六章 姫には課題を、騎士には試練を
時折世界には嘘かと思うような事が起きる。それを故人で起こしたものを英雄と人は呼んだ、神と見まごうようなその行為は人の限界を容易く上回る奇跡だと。
それは時には神話として残り、時には吟遊詩人の飯の種になり、時として民謡の一部で歌われ続ける。それを目の当りにする事になる人々は英雄をなんと証するのだろうと考えれば、恐いのだ、彼らは人であって人ではない、自分たちと違いすぎて恐い。
それは空から街を俯瞰するような全能感と距離感、そう例える位には人と英雄には差がある。だがら英雄の終わりは常に悲劇がつき物であり、総じて英雄の死によって終わるのだ。
彼らが恐くて、自分の理想と違って、彼らがただ人であることを認識させられて、殺してしまう。
これより先の物語は、その英雄とのちの呼ばれながら、生きている間は傲慢卿と呼ばれ、無頼卿と呼ばれ、覇道卿と呼ばれ、英雄卿と呼ばれ、反逆卿と呼ばれ、罵倒と賞賛を浴び続けた彼の始まりに関する事だ。
「あやつは我にこれを渡してどうしろと言うのじゃ」
自分の騎士との別れの時、彼はちょっとした課題と言って、彼女に一つの書きかけの本を渡した。
それを使って何をなすかはあなた次第と、しかも加えて言うのなら彼は、彼女に向かってこうも言っている。それの使い方次第ではあなたを斬り殺しますと、そのあと自害しますから、ご熟考をなんて言っているのだから、スパルタどころじゃない。
優しい口調だったのかもしれないが、いっている言葉は全部殺気じみていて、冗談を言っているわけではないのだ。
もしその使い方を誤れば、彼にとって望んだ王ではないと言うわけじゃない。彼はこう言っているのだ、それを使って自分の予想を超えろと、返って来るまでにそれを行わなければ殺す、期待はずれだったら殺す、彼はこういうことで冗談は言わない。
主にべた惚れだろうが、彼はそれでも容赦をしない、彼の最低限とは命が削るギリギリだ。今まで少しばかり甘かったら厳しくする必要があると考えた彼は、自分の書いた未完結の本を見て思い浮かべたのである。この教本を使って、我が主は一体何を成し遂げるのでしょうかと、これを使って自分の想像の遥か上を作り上げてくださいと彼は主に望んだ。
言外に言われたその言葉は、彼女にとっては恐怖だ。主であろうと剣を向ける時には彼は躊躇いも無いだろう、そして主を見極める事の出来なかった自分が死ぬ事など何の決意もいらずに行える事だろう。
その望外の信頼が彼女にとっては恐ろしかった。
忠誠の騎士は、主が自分に対して何を仕出かすかを期待してやまない。自分の忠誠が、目が間違っていないと、断言して見せる男だから。自分を疑わない奴が、部下と言うのがどれほど性質が悪いか彼女は、少しだけ理解してしまう。元々自分より有能なアレは、自我の強さにおいても王国どころか世界一だろう。
そんな男の信頼の重さは、分っていたが重過ぎる。今の状況で彼女が出来る範囲の行為が、はっきり言って、そんな男の思考の範疇にから抜け出せるとは思わない。死刑宣告を受けた彼女は、思考の限りの可能性を上げてみるが、どう足掻いても彼には敵うとは思わずに、机に突っ伏した。
「あの臣下は、我に優しくないのじゃ。あいつを上回る事が出来るなど、不可能に決まっておると言うのに、じゃが」
あいつは一体何を考えているのじゃろうと、考えてみる。だが浮かぶ筈が無い、そもそもが予想外を固めて作ったような存在だ。
その行動を読みきるなど、どう考えても難しいの一言だろう。しかしそんな男が、彼女を信頼してやれと言った、逆に言えば、今の段階で彼女は彼を上回ることが出来る何かがあると言う証明だ。
それが分っているから彼女は苦悩するのだ。
「今の段階で出来るのじゃろう、あやつの意表をつく事が」
さらにはこの本の中身だ、反乱の先導書みたいなものだ。未完成とはいえこれを、ばら撒いてみれば、この国で反乱が起きても仕方ないような代物。
こんなものを平然と作り上げようとしていた、あの部下の事を考えて辟易とする。蛮人の弁がどれほど正しかった、雄弁に表現される代物は、これで王国をのっとれとでも言うつもりかと怒鳴りたくなるが、その程度の事で彼が認める筈が無い。
思いつく限り最も容易い事の一つだ。
彼はそこまで容易い問題を出さない。自分の意表をつけ、脅かしてみせろ、そんな事をいっているだけで、それが最も難しい事なのだが、反乱を起こすなどそれを見れば思いつき、国家をのっとると言う発想も出来るが、違うのだ。彼の意表を着く事をしなくてはならない、つまりはあの万能人間の裏をつくような異常事態を起こせと言う、無茶苦茶だ。
時代が、時代なら、あらゆる戦場を見通す軍師にもなりえ、政争を起こせば一つの政権を確立できる反則、言えば言うほど反則の塊でありながら性格が悪いただ一点が周りに人を寄せ付けない。
「あの人格破綻者め、主に殺害宣言を行うとは、絶対にじゃ、絶対にあやつの度肝を抜いてやるぞ。主を試すと言う行為が、どれほど侮辱か教えてやるのじゃ」
とは言うもののそう考えたところで何が出来ると言う物でもないのだ。だがしなくてはならない、思考を重ねたところで結論は出ない。
なぜなら彼女はまだ未熟者、あらゆる世界で英雄と語れる器を持つ臣下と知恵比べをしたところで、彼女は勝てるとは思えなかった。せめてあと一年などと言い訳をしているぐらいだ。
だが無駄だ、生まれた数年の差が、その努力を無常に帰す。
彼女の知っている騎士は、いまも発展途上の存在、差は開く事があったとしても狭まる事は無い。劣等感に苛まれて机に突っ伏すなど、もはや日常の光景のように当たり前に成りつつあるが、その度においていかれてなる物かと歯噛みする。だが手さえ届く気のしない、あまりに超常とした存在に抗う事が、彼女はどれほど難しいかと、それで主と言えるのかと、無力感を感じてしまう。
彼女も本質的には、ユーグルと同じような性質の存在だ。破天荒に見えてもなお理性という中で動ききる、
似た性質の劣化版、それが自分であると言うメイギスは、これから数年その事について悩まされ続ける。そこまで圧倒的な存在だと、彼を見続ける事で思うのだ、今までよく上に来なかったものだと、彼に勝っている事など自分は性格ぐらいじゃないかと笑う。
「負けぬぞ従僕め、このメイギスが、臣下に試されるだけなど許しておくものか」
その劣等感を感じながらも彼女は足掻き続ける。その程度が出来なくて何の主だと、きっと下僕は笑うだろう。
