけ歪んでも蛙の子は、蛙にしかならない、そんなことは千眼王は理解している。どこまで言っても基盤はあの化け物なのだと、彼女にとってそれだけ祭儀は驚異的な存在だったのだろう。

 実際問題として、今目の前に存在する浄眼王は、胎の子供をもう一つの力として定着させつつある。
 千眼王の力と、浄眼王の力を持つ新たな王の誕生までは、それほど時間の掛かるものではないだろう。そのとき胎の子供は死ぬ事になるのも彼女は理解している、胎児に千眼王の眼など猛毒以外の代物にはならない。

「それでも世界を終わらせる、人間にはそれぐらいの力はあるんだ」
「ないとは思わないさ、だがお前には無理だといっているんだ。他人に力を望んだお前がそんな事を出来るはずがない、世界を滅ぼすのは人かもしれない、だがそれは自分の力で足掻く愚者だけだ」
「そうかい、そうか、そうやって否定するか、私の全てをお前如きが否定するか」

 当然だと鼻を鳴らして笑う。
 殺意を通り越した激情は彼女を根こそぎ殺しかねないと言うのに、ずいぶんと余裕の対応だ。と言うよりも最早、災害に直面した人間のような諦めがあるのだろう、自分はどうあっても殺されるという確信が、そう言う諦めもあるからだろう彼女はずいぶんと開き直っていた。

「そうだよ、そうさ、当然だ、そうやってお前を否定する。それに暴君もそろそろ動き出すだろう、そしてそこの死体もいい加減に目を覚ます頃だ」
「時間稼ぎの蘇生か、さっきから私を怒らせるためだけにやってるだろう。もう死ぬのが理解出来てるからって開き直りすぎだろう、全力で殺したくなくなってくるよ」

 流石に頭に血が上りすぎて冷静になったのか、溜息を吐く奉は、あきれた視線を彼女に向けていた。
 だが同時に時間稼ぎが無駄になったことの証明でもある。幾らなんでも露骨過ぎたと彼女は内心、舌打ちしていたが、本性を知っている同士だからこそ、ばれるというものでもある。

「そうお願いしたいものだがね」
「無理に決まってるだろう。そう言う風に現状を作り上げた存在がなにを言ってるんだよ」

 だがそれがばれたなら、確実に彼女は殺されるのだ。
 彼女を殺せば何かしらの変化が起きると、それだけは間違いないのだ。そして祭に対する何かしらの変化を観測者と呼んでいた。その変化のためなら彼女は、今目の前にいる存在を一度と言わず二度三度と殺すことだって構いはしないのだろう。

「ちょっと待ってほしいかな、そこにいる千眼王は僕の大切な存在だ」

 そこにあらわれるのはヒロインと言うにはふさわしくない癖に、発言だけならヒロインであろう存在だ。
 この世界に存在する三人の浄眼使いの一人、伊吹山の暴君その人だが、二人してそこは空気読めよと言った感じで白けた視線を向けていた。絶体絶命の癖に命が繋がった千眼王はある意味感謝するべきだと思うのだが、今までの空気が一瞬にして霧散してしまいあきれてしまう。

「まったく、まったく、なんて空気を読まない奴なんだ」
「知らないね、空気を読む読まないは、状況によって変えるべき代物なんだ。そして今は、そのときでは無いと言うだけだよ」

 何より折角の千眼王が殺されては困ると、普段封じている眼帯を引き剥す。
 腕に大量に埋め込まれた瞳がぎょろりと敵を睨みつける。気味の悪い目の動きが、しつこく何度も動きあらゆる角度から奉を観測しているらしく酷く歪だ。だがこれが千手の救眼と呼ばれる異眼が操っているのだ、他人の異眼を体に埋め込む事で使用可能になる異眼だが、この場においては戦力不足極まりない。

 無謀極まりない彼女の行為に、更に場が白けてしまうが、その中で一人体を震わせるように笑う奉の姿があった。 

「あれ、ここまでして死にたく無いのか世界は、全く生き汚いにも程があるよ。私が折角殺してやるって言ってるのに」

 だがその自身を自制させるような笑いは、あくまで感情の喜悦を告げるものであり、それが意味するものなど殺戮以外にありえない。
 あまりにも自分と言う人間の行為を台無しにし続ける世界の状況に、ようやく自分が殺されるという危機を世界が覚えたと思ったのだろう。彼女に突きつけられる現状は、奉が望んだ全てだったのかもしれない。
 しかしだ、ここまでされても障害とさえ思わないほどに彼女は強い。

「しかし暴君だっけ、昔っから都合のいい道具だったけどさ、その道具が私には向かうのはどうかと思うよ」
「道具は使い方をたがえた途端に、まともな動きをしないものさ。君が愚鈍なだけだ、僕を道具呼ばわりしたんだ、きちんと使いこなすぐらいのことはしておけよ糞餓鬼」

