二章 ラプラスの悪魔

 ラプラスの悪魔、物理学の分野で、未来を決定する超越存在の概念の事である。
 量子学の不確定性原理により破壊された。しかし、ここにその存在が居る、あらゆる事象を認識し過去も未来も一切彼の前では平等に認識される。最も多様に変化する未来を確定させる事は、彼には出来はしない。
 だがそれは不完全ながらそうとしか言いようが無い代物だった。

 見たいと思えばそれが全て見えてしまう、千里眼の中でも祭の異眼は、反則が過ぎる。あらゆる全てを認識してしまう、その代償は凄まじい本人の寿命を喰らいそれでもまだ足りぬという。自分の寿命さえもう見て知ってしまっている彼は、賽の河原で石を積まなくてはいけないと軽く言い放ったそうだが、かなり笑い事じゃない。
 自分の片割れの死に様を刻み付けられる事で覚醒した見識の千眼王は、その膨大な能力が故に死に絶える事に成るのだ。

 妹の鎮魂も終わった頃の事だ、線香花火とおはぎと言うあまりにも酷いと言えば酷い供養を友人と一緒にして、自分が死ぬ事さえ忘れたように、馬鹿笑いをしながら家路についていた。
 そんな折だ彼が思い出したくもない名前と一緒に現れたのが、天位の魔王ルーデである。シュヴァルツバルドの気高き姫君にして、異端狩り最有力候補であった。祭りはそのことを知ってはいたが、本当に思い出したくもなかったのだろう記憶から廃絶していたようで、心底深いそうな顔を作り上げる。
 最もそれ以上に凶暴な表情をしていたのは響であったりする。元々が激情家である事もそうであるが、彼女の父親が親友の命を削る出来事を起こし、もう一人の親友もまた命を落としているのだ。

 激情家であろうとかなろうと、相応の怒りを覚えても仕方ない事だろう。
 白亜の燐光を漂わせ、開眼の祝詞を紡ごうとするが、祭りが手でそれを制した。

「やめとけ、あれは本物の類だ。百眼じゃあ殺されるぞ、幅広の開眼じゃああれには勝てないからやめとけ。こんなところで親友を殺されるわけにはいかないだろう」
「けどよ、あれはあのゴミ野郎の娘だぞ。見ているだけで殺してやりたくなるに決まっているだろうが、ましてや今日は奉が死んだ日だぞ、これ以上の無礼があってたまるか」
「それでもやめとけ」

 同じく黒の燐光を浮かべ開眼の宣誓を紡ぎ終っているのだろう。若年では最強に近い異眼使いは、この異眼大国の日本であったとしてもその実力をまざまざと見せ付けていた。溢れる異眼の存在感が、白亜の燐光を押しつぶしているようにさえ見えてしまうほどだ。
 祭のあまりに冷静な言葉に、驚いたような表情を見せ彼の表情を伺おうとするが、冷静に考えてみれば顔の中で最も感情が、表に出やすい目が隠れている所為だろう、感情を読むことも出来ない。
 そのことに多少の歯痒さも感じるが、祭の言う事の方が正しいことぐらい理解している彼は感情を押さえつける。

「わかったよ。どうせここで事を起こしても無駄死にだからな」
「そう言うことです、クラウンの分家もそれなりに頭が働くようですが」「だがお前は黙ってろよ淫売、お前はこいつを侮辱すだけの価値もないだろう」

 その代わりなのだろうか止めた本人が、思いっきり彼女に対して暴言を吐き散らかす。目を見なくても十二分に、彼が彼女の事を嫌っていることが、理解できる瞬間だろう。冷静に考えれば、祭も彼女の存在が憎くて堪らないに決まっていた。

「ってまて、何でお前が喧嘩腰なんだよ。俺を止めておきながらなにをやってるんだよ」
「ああ、すまん。こいつが奉の事も無視して、お前の事侮辱するものだから本音が出た」

 いきなり淫売扱いされて表情が固まったままのルーデは、彼らと同年代の少女らしい反応を取る。
 そのまま感情に任せて攻撃するようなら、異端狩りの試験自体合格することがないのだが、その辺りの自制は、もう出来るだけの精神制御が、可能なのだろう大きく息をすって吐くと表情が、人形のように無機質なものへと変わっていった。
 
「千眼王香禅坂より、貴方の守護を任命されました。見識の千眼王と呼ばれる貴方の事なら知っていることでしょうが、お側にいることをお許しいただけないでしょうか」
「やめとけ、やめとけ、お袋さんに殺されるぞ。あの人は俺や響よりも苛烈な人だ、視界に入るや否や存在ごと皆殺しにされるに決まっている、それに俺はお前が生きているということ自体が吐き気がするほど嫌いだ、父親と同じくドイツの犬小屋からあらわれるな」
「そうはいかない、私は異端狩りにならなくてはならないんだ。そして何より今回貴方の護衛に当たるのは私の一族の失態だ、これ以上世界に魔王の汚名を出し尽くしていいわけがないんです」