彼女のそんな性格を見通して、彼は鍛え上げようとしているのだと考えて、少しばかり彼女は自分の頭も回りに皮肉を言いたくなる。自身の決意を容赦なく蹂躙するその部下の思考を前提とした先読みは、まだまだ未熟だと彼女を笑っているようで、彼がどこまで途方もないところにいるのか教えられる。
それでも彼女は足掻く、臣下はきっと心を折っても折れても直るものだと言い切るような男だ。だから彼女はその無茶を踏み越えなくてはいけない。
彼女はそうでなければ王足らず、そして臣下の目はくりぬいて捨てるだけの価値しかない、審美眼だというだけだ。命をとられると言う恐怖よりも、そう部下に思われると言う事のほうが彼女は耐え切れず、だから今の現状が腹立たしいのだ。
お前は本当に俺の主と足りえるのかと、そう問いかけられている様で、それに答えられない今の状況が、不愉快でならない。
無償の信頼が信用に足らない事のように、無垢な忠誠など価値は無い。忠誠には対価が必要だ、自分と言う存在に平伏させるだけの価値を持ち合わせる必要がある。
王は臣下に忠誠の変わりに、対価を払い王とする。その対価が彼女の行動なのだ、騎士はそれを望むのだ彼女に、その行動の先に何を見せるか、それを持って忠誠に足ると信じさせてくれと、無理難題を押し付ける。
「主は試す側だと教えてやら無くてはならなん」
一生忠誠を抱かせてやると、幼い少女に不釣合いな凶相を彼女は作り上げる。
本質はユーグルも彼女も変わらないのだ、だがそのあり方が違うだけ、声を上げる為に吸い込む息が熱に渦巻いた彼女の体を冷やす。それで少しだけ思考がマシになったと彼女は考えるがその程度で変わるものでもない。
ただ、今から魅せるこの部分が彼が彼女を気に入った部分になるのだろう。すっと目を細めると、まるで先ほどまでの焦燥の混じった空気は消え失せる。凶相の張り付いていた顔は、今となってはどこの行ったのだと、思えるほどに感情が消える。
「クラクトスト、クラクトストおるか、居るのなら早々に現れよ」
何一つ思い浮かばない彼女だが、声を上げて己の執事を呼ぶ。だがずっと思考に沈んでいたのか、実はお望みの人物が目の前にずっと控えていた事にすら気付いていなかったようだ。
「目の前にずっと居ましたが、末姫様どういたしましたか。あの荒くれから難題を受けたようですが、その解決でも」
「さっぱりじゃ、じゃがこのままではあいつに殺されるのでな。顔の広いソチに頼みがある」
「主を殺すというのも全くの埒外ですが、私に頼みとは珍しい。末姫様は何でも自分でやるお方だと言うのに」
本来なら彼女は、確かに何でも自分でしていた。先ほどの述べたとおり彼女は、本質的にはユーグルと似ているのだ。
自分の力を信じて、それだけで歩もうとする。だがたった一つだけ彼と彼女で、違う事があるとするのなら、人の力を知っている事だろう。いこじなまでに自分で歩む男と、時として足りない場所を人で補う事を知る主、簡単に言えば彼女はユーグルよりも懐が広い。
彼女は自分と敵対した存在でも味方に出来るが、ユーグルは死体しか晒せない。彼女はそれだけでも上に立つ素質を持っているのだ。
「勝てぬ男が居る、それにの。あやつに勝つには手段を問えぬのじゃ、なにより我には人を見る目も人脈も無い。クラクトストなら話は別じゃろう、おぬしの人脈は深く広いじゃろう、なにより人を見る目ならおぬしのほうが上じゃ」
そこにまだ、と付け加えて彼女は笑う。次は勝つといっているようなものだが、そんな主の言葉に目を丸くする。
彼は幼い頃から彼女の身の回りの世話をしてきた教育係でもある。彼女が生まれてからずっとと言って良い間を一緒に過ごしてきたが、彼女が負けを認めた事など、六騎士相手ぐらいだ。
「この国が始まって以来の負けず嫌いだと思っておりましたが、はっきりとそうお認めになった事など、無いというのに」
「じゃからまだというだけじゃ、それになあいつに勝つには、周りの力が必ずいる。我のたった一人の臣下は、必ず六騎士を超える存在じゃ、そんな戯けた存在を相手取るのじゃ、自分の無力さを認めるところから始めなくては仕方ないじゃろう」
力を貸せ、そのために我の手助けをしろという。しかしだ、次から次へと彼女から吐き出される言葉は驚きに満ちている。
六騎士を超える存在になる、そんな理不尽が存在するとは彼には思えないだろうが、目の前の少女は信じきっていた。なにしろ彼女から出される言葉の中には確信しかないのだ。それだけの事実がどれだけ、英雄を見てきた老いた執事に衝撃を与えるだろう。
ありえない、そう否定したいだろう。だが、目の前に姫はそれを否定させない、喉の奥にある否定の言葉は、口から溢れる事もなく、詰まったように喉の奥に不快感を残すだけ。
「そんな存在と戦えと老骨に鞭を打つとは、敬老の精神を学ぶべきですよ」
「敬老などと言うのは、我の剣の師であったおぬしが言う言葉ではないぞ」
あらゆることの彼女の始まりを作り上げた男、彼はそういう存在であったのだ。我がまだ発展途上である以上、老人などと言う甘えが、言える身分ではないと彼女は笑う。
彼女は完成していない、これから先にきっと臣下によって鍛え上げられるのだろうが、彼女はまだ彼の弟子なのだ。それだけは生涯何一つとして変わらない事。
「その為に人を見る目を鍛える準備をしてもらおうか」
「私はとっくにそこも上回られていると思うのですが、なにしろあの荒くれが六騎士を超えるなんて思えません」
「我も思っておらんよ。じゃなが、次代リール卿となる男がその程度に成れないと言うのも困る話じゃろう」
信じていないなどと言った彼女の言葉を簡単に翻す言葉、彼女はただ部下の言葉を信じているだけだ。
英雄を超えると、多分だがこの世界で最も彼女を過大評価している存在は、最低限そこまで一人で歩みきらなければ、相応しくないと信じているのだろう。だからこそ自分が負けに負け続けた相手を超えると、そのためだけに彼は次代リール卿と主に告げたのだ。
嘘を言わぬ臣下が、口にするのだ。自分がどれだけ信じていなくても、信じるに値すると彼女は思う。
「正気の沙汰とは思えませんが、流石は蛮人殿の薫陶を受けたと言うべきでしょうか。かの地の支配を任されるなど、ありえる話ではないと言うのに」