 実年齢だけなら間違い無くこの中で一番上だが、見た目だけなら実は年下の暴君は、幼い表情に凶暴な牙を生やす。
 実力も下の癖に大した態度であるが、この中で最も戦いの中で生きた存在だ。どんな能力でも対処できる自身があるのだろう、そうでなければこんな態度を普通は出来ない。
 しかしながらそこにいる存在は規格外だ、千眼王の対を成す存在浄眼王、その能力は反則の一言である。

「馬鹿か、余裕を振りまける相手じゃないんだ暴君。奴は浄眼王、今この世界存在する最強の存在だ」
「知らないね、だが簡単に負ける相手じゃ」
「ふざけるな、そこにいるのは千眼王の対の存在、その能力は大雑把に言えば世界支配。お前の物の足しになると思っているんだ」

 無知ゆえの蛮勇ここに極まり、え、そんなのいるのといった感じで呆然と千眼王を見る暴君の姿があった。
 それがまた変な空気を漂わせて緊張感を破砕させるのだから、狙ってやっているようにしか思えない。そもそも千眼王と言う存在だけが、今世界に知られている事自体不思議なのだ、本来そんな存在はいなかったのだ。
 その名前を与えたのは初代聖上、日本初の名家の開祖 初代千眼王 神武天皇が自称した言葉である。

 しかしそれより先、幾つかの千眼王が現れ全てが淘汰され続けてきた。それは初代千眼王ですら同じで、当代最強と言う意味で与えられる称号へと変わってしまい、本来の意味を人は忘れてしまっている。本来の千眼王を知るものなど、実は一人として存在しない、誰もが憶測で千眼王を騙っているに過ぎないのだ。
 だがその言葉はあって、対極らしき王が存在する、それは暴君にとっては予想外も予想外。彼女にとっての千眼王の対極は唯一つだけだ、そしてその能力さえも反則と来ている。

「お前は、世界崩壊でも望むのか」

 彼女にとって千眼王都は世界を作るもの、同時に世界を望むものである。その対極は、世界を破壊するものに他ならない。
 現状の打破を願う暴君にとって、それは願いでなく諦めであり、全感情の絶望である。

「否定に否定を重ねて肯定にしてあげよう、もっと楽しいことだけどね、認識消滅。それが私の目的だ、全ての干渉を受けない、何も聞こえない何も見えない、観測認識の崩壊、それが目的だよ。カーさんの腹の中で死に絶えるべき子供だった私は、それこそが目的にしからない、だからこそお前らを動かしたんだ力を使ってね」

 彼女にとって世界とは見たくない悪夢である。
 母の胎内から生まれるまでに、そのことは決まっていて死に絶えるのが望であった。それが何の因果か祭と一緒に生れ出る。
 何も見たくない、何も目に入れたくない、何一つ世界は存在してはならないと、彼女は退治の願いより純粋にそれだけを願い続けていた。

「だからこそ何もない世界を作り上げる必要がある、千眼王にしか出来ない観測創世、実在しない世界の認識だ。同時にそのもんをこじ開けさせる為に、祭の異眼が必要だった。それだけさ、だから抉り取って、生れる事さえありえない、お父さんとの子供を作り上げ、祭の代わりとしたんだよ。使われている遺伝子にさほど代わりはないからね」
「口を開きすぎじゃないのか」
「だって、祭もこんなこと既に見てるから知っている。滅びて世界後と死ぬ人間達に何を語っても変わらないだろう、もう君たちは動けもしないんだ、紛い物に敗北者」

 その願いの成就に彼女は心から笑う。
 世界は認識される限り滅びない、そしてこの世界には千眼王と言う最大の認識者がいる。だからこそ彼女は世界を消し去る為に祭が邪魔で、同時に祭が開眼することを望んだ。二度と世界から観測されないために、見えないことを願い、見られない事を祈るのだ。
 浄眼王は目に見えない物の象徴であり、自己にこもる非観測体の証明でもある。どんなに見つめようと、他人の心は見えないように、どんな優れた目でも見えないものは存在する。同時に見えない、目を閉じるという事は、存在する世界からの隔離であり閉鎖、自己と他との完全な隔絶を意味する。人は自己の中では全能だ、世界を作り、超人に代わり、新たな物語を作り上げる。
 そうやって自己の世界を操り、作り上げ、一つの始まりを生み出す。

 それこそ浄眼王の力であり、目を閉じる事の完全な始まりであるのだろう。見えない存在だからこそ独覚足りえ、世界の境がないゆえ世界を操る存在になりえるのだ。内にあるはずの自己を、外に貼り付けてしまう、それこそが浄眼王と呼ばれる者の正体なのである。だからこそ、紛い物では手が届かない、世界を操るものに、観測が甘いものではどうにもならない。

「あらゆる認識を消し去り世界と言う枠を消滅させるか、だが同時に千眼王が感情を持って観測する存在。例えば親兄弟、友人に、親戚、恩師、俗に観測者と呼ばれる絆だよ、埒外の復讐でもいい、祭が感情を向けたことがある人間を皆殺しにして千眼王の認識事態に揺らぎを生じさせる必要がある。彼の観測がある限り世界は枠を保ち続けるからだ」

 祭が死んでそれは変わらないのだからふざけていると、舌打ちする。これほど厄介な、観測はないと。

「だがまぁ、もうお仕舞いだ。いやもう終わりと言うのが正しいかな、最後だよき未がその観測者のね」
「下らない理由で殺されるものだ。しかしそうなるとは限らないのが、世界と言う代物だからさ、延命の願いと抵抗を」

 させると思うのか?