 その言葉に何度が祭は首肯した。この世界では力と共に名家であるだけの理由が必要だ、強ければいいなどと言う発想では、現代社会で生きていけるわけがないのだ。高潔な倫理と、強大な権力を操るだけの器、莫大なるその力に払われる報酬の全てを受け入れ尻に敷く度量がなくして名家といわれるはずもない。

「と言うことはだ、出てきたんだなやっぱりお前の家の犬っころが、かわいそうに、本当にかわいそうに、手足をもぎ取っただけで生かしてやったって言うのに、存在ごと殺されにくるなんて。何度殺されるつもりなんだろうな、哀れすぎる犬だよ。だがこれで今回こそ確実に殺されるだろうな」
「何を言っている貴方の目には父の死が見えているということか。だがそれでは私の役割もあるはずではないのか」
「そりゃそうだろう、この国にあいつが二度もはいってくるのなら。それは殺してくださいとくるものだ、王帝に天威に俺、どれに殺されるかはまだ未来も決まっていないが死ぬさ確実に、お前もその一人になるかもしれないが近寄るな野良犬、餌に釣られて人を玩具にするな、俺はもうお前らの餌になるつもりはないんだよ腐れ淫売」

 そう言うと彼は踵を返して彼女から離れる。響もその後に続くが、彼女の感情の中に怒りがあっても仕方のないことだろう。
 個人の罪であるにしてもないにしても、これほど悪趣味な代物もないだろう。よりにもよって自分の妹を殺した相手の娘が、命日にあらわれ彼を守るという、義務感だけの説明を告げられた。
 これほど喧嘩を売るのに、相応しい内容も早々お目に、かかれるものじゃない。

 酷く制御しづらい感情を必死に押さえながら、それでもここで引けるものではないのだろう。見識如きに負けた魔王の一族と言う汚名を雪がなくては、この世界で彼女達は生涯不名誉の衣を着ることになるのだ。
 溢れる感情を声にして彼女は発散する、酷く震える空気はきっと微かなりとも目から零れた代物なのだろう。

「不躾はお許しください、ですがここで断られては私達はお仕舞いです」
「終われよ、一度終わってくれ、お前らを俺が許す道理なんて持ち合わせちゃいない。お前が奉の事さえまともに知らないのと同じだ、見当違いの憎しみだろうがなんだろうが、俺はお前ら一族を生涯許さないんだよ」

 溜まって行く涙を必死に理解する。自分の父親の業の重さをここになって彼女はようやく知ったのかもしれない。
 彼女にとってどこまで言っても一乃坂なんていう家は、彼女の家を没落に導き、自分と同じく『てんい』と言う名を持った、所詮生意気な一族だとしか思っていなかった。これは彼女の父親の教育の所為でもあるが、能力の低い名家以外を見下していたと言う事のなのだろう。

「お願いですから、お守りさせてください」
「嫌だ、絶対に嫌に決まってるだろう。って言うか泣くな、女が泣くな頼むから」

 しかしここに来てその事実が彼女を追い詰めた。没落しかけている魔王の家は、彼女が継がなければ他の名家によって圧殺される事だろう。
 だからこそ名声が欲しかった。
 そのためには千眼王までが集い、今代最強呼ばれる異端狩りに入るのが、その知名度から言っても早道であるのだ。そこにいる人間だけで鳴神の炎眼、錯乱の老眼、最強の千眼といった早々たる面子が揃っている中に入るのは、それだけで名声に繋がる事なのだろう。
 一代限りでありながら、人類最強の集団と呼ばれるだけのことはあるのだ。その理由は大体が千眼王にあるのだが、彼女にはその名声が欲しい。

 そんな彼女を見て祭は酷く疲れた様子だ。彼自身が女の涙に弱いということもあるだろう、トラウマレベルで刻まれているとは言え、憎い敵の娘でさえこうだというのだから筋金入りだ。元々そう言う性格なんじゃないかと邪推するほどである。

「私を好きにして構いませんから」
「冗談じゃない、俺が何でお前の親父と同レベルにならなくちゃいけない。あと泣くな、女の涙はもう見たくないんだよ」
「じゃあ泣きます、守らせてくれれなければ泣きます」

