十九章 島根更地の闘い
 

 島根更地といってもそんな名称、未だ存在し得ない代物である。確かにここで魔王戦争があったが勇者と魔王の戦いはそれほど周りに被害を及ぼしていない、激戦区であった出雲ならともかく、この更地となるのは西部エリアの旧浜田市(通称二十八番外区)から周囲二十キロの範囲。それが最後の決戦地にして、最初の決戦地、最もその王である新開は未だ出雲宮に入る事さえできないはずであるが、すでに彼らの行軍はその目的地五十キロ手前まで来ていた。

 精神解体の技術は所詮、単一命令に過ぎないのだ。何よりその命令自体が、考え方を変えれば無駄になる。だからこそ新開は余りこの命令に関して何も感じていなかったわけだ。

 彼の脳に刻まれた命令は二つ、

 出雲宮への永久撤退
 そして仲間を殺さない

 この二点である。先の戦争をとってみても分かるだろう、仲間であった人間であろうと彼は殺している、つまり彼が敵と思えばその瞬間から命令は無効化されたのだ。ならば話は簡単、永久撤退ではないその前提である出雲宮を覆せば良いだけの話。ならばどうすれば良いか、そんなの聞くまでも無い話である。だからこその島根更地と呼ばれる由縁になるのだ。

 新開はただ言い張っただけ、ここは島根だと、ここは出雲宮では無いと、所詮その程度のものと言うだけだ。地球座標で答えなくてはそんなものは意味が無い、しかしそれは難しい話だったのだろう。賢者が放った毒は、すでに解除されていた。新開においてこの場所は、すでに出雲宮ではない。
 それはかつての旧名である島根だ。言いかえただけだがそれが、彼にとってそうであるのなら他のものは関係ない。

 すでに宣戦布告から、半月がたっている。初めて厄祭が暴れた場所とされる出雲宮、人類と彼との戦争が始まった場所は新開達が破壊した力場の応酬よりも人が行なったというのに適している。久しぶりに来た出雲宮は余り変わっていなかった、未だ旧時代の傷が深く刻まれていた。

 これが力場使いでも無い男がなした傷跡なのだ。枯れた喉に、興奮の水が注がれる。
 多分だが確実に狼であったのなら、厄祭を復活させていただろう。だが彼はそれをするつもりは一切無い、勝てる勝てないのはなしではなくなる。間違い無くこの世界の全てをまた陵辱しつくすような戦いを始めてしまう自身がいる事を理解している。だからこそ、彼は天門を開くわけにはいかないのだ。

 そうなってしまえば自分の理性が、生き返ってしまう。折角狂うだけ狂ってくれた理性が、あの狼の化身のようにさんざめく。

 強靭な凶暴が凶悪になる、彼は二年で変質しつくした自分の理性に自身が持てない。厄祭に勝てないとは思っていない、勝てるとも思っていないが、彼の本能が告げるのだろう。彼に会えばきっと自分は、理性ごと正常に戻る。
 それは間違い無く、やってはいけない。狂った理性を正常に戻せば、この世界がどうなっても構わなくなってしまう気がしたのだ。

「厄祭が人を狂わすか、正常に戻ったらどうなれば良いんだろうか。」

 それもまたおかしな話だ。今彼らはこの場所で停滞を喰らっている、それは彼の宣戦布告の後膨れ上がった敵勢力とそれ以外でありながら援軍としてゲリラ行動を行うもの達の所為だ。彼ら側にも仲間は入ってくるが、ゲリラに対しての対策を新開はどう講じるべきかと悩んでいた。彼の独り言は、そんな思案の合間の息抜きだった。
 何しろ彼に軍才は一切無い、だから思考をずらして考え続ける。所詮ゲリラは、嫌がらせ以上にはならない。その条件をひっくり返す為にどうすれば良いか、二度ほど春義に泣き言を言ったが、彼はゲリラの対処に忙しくやばいほどに目が据わっていた。そしてお前がやれと一言、だが頭をひねり思考をずらして、あらゆる角度からの思考を繰り返しても浮ぶ手段はなかった。

「さてどうするかね。無駄な思考に時間を割いた所為で、また時間がなくなった」

 それは自分の所為である。椅子に深く座り、首を傾げながらあーでもなこーでもないと、思考をまわす。所詮付け焼刃以上の物ではないのは彼は理解していた。
 正直な話をすれば自分が敵本陣をぶち抜く方が確実に早いのである。しかもその方が、成功率が高いときているのだからふざけた話だ。