 ぎょろりと目が二つ彼女を射抜き、その価値観すら許さず千眼王を吹き飛ばした。

***

 ふざけた話である。結局のところ祭は、道化の中の道化、千眼王とは程遠い、道化の王様に過ぎなかった。
 自分が誓った復讐も、自分が狂った感情すらも、ただ世界を滅ぼすというふざけた理由によって、生み出されたものなのだ。道化芝居としかいいようがない、それは茶番極まりないにも程があるだろう。
 それで死んだ者達にすら同情してしまう、たとえば母親に殺された狼なんかもその一人なのだ。

 結局誰もが道化だった、何もかもが容易く死んで、それが下らない、下らない、全く持て下らない、自己の願望の為だと言うのだ。何より今まで抱いた復讐の感情全ては、そしてその行為は、これと全く変わらない事だというのだから笑えてくる。
 ただの暴走で友人を殺した祭と言う人間は、所詮妹と同じく感情を溢れさせ暴走した馬鹿の末路に他ならないと言う事を、それが涙が出てくるほどに笑えるのだ。双子とはここまで戯けたほどに似ているのだろうか、胸に這う蛆の感覚が、心を気持ち悪く障って来る。

 目は見えない、何しろ眼球を抉り取られたのだ。目が見えるはずがない、見えないのに、見えるはずがないのに、見たくもないのに、地と一緒に溢れる情報の濁流は、彼の現実を認識させるのだ。妹が高らかに馬鹿をホザク、千眼王が自由に自己陶酔に浸って馬鹿をホザク、暴君はそもそも存在から馬鹿をほざいている。
 どこで作ったか観測者と言う言葉に、認識、浄眼王に千眼王、観測創世に、観測認識、全部祭にとっては戯言だ。

 目の本質も知らないのかと、認識や観測は、見ることの副産物に過ぎない、目は違う、目はそんな代物じゃない。だが彼は今だに目を開こうともしない、心が動かない、体が動かない、自分と言う人間がどこまでも道化になるのが嫌なのか、それとも最後の家族を殺すのが嫌なのか、違う響きのことが彼の心を抉ったまま地面に突き刺しているのだ。
 親友とも言える男を、ただの暴走で殺した。理不尽なまでに、彼が過去に組んだ狼と同じだ、そんな人間なら死んでしまえと彼は思う。感情じゃない、ただ嫌なのだ、このまま自分がのうのうと生きるということ全てが、全てから視界をそらして逃げ出したいと、そう願うほどには彼は追い詰められていた。確かに彼は年相応の精神構造をしていないが、まだ二十と満たない子供に過ぎない。

 けれどどうだろう心が動かないのではない、何故体が嫌でも立ち上がろうとする。
 無意識で、何度も立ち上がろうとするのだ。嫌だと思っているのに、必死に立つなと望んでも、彼の体は立ち上がることをやめようとしなかった。

 嫌だといった。だが諦めるのはもっと嫌な気がするのだ、何か何かすることがあると彼は思う。
 立ち上がりたいはずなどない。しかしそれでも立ち上がらなくては、胸の蛆が消える事すらない。

 彼はどこまで言っても情が深いがそれ以上に、ある血脈から延々と引き継がれたもう一つの資質を持っている。激情家と言う、許せる、許せないじゃなく、感情で動いてしまう。嫌だと望んでも、どれだけ必死に拒否しても、復讐の対象はまだ生きていたのだ。春斗を殺した女も、自分の人生を台無しにした女も、何もかも出揃っているのだ。後は食って潰して吐き散らかせばいい。

 延命だと、させるか、させるはずがない。
 生きていることがお前にとって許される代物ではないと言う事をお前はまだ理解もしないのかと、いつの間にか炉くべられた炎が白熱を持って膨大なエネルギーを吐き出す。その仮定でひとつの違和感が、眼球に痺れを持って伝える。
 だが、その違和感より先に彼に溢れる感情は喜びだ。今の感情に舌鼓を打ち、感動を咀嚼する。心臓の場所を間違えていたのだが、完全に胸を貫いたその一撃は、千眼王に致命傷を与えているだろう。

「それをさせると思うのか、お前の望みを俺がかなえてやると」

 千眼王の望みを彼が容認するはずもない、彼はそんなこと許さず、許せず、ようやくと言っていいほどの万感を持って、千眼王に対しての復讐を完遂させた。
 それは誰もが驚き空間を止めるだけの代物だったのだろう、呆然としたまま地面に転がる千眼王は、何が起きたかわからないのか目を丸くしたまま、運が良かったのか死へ邁進しながらもまだ息があった。