 凄くいやな顔をしている。ここに着て開き直られて、脅しをかけられているようなものだ。
 その二人の奇妙な光景と友人の表情が明らかに変わったところを見て、友人の仇の娘ながら笑いがこみ上げてきた響は、見識の千眼王の前で笑いを必死に我慢する。ばれるけど。
 ここに来て方の力が抜けてしまったのだろう、こんな滑稽な光景を見せられれば当然の事かもしれないが、これがあの劣悪な魔王の娘とは思いもしなかった。

「ちょ、負けんなよ。お前って奴は本当に女に甘いな、奉の所為だろうけど」
「うるさい、俺が女が死ぬ事自体がいやだって知ってるだろうが、絶対にお袋さんに、ころされるぞこいつ」
「お前が守ってやれよ、どうせお前負けるだろう。このふざけた女は諦められないさ、お前の復讐と同じように、引けない理由があるから高潔宣言の教育まで受けていながらお前に頭を下げるどころか体を捧げるとまで言うんだろう」
「それが冗談じゃないよ。俺はこいつが死ぬのも近くにいるのも泣くのも全部嫌だ。もうあんな光景を目にしたくない、今は未来も何も見えないが、こいつは死ぬぞ間違い無く」

 彼の母親は本当に苛烈な人間だ。殺意と言う力を持ってその意思を体現するのなら、千眼王さえ彼女の前には劣る。
 本来は情の深い人間なのだが、いやだからこそだろう、娘を奪われた怒りは、想像を絶している。ましてや息子の寿命さえも食い尽くされたのだ、彼女が大神の血脈を滅ぼさないのは、実際の話息子といる時間を大切にしたいからであり、それがなければこの目の前にいる少女は確実に殺されていると言う確信が祭にはあった。

 だからこそあまり母親に合わせたくはない。それは目の前の少女が殺されるのを見るのも嫌だが、母親が感情のままに狂う姿を彼は見たくなかったのだ。
 懇願するような視線に居心地の悪さを感じながらも、どうせ親の視界に入れば容赦なく殺されるのだ、母親は破眼と深意の明眼を持っている見識の第三十七位ながら、対象を絞っての見識であれば六位相当の異眼である。
 もし情報が一つでも耳に入れば、殺しにこられるに決まっていた。
 それは彼にとってもいいことではないのだ。渋々に誓いながらも彼は大きく溜息を吐いて、許可を下すしかなかった。自分の手の中にいる間なら母親もそう簡単には手出ししないだろうという判断である。

「分かったよ、クソ、お前みたいなゴミの価値もない奴の為になんで俺が苦心してやる必要があるだ」

 しかし彼の言葉は辛辣である。
 それは仕方のないことだ、本来ならここで彼が、彼女を殺しつくしてしまっても、仕方のないだけの恨みを抱えている。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのと変わらないかもしれない、彼女はその恨みを受け入れる事が出来るかは、不安だが今だけは必死に、感情を押し込めていた。
  
「ありがとうございます」

 可憐に笑う少女に、一瞬でも男の二人は目を奪われるが、それは思春期の若者である悲しい性なのかもしれない。
 祭は眼帯をしていようと目が見えないわけではないので、委や普通の目よりも鮮明に見えてしまう所為か、目をそらすようにして彼女を視界から外す。漏れ出す能力の遮断と言うようなものだろうが、いきなり遮断された視界は真っ黒に染まり彼は電信柱に頭をぶつけた。

「なにやってんだか、この世で最も世界を見渡せる奴の行為かよ」

 響のあきれた声に何も反論できず、痛みに耐える祭であった。

***

 高潔宣言の盟主は少し前から変わっている。
 狼の魔王が、四肢の全てを欠損させ前線にも出られない以上仕方のないことではあるが、だがその姿は高潔宣言のメンバーでさえも殆ど知らない。かつての大幹部たちは全てにしに、殆どそうが絵に近い状態で入ってきた所為もあるだろうが、新たな盟主に会うことは、新参の幹部たちでは難しかったのだ。
 不満は募るのだが、高潔宣言において異眼の力こそが全てである。大幹部である、大乱の心眼、神代の魔眼などといった大幹部たちの前に、彼らは屈服するしかないのだ。

 ただその存在が女であるという事だけは、事実であるようだ。

 最初は魔王の娘と言う噂も合ったが、そう言う事実がないことを異端狩りに入ると言い張っていた少女が、行動で否定していた。
 今回の魔王の派遣だって、その盟主の命令だという事だが、いまさら高潔宣言があの家族に手を出す理由はなかったはずだ。しかもそれが彼らにとって因縁深き、魔王を派遣する理由はなんであろう。