 彼は一度冷静に、頭を回してみた。 

 勝つという方法を考えない、それは彼にとっては分不相応にも程がある。今彼がめぐらせているのは、引き分けの方法である。条件を変える、五分五分に渡り合える方法、その最も単純な方法を彼は思考しただけだ。それはきわめて簡単な方法がある、明快すぎてふざけているにも程があるしかし王道といわざる終えない方法が。
 これは戦争だ、どうせ死ぬ人間を速く殺してやろうと言うやさしさだ。

 両軍による正面きっての突撃、まさに正攻法にして王道。だがそれをどうやるかが問題だ、日本と言う国は、いやもっとくわえるなら中国地方と言うのは、山ばかりなのだ広大は平地は島根と言う県には余りに少ない。出雲平野に、松江平野、安来平野、といったところが上げられるかもしれないが、転換期の結果地形が完全に変わってしまっている今の島根ではそういったものを期待するだけ無駄だ。

 その辺がささくれ立っている、ある程度改善されたとは言えまだ出雲から離れてしまっている、その改善はキチンとなされていない。
 実際この半月ここまでの移動は相当な労力を消費した。通常の行軍であれば二日か三日あれば確実にいける場所であるはずの場所に、彼らは一週間近くの時間をかけた。これは一重に新開の司令官としての無能振りを晒しているわけでもある。

 何しろ彼の頭にある作戦に突撃以外の選択肢が無いのだ、地形を利用するという思考も無い。今まで力場と言う戦当方になれすぎた彼は、自分が敵につっこんでいけばどうにでもなる戦闘しかした事が無い。あれ程正確に勇者を作り上げた彼ではあるが、どこぞの馬鹿と変わりはしない程度の軍才しかないのだからふざけている。

 そもそも彼に仲間になったかつてのメンバーは、全てといって良いほど個人対軍能力のあるような人間ばかりだ。
 そんな作戦考える必要も無かったし、彼の役割は突撃隊長に過ぎなかった。そういった頭を使う事は、全てあの二人に任せれば大体問題なく動いていたのだから当然の話である。そもそも彼がこんな成長を遂げると思っていなかった二人はそういった教育はしていなかったのだろう。

 しかし作戦は決まった、古来より作戦と言うものは地形や物を利用することから始まっている。最初は多分仮と言う最小単位の生活から、敵を人間に変えての殺戮に変わったがその根本は変わらない。地形の有利を使い、敵を上回る物量を用意すれば、よほどの無能で無い限り勝てるのだ。

『春義本陣に来い作戦が決まった』

 全能回線より彼の言葉が告げられる。彼の頭ではそれぐらいしか浮ばない、戦争を戦略段階は完了した後は戦術レベルでの話しだ。新開は出雲宮の現在の地図を見る、そして今的本陣がいる場所と今時分たちのいる場所をペンで丸をつけた。
 適当に選ぶわけにもいかない、丁度二つの行軍速度を鑑みた結果の場所の範囲をペンで囲んだ。それは完全に円で切り取られたリングのように写る。それこそが、島根更地と呼ばれる場所だ。

「適当に歩いて出雲に向かっていたかいがあったと言うものか」

 無能は無能なりに己の限界全てを出し尽くす。後はゆっくり足を待つだけだ。
 体に淀んだ暗い情動が引き裂かれる、くちゃりくちゃり、今思考はかつてを巡る。彼の始まりにして同一の原点を思い浮かべる、それより前の仲間を、そして本当に親にたる兄妹を、夢想に浮かべた。

 ざまあみろ

 俺はこんなにも人生を楽しんでいる。死んだ人間に出来るわけが無い、獄卒共にでも喧嘩でも売っているのだろうが、それでも今に比べればそんな物死骸の戯言だ。
 心躍る、血肉沸き立つというのはこういうことを言うのだろう。押さえろ独善、それではただ遊びに狂う子供になってしまう。
 彼は心臓を掴むようにして胸に手を当て、感情を無理矢理殺そうとする。周りから見ればそれ病気にも見えたであろう、彼の精神のバランスはすでに致命的破綻を迎えている。と言うよりもそれは、彼の血統に宿る崩壊の兆しのようなものだ。