「運のいい奴だな、ざまーみろよ。復讐達成だ」

 息を止めようとする千眼王は、異眼の力を使った体を蘇生させるが血が抜けた所為で、体がだ思うように動かない。祭は倒れた死体を踏みつけてそのまま骨を砕く、激痛にうめく声に、薄い笑みが歪んで現れる。
 完全な不意打ちであったにせよ、一瞬で命を剥奪されそうになった彼女は、どれだけ受け入れても死の恐ろしさに神経を切り裂かれたような恐怖を感じた。まさか目を覚ますとも思っていなかった奉は、少々驚いた様子で、だが少し嬉しそうに笑う。

「まだ立ち上がるのか祭っちゃんは、いやおにーちゃんは」
「一人どうしようもない肉親がいて黙らせないと死ぬに死ねないからな」

 それを聞くと跳ねるような音符を弾いて、声を唄うように鳴らすカラス達の嘶きが響く。

「しかし、しかしだよおにーちゃん、抉ったはずの目が何でそこにあるのかな」
「認識と観測、ただそれだけだ。見る事の基本だろう、なら目があると認識し、そう観測すれば存在が無くなる筈がないだろう」
「神の御業って言うんだそれは、死者だって生き返らせることが出来るだろう」

 しかし沈黙をもってこれを否と彼は唱えた。
 出来るかもしれないが、そこまで認識したくない、観測もしたくない、自分が出した犠牲をゼロにしようと考えたくもない。人生に重石を用意して、背に背負い歩く姿こそが人の生涯だ。年を追い歩けなくなって押しつぶされる時、人は死ぬだけの事である。
 だがその重石をひたすらに背負い続ける人もいる、彼はそう言う類の人間だというだけだ。

「それで、響君まで自分で殺して精神を潰しておきながらなにをしているのかな。生き返らせることが出来てもしないなんて、自己満足の醜態だよ」
「それでもだ、それでもなしたく無い事はしない。俺の罪業は俺が背負うだけだ。それよりな一つ聞きたい事ができたんだ」

 損だろうが損じゃなかろうが、友人を殺し今まさに目の前の妹を殺そうと考えている。開き直るしかない、開き直らなければ、立ち上がれないのだ、全部終わってから全てを考える。少なくとも、馬鹿をやろうとする家族を止めるのが、今時分のするべきことだ、後悔と言う後悔は後でする。その時立ち上がれないのであれば、生涯その重石に苦しむだけだ。

「いいよ、構わないさ。それにきちんと対応するかは、別だけどね」
「ああ一言ですむ、お前の腹の子の親って本当に親父なのか」

 彼は疑問に思うのだ。何故自分と狼の記憶に誤差がある、どうせなら同じ記憶を備えればよかったはずだ、だから疑問なのだ。
 本当に奉は狼に陵辱されていなかったのかと、彼はどれだけ覗いてもその事実はないはずなのに、だからこそ気になってしまった。そもそもだ、浄眼王として彼女が目覚めた事実はどこからだと。
 この目に溢れる違和感は一体なんなのかと。

「だから聞いてるんだ。何で俺の眼を確証にする、千眼王ってのは言葉に過ぎないし、それ以上でもない。怯えた餓鬼が、恐怖のあまり作り出した逃避の一つだ」
「何を言いたいんだ君は、私が、私が、あの程度の男に陵辱されて孕まされたとそういっているのか」
「ああ、自己の閉鎖が赤子の頃からだと、違うな、どう考えても可笑しい。確かにその素質はあったのかもしれない、けれどなんでお前の世界を見て俺が、事実を決められる。今まで世界を作り上げただろうお前は、子供もそうやって事実を捻じ曲げた。いや事実があまりに辛くて世界を閉鎖したのが正しい事実か、答えろよ浄眼王、お前がのたまった千眼王がそういいきっているんだ答えろよ」

 だが彼女は本当にそう思っていない、だがどこかに歪みが出てきたかのように、表情が酷く強張っていた。
 そもそも理由が薄弱すぎた、ただ嫌いだから世界を消し去る。冷静に考えればこれほど理由のないものはない、そうなれば本来その世界に観測されている、彼女や彼らもまた消滅するはずなのだ、観測と言う概念が尊重される目の世界だからこそそれはより強くなる。

「知らない」
「そもそもの疑問だ、何で俺が見間違える。なぜこの目が観測を間違える、浄眼王の力だとでも言うつもりか、お前が世界を自由に出来たとして、観測に誤差が出るだと冗談じゃない、あの時俺は目を開いてたんだ、少なくともお前に干渉できる場所はない」

 何より根本的な間違いがある。

「それより何より、浄眼王は別に世界を操る存在でもないだろう。目を閉じる存在それが浄眼王だ、お前の開眼のことばを俺は知っているぞ、俺と全く同じ、目の本質はそこのはずだ、ただその中でお前もまた観測と認識による世界への観測障害を与えて、事実を捻じ曲げたに過ぎない」