「じゃがな、クラクトスよ。まだ我が臣下を見ておらんのだろ、なら言うのでない。風評に価値など無い、おぬしは今までの経験で、あやつの前に立ったに時に、それを言うべきじゃぞ。そのために少しばかり、力を貸してくれ、損はさせん。英雄を見せてやる」
クラクトスは、驚くばかりだ。元々だが末姫と言うのは、王家にあっても破天荒極まりなく、異質と言うほか無い存在の少女であったのだ。
そんな彼女を育てたのが彼だが、どれをとっても優秀ではあった。しかしだ彼女は、興味と言うものが無かったように、剣を振り回してばかりだった。この姫を妻にもらう人物は、必ず苦労すると断言できたのだが、それでも彼女は変わってしまったと思う。
それでなくても変人と言うのがピッタリの人物であったのに、今となっては、何かが変わったとしか言えないのだ。こんな人物を彼は見た事が無いと、どこかで纏った空気はまさに王、無地の野を行くが如き始まりの指導者。
変貌した彼女は、嵐ではなく渦に変貌していたのだ。辺りを荒らす風じゃない、己に巻き込みいざなう潮流。
かくも鮮やかな英雄の素質を備え、なによりも充実した才覚を示す存在となっている。彼女がその気になればこの国家を転覆させる事も、難しくは無いのだろうと、自分が鍛えた筈の少女を見て思うのだ。
だが彼女ではこの国の王には成り得ない、精霊の巫女である姉が居る限り、剣の姫は王には成り得ない。どこかで勿体無いと言う気持ちがあるのも事実だが、精霊の恩恵は、人の範疇を超えこの国を富ませる以上、剣の末姫がそれ以上の何かを持たなければ王になどなれる筈もない。人々の慣習と言うものは、生活を営む上で最も楽で堅実な方法なのだ。
劇薬を求める変化など、正直に言えば民衆が望むものである筈がない。人が求めるのは停滞だけだ、革新など一部の不満と欺瞞なにより偶然が暴発しただけの代物に過ぎない。そういった代物の塊が、実はユーグルだと言えばそうなのかもしれない、アレは色々な意味で劇薬だった。
しかし少女もそういう類の代物であると、クラクトスは思いつつある。少女は可憐で花を持っていれば似合うような美しさを備える。だが花を見て綺麗じゃ、しかし無粋と言ってのけるような鉄の心臓を持っているのだ。
誰もが思う彼女に似合うのは無骨な剣、花を持つよりなおその方が相応しい。
彼女の母に二度ほど、礼儀以外に女らしさを持たせろと言われて、市井の子供のように裁縫などをさせてみたが、十全にこなして見せる彼女に驚きもしたが、なんとも不可解な一枚絵を見るようで、続けさせる事を躊躇わせた。
彼女には間違いなく会わないと断言できる。それ程に不釣合いな光景であったのは間違いなく、王妃に対して謝罪をしたほどだ。
王女にはその全てが相応しくないと、いくら完璧にこなそうとも、人には不向きがある。
女らしさが無いとは言わない、だが女性としての重さが、かの姫には存在しなかった。それは身体的な事ではない。
性別を比べて人を見る事ができない、特にその姿が顕著になったのは、あの大罪人を騎士にしてからだ。
アレを起点に、姫ではなく別物に代わっていった彼の主は、もはや何か別物なのだ。
それは成長なのか、変貌なのか、議論しても意味すらない代物である事は間違いないだろう。
それはきっと本性なのだ、一人の乙女が持つには膨大すぎる素養、それを見切り、さらには見出し、引きずり出したあの騎士は、自分の為だけに主を作ろうとしているようにすら思える。
まだ未熟と断言できるその姫君でさえこれなのだ、確かに見たいと思わせる何かをその岸は持っている。当たり前のように彼女は言ったのだ、英雄を見せてやると、さも六騎士たちが過去の産物のよう姫は笑う。
下々よ瞠目せよと、古今を問わず私の騎士こそが英雄である。彼女はそういっているのだ、主に沿うまで言わしめ信頼を、ただ二度の対面から勝ち取ったユーグルと言う蛮人の後継者に、クラクトスは自然に笑っていた。
自分のような教育係は、これからこの姫君と騎士の二人を中心に起こるであろう潮流に、流されるしかないことを自覚してしまう。
この未完の大器ですら御しきれない。そんな事を自覚してしまえば、練熟を重ねるだけの大器に対して何か出来る自信はクラクトスには無い。
「その為に、世間に少しばかりマシな方面でのお披露目をしておきたいのじゃ。
これから先あやつに敵対する可能性のある者、そしてリール地方における現在の有力者たちを引きずり出せ、あとは蛮人の部下たちかこれも出てきて欲しい。
そこには裏も表も関係ない、おぬしが知る限りでいい、限りなく全てを集めておいて欲しいのじゃ」
そこから使える奴らの選択を、我がすると彼女は言う。
使えるやつは使い、使えない奴は使い潰す、しれっと言い放った言葉は、ゾッとするほどに鮮烈であった。
冷えなどしない、縛り上げるように体がの自由が効かなくなる。
分かっていても、彼女はその上を行く。
泡立つ肌に王の意味を知らされ、屈服の意味を知る。平民と王の差は、きっとこれなのだ、それでも彼女はこの国の王にはなりえない。
人心の王にはなれない、きっと彼女が王になるとき、ただ王がいる、そして騎士がいる。たった二人の王国が出来るだけだ。
ふざけた話だが、それだけで大国と準ずる力を持つのではないかと、クラクトスはどこかで思ってしまった。
それはきっとひどく寂しい国だ、そしてなによりも恐ろしい国だと。
彼らがもし王国に弓引いたその時、果たしてという思考が浮かぶ、だがそれは果たして戦になり得るだろうか、ただ二人の国はいつかできるだろうと、クラクトスは考える。
どんな形をしているか、目を瞑って考えたところで、ただ二人がいるだけで国になるのだ、そんなものを想像など出来る訳もなかった。
湖畔に咲く花のように自然な形なのだろう、違和感すら感じずにきっと国と言い切れる。きっと王国に対して明確な驚異となる事を、彼は理解していたが、頭を垂れる。
それは騎士でもない彼の屈服の意志だ。
どこか心の奥に止めろと叫ぶ感情があった。きっと彼女の考えは、国をどうあっても害することは分かっていた。
なにせ、国家間の取引なんてものは変わらずどちらかが、利益を得て、片方は不利益を得るものだ。それがまして折衝もしない、理不尽な押しつけであるのなら、それは水の流れ方のように自然なシロモノだ。
だが彼は折れた。
きっとこの少女は何を言っても、それを行う術を用意し、実行するのだ。ここにいる程度の人間であるのならば、きっとと、間違いなく、齢を六拾を重ねた男クラクトスはただの少女に負けたのだ。
「その御下命、承りました」