 そんな事を呟きながら何人かの幹部は談合をしていた。
 だが今回だけはそれではすまなかった、完全な奇襲のように一人の女が現れたのだ。咥えタバコに、乱雑に伸びた髪、青い燐光を放ちながら気だるそうに歩く人類最強が、人間を蹂躙しながら歩いていたのだ。

「お久しぶりだ諸君、君たちのところの負け犬がよりにもよって見識の千眼王のところに来ているのだが釈明はないのか」

 理解不能だっただろう、千里眼といえど認識不可能な場所に彼らはいるというのに簡単に見つかってしまった。
 いやそれだけならまだいい、ここにいる千眼王は間違い無く彼らを殺しに着ていた。あまり想像したくない事実だろうが、大幹部であっても皆殺しにされるような高潔宣言における恐怖の一柱である。
 青の燐光を見るだけで震え上がる存在がどれほど多いことか。

「知らない、盟主様が命令したとしか私達は知らない」

 恐怖が声に出して表れる。勝てるはずがないどころか、歯牙にもかけられないことを彼らは、理解させられている。
 千眼王とは異眼使いたちにおける憧れの象徴であり、悪夢の象徴なのだ、無敗にして不敗、圧倒的な非常識。そんな恐怖を彼らは身にしみて何度も経験していた。彼女によって殺された異眼使いは既に三十万を超える、一国を相手取る反則的異眼使いは、彼ら幹部集団でさえも恐怖の対象以外には写らないのだ。

「その盟主も分かっていないのに、大体予想はつくが、まぁま違いなく浄眼使いだろう。あのまま死んでいればよかったというのに、そこまでしてあれを見たいか。無理解の浄眼、千手の救眼、最終の賢眼よ」

 この全ての名称はただ一人の存在に当てられた言葉だ。
 現在の高潔宣言盟主である、大江山の名君と同じく異眼殺しの浄眼をもつ存在だ。更にこの化け物の恐ろしいところは、抉り出した目を手に植え付ける事により、その目を使う事のできる異眼である、千手の救眼を持っていることであろう。

「まがい物ではなく本物を見たくて何が悪い。ようやく覚醒までこじつけたんだ、あとは完成の為に言って付け加えなくて何が作戦だ」

 幼い声が響く、どこからか声だけ発しているのだろうが、あまりにも尊大なその物言いは千眼王を苛立たせる。
 ただ一人彼女が敵対する場合には、命を賭けるべき敵は、どこにいるとも知れずに楽しげに言い放って見せていた。

「だがそのまがい物で世界は十二分のはずだ、私も見たくないわけではないが、あの哀れな異眼の王にこれ以上の苦痛を与えて楽しいのか」
「哀れだ、あれほどの力を持ちながら何一つ出来ない異眼の王が哀れでならない。だからこそ高潔宣言はあの王を痛めつける、王のための贄になる準備は存分に出来ている」
「それを王が喰らうともわから無いと言うのに愚かな話だ。ここで潰してやるのがお前らのためか、それともあの王のためか、どう思う」

 判決の閻眼がクルリと目を剥いたと思えば辺りを蒸発させる。
 熱どころの話ではないが、そんな事をしても高潔宣言の盟主が殺せるはずもないことは知っていた。淡く漂う燐光のあとが、その炎の力を破壊しつくすのだ。それこそが理解の浄眼と対極をなす無理解の浄眼の力だろう。
 しかしその浄眼の力を使っていたとしても、ここにいる千眼の王の力は類を見ない。

 爆発的な熱量と言う名の情報を浄眼一つでねじ伏せるには、少しばかり異眼としての格で千眼に及ばないのだ。

「なあどう思う盟主よ」
「相変わらずの反則振り、流石異端狩りを世界最強とまで言わしめた女だよ。まぁそれでこそ高潔宣言の敵に値し、異眼の王が現れるまでのまがい物である権利があるんだろけどね」

 酷く息を荒げて、千眼王よりも一回り程年齢が低いであろう盟主の姿が現れた。
 腕を海晴と同じ材質で括られた眼帯のようなものをしているが、それは目の力を通常では引き出さないようにするための安全装置に過ぎないのだろう。だがどちらにしろ盟主は千眼王に勝てる自身などはならかない。

「否定するべきか、あれも私も王になどなれない。いや違うかならないんだ、寒椿も貴様にのせられた様だが、あの哀れな異眼の王は、その事実を認めることなんてない」
「何故分かる、王から逃げたお前が、あのアメリカ殲滅の際に王になれるだけの権利を持っていたくせに」
「だってこれほど面倒な権利はないだろう、私もあれも早死にするだろうが、どちらも王の権利は投げ捨ててるんだよ」