 王の仮面を被ったその下にある本来の彼の姿、勇者でさえない。祭厄と呼ばれた母親の血を明確に受け継ぐ彼の本性、本来厄祭を超えるといわれた女によって育てられた孕み子の最後のかけらが現れようとしているに過ぎない。まともじゃない親から生まれた子供がまともである事の方が奇跡だ。
 それは精神における爆弾、彼は狼そして今漏れ出す狂気の化身によって正気を取り戻しかけている。狂いに狂った精神が、正常を拒否する。何度も襲う彼の正気、口に貼り付けられた笑顔はすでにピエロと何の代わりも無い。

 押し寄せる最後の一線を彼は押し戻すと、目から、口から、何処からだろうと漏れ出し精神の汚泥を落ち着かせた。
 どさりと椅子に身を預けて目を閉じる。今彼はこれに身を任すか分けにはいかない、かせの外れた精神は彼にさえ何をしでかすか理解できないのだ。だからこそ彼は呼吸を落ち着かせて、今目の前にあることだけに全てを費やす。
 己のうちにある全ての感情を押しつぶすために、厄祭が復活すれば押さえられないであろう自分の感情が故、押さえ切れないほどの情動を押さえつけるのだ。

***

「新開、なんのようだ。こっちは雑魚対策に徹夜気味だってのに。くだらない内容だったら殺すぞ」

 ようやく安定期に入った精神を押さえる一言が届いた。野営地のテントの中にようやく、確信を持って信用における男が来たのだ。
 新開は一度、今までの疲労を口から吐いて目を開けた。

「出来た、これ以外に俺の頭に選択肢は無い。それにこれだけ笑える戦争も無いぞ、この世における戦争概念をぶち壊す」
「無能のお前にそんなことが出来るのか?」

 春義から言わせればそんなの馬鹿の突拍子も無い提案だ。当然の事だが春義のそんな対応を、彼は当然理解している。
 彼は机の地図を指差した。そこには先ほど彼の書き込んだ、幾つかの赤いペンのしるしがあるだけだ。

 だがそれは先ほどと違い、単純な計算が書き込まれている。それは全滅式、ランチェスターの法則である。軍才は無いが自軍の戦闘力を測れないほどの馬鹿ではないし。仮にも人類で二番目の天才といわれた男の息子でもない。あれから発展してきたその計算技術よりも彼は全滅式を選んだ理由がある。

「納得できなくともこれを俺は譲歩しない。戦闘の地点はここ二十八番外区だ、丁度この円の部分」

 彼の指差した場所そこは、厄祭ではなく彼の母親が破壊しつくした場所だ。地形と言うレベルではなくなっている場所である、残骸荒原と呼ばれている場所だ。

「確かに奇襲なんかは行ないやすいだろう。だが俺達の軍はそれほど有能な指揮官はいない、無理だ」
「それは理解している、ここで行う作戦は二本足があって歩けるのなら問題ない正面突破だ」

 語気が荒くなるのを春義は感じていただろう。怒りを抑えるように歯を噛み締める。
 新開がいった事が無茶であることぐらい彼は理解しているが、彼の目の前にいる男は常識で当てはめてはいけない。

「馬鹿かお前は、王道だがそんなのは、……まて、だからこその全滅式か!!」
「あちらの戦力もすでに情報の範疇、どうせ裸の軍隊だ。それはあちらも一緒」

 しかしあちらは軍隊を動かすならプロ、こちらは完全なアマ、これは隔絶した差がある。だからこの差を一気に覆す必要があるのだ。

「今のところの計算じゃあ、まだこちらに部がある。作戦を単純化させて、策を揮わせない状況はこれしかない。この全てに全軍をぶち込む、でなけれは出雲まで直進すれば良いだけの話だ。だからこそ不用意な量は絶対に置くわけが無い」
「だがそれじゃあ一つ問題があるだろう。あの辺りは正面対決できる場所は無い、最低でも二十番外区まで行く必要がある」

 彼の言葉は真っ当だ。

「なぁ、俺が誰か忘れてないか。偽言新開の名前の意味をお前は理解していなさ過ぎる」

 そう彼こそが力場使いの頂点、世界最強の力場使い。全てを力でねじ伏せる力を平然と操れる男だ。
 痛みの走るほどの悪寒が春義を攻め立てる。漏れ出す本性と、飾り立てた仮面が、同調するように彼の表情を極色彩に地獄を塗りたてた。新開が次にする行動を理解したのだろう、止める言葉が浮ぶという都に止められない事を理解する。