 今その場にいる男は目を見開き、あらゆる事象の観測者と変わった存在だ。
 絶望は彼女の心に深く染み渡り、咽喉を咲くような悲鳴と共に彼女の絶叫があふれ出した。

「黙れ、そんなことが事実のはずがない」
「ああ、お前の世界の中ではそうなんだろうよ。自分で自分が強姦されて居ない世界を認識して作り上げたんだ」

 絶望、それほど容易い理由がほかにあるだろうか。
 だがこれも彼が救えなかった代償なのだろう。あの時、狼よってさらわれた自分の妹を救えず、目を開く事もなく倒れ伏した自分の末路。もし自分が女であるなら立場は逆だったのかもしれないが、後悔して何度もその重さに地面に這い蹲って、だからこそ間抜け馬鹿を叩きなおす必要がある。

 彼女も否定したいが、否定できない。その目の前の存在が、言う言葉にうそがあった事は一度も無く、同時にそれを認めれば彼女の心の中は、抉られて死に果てる。どれが正しいかなんて彼女に分かるはずがない。

「その目が戯言をほざくのかな、流石に理性を保てないんだけど」
「事実はその態度が証明だ、知っているんだろう。本当は自分が全身全霊を篭めて逃げ出しているだけだって事を」

 その逃げっぷりは賞賛に値すると、皮肉の篭められすぎた言葉に、彼女の内は罅が入る。
 苛立つ感情は吐き気と共に現れ、感情が地響きのように辺りを振動させた。それが彼女の王としての力の余波でもあるのだろう。しかしそれだけ感情を揺さぶられて周りが見えるのかと問われれば不可能だ。

「黙れよ、黙ってくれないか、お前のことばがどうにも私には癇に障るんだよ」

 まして彼女は、祭の口を塞ぐ事しか考えていない。口が裂ける様に笑う、声を出さないで笑うその行為を彼女は挑発に見えるだろう。
 彼はただ下らないこの茶番劇の結末と始まりの、あまりにずさんさと適当さか現に笑いが出てきただけに過ぎない。いっぱい死んだ、結局それだけに尽きる、何もかもの始まりがあまりにくだならい、道化芝居とは本当によく言ったものだ。
 今この事象に関わる全ての人間は、全員が道化であって、誰一人その範疇から外れる事はなかった。

 そして多分その終末もきっと同じものなのだろう。だからこそ、祭は苛立った、誰が定めた事実か知らないが、例えば今から自分で妹を殺す事実が、最早誰かの手のひらの上で踊っているとさえ思えてくる。

「だが、それもいいか、黙らせればいいだけなんだ。けれど今は時間がないから盛大にそのラインに乗ってやるだけだ」

 実はだが、祭はいまだ千眼王の力の意味を知らない。そもそも目の本質を知っているだけに過ぎない彼が、千眼王の力と言うものを知るはずがない。
 片鱗を引き出してもなお彼には遠い、と言うより人類には遠いのかもしれない。かつて諦めを忘れ、自分の道を切り開き続けた刃があったように、人を捨てて人のままで生きていく存在でなければそんなものにはなれない。

 人は人を捨ててこそ始めて人と向き合える。
 彼にはまだそれだけの覚悟はない、今まさにその覚悟をしている最中だ。心に刻もうと、どれだけ苦しもうと、目的を定めて歩き出す事の出来ない人間は、現状を打破する事は出来ず埋没する。その際の犠牲全てを容認する覚悟を是として、突き進まなければ何一つ手に入れられないものもあるのだ。

 そして、その犠牲の一つが肉親であろうとなんであろうと、成し遂げるべき代物があるのであれば、時として捨て去る覚悟も必要なのだ。そう望めば望むほど世界は、教子に硬くなく阻むだろう、それさえねじ伏せて何かを達成できるものだ。大なり小なりそれで全てだ。
 眼球を押さえるようにして、手で視界を阻める。そうやって視界を凝縮して、力を篭める、心にその重責を背に負い、吐き気するような事実と自身の心根に、何を殺しても笑ってしまいそうなその覚悟を作るが故に。

「かーさんの秘奥か、破眼でどうにかなると」
「破眼だからこそだ。かーさんじゃない、俺だ、俺の異眼だ、これが自分の性根を叩きなおすのに丁度いいだけだ」

 そして彼が新たに観測した目は千里眼などではなかった。全てを見通す眼など彼にはいらないのだ。
 ただ前を見て歩き出す全ての障害をねじ伏せるための異眼、眼球の奥より吐き出した感情の吐露は、邪魔をする全て貫き放つ視界、その目の前には何の障害も無くただ目標が広がる。
 破壊しつくす、感情のままに全てがなぎ払われる。

「は、なにそれ、どういう異眼だよ。両眼だからって、僕の意思を上書きできるか普通」
「するんだよ、破眼は感情を吐き出し願望をかなえる為に走り出す異眼。みる為じゃなく見据えるための異眼だ、本来見識以外の異眼はそのためにある。何かにたどり着くための意思を尊重する為に、だからこそ世界に自分願望を目を持って生み出す。目とは門だ、世界より自己を編み出すために自分と別の世界を繋げるための門なんだよ」