 あれは眼帯を剥ぎ取った時に王の権利を捨てている、そして私もあの下らない殺戮の時に捨て去ったよと、だが盟主がそれを諦めるとは思わない事を彼女は知っている。

「認めるか、たった二つの浄眼以上の最上級権限を得たくせに、どちらもが捨てるだって。どこまで道化芝居を演じるつもりだ千眼王」
「道化はどっちだ、異眼如きに全ての希望を見出す暇が、あるなら自分の行為に希望を見出せ」
「冗談じゃない、異眼の王以外にこの世界に希望なんてあるものか。そんなものは全部まやかしだ、この世界のどこに真実がある、それを見出せる王は一人だけ、この欺瞞だらけの世界のたった一つの真実だ。それを見たくて何が悪い」

 舌を打ち鳴らし、あわて分かるように非難の表情を作り上げる千眼王。狸の腹芸など王と呼ばれる存在はするはずもない、ただ純粋に目の前の女を睨みつけて言い放つだけで十二分だ。

「ただ世界が見たいだけなら自分の三十以上の眼を開いてみてくればいいだけだ、たった二つの目よりもよく見えるだろう」
「誰がこの心情を変えるか、いいか覚えていろこの世界でたった一つの真実は異眼の王である祭だけだ、その為ならちょっとの贄ぐらい食わしてやってもかまいやしない」

 諧謔に飛んだ笑みを作り上げ、王らしからぬ感情を突きつける。
 その表情が何を言いたいのか誰もわからないだろう。だが突きつけられた女は一人、いやそうな顔をして目をそらした。だが千眼王が彼女の言葉を聴くより先に、怒声にも似た分かりやすい表現で、眼前の盟主をにらみつける。

「それをあれが認めるとは思えないがね、その辺はどうなんだ盟主様は」
「黙らせるに決まっているだけの話ですねそんなもの、とうの昔に決めきった話ですよ」
「その言葉が残念でなりませんよ」

 そう言うと彼女は目を閉じた。シケモクを地面に吐き出すと、それを踏みつけ同情するように、再度見直す。

「伊吹山の暴君かつての日本二大巨頭の一人がここまで落ちぶれるとは思わなかった。まぁ、その賢眼から得られる異眼の王の降臨は、落ちぶれてもなお甘美な酒なんだろう

「当然だ、これほどの麻薬があるか。一同たれればもう二度とあきらめる事などできない」

 千眼王はその言葉を確認して一度後ろを振り向き表情を隠す。
 目の王に後ろからの攻撃など通用するはずもないことは、盟主である彼女も知っていることだ。何より自分をここで千眼王が殺さなかった事が僥倖、自然と笑みがこぼれていく。

「ああそうだ、そう、そう、暴君よ、世の中そんなに上手くは行かないから気をつけろよ。これは今の千眼王の忠告だ。お前の知る世界が欺瞞だったとしても、その世界の断片であるその目が、本当に欺瞞を見出していないとは思えないからな」
「そのときこの世界の全てが茶番劇だというふざけた証明がなされるさ。ならそれで十二分だろう、何よりそうであるならそれこそ、王を望んでいるんだよ。いくら欺瞞であろうと、どの世界にも王と呼べる存在がいる。それはやがて世界を飲み込むさ、様々な夢の中でかなえるだけでなくねじ伏せる王がいる限りね」
「それ自体が欺瞞であるかもしれないのに、よくも頑張れる。世界の中で最も劣悪な世界を認めない魔神め、他人に頼るからこそ貴様はそこで終りだと言うのに」

 王の資格を持っているといわれた存在は、どうでもよさそうにはき捨てる。浄眼とは根本のところ否定の力に他ならない、他人の視界に入ろうともせず強引に自分の視界を浸食させる異眼だ、だからこそ名君にしても暴君にしても、世界と言うものに対して方向は違えど過剰反応することが多い。
 強い精神性を持つ人間の過半数が特殊な異眼を持っている、特に後天的異眼発現者に関してはその可能性が顕著である。浄眼使いも元々は、後天的発現者なのだ。

 その特殊すぎる例が浄眼使いであるのだが、その視界そのものを否定しつくす異眼は世界の否定でもある。圧倒的な世界への不満が積み重なったものが、あふれ出しているかのように全てを否定しつくす。
 それは視界を通じての凄まじいほどの自我の主張だろう、お前の論理は認め無いと言う全否定の上に成り立つ力なのだ。

「知るか、これが正解と思って突き進むだけだ。この目を持つ存在の自我の強さを知っているなら黙っておけ」
「意固地なだけだ、その視野狭窄の異眼で一体何が出来るんだ」
「何も出来ないに決まっているじゃないか、だからこそ全てができる異眼の王を望むんだよ偉大なる千眼の王様を」