「あそこにだって人はいるんだぞ」
「知っている。だが興味は無い、この土地に生きるものは仲間になるか敵になるかだ。その猶予は一週間もあった、子供大人関係ない戦争は始まった、なら命だけは公明正大にするべきだろう。満遍なく殺しつくせ、それが平等だ時間だろうがなんだろうが所詮人間の偽善、老若男女容赦なく殺す。俺はそう演説で告げたはずだろう?」

 死にたいのなら、生きたいのなら、どちらにしろ死んでしまえと。
 彼はその言葉を撤回するつもりはさらさら無い。警告はした後は自己責任だ、そうの溜まっているのだこの男は。

「臣下でもない、敵にもなれないものはさっさと消すに限るしな。なにより、折角面白い事を思いついたのにそれを実行しないなんて世界に対する冒涜だ」

 明らかに本音は後者である。もう駄目なのだ、彼と言う存在は無能にして暴君、当たり全てを気分次第に破滅させる存在に成り果てる。
 最後の一線を越えればそれは本当のことになるのだろう。だがもう止まらない、すでに彼はそう決めてしまった。

「…………被害を、被害を最小限にとどめる事はできないのか」
「興味ない、そんな事興味ない」
「王なんだろう!! 民を気にするのは当然の義務だ」

 ふんと新開は鼻で笑う。

「義務は果たしている、俺の下にいるものに最善を尽くすためのな。これ以上の無茶を言うな、俺だって人間だ。出来る事と出来ない事ぐらいある」
「だが、それでも殺す必要は無いだろう。一日だけで良いから待てないのか?」
「そのために俺の兵を殺すなんてのは馬鹿な話だろう。俺の無能の所為でこれ以上部下が死ぬのは勘弁して欲しい、それが他人なら殺してやりたいほどにな」

 彼の表情に影が刺す。汚泥に濡れたその表情がどれほど腐れているのか、自分の自己満足のために兵さえも殺そうとする。
 新開は春義の顔を一度見ると彼は、やけに表情を神妙そうに一度頷いた。

「だがそれがお前の意見なんだな春義、認めよう。十時間だけ待ってやる、それ以上は俺が俺を止められない良いかそれでどうにかしろ」

 それは正直に言えば新開本人さえ意外な一言であったのだろう。彼はその自分の言葉を一度心で繰り返し、目を丸くして驚かせた。
 だが動揺はその程度だ、しかし本人でさえ驚くような一言だったのだ。彼を知る春義がそれに驚かないわけが無い。間違い無く彼は思っていたそれを実行しただろう、春義が人間を助けようと行動する前に、徹底的に殺されるはずだった。

「それまでゲリラの方は俺が叩き潰す。他の奴らには休ませろ、お前とその下以外全てだ良いな。そいつらも防衛だけで良い」
「分かったが、お前が出るほどのことか?」
「ここらで王の強さを見せておいた方が良いだろう。それにそろそろ限界だ、折角面白い事を思いついたのにお前が邪魔するんだ、これぐらいの役得あっても良いだろう」

 そう言うと、彼は椅子に立てかけてあった銃を掴む。その形は燕に酷似しているが、それは純正には程遠いものの銃である。
 これは技術使い空春の遺産だ。彼は半年前よりの剣王や他の組織との小競り合いの中で死んで以来、新開が受け継いだ武器だ。新開に憧れた、偽造勇者空春の武器は彼の憧れた勇者であった新開に受け継がれた。

 どういいつくろってもやはり新開の武器はこれだ。重量から全てを燕に似せたその武器はやはり彼にしっくり来る。

「いいか十時間だ、一秒でも過ぎたら容赦なく実行する分かったな独善者」
「ああ、わかっているさ独裁者」

 お互い拳をぶつけ合いテントを出て行く。
 もうすっかり夜の帳が落ちた頃、二人の顔はすでに夜に隠され何も見えない。かつかつと二人の足跡は遠ざかり、消えていった。

***

 剣王は来るべき最後の戦争の調整を終わらせたところだった。

「新開もそろそろ動く頃だろう、春根に王芸。元の臣下たちはどんな状況だ」

 二人の進化は頭を下げたまま顔を青くさせて固まった。
 数秒ほどの空白、王芸は恐る恐る口に出した。

「全滅です、逃げたものもいるでしょうが。新開にすべて滅ぼされました」
「個人にか?」
「はい、不甲斐ない事ですが」

 だがその言葉に剣王は怒りを見せることは無い。だがそれ以上に見開かれた目が凶暴に光る。
 机を強く叩くと叫びだした。

「挙兵準備をしろ、新開本人が動き出したという事はもうあちらの作戦は完全に完成したことになる。完全に後手に回ったが問題ないだろう、良いか五時間以内に準備を終えろ返事はまだか!!」