「おう、よく言ってくれたぞクラクトス」
だが彼は思うだろう。これからの未来を見て、まさかこれが引き金になるとは思わなかったと。
これより起こる六騎士達が収めた五十年戦争すら生温い、王国にとって最悪の事態が起きるとは、その始まりは間違いなくこの男であった。クラクトスと呼ばれ、千面相対と後の世に歌われた英雄の一人は、間違いなくこの日に現れたのだ。
だが、まだその自体を知る者はいない。
そして、クラクトス自身その事を知ることはないだろう。彼のその名が響くのは、死後になっての事になるのだ。
「これでとりあえず、これからの後顧の憂いを晴らそうではないか。我はすごく気分がいいぞ、この賭けに負けたら王国が滅ぶかも試練が、それも一興じゃ」
「あの、今すごい事を仰りませんでしたか」
「ああ、我の策が成功するのであれば、きっとではあるが、王国は滅亡の危機に瀕するじゃろう」
しれっと言い放った言葉に流石にクラクトスも、表情が強張るが、何故だろうか、とめると言う思考が浮かばず。
どうしたらそれが救われるかと考えてしまう。いつの間にか彼女に毒されたのか、自分が今から行う事をやめるという選択肢だけは、存在する事はなかったのだ。
そのことを彼が気付く事は、生涯有り得ない話になるのだが、それはそれとして、間違いなく彼は汚染され始めていた。
被害者はこれら増えて行くだろう、彼呼び集める人材もそうだ、メイギスやユーグルに関われば人はこのように変化してしまうのだろうか。
英雄譚、人の足跡がそう語られる時には、きっと何かが起きて解決してしまったからだ。
ただその鮮烈なまでの生き方に、誰も彼もが見せられて、理性を失ったように偉業を成し遂げる。
それはまるで病のように、だが英雄が存在するのは常に、何かが乱れた時だ。
その引き金に手がかけられた。
誰もがまさかと思うかもしれない。だが間違いなく、この時だった。
五十年戦争が終わり、ようやく安定期に入ったこの世界であったとしても、ただ語り継がれる一人の存在が表れる為にが始まるために、世界が乱れたのだ。
これから咲き緩やかに、王国は敵国であった帝国と、足並みを合わせて信頼できる友となるはずだったのだ。
だがそれをぶち壊したのは、ここに居る二人である。
それを知るにはさらに少しの時間が必要だろう。と言ってもさしたる時間ではない、この談合の場は、英雄始端と呼ばれる舞台になるが、その本質を理解したものは多分、当時の人間の中には存在しない。
少なくともではあるが、メイギスの一声を聞くまでは誰も、この少女の本質など理解できるわけがなかった。
ユーグルとメイギスは所詮は反逆者と、王位継承権もなく政治の道具になるのが常のお姫様に過ぎない。何より既にユーグルによって台無しにされたが、メイギスは既に一度降嫁する予定であった身だ。
政治的には重要であったとしても、二人していてもいなくても変わらない存在ではあった。むしろユーグルに至っては、要らないどころか、さっさと寿命が消え去って欲しかった者達の方が多いだろう。
注目される事はあっても、本来であるのなら日の目を見ることのない者たちだ。
その程度には彼らの価値は無かった。だがもはやそんな悠長な事を、言っていられる者たちはいなくなる。
それはどうあっても間違いなかった。
騎士姫等と呼ばれるメイギスが、自分たちを呼んでいると言って、驚かない者たちは少ないだろう。同時に、彼女の名声は、反逆者を止めたことにより現状では高い。
しかし僅かではあるが、メイギスこそが、ユーグルを仕掛けたというものがいるのも事実だ。
このまま自分も暗殺されるのではと、考えない者がいたとしても不思議ではない。
だが彼女の剣である、反逆者は、今となっては地の果てだ。
まだ少女だと、どこかで彼女を甘く見るものたちもいた。だが彼女の剣は偽りなく、王国最強の一人であることは間違いない。
五十の兵と対等に渡り合う騎士すらも、容易くねじ伏せる剣の姫は、その身が、平民であるのなら、銀翼か、それとも竜爪か、どちらかの騎士団の筆頭の一人に数えられただろう。
最も上にいる三剣が、彼女を阻んだのであろうが、それでも彼女はそう称えられる存在である。
王下六剣と呼ばれる剣士たちが、これから数年後に現れるが、それは三剣を含めない、王によって認められた六騎士の変わりだ。その統括者として存在する王剣とに任じられる事になる、彼女の名が上がるのは、これより前であるが、民衆にまで名が響いたのは、この時であっただろう。
所詮は彼女は、ユーグルの添え物扱いなのだ。
だがメイギスが、それを乗り越えた時こそ、彼女の真価がわかるというものである。ただ命を境にするその一瞬、人の本質が何よりわかる、その一時を見た男が選んだのだ。
自身の為なら、国家への反逆さえ厭わない大馬鹿者。
ユーグル=センセイが、選んだ王が、ただの王であるわけがない。
それを人々が認識するの初めての機会、英雄始端などと呼ばれる談合出会ったのは間違いない。
これより先に、その談合に呼ばれた者たちは、どうあってもメイギスを恐れる事になる。彼女はそれだけの素質をこの場で見せつけた。
それよりも先に、彼女を見出してしまったクラクトスは、彼女の言葉すら、当たり前の一部のように理解する。
「御意」と、言葉を唱えてそれをはじめるのだ。
この時起きた事が、メイギスやクラクトス、そしてユーグル、いや王国どころか帝国を巻き込んだ惨劇を作り上げる。
帝国と王国、その二つを分け、国交において致命的な亀裂を用意し、大英雄と呼ばれるひとりの男の台頭を許すのだ。
ただ、この始まりは、ある意味では百年の平和を維持出来たはずの時代を、戦乱に帰る自体であったのは間違いない。
つまりだ、この談合こそが、戦乱の始まりである。
なぜならば、これこそが、かの英雄を殺すためだけの策略だったからだ。
その談合が始まった時、ただ一言すべてを飲み込んだ言葉がある。
それが英雄が選んだ王の素質、そして戦乱を引き起こした引き金の言葉だ。
「一つ戦争を起こしたいのじゃ」
ユーグルが書いた、反乱の先導書のようなシロモノを、自身で出来るだけ噛み砕いて作った。帝国反乱計画書、それを目の前に出しながら彼女の言った言葉がそれだ。
この女は狂っている、そう言われても何らおかしくない発言を、正気であると言わしめるように、見せ付けた計画書は、自分が侮った物がどういう物だったのかを、否応なしに刻み付ける。