 皮肉を皮肉で切り返されて、居心地の悪そうに顔をしかめて見せるが、所詮演技と言うのが丸分かりの態度だ。
 だからお前らは何も出来ないんだと、彼女は心の中で思いながら、かつての日本二大巨頭にして、千眼王にその称号を与えた存在がこうまで世界に振り回される様に、同情さえ混じった顔をしているが、それに彼女が気付く事はないだろう。

「ったく、お前はあの時、比叡山で終わっていればよかったんだ。そうすれば伊吹のまま死ねただろう、なら誰も苦しまずにすんだんだよ、あんたも私もあれも」
「あの時に酒呑に負けたことなんて敗北のうちにも入らない。伝教大師から目も奪えたんだ、これほど都合のいい動きはないだろう」
「だからですよ、あんたが死んでりゃ、今生きている奴らは絶望さえ知らずに生きていけたんだ。だから確実に、世界の欺瞞じゃない、あんたが起こす悲劇があんたを殺すさ」
「常に振るった刃が、自分にかえってくるとでも本気で思っているのか千眼王。振り下ろす刃は常に敵に向けられるんだよ」

 舌打ちじみた音を鳴らして千眼王はその全てをねじ伏せるようにせせら笑う。
 だがどこか一方通行なこの二人の会話は変わらない。

「だが因果は常に応報するぞ、無様なおまえ自身の欺瞞でな。キチンとした事実だ、世界を閉ざした浄眼使いが、世界を見続けようとする異眼の王に何が出来る」

 ただその会話の幕をしめるように千眼王は言い放つ。
 世界を閉ざすという言葉に、反論出来ずに表情を怒りに染めながらも、苦々しく千眼王をにらみつけていた。それは浄眼使いにおいて最も、侮辱されるべき言葉であった。

 しかしそれでも浄眼使いはそれを否定できない、世界に対して感情を閉ざしつくした時に発現する異眼こそ貞観であるからだ。
 だから殺さんばかりに、母訓と呼ばれる浄眼使いは、千眼王を睨みつける。感情のままに襲いかかろうとする愚を犯す事はないにせよ、その憎しみは相当なものだっただろう。
 だが王はそんな姿を見て、鼻で笑うだけだ。振り向いたままだった体そのままに歩き出す。これ以上語ることも何もない、ただ一つの楔を打っただけ。

 殺意を浴びながら、それを心地よさげに歩いて行く。その殺意さえも消えた頃、ひときわ凄絶に、千眼王は表情をゆがめた。 

「これであれは止まらなくなるだろう。これで貴方の願いはかなうわけだ浄眼王」

 彼女は王など望まない。自分以上に相応しい王を知っているから、そしてその王が望む存在もやはり、あの哀れな千里眼を持つ少年であった。
 ただ一人千眼王と呼ばれる女は、酷く同情するように、少年の姿を思い出す。高潔宣言によって、両眼使いとしての開眼まで果たしてしまったからこそ、彼女と同じく目に寿命を奪われる事になった存在。いまだ真実を見る力を持ちながら道化芝居を演じる様に、彼女はただ同情を重ねるだけだった。

***

「あのな祭、お前が女を連れてくることを悪いとは、言わない。だがなそれは別問題だろう」
「ま、まぁ、落ち着こうよお袋さん。絶対にこいつを殺そうとすると思ったけどさ、そこは落ち着こう、まず息子の話を聞こう」

 既に開眼した破眼が、容赦なく魔王の娘を殺そうと燐光を放ちながら睨みつけていた。
 彼女自身も命の危険を理解しているのだろう、開眼の祝詞を唱えて臨戦状態だ。だが異眼使いとしての格がそもそも彼女と、彼の母親では違う、かつては高潔宣言最悪の敵の一人と呼ばれ、千眼王さえも戦いたくないと言い張られるような異眼使いだ。
 質量じみた破眼の圧力が、魔王の異眼をただ見るだけでねじ伏せようとしていた。

 心の底ではこんな化け物がいるのかと思うだろう。なにしろこんな存在が名家の分家で収まる事自体、彼女がからすれば恐ろしい話だ。
 日本における名家の一つとして歌われてもおかしくないレベルなのだ。

「とりあえず聞くだけは聞いてあげるが祭、下らない理由だったら、そいつはもう殺すからな」
「待ってくれって、何で殺すのが確定してんだよ。駄目だぞ、絶対に俺はそれは許さない」
「だが私は、あの魔王が泣き叫ぶ姿がみたくてならない。何より、娘の命日に堂々とツラを出せるほど罪悪感の欠片もないゴミを、生かしておく理由なんて何一つない」
「それでも殺さないでくれってお袋さん」