 二人の臣下は一瞬呆然としたが、鬼気迫る剣王の眼光に気おされ正気に叩き戻された。

「いえ」
「了解しました」

 その二人の返答を確認すると、ある人間と連絡を取る。
 足早に二人は剣王の部屋から消えて兵の最終準備に掛かった。それから三分の時間を置いて一人の男が現れた。

「遅かったな春義、悲壮な顔をしてどうした。本来であれば俺に合うことさえ出来ない男が」
「黙れ悪夢め、俺は新開からの最後の言葉を伝えに着ただけだ。まさか新開からじきじきにお前のところに行くようにと言われるとは思ってなかったがな」
「いや良いことだ。それで新開やお前が動くのは理解できたが一体何をするつもりだ」

 春義は一度舌打ちをした。

「二十八番外区で待つ、それだけだ。見てたら分かるさ、今までのお前の準備を鼻で笑うようなことが起きるざまぁみろ裏切り者」
「それならそれでいい、楽しいのだろうそれはきっと。俺の体を撃ち震わせてならないなにかなのだろう」
「貴様が狂わなければ俺も中までいられたのに、まだ俺にその言葉を使うか!! 世界を滅ぼそうとする魔人」

 新開と厄祭を戦わせる。言い換えれば世界を破壊するのと変わらない、剣王はそう彼に向って告げた。
 それでは意味が無い、だからこそ彼は親友を殺し新開の仲間についた。己の決意を折ってさえも、剣王は彼姿を見て裏切ると決めた。

「知らんな、滅びるのは人間だ。俺は新開やあの狼の思い通りにならなければそれで良い、それ以外を思うつもりはもう無い狼の支配を許すわけにいかないのだ」
「分からないといっているだろう、たかが一人の人間に!!」
「べつに知らなくて良い、だが貴様は知らないからこそ口を出すな。これは狼と新開と俺の戦いだ、世界の帰趨を決める最後の始末だ、俺が死んでも新開が死んでも良い、天門だけは開かなくてはいけない、それ以外で狼には対抗できない」

 それ以上は会話の無駄だ、彼はそう告げるように力場を突き出した。
 直撃すれば絶命もありえただろう、だがその力場は春義に当たる事は無い。もうそこに仲間であった彼も、敵である彼もいなかった、力場の破壊は部屋自体には何の傷も与えることはなかった。

「分かっているがこれ以外に無い、狼を消すには、化け物を用意するしかないだろう。新開と滅ぼしあってくれれば良い、俺はそれを殺せば良いだけだ」

 もうすでに新開の演説で、刻まれているのだ。

「この世界を受け入れるという選択肢が出来てしまった。狼はすでに人間に刻まれてしまった」

 拳を地面に叩きつける。それと同時だった、島根更地の始まりは。
 外に出ていれば耳の鼓膜でも破壊しただろう程激しい音が、建物を揺らす。その音を彼はにらみつけた、そこには天門の機動の様な激しい光の後が振り落ちている。ただしその規模が違う。彼の握り締めていた緩くなる、口元にはだらしの無い笑みがこぼれていた。

「こう来るか、あの負け犬は、よりにもよって、戦場に応じての戦術ではなく、戦術に応じた戦場を」

 呆れて笑うしかないだろう。こんなことを考えて実行できるのは間違い無く新開だからだ、幾つかの人間は死んだだろう。だが容赦の無いこれは、ようやく始まったのだ。緩くなっていた握りこぶしをまた硬く締める。
 顔を一度パンと叩いて、今の状況で混乱しているであろう軍を立て直す為にまずは自分を正気に叩き戻す。

「あそこまで見事に裏をかかれたら仕方ない。力で徹底的にねじ伏せてやるだけだ新開」

 まだ止まぬ光の柱を背に向け歩き出す。もうここまで来て迷いなぞあるものでもない、所詮条件は五分五分まだ軍の采配に分のある彼のほうやや有利その程度の話だ。
 そしてこれから二日後彼らは島根更地で向き合うのだ、だが今はどちらもが眼前の敵を視界に入れない。世界を叩きつぶすようなその最後まで彼ら二人はもう走るのを止めずに動き出したのだから。


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