そして出来がいいと言うよりも、確信してそれを起こせると、断言出来るだけの代物に、彼らはただ仰天するしかなかっただろう。
反逆者を先導したと言われても、何ら不思議ではない精度の計画書に、バラされたところで何の問題もないと笑うその態度には、王国に対して何ら愛着がない事を、示しているようですらあった。
だがメイギスは、この国の王女だ。そんな訳があるはずもない、それでもそう見られてしまう程度には、彼女のやってる事は、無茶苦茶すぎる。
「なに、あえてリール地方の名士を呼んだのじゃ。戦争一つ起こして、あやつの器を測ろうと思ってな」
敵であれ、なんであれ、あの蛮人が選んだ男の器、確かに気にならない、などと言う者たちはいないだろう。
彼らはどうあれ蛮人を敵として、味方として見続けた者たちだ。その上で化物だと断言できた蛮人が認める、その器を測れる機会があるのなら見てみたいと思わないわけがない。
しかしだ、この少女は彼らの常識の上を行く。ただひとりの男を試す為に、ひとつ戦争を起こしたいなどという、発想からして論外、いや正気の沙汰とは思えない。
だが誰ひとりその言葉に対して反論することはできなかった。
長年顔を合わせてきた、クラクトスの顔を立てると共に、王室とのつながりが持てるのならと考えていた、考えの甘い者達は、自分がようやく劇物に触れた事を理解しただろう。
そしてそうでない面々は、ただ戦慄して口を開けず動向を見守った。
その二つに当てはまらない者は、だだ喜悦を隠すように表情を押し殺していた。地平線を覗くように、平坦な感情のままメイギスは、彼らを俯瞰する。
誰が使えるかを、そしてこの時より彼女は間違いなく、ユーグルが望んだ王の道を歩み始めた。
誰もが結局、行き着いたところは同じであったが、捉え方は全てが違っただろう。
メイギス第八王女は、ただの化物だと、それだけは結論として出すしかないのだ。何一つためらいなく言い放つ胆力だけなら、幼い暴走として捉えて、なあなあにしてしまえばいい。
だがそれをさせない為の計画書である。一度目を通せば誰にでもわかる、精度を誇る代物だ。
こんなことを変と考える彼女が、国家転覆程度できないわけがないと。
最もではあるがメイギスからすれば、この草案を作ることになった、ユーグルの未完成作品が異常なだけである。
自分はそれを読み取り、どうにか形にしただけであり、彼に見せれば落第点と言われても仕方ないような内容であった。
ハッタリになる程度にしか考えていない、その事実との誤差が彼女を化物に変える。
「それが正気の沙汰だと」
リール地方における蛮人の最後の敵であり、彼の側近となり辣腕を振るっていた男、アルマルダと言う人物である。
敵であった蛮人ですら、あやつと二度やりあうのは、流石に辛いと言わしめた人物で、幼い王女の姿を見て、ただ一人感情を抑えていた人物だ。
「この程度で正気も狂気もあるまい。事実として奴が、蛮人の言う器ならどうにでもして見せよう、じゃがそうでなければ、王国が滅んでしまうかもしれんの」
「理性をとう必要がないほど、正気ではないと」
「いやなに、そちらがあやつの暗殺を企んだりと、愉快痛快な無駄な行為をしていることは百も承知じゃ、じゃがそれじゃあ何もつかめんじゃろ。我が臣下の器を図るのであれば、国一つの命もかけずに測れるとでも、せっかく我がその機会を要してやろうというのじゃ、乗ってくる奴はおらんのか」
蛮人の認めた器、それを測りたいなら命をかけろとメイギスは、頬を緩ませて笑う。だと言うのに、無防備なはずの目の奥からは、不要に触れれば食い荒らされる様な、重圧が満ちていた。
「坊ちゃんは随分と、随分と、まあ」
篭める感情は、正しく喜悦、アルマルダは、蛮人が見初めた後継者が選ぶ主を見て、ただ嬉しくて表情を緩ませる。
彼は幼い頃からユーぐるを知っている人物だ。ある時、スラムから捕まえてきた子供を、猫掴みしてアルマルダに、差し出した時は、流石に笑うしかなかったと、昔を思い浮かべる。あれが、見出す主がこれかと、だから自分は蛮人に負けたのだと納得した。
「何を納得しているのかわからんが、安い槍一本程度の決意で、あれは殺せんのじゃ。ならば躊躇わず、槍を束ねて戦略に変えてやればいいと思わぬか。奴に向けられる悪意を全て束ねて、それでも止められないのであれば、あやつは本物じゃろう」
「確かに、ここで死んで貰った方が、我らにとっては都合が良さそうではある」
リールの重鎮である、バールバスが苦虫を噛み潰したような表情を作りながら、頷く。
だが、その姫は、彼のことを臣下だといった。ならば、何故この様な無茶をやろうと決めたのだと、疑問がわかないわけがない。
それはアルマルダも同じだったようで、言葉を制するでもなく、不敬と取ることもなく、ついの言葉を待った。
「では、あなたにとっての利益はどこに、あなたの言う臣下を全力を持って、殺そうとするその理由は、まさか器を試すだけである筈がない。それを納得させなければ、誰もあなたについて行く事などありえません」
「あいも変わらずリールの住人たちは、狩りにも王族に敬意を示さない。先の戦争でも、堂々と独立を宣言するような気質だから仕方ないのかもしれんが、なあバールバス、リール同盟の盟主殿」
「それはそれでしょう、若気の至りというものです。負けるつもりはなかったですがね、蛮人さえ居なければといったところでしょうか」
あくまで彼らの敵は、蛮人であった。
五十年戦争における最後の戦い、リール地方と帝国の王国首都への挟撃、俗名を英雄の平原、正式に記されるのは、ガルバリア砦の戦い、現在の名前をゲンジロウ砦というその場所だ。
その発端は王国からの独立を企んだ、リール商業同盟が国家として独立し、その当時の大富豪であったバールバスを盟主とした内乱を起こす。それより以前から連絡を取り合っていた帝国と、同時に首都に向けての攻撃を仕掛け、戦力を分断した後に撃破するという代物だった。
リール同盟十六万、帝国軍三十八万、王国軍三十万、騎士団総勢五百八十三、どのような事があったとしても、帝国が勝てる戦いであったのは間違いない。
しかしその全ての思惑を打ち砕いたのが、円卓第一席にして竜爪騎士団団長、大勲位六枚銀羽付き黒鷲勲章受章者、挙げればキリがない程の功績を上げた六騎士の一人によって台無しにされる。
その当時はまだ蛮人と呼ばれ、帝国にとって恐怖の代名詞の一人になっていたが、ほかの六騎士と比べると、どうしても活躍としては地味であったのもあり、戦場の華にはなれない男ではあった。