 だがそれでも盾になる息子の強情さに、一度溜息を吐いて息子を一度蹴り飛ばすと、ルーデを殴り飛ばした。
 本来一撃で人間を殺せるほどの力を持っている母親の一撃だ、ダメージは相当なものだろうが殺されないだけマシだ。地面に玄関扉に叩きつけられ、同様のあまり目を白黒させる、だがそんな事をしているうちに彼女は髪を引っ張られ、母親と目線を合わされる。

 そこには、怒り以外あるはずもないが、それでも殺されていない事実が、頭皮から抜けていく髪の痛みさえも心の安堵に変えていた。

「息子に感謝しろ、私はお前ら家族を皆殺しにしたくてならないんだ。祭が止める限り殺さないが、一瞬でも油断するなら殺してやる、お前ら家族に生存権なんてあると思うな」

 だからこそ彼女はその安堵を上塗りするような感情の暴力に、体中の芯が凍りついたように感じただろう。
 母親の一撃で気絶した息子はともかく、祭の護衛はともかく、この目の前にいる異眼の魔人に一切の気を許してはいけない事だけは、彼女自身の心に刻み付けられる。

「それでだ貴様を護衛に送った理由はなんだ、下らない理由でも殺す」

 恫喝、いやそれはそんな生易しいものではない。
 恐怖に押されるように、彼女は目に涙をためながら真実を告げる。

「私の父が、日本に……うぐ」

 だが言葉は途中で切り落とされる。引っ張りあげられていた髪を放したかと思うと、そのまま胸倉を持ち上げられる。
 ある意味それはタブーの一つだ、異眼が感情だけで、解放されつつあるのか、折角閉じたはずの目から、淡い光が零れだしていた。それだけならまだ良かったかもしれない。

「アレが来るのか」

 ただその声だけで世界が殺されたようだった、喜びとも取れない表情を、どこか困惑気に作り上げていた。
 来るのかと何度も言葉を反芻していく。まるで水を染み渡らせるかのように、ゆっくりと何度も時間と量をかけて、ただ胸倉をつかまれ中に浮かされたままのルーデは苦しく何度も咽ていたが、そんな事今の祭儀には関係ない。
 ただぼんやりとしているように見える祭儀だが、彼女は危ういバランスで自己を保っているに過ぎない。

 刺激を与えるだけで、彼女は容赦なく殺されるだろう。幾つかの死線を越えてここにいる彼女だが、それでもこの存在は恐ろしかった。
 歯の根が合わずに、音を立てて恐怖を演出するだけに収まらない。ただこれ以上は全てが祭儀を刺激する、ここで容赦なく殺される恐怖が彼女のこれ以上の行動を阻んだ。ただ過呼吸気味に、酷く個性的な息の吸い方をしてはいたが、ルーデを気にした様子もなく、それでいて容赦なく彼女を殺す隙を窺うように、祭儀は視線を外す事はなかった。

「ようやくか、ようやくあれを殺せるのか」

 そして酷く優しい口調で呟くのだ。
 慈しみを篭めるように、まるで初恋を叶えようとする少女の如く、だがその言葉はあまりにも、そういった世界からは遠かった。未だにルーデを貼り付けるように、扉に叩きつけたまま、胸倉を掴みあげているが、その掴んでいる手に更に力が入り彼女を締め上げる。
 復習と言う甘美な麻薬に、感情ごと支配されたように、目の前の少女を破壊しながら祭儀は、薄らぼんやりとした笑顔を作り出した。

 その万感に満ちた言葉に、自分の父親が龍の逆鱗に触れた事をようやく理解する。こんな存在の怒りに触れれば否応無しに、どこまでも父親が愚かであったかわかるというものだが、極度の緊張が彼女の感情を破壊しそうになっていた。

「目の前でこれをゆっくり殺してやれば少しは気も晴れるか」
「その辺でやめとけお袋さん」

 ぞっとした恐怖に言葉を、祭が止める。
 その一言で漏れ出していた燐光が、一瞬で霧散した。どれだけ目の前の少女が、憎かったとしても祭りは、目の前で女性に泣かれる事と、死なれる事が嫌だった。何より母親が、狂ったように復讐に犯される姿を見たくなかった。
 彼女を掴んでいった母親の腕をそっと触れて首を振る。もしかすると人間としては、壊れてしまったかもしれない、少女をゆっくりっと観察して、まだ正常である事を確認して、とりあえず一息つく。

「起きたのか祭、だがもう流石に私は止まれないぞ、一日千秋の思いで私はこの時を待ち続けたんだ」
「止めない、誰が止めるかそんな事を、俺だってお袋さんと同じだ。けれど、だからこそ、殺戮はやめてくれ」

