終章

 




 出雲宮崩壊以降、祭害の話は良く聞いていた。突如風のように現れて、周りを引っ掻き回して風のように消えていく。
 だが誰も死んだりしない、悪戯小僧に嫌がらせをされただけのように、彼が消えた後の町には笑いが絶えることはなかった。

「祭りだ祭、祭りだ祭」

 笑い声と共に、人々たちを笑いの渦に巻き込む男がやってくる。
 笑い声と言う名の祭囃子が世界を駆け巡る。それは今まで死んだものが望んだ世界の一つの形かもしれない。

 そしていつの日だろうか祭害が人達の前からいなくなった。

 迷惑をしていた他と言うのに居なくなってしまえば寂しい。そのうち誰かが祭害の真似を始めた、そうしたらもう一人も。いつしか世界は祭りのように賑やかになっていく、笑い声が響き渡らない日は無い、泣き声が響かない日も無い、そんなの当たり前だ。絶望の声が止むことは無い、けれど誰かが笑った。
 祭りが始まると、

 泣いた子供がもう笑う

 笑う子供がもう泣いた

 泣いた子供がもう笑う

 笑う子供がもう泣いた

 泣いた子供がもう笑う

 世界はいつの間にかそんな日を迎えた。その世界もきっと終わる。
 
 新開は二十と言う若さにして死亡する。不用意な再生機能が人間に許される代物ではない、彼はその己の今までの生き方によって命を落とした。
 だがいつの間にか彼が、自分自身を満足させようとしていた行為は人達の受け入れられる。それは祭りと呼ばれた、最後の祭りが作り出したのは最初の祭。彼の最後の言葉は死にたくないけど仕方ないだそうだ。

 口癖のように一笑懸命、一笑懸命、そういって行き続けた彼の最後。余りに早い気もする、けれどやっぱり長い気もする。

 世界が終わったときに生まれた彼は、世界が出来て死んでいった。

 今考えてみれば彼は最後まで勇者だったのかもしれない、ただ勇者と言うには無様な、そして勇者と言うには余りに卑屈な、結局世界を荒らすだけ荒らして彼は死んでいった。最後にはその嫌がらせさえ世界の全てにお祭だと思われ受け入れられてしまった。
 死ぬ最後のときまで、人の嫌がる顔が好きだった最低な人格を持った悪戯勇者。その悪戯さえ受け入れられて、彼の死を看取った一人の少女にこれじゃ俺はまるで負け犬だといったそうだ。

 彼の最後は極めてさびしい者だった。世界を認めて戦った彼の人生はそれ以降輝いたものは無い。ただ呆れ笑いと、拍手が、人間の心が広くなって少し笑い声が増していただけ。
 そして彼を唯一詳しく知っているであろう敵にして味方にして敵であった剣王は、彼のことを語るときにあいつは間抜けな犬だ。狼にはなれない飼い犬だ、結局勇者のような生き方のまま死んでいったといったものだ。

 だがそれは勇者としての彼の生き方ではない、彼自身が人間として生きていた結果だと、剣王はそれだけは曲げなかった。

 笑い声の祭囃子がまた響く、幸せだろうが悲しかろうが関係ない、絶望しようが誰かを殺そうが何を仕様が関係ない、どれだけ絶望しても人々を笑いに導いた最後の祭は、最初の祭りになって続いた、彼が作った世界が終わる最後まで。彼と言う人間を最後まで継承し続けたのだ。

 彼の敬愛するべき王さえも飲み込んで、たかが負け犬が勝利の雄たけびを上げるのだ。

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