だが当時まだ三十半ばであり、まさに全盛期の力を誇っていただろう彼は、その辣腕の限りを尽くし、六万の兵をただ単身にて迎え撃ち、撤退させるという荒業を成し遂げる。
誰もが反対した戦いに、これが最善手と平然と言い切った男は、その功績により陣営切りという名を授かる事になる。
どちらかといえば、戦略家としての能力を王に認められた男は、その戦いを経て、五十年戦争における英雄として名を轟かせる事になった。
その戦いを経て、リール同盟は蛮人の傘下となるが、それは蛮人以外がこの地方を扱える訳がないという王や六騎士達の確信があったから。
だからこそ、現状でリール地方はまた内乱の兆しさえ感じさせてしまう。そういう状況になっていっている。その原因が、よりにもよって蛮人が後継者と認めた存在であるのだから、リールにおけるユーグルの扱いは総じて悪いのだ。
「だから貴様らは、ただの個人に負けたのじゃ。お前らの敵は、もう蛮人じゃない、あやつじゃよ、たったひとりの蛮人の後継者、リール地方は必ずやつの手に渡る、やつがその気になれば今からでも。
我を化物と勘違いしているようじゃなから言っておくが、あれが本当の化物じゃ、あれこそが本当の化物じゃ、やつを甘く見るでない。奴こそが、次代リール卿、お前らの上に立つ男じゃよ」
「同義もなく、蛮人の権威を失墜させた男がですか」
「そうじゃとも、あの蛮人が己の権威の全てを捨てて救う価値のある男がじゃ」
敵を見ろと彼女は笑う。
ゆったりとではなく確実に、作り上げられていくメイギスという名の王は、自分の存在する全ての技術を使う、剣の読み合いと駆け引きを口に変えて、六騎士の技術の全てをハッタリに変えて。
かのアルじたる少女を甘く見てはならない。真っ向から彼らに向かい合い、ひとつ戦を仕掛けたいとのたまった女だ。王国に喧嘩を売って生き延びている騎士と、合わさった二人、早々に負ける事などありえない。
メイギスはこれを臣下の与えた試練だとしか思っていない。
彼らがどれだけ、優れた者たちであり、英雄の的になれる器があったとしても、容易く乗り越えられなければ、六騎士すらの超えると言い切った騎士に対して、これ以上ない侮辱である。
嘘を嘘としなかったユーグルの主になると言う事は、そう言うことを強いられるのだ。
「次代リール卿と言ったか、坊ちゃんは必ずなると」
「当然じゃアルマルダ、ユーグルという男はな、嘘は付くが自分は曲げんよ」
「あの小僧が、その器があると、メイギス様は仰る訳ですか。その程度の言葉を担保に信じることが出来ないのを知っていて」
ハッと息を吐いて、体から熱を吐き出す。
感情だけで、自身を動かしてろくなことが起こらない事は、ユーグルの関節技で痛いほどに刻みつけられた。
あの馬鹿は、どこまで熱せられても、感情を平坦にする何かを持っている。それがまだできない彼女は、彼に習ったモノを使って、歴戦の古豪を相手取るしかない。
取り敢えず困ったら笑ってろ、表情を歪めるならどうせならその方がいい。暗いよりは、百倍ましだ。
ユーグルはそう言っていた。困ったら笑う、それだけで十二分に相手には脅しになるのだ。図星を疲れようとも、ただ笑うだけでいい、そんな状況で笑えるのなら、相手はそれだけで、どうあっても一度は驚く。
ましてや、まだ自分たちの発想の上を行く、狂人のように見せつけた後だ。
「仮にも承認の長が、投資もできないのか。気にせずとも、ただ少し族滅になる可能性があるだけだろう。王国が滅べば、帝国のクーデター補助した商人として、それなりのリターンもある。
そしてお前らは、あの男の器を測れる。流石にボリ過ぎだと思うぞ商人」
一度ひきつる様の頬を上げた、切れ目の入った布の様に、横に裂けた笑顔を作り上げていく。それは王女の笑い方かと、アルマルダは肺の奥から息を吐いた。
バールバスは、そんな王女の姿を見て、頭が痛くなってしまう。乗る理由も利益もない、はっきり言えば人材と金をドブに捨てて、族滅の危機にすら陥らせるような提案なのだ。それですんで、まだましであると言える提案。
そんな破滅に付き合えと、まだ自分の腰程度の身長しかない王女が笑っていうのだ。
国を滅ぼす算段を整えて、帝国に対して亀裂を入れてクーデターを起こさせる。狙い目は第三王子と書かれてある資料に、軽く目を通しながら戦慄する。
出来てしまうからだ。ここにいる全員が彼女を手助けするという前提で、この計画は達成できてしまう。
「最悪で死ぬだけと」
「そっちは気にせんで良い。ここで我の言ったことがバレたら、それはそれで事だからの、首を縦に振らんのであればここに居る者たちは皆殺しにする予定があるが、それは、多少のリスクの内じゃと我は思うのじゃ」
そしてしれっという言葉は、ここに居るものたちにとっては痛烈なものだっただろう。
かの少女を、ただの姫と勘違いしていた者たちは、メイギスが語られる言葉を知らないのだろう。
騎士姫、剣王姫、その名は伊達などではない。王族であっても二つ名を与えられる者が、そう容易くいる訳がないのだ。
彼女が剣を抜けば、その瞬間ここに居る者たちは殺される。
精霊騎士の中でも上位に当たるメイギスは、最初から断ることなど許さないと、彼らの逃げ場を奪い去っていた。
集まった者達は、どこかでお嬢様の暇つぶしだと勘違いしていた。その少女は、王であるのだ、きっとこの王国で最も優れた王であるのだ。そして王は王でも暴君であった、まだその本質を理解しない無秩序の王。
「な、これで選ぶ選択肢など言うものを、他人にくれてやるとでも思っていたのか。常識を考えろ、これバレたらこちらも危ういのじゃ、あれを見てタダで逃げられると本気で思ってが、おるまいお主たち」
「選択肢すら用意していない。坊ちゃんは、王様の教育をきちんとするべきですね」
「常識はずれにも程がある、こちらが首をふらないと見たら殺す、そんな暴君の何を信じろと言うのだ」
知るかと首を振る、ここまで優しく手伝わなければ殺すと言っているだけの事に、いちいち論ずることなどありはしない。
自分の交渉が、ただの恫喝に変わり、これをユーグルが見たのなら、きっと彼女を殴りつけるだろうことは、理解していたのだが、自分が一番得意な手管を使うのが、何より手っ取り早い。
「なに気にするな、これに失敗したらな、我も従者に殺される身なのじゃ、もしもの時は一緒に死んでやれるのじゃが、どうじゃ我とやる気にはならんか」