 一人その二人の親子の問答を聞く少女、ただひたすらに恐ろしい物を見るように、体を震わせ、それでも耐え切れない恐怖から視線をそらした。

「分かった、だが祭はこれが許せるか、許せないか、何よりあいつをまだ殺そうとするのか」
「当たり前だ、これもあれも許せるか、生きている事すら認めたくない。けどそこで終わらせる、あの犬以外で俺はこれ以上の命を奪いたくはない」

 本来ならこの目の前にいる少女は、殺されていただろう。
 祭でさえ救う事はなかったかもしれない。だが彼の心臓に深く突き刺さった悪夢がある、それは女の涙と死体、それは奉だけじゃない、彼が死に掛けて涙を流した母親の姿もあった。
 彼は心の中ではこう思っている。

 復讐に意味はないと、彼自身がそれを行なったからこそ余計にわかることだ。
 けれど同時に復讐をやめる事が出来ない事も理解している。彼さえも未だに、復讐に囚われている事からも明らかだろう。
 ただ生きていれば殺し、死んでいても殺し、何をしていても殺し、何があっても殺し、その存在が苦しむ全ての行為を容認し、人としての理性の鎖を引きちぎり、あらゆる外道を認め行なう。そのためで、あれば自分、他人、対象に関わる全ての命は無価値と変わる。
 
 それをしなければ生きていけなくなる、その絶望を埋める術がそれしかなくなるのだ。ある意味それは、生物の三大欲求に変わるもう一つの欲求だろう、殺さずにはいられない、苦しめずにはいられない、生きていくには、それ以外なくなる。
 ただそれでも彼女が息子に止められたのは、まだそこまでの奈落に、踏み込めないからだろう。息子と言う存在が彼女を、そこまでの鬼に変貌させないのだ。

「分かったよ、分かった、あんたがそう言うんだ。理由もあるし、それに関して私は何もしないよ。ただし無遠慮な発言を一言でもしてみろ、その瞬間そいつは殺してやるよ」
「それでいいよお袋さん、だがあの犬は早い者勝ちだ。俺は絶対にあれは殺す、生涯の生命をかけて殺す、これに関して親だろうがなんだろうが止める事は許さない」
「こっちだって同じだよ、あれはあたしの餌だ。殺したくてならない餌だ、あんたにだってやるものか、大体あんたの寿命を奪われてたまるかあたしが殺すんだよ」

 しかながら、どちらもが復讐の鬼だった。
 いまだそれだけは変わらない。無益で無価値で無意味かもしれない復讐と言う行為、しかしそれを成さねば生きていくことすら難しいのだ。誰が止めても変わらない、そのくすぶる憎しみの意思だけはなくならない。
 誰一人その感情を知らずして、否定など許されるはずもない。いや否定すら許されない感情だ。

「誰があんたになんかくれてやるか、家で暢気に待っていろ」
「あいつへの復讐はあたしの為のものだ。祭こそ眼帯を剥ぎ取るぐらいなら家で寝てろ」

 二人して譲りもせず、子供のように罵り合い、睨みつけて視線を外すと、一人は台所に向かって歩き出し、もう一人は恐怖で潰れかけている少女の手を取り自室に連れて行く。
 祭りとしては母親と会わせるよりはいいと思ったのだろう。その行為が感情的に考えれば明らかにおかしい事であったとしても、と言うか常識的に考えておかしい。流石の母親も息子のある意味大胆不敵な行動に、先ほどまでの敵意を霧散させて、全力で彼の部屋に走り出す。

「純粋不純を問わずそんな事を親がいる時するなああああああああ」

 取り敢えず母親と言うトラウマを発見して、泣き叫ぶ少女と、それをなだめるように必死になる彼、更に誤解を深めて息子を拳で殴り飛ばし二階から吹き飛ばした母親と、それから数秒後には庭に叩き落された彼の姿があったり、魔人と一緒の空間にいる所為で、火をつけたように泣き喚く可哀想な少女いたりと、軽く近所迷惑な喜劇が一時間ほど続いた。

「魔王の娘が俺を殺しに着たのか。父親を守るつもりなのか分からないが、明らかに嗾ける相手が反則過ぎだろう」

 冗談だろうが、ルーデが着てから二十分も経過せずに二度も命の危険に晒された彼は、せめてまだ理性のある人間にして欲しいと、心の底から願ってしまった。
 だがしかし下は芝生とは言え、酷く激しい衝撃と、それを上回る母親の二発目の拳が、彼の意識を強奪しないはずもなく、彼はその喜劇から早々に退場してしまった。それでもこの後、ご近所に頭を下げて回ったのは、彼らしい尻拭い精神なのだろう。
  

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