 門、それは彼の開眼の言葉だ。
 
 繋ぐ者、自己と世界を繋げる一つの門

 目の本質は結局それなのだ。世界と世界を繋げる、自己と言う世界と、もう一つの世界を繋げ観測するための存在それが目なのだ。だからこそ一人ひとり異眼の形が違い、その意志が強いからこそ力が強く、そして同時に自分の系譜にさえその形が残る。何よりその血をねじ伏せて、新たな異眼を開眼させる人間が優秀であるのもそこに理由があるのだ。
 長い血脈の意思を剥ぎ取るだけの感情を持つ世界であると。

「世界を滅ぼすだと、自分を滅ぼせ、そうすれば世界は滅びるぞ。お前の見たくないすべてが消えうせる、それを世界に誤認までさせるから目的がいかれる」
「あくまでそうだとしても、邪魔なんだよそんなな思考は、私はねこの子供を使うんだ。そして私以外の世界を消すだけだ」
「そうかよ、どうあっても俺に家族殺しまでさせたいか。全く持って最後の最後まで迷惑をかける奴だよ」

 色さえ失い光さえ放つ事のない異眼を見開き、ただ眼前に存在する標的に、そして何より自分の目が見据えるもの全てに対して、今から始まる事の重みと苦痛をせをってある着だす覚悟をする為に、それは人を捨て人になる方法。人に身を超えながら人の内に収まるが故の暴挙に近い、そしてそのような人物全てを称してこういうのだ。

 化け物と、祭もまたその道を進む。重責で潰れ、肉片さえ残らない敗北者の塊に成り果てるまで、化け物に成り果てるしかないのだ。そうしなければ彼は死ぬ、今ある重責さえ本来の彼の気質からすれば、咽喉を掻っ切って死に絶えかねない。それを止める意思もまた彼の生来の気質であるのだが、まさしくそんな性格と言う奴だ、全て忘れる事さえ出来るのにそれが彼には出来ない、絶望を引きずっていつか後悔に殺されるに決まっているのに。

「殺すしなかいだろう、あの日あの時お前は終わっただろう、たかが陵辱と言うべきなのか、されど陵辱と言うべきか、男でも男に犯されればそう感じるのか分からないが、餓鬼までこさえて千眼王か、そこまで現実から逃げたかったのか、取り敢えずで終わらせてやるよ」
「ふざけるなよ、私に勝手に同情して嘲笑うな。勝手に見下して哀れむな、私は私の意志で望んで願ったんだ。いくら祭りでも許さないぞ」
「ああ、そりゃ重畳、許すな恨め呪ってしまえ、全部背負っていつか死んでやる。喜べよ、少なくとも捨てる事だけはない」
 
 死ぬ、死ぬ、絶対に彼は死ぬ。薄弱とは言えない心とは言え、頑強である筈もない精神は、間違い無くその心を殺してしまうだろう。
 平然といることが、正気でいられる事が、彼にとって最もありえない狂気なのだ。心臓を食いつぶすように感情に牙を突き立て、鉋で削り殺す。いつかきっと獣のように体をすり減らして死ぬのだろう。

「最も今のままじゃお前には勝てないんだがな」

 空間に目が開く、今更になって千眼王の秘奥の一つである籠目を使うが、彼女からしてみれば、過去の遺物に過ぎない。
 だがそれでも溢れ出す破眼の力は、彼女周りを破壊させ、周囲の全てをねじ伏せる。それでも届かない破眼の視界は、無傷と言う結末しか用意しない。しかしそれでも驚愕をそのまま顔面に貼り付けたままの奉に彼は酷く残酷に笑った。

「冗談じゃない、破眼如きでここまで追い込まれるか普通、いや祭はそう言う類か」
「どういう類だよ、一乃坂祭は、一乃坂祭だ、どこまで行ってもそれだけは分からないんだよ」
「変わるさ、人に余る存在に成り果てる気だろう。化け物め、かーさんみたいなあんな存在になる気か」

 なる気じゃない、もう成り果ててしまっているのだ。
 だが踏み込め、歩き出せと、感情を吐き出す様に、押さえた皮膚から血が滲みだし。感情を何かと何かをつなげようとする、それは千眼王が吐き出した力の一つ、硝子の剣、いや彼はまだ踏み込める、まだ踏み出せる、だがそれを行えば世界は軋み出す、彼の吐き出す何かが世界に震えを起こす。

「どこまでなにを見ているんだ」
「門なんだよ目は、目は門なんだ、もし千眼王が居るとするならその門を開け閉めできる存在だ、浄眼王とはその門をなくす事ができる存在、だから笑って死ね。狂っていくよりずいぶんマシだ、笑って殺されろ、どうあってもお前は死ぬんだこの場所で」