「はっきり言えば、死んでもお断りというところですね。私は、リール同盟のどうあっても盟主であった男、それが安い子供の脅し程度で動いては、蛮人に殺された者達に、そして生きている者たちに、示しがつかない」
「つまり我に賛同するには、彼らを納得させる理由をよこせと、まどろっこしい、政治のセの字も知らん餓鬼に、つまらん御託を付けるな」
いままで自分の好きなように、場を乱してきたメイギスは、拗ねたような声を出す。
そのセの字も知らん餓鬼に振り回されたのが、ここに居るものたちなのだが、彼らはバールバスの言うことに対しで、同じ言葉で返答するだけだ。
慎重すぎると、内心で思うメイギスだが、内乱までお越して独立しようとしたリール地方、現在は蛮人や彼らの尽力によって、経済の要所と変わり第二の王都とさえ呼ばれる場所に、作り替えた者たちだ。
この一点においては、経験と年齢、ソレに伴う箔が必要なのだろう。
その人間が、長きにわたって、積み上げた信頼や信用、畏怖が必要になっていく。ユーグルもこの一点が、六騎士に劣ったからこそ敗北を認めた。
「仕方ないの、我の首で、お主らを救ってやる。首謀者ということで、王族の首ならいい赦免になるだろう」
だが、この王女が、いう言葉はあまりに容易く、信頼より先に恐怖を与えるものであった。
これぐらいは当然かと、首を傾げてくる。あまりにあっさりと、命を捨てる選択をする所為で、聞いている者たちは呆然としたが、メイギスは何を思ったのか、羊皮紙に何かを書き始めた。
最後に指を剣で傷つけて、血判を押し、バールバスに投げ渡す。
「これで問題ないな、それがこの談合と命令を我が下した証明になるじゃろう」
血判まで押しての証明、こればかりは、王族という持ち合わせた血統の力が、モノを言う。偽造など出来る訳のない代物は、この度の騒動の責任は全て自分であると書かれ、彼らは全て私に脅され、否応なしにした事だと証明の血判まで押された代物だ。
特に王族の血は、精霊との感応が高いため、ニュルクスあたりが見ればすぐに証明できるだろう。
そうでなくても優秀な騎士一人いれば確実に、理解してしまうぐらいには強烈な証明だ。
彼女の態度を見ていたあるマルダは、困ったものだとため息を履いて、手を挙げた。
「どうしたアルマルダよ。質問は後の方がいいのじゃが」
「いえいえ、私は坊ちゃんを試せるのなら、一向に構いませんよ姫様。あの化物が認めた男の器、それぐらいを使わないと見れないというのなら、力を貸しましょう。もともと王国なんてのはどうでもいいです。
次代リール卿、その言葉の真偽は、どうしても知っておく必要がありますからね」
「アル、お前は」
最初に、力を貸すといった男は、多分この中で名声だけならバールバスを超えるだろう人物だ。最後の最後まで蛮人と戦い、結局は負けたが、それでも英雄と呼ばれてもおかしくない人物。
リール同盟のかつての副盟主でもある、リールにおける当時の武の象徴だ。
そんな男が、力を貸すといえば、ここに居る者たちの心も揺れ動く。なかには彼の言葉を聞いて、私もと手を挙げた者たちも数名いた。
ここに現在いるのはどうしても、かつてのリール同盟における重鎮たちであり、その派閥のトップが、バールバスであり、アルマルダである訳だが、二人の人心掌握術は、どちらもが優れている。
でなければ国一つを動かすほどの内乱を起こせるはずもない。
王国が扱いきれないとされたリール地方の本質はここにある。もはやこの地方はひとつの国であると言っても過言ではない。
ただ王国所属と言うだけの事なのだ。その重要人物であり、同盟にいた者たちは、この二人と蛮人の言葉だけを聞くきらいがある。
つまりリールの言葉とは、蛮人であり、彼ら二人であるわけだ。
この二人の折衝をしながら、反王国人材を匠に操り、発展をさせていくという荒業を成し遂げた男が蛮人であった。
だからこそユーグルのした事は、少しでも政治を齧ったのなら、大問題であったことは、誰でもわかるだろう。
ヘタをすれば第二リール同盟の結成の可能性すらあったのだ。
「さて、ひと派閥はもらった。こちらにできる誠意は、命すら払ったぞ。ユーグルの我の臣下の実力、高みの見物と以降ではないか」
「ひとつだけ聞く、あの小僧がもし、もしだ、言葉の通りの男ならどこまで行く。リールと言う地方に来るのなら、あの子族はどこまでやれる」
大声を上げるバールバスは、リールと言う場所に、今まで何度も命をかけてきた。
本来なら内乱終了と共に、首を切り落とされても仕方のない男だったのだ。だがそれも全ては、故郷を守るためであったのも事実だ。
質はともかく物量で勝る帝国に、王国は本来であるのなら勝てるはずがなかった。
単身で戦略を塗り替える規格外が、六人も現れなければ、絶対に王国は滅んでいただろう。そんな国ともう一度戦争をやらかそうと企む、目の前の名義すは彼にとっては、故郷を滅ぼす悪魔といってもいい。
蛮人に心酔しているアルマルダじゃないのだバールバスは、彼はあくまでこの地方を守るために、蛮人の下にいたに過ぎない。
だから、彼女の言葉をたやすく認める事など、出来る訳がなかったのだ。
メイギスは困ったように表情を変える。それは別に、悪いことを言うような素振りではないが、どうにも内容として出すには、なかなか困るモノなのだろう。
「言語化しづらいのじゃ、あやつか、正確には我とあやつになるが、そうじゃのう。わからんな、本当にわからなん」
「それで、私に故郷をかけろと仰るのか」
「違う違う、どう言えばいいのじゃろう。取り敢えず、それっぽい言葉になるが、ちょっと胡散臭いぞ」
彼女の言いたい内容は、どう言っていい物か分からない代物であった。
アルマルダも、メイギスの言葉を待っているのだろう。
若干だが微笑みながら、じっとその光景を見守っている。
「そうじゃの、これでいいか。取り敢えず十年以内に、国と呼ばせて見せよう」
相変わらずだが、直球でロクでもない事を平然というメイギスだが、その事に固まったのは、バールバスだけじゃない彼女以外すべてが固まっていた。
それはある意味では、リール地方における宿願である。一度は国となり、ひとつの地方に押し込められた王国の領地の一つに過ぎなくなった場所だ。蛮人によって第二の王都とまでに、成長をしてしまったが、それでも容易い事ではない。
まして今更、王国から離脱する理由が存在しないのだ。