 そしてそれは開く、第五、それは第五と言う。その世界の価値観は膨大であり唯一つ、それは平等と呼ばれる、いや正確には違うのだが、根本的にはそれでいい。
 簡単に言えば全権限の剥奪及び、生死の認定、同時に世界干渉の廃絶である。それはつまり王としての権限の略奪であり、機能不全だ、そして残るのは個人が積み上げてきた研鑽だ。
 この世界において、他の世界干渉は全て廃絶される。それが祭の異眼であっても同じだ、何よりこれこそが彼が作り上げた末路の始まりでもある。

「さて答えあわせだ」

 それは王の権限を消し去る、つまりは目の前の妹の過去に行なった干渉の全てが捻じ曲げられるのと一緒なのである。
 確かに彼の言うとおりの答え合わせだろう、それはあまりに悲劇的な最終の事実だ。

「祭は、君は、君は、貴様は、戻したな、折角忘れられたのに」
「こうでもしないとお前に勝てないならそうする、恨め、恨め、呪ってしまえ、俺と言う人間に生涯罪業を与え続けろ。そうでもしないとお前が救われないならそうしろ、そしてそれが俺の最強の必殺技精神攻撃だ」
「ずるいな、ずるいよ、結局祭の手の平じゃないか、しかもそんなに涙まで流して、まるで私が悪役だ」

 彼の取ってずれた記憶の誤差ほど気になるものはないのだ。全てが確証に導かれる人生だったからこそ、そう言う何か可笑しい誤差に敏感になる。 
 そこにある曖昧な記憶など彼にとっては、容易に容認できる代物ではない。だからこそ彼女をことばで追い詰めた、正しい事正しく見てしまうからこその弊害であると同時に利点だ。
 それは常に第三者であり、常に当人である異眼を持ったせい。

「当然だろうが、心が折れれば動けないだろう。必死に生きることを病めて満面の笑みで死ね」

 だが今だけはその心さえも見通す異眼が無くてよかったと思う。本来の事実に行き当たった家族を殺す、恋人でもない、ただ絶望して涙を流しながら救いを求める肉親を彼は殺すのだ。親愛の情を篭めて全身全霊の優しさを持って、しかし彼の優しさだけが全てを救うわけではない。
 それは自分のためでもある、彼が彼女の心をまた殺そうとしているのだ。そんなつもりはないと否定はしない、ただどこか感情さえ虚ろに、死出の旅路を二人して向かえる。神に奉げる祭りの始まりだ、贄が一つ二つと現れる、だが祭は異眼で妹を殺そうとなど考えていなかった。殺すのは視線じゃない、自分の手でなければ意味がないのだ。

 首を絞めて苦しみ呻きだす妹。

「恨め、恨み続けてくれ、そうじゃないと俺も生きていけそうにないから、お前は俺を殺せ」

 彼は愛情を持って殺戮する。それは独善の極みで心の壊れかけた彼の最愛の表現、心には蛆は消え去り、蝿が飛び回る腐った代物に変わってゆく。
 涙も流さずただ俺を殺せと告げるだけで、咽喉を占め心を刻みつける。誰が仇だこの結末のきっと誰もが望まぬ方向に向かっていっただけ、幸せな結末だけは訪れない、何一つ訪れる事などない。

 これが復讐と言う物語の顛末か、手元にはなにも残らず、何一つ手に入らない。
 分かっていた事だ、自己満足の終わりは自己満足しか残らず、達成するものではなく満足するものだ。残らない、何一つ残らない、彼らは間違えずに、何一つ間違えずに、全てを正しく進んで失敗する。
 誰もが望んだ通りの結末を迎えて、失敗するのだ。

「殺すんだ、俺がお前を殺すんだよ。復讐だ、これも全部復讐だ、お前が原因だから、お前が始まりだから殺すんだ」

 心が潰され、殺される事を願う妹を彼は殺す。
 全てを破壊しつくし命さえも消し去る、自分と言う世界の崩壊を望む妹を彼は殺し復讐を達成するだろう。同時に彼女も殺される事で願いが叶う、全くもってすばらしい関係だ。みんなの願いをかなえる完璧なハッピーエンドだ。
 敵見方の望む全てがきっと叶うのだろう、彼女らが望む千眼王までもが生れている。

「あ、、あり、あ……が、と……う。おに……ちゃ、ん」

 だというのに何故だろう、当事者達は喜びながら死に絶える。祭の心も壊れ始め、手に残る砂すらありはしない。
 彼女の始まりは、浄眼王として生れてしまったのは、あの日あの場所でずれた歯車が回り始めた所為だろう、祭が守れず、彼女の心はそれほど強くも無く、目の前で陵辱される姉を見て、目の前でそれを見ている兄を見て、何より男を受け入れ続ける自分を見て。

 きっとあの時彼女は世界から目を閉ざした、こんな物なくなればいいと望んだのだ。
 そうやって浄眼王は覚醒してしまう、だからこそ何もかもが終わり始めているのだろう。そうやって世界すら塗り替えて、消し去ったはずの世界と言う名の事実は、容赦なく明らかにされ、彼女の心は壊れてしまう。
 すでに生きていないのだ心が、死にたいと望む心だけが残って、その感情が世界を消すという発想に変わっただけ。

 それで死んだのだ、誰もが死んだ、けれどその死の螺旋もここでひとつの結末を迎えるのだ。じわりじわりと彼女の力は緩くなり弱くなっていく、首を締め付ける手は、最早絞めるのをやめることすらできないだろう。終われ、終われと、こんな悪夢は終わってくれと望みながら、祭もまた彼女と同じように終わってゆくのだろうか。
 力を失い肉が一つの塊となって人が人で無くなった。

 殺したのだ、結局最後の最後に彼は、大切な最期を殺して自分の心を殺す。けれどまだ復讐は終わっていないはずだ、まだ生きている元凶たちが居る。だが心がそちらに向かない、本当に立ち上がる力すらなくなってしまった。心が動かない、最後の欠片を絞って立ち上がったに過ぎないのだ元々彼は、それに喜ぶのは暴君、ようやく誕生した王に歓喜の声を上げる。

「王が降臨した、これでこの茶番の世界に終止符が打たれる」

 そう彼女の望む王は誕生し喜びの声が沸きあがる。さあ力を見せてこの茶番を終わらせてくださいと、民衆のように縋りつく。
 もしかするとこの下らぬ茶番劇の勝者は暴君なのかもしれない。彼女の所為で起きた悲劇が、結局始まりで終わりなのだ。千眼王は生まれ、彼女の望むように展開は進んでいる。
 邪魔者さえも消え、彼女の望んだ通りの結末が待っているのだろう。ここに居る存在の中で、祭を救えるものは無く、利用すものしか存在しないのだ。だがそれでも幸せを望むのだとしたら、たった一つの可能性にかけるしかないのだろう。例えばだ、まだ出てきていない最後のキャストの登場シーンではないのだろうかここでは。

「いえ、ここで打たれる終止符は貴方の人生ですよ」

 最後の茶番はヒロインの登場。ただそれだけだ、不意打ちばかりの勝利がまた刻まれる、正面きって彼女が暴君に勝てるはずもないからこそ当然の話なのだが、彼といい彼女といい得意技が不意打ちと精神攻撃と言う戯けたラインナップである。一瞬でかつての豪傑を殺戮しつくした彼女は、もはや一つの武名を馳せる事になるのだろう。その光景を見て目を見開いてあきれながら笑うのは千眼王だけだ。
 香禅坂椎葉はあまりの結末に笑うしなかなった、暴君を殺すのはきっと祭だと思っていた。だが蓋をあけてみれば関係のない、自分が浄眼王に対して出来る嫌がらせのはずの少女である。彼女が居るからこそ茶番劇は台無しになってしまう。

 祭の復讐は結局最後まで台無しにされるのだ。
 だが彼はそんなことにも気付いていない、しかしそんな不甲斐ない態度をルーデが許すはずもない。彼女にとって冗談とは言え自分に告白した存在が、この体たらくでは不愉快極まりないのだ。

「折角見つけて救ってみれば、なにやってるんですか貴方は、地べたに這って何も出来ないとかいわないで下さいよ」
「あんたかよ、少しな。その所為で立ち上がれなくなって」
「ああ、取り敢えず立ちなさい。立って前を向いてありがとうございます、それが日本男児の礼儀と言うものでしょう」

 叱りつける表情にあきれるしかない、何しろこの状況を見て、最初にいう言葉がそれなのだ。
 状況自体理解していないのかもしれないが、どちらにせよやっぱり大物だ。先程までの絶望が吹き飛んでしまいそうになる、心が軽くなった気がした。そんな酷い物言いで立ち上がれるようになる自分に呆れながら、急かされるように立ち上がる。

「ありがとうございます」
「そうです、それでいいんですよ。私に冗談とは言え告白したんです、それぐらいしゃんとしなさい」
「あ、はい、分かりましたルーデさん」

 泣きそうに優しい説教だ。本人にきっと自覚はないだろう、だが今の彼にとっては誰かの声はそれだけで立ち上がる力になった。
 まさか彼女にここまで救われるとは思わなかった。ありがたいなんていうものじゃない、まだ少しの間立ち上がって歩き出せる、どうせこれからもこうやって立ち上がれなくなるのに、それでも歩いていけるだけの力を与えてくれるのだ。

 最後は笑える、偉大なる浄眼の王を殺した男は、自分の護衛にしかりつけられ反省しているのだ。
 それだけが唯一のこの事件で茶番でない部分だったというのだから救いがない。だが抑えきれない感情に千眼王は笑い、祭に蹴り飛ばされて気絶した。
 
「ったく、本当に惚れてしまいそうなふざけた女だよ」
「ああ、ご自由にお願いします。別に断る理由もありませんから」
 
 うそだろうと間抜けな顔をする彼を見て、無愛想な彼女は彼に薄く笑って可憐な花を携える。
 誰もが正しく願いをかなえた場所で、誰もが全て失敗した場所で、唯一残った代物は、たわいない笑い声と一人の男の絶望だけだった。


 

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