ただリスクだけが存在する独立、そんな物に価値はない。だがそれでも彼らは魅せられる、自分たちの国に自信があったから。
なるほどと思ってしまう通りで、扱いづらい訳である。こんなリールという地方への自尊心を抱えた者たちを、王国の民として扱うなどというのは、他国の貴賓を雑務に使うような行為だ。
そんな者たちが、王国側の思い通りに動くことなどありえない。
だからこそいまのリール地方の混乱があるのだ。蛮人の王国とさえ揶揄される、リールという名の場所は、そういう土地柄なのである。
王国にすら牙を剥く、不用意な無礼すら容赦ない剣を突き立てる。五十年戦争終了時ならともかく、そのプライドを忘れない人間がまだ生きている中で、リール地方を大勢力に変えた蛮人は、果たして本気で王国に対して忠誠を抱いていたのか、疑問視することも出来るが、難題を成し遂げたのだ。
だがそれが、起こすのは内乱の可能性だけじゃない、扱いづらいと言うのなら、王ですらも扱えない場所になり果てたしまった。
そろそろ理解する者もいるかもしれないが、これが蛮人の愛情だ。
誰よりも分かり辛い、なにより理解しがたい彼なりの選別である。それに最初の気付くのは誰だろうか、それは語られぬ話だ。
「それは、確かに魅力的ですが、それは不可能というものでしょう」
当然のようにバールバスは否定をする。当然だ、自分たちの宿願が、容易く蛮人の後継者であってもこなせるわけがない。
しかし、こればかりは、否と言わせないメイギス視線が、バールバスに突き刺さっていた。
「わかっておらん、我ははっきり言って臣下どころか、バールバス、お前にだって劣る程度の実力しか今はないじゃろう。しかしじゃ、あやつは例外じゃ、その言葉は認めてはやれんのじゃ、我の領地を、我の国土を、我の戦力を、我の国を、侮辱する謂れ等存在せん」
何もかもをなぎ払うようなその言葉は、彼の口から一度言葉を奪った。
彼女の視線に、逃げられなかったバールバスは、声と同じく放たれた剣に気づくこともできなかった。
「その侮辱に関しては、一度目は許す、だが二度目はない。
貴様も一国の主であったのなら、外交の一つもまともにこなしてみせよ。こちらの国家は、戦争を望んでおるのじゃ、なぁリール同盟、我らは相手はどちらでも構わんのじゃぞ。いい加減に選んでみせよ。
我をとるか、王国をとるか、利益だけは保証してやるぞ」
命を賭ける事に、メイギスは躊躇いを持たない以上、持ちうるすべての政治のカードは切ってみせた。
たった二人の国家が、彼らの国を認めた。
同じくリール同盟という国に、対等の国としての交渉を持ち込んでやると彼女は言っているのだ。
「我に出来る現状はこれが限界じゃ、あとは一つ戦を始める準備だけじゃ。交渉が決裂すれば武力交渉しかありえん、我はそんなところで戦争はしたくないのじゃ。剣を抜かせんでくれ」
「では、終わった国とは言え、リールを国としてみるということですね」
「そうじゃのう、そして願うのは降伏じゃ。結局はそういう事になるの、この交渉はつまりはそういうことじゃ、戦争を起こしユーグルに英雄働きをしてもらう。
その功績を持ってリール卿に無理やり押し上げる。その為に王国は、少しばかり滅亡の危機に瀕してもらう。でなければ奴は一生砦暮らしか、奴が王国に戦を仕掛けるのでな」
超然とした言葉だ、そういう男だと、メイギスは当たり前のように答える。
内容すら理解不能の極地ではあるが、間違いなく彼女は後者の方以外に、ありえることはないだろうと確信はしていた。
だがそんな事は、六騎士にだって難しいことであるのは間違いない。
「蛮人で出来るかどうかの算段だろうそれは、あれの劣る男が」
だから彼は否定する、バールバスは否定の限りを尽くす。
蛮人のすべての権利を地の底に落とし、自分を超えた超常の存在である英雄を、台無しにしてみせたユーグルを、リール同盟を貶めた蛮人をさらには貶めた男を、彼が認めることはできない。
しかし、メイギスは違う。
たしか彼は劣るといった、蛮人にすら自分は劣っていると。だがそれは今の話である、なにより、男が成長するときなど、相場が決まっているものだ。
女か、我が子か、命の瀬戸際か、この程度の代物だ。そのうちの二つを用意するのだ、六騎士という英雄すら超えてもらわなければ困るというものだろう。
バールバスの言葉を彼女は受けれることはない。
ユーグルが蛮人に劣るはずがないと、否定の言葉を鼻で笑い。苛烈の意思で、跳ね飛ばす。
「たわけた事、奴がその様なものであるものか。蛮人がたった一人、六騎士ですらも認めなったことを認めた男が、その程度であるはずがなかろう。
これ以上は、是も否もあるまい。いや是が否もあるまい。
これから先は、ひとつの英雄譚のようなものだ、我の臣下が行う全てがそうなるのだ、蛮人に劣る英雄か、蛮人に勝る英雄か、それとも全てに勝る英雄かそうそうに答えよ。
これ以上の論弁などいらぬ。
お前を負かした英雄すらも、ねじ伏せる男が現れる。その為に力を貸せというておる。
どうせ、拒否すれば我に殺されるのだ。さっさと、ここで死ぬか、いつか時間に殺されるかさっさと選べ。
それだけの価値のあるもの二つ三つとくれてやったろう」
そして吐き出される言葉に、バールバスは心が折れる。
信じれる内容など何一つない、ただ名義すの言葉に、返せるはずの言葉が無駄な気がしたのだ。いくら思考を重ねても変わらない、メイギスという少女の前で、否定を繰り返す自分にすら、違和感を感じてしまう。
その違和感はいつの間にか、一つの方向に定まっていく。
結局は、これは王の無茶ぶりに過ぎない。
だが、少女は暴君であった、そして名君でもあったのだ。
この英雄始端の結末は、語る必要はないだろう。これから後のことを考えれば、バールバスという男がどういう行動をとったのか、そしてその結果何が起きるのかも、ただあらゆるユーグるという存在への悪意が束ねられた。
そうして始まる英雄譚はまさにそこだった。
ユーグル、そしてメイギス、数多の者たちが駆け抜け消えていった時代。
その中で燦然と輝く大英雄譚、その全ては主従によって成し遂げられたといってもいい。
二人の英雄譚、人はそれをリール皇国物語と呼んだ。
その出会いを超えたユーグルが、リール地方を預かる原因となる物語はこれから始まる。
ゲンジロウ砦の蹂躙、王国の興亡ここに極まると言われた騒乱の始まりである。
|