序章 砦の不良騎士

 それは最前線の砦の物語。
 視界いっぱいに広がる敵は総勢五十万、大してこちらは五十人。心底ふざけた戦力差、敗北以外はありえないその非常識さに、指揮官であろう男は苦笑してしまう。

「こりゃ死んだな」

 着任して二ヶ月、折角一角の地位を手に入れたばかりだというのに、この不運には涙が出てくるどころか、諦めしか感じないだろう。
 あからさまに悲惨だ、人生がうまくいかなさ過ぎるのだ。

「いやそう言うわけにも行かないんですけどね三剣さん」
「いやいや、どう考えても死亡以外の選択しないぞこれ。これで生き残れるならそいつは人間じゃない、それこそ過去の戦いの英雄達だけだ、いやその英雄だって無理に決まっている。人間の限界ありゃ超えてるって、俺でも五十人斬り殺せば限界だろうし」
「何を言っているんですか、ここで力を見せればかつての不良騎士からの大出世でしょう」

 彼と同じく新任の副官は、英雄病にでも悩まされているのか、神話信者なのか知らないが、この状況で興奮しているかのように、鼻息を粗くする。
 ちなみに指揮官は、あきれながら部下を見て、死亡一歩手前でやけになっているのかもしれないと、同情の視線を送ってみる。どちらにしろ英雄願望にしろ、俗物根性にしろ、これから三時間もすれば間違い無く五十名の死体の山を積み上げる事になるのだ。

 彼は左遷されてここまで来たとは言え、ここまで駄目な方向に進みたくもないのだろう。
 生きる可能性を模索してみるが、逃げたところで敵前逃亡で処刑が関の山だ。なにより彼の矜持が逃げる事を許さない、時間を稼いで城にこの事を伝えて応援を頼む。多分それがベターだし既に連絡は果たしている。

 だがここから王都まで少なく時間を見積もっても片道だけで三日は掛かる、この辺りはかつての戦争で不毛の大地となり、人も居らず一番近い大きな都市も王都なのである。本来ならここは最重要防衛拠点のひとつのはずなのだが、見ての通り五十名、二十年と言う月日が人々に怠慢と、平和による軍事費の縮小、なによりこの指揮官がいる所為で、兵を極限まで減らされてしまっているのだ。

 敵国はその情報を仕入れて、一大攻勢をかけようと企んでいるのだ。

「けど、応援が来るまで篭城しかないだろうけど、性に合わんしな」
「そうですよ、ここで剣を振るって敵をなぎ倒しましょう」
「ああ、お前も一応騎士だったな。無駄に実力があるから、英雄を夢想するんだろうが、やめとけそんな奴は俺は囮にして殺す以外の価値しかもっていないぞ」

 あっさりと囮にして殺すといわれ、流石に顔を蒼くさせる新米騎士。
 自分の師匠ともいえる騎士を、殴り飛ばして気に入られた彼にとっては、こんな風に上の人間の言葉で一喜一憂する騎士が、役立つかどうか分からないとあきれた顔をしていた。

「それに間違い無く死ぬんだ、どこで殺されたって時間が違うだけ。今はそう言う状況で、脱走兵も出るだろうから、実質五十人以下か、洒落にならん。何よりおれ自身が今まで部隊指揮もしたことのない無能と来ている、こりゃどう考えても積みだ」

 しかも着任と同時に部下に対して無能呼ばわりされて、大暴れしたりしてた所為もあって、忠誠心には期待できない。
 むしろ一桁残れば御の字ぐらいの可能性だったりする。しかしながら逃げ出す奴を追うほどの余裕も彼にはない、困った話だと苦笑する。

「くそ、あの女の所為で俺の人生破滅の一途だ」

  だが彼とてここで死ぬわけにはいかない。と言うより誰もが死にたいと思うことがないのは当たり前の話だ。
 ここにいるのは自殺志願者の群れと言うわけではない。いつの間にか冷静になったのか顔を真っ青にさせて、妄想と言う名の英雄単に使っていた副官も、体を震わせて逃げる算段でも考えているのかもしれない。

 こんな状況で逃げ出さないという選択肢が存在するのは、命より義務が思い人間か、信念等と言う、彼にとってはもう相乗の産物、いや熱病に浮かされた奴ぐらいだと思っている。もう一つの可能性は自分を人間じゃないと言い張る馬鹿だけだ。

「畜生、何でこの俺が、こんな目にあわなくちゃいけないんだよ。しかも生き残るにはたった一つしか方法がないって、賭けにもならない、それしかないんだぞ」
「そんな可能性があるんですか」
「そりゃあるだろう、たった一つだけな。本当に出来れば生き残れるぞ、最も不可能と言う可能性をどうにかしないといけないけどな」

 彼は不快そうに吐き捨てた。
 逃亡不可能、部下は逃走確実、敵は膨大、ここまで詰んでいる状況も悲惨だが、この状況で生き延びるならばただ一つの方法しかない。

「五十万の頂点を殺せば、こっちの生き残る可能性は上がるぞ」
「それはそうですが、無茶すぎます」
「これはお前の望みだろう、今から剣だけで敵をなぎ倒そうって言う話をしてるんだ。仮にも北狼騎士団所属だろうが、このまま直線に突っ走れば三十分で敵本陣だろう。それ以外俺たち騎士には生き残る術はないぞ」

 この国における騎士の扱いははっきり言って破格だ。だがそれにともなう責任もまた多くある、といっても人間だ死にたく無いし、痛い思いも嫌に決まっている。
 命より軽い義務の為に、命を賭ける責任を彼らは伴っている。これを破ればより一層誰かの命が消えうせるのだ、そう言う責任が彼らには与えられ、誰もがそれを盾までも守ろうとする。

「俺は他人の命を背負うなんて真っ平だ。ここで取り敢えず武器を振るって敵を殺せば、その責任だけは負わなくて済むし、そう言う意味では玉砕も悪いことじゃない」

 自分の命で手一杯なんだからお前は自分どうにかしろと言っているようなものだ。
 だがこの国の騎士ならそれは仕方のないことだ。彼らの命は自分で責任を持つものと教えられている、叙任式の際に名も知れぬ神にそう誓わされ、国の剣となった彼らには、国を支えるものたちを守るという責任がある。

 一応兵士達にもその責任があるが、騎士達のそれは最早、運命といわれるほどに刻まれる。

 そうやって刷り込まれた責任であるが、不良騎士にはそんなこと関係ない。それでもこの場に留まるのは、はっきり言えば自己満足に近い、責任に対する拒絶だ、岸達がどこで死に絶えようが彼にとっては構わない話だが、民となると話は違う、ここで逃げて彼らを裏切れば、その命を自分が背負う事になるのだ。

 誰がどう違うと否定しても、自分の役割から来る責任だけは、いや正しくは人の命と言う重みを背負う事だけは嫌だった。

「あの爺にさらわれて以来、俺の人生真っ暗だ。俺の将来の夢は、出世して何もしないだと言うのに」

 そんな愚痴を言っていると後ろから酷くあわてた声で、この砦にいる最後の騎士が現れる。
 唯一女性が存在する騎士団、慈母騎士団の所属であり、その中の問題児の一人だった少女。彼女はあわてたように彼に走り、報告を必死になるが呼吸がままならないのか、喋ることが出来ず息を整えようとしている。

「どうした、部下が全員逃げたとかそんな感じか」
「違います、五十名全員が裏切りました」
「え、なにそれ、どんだけ俺は人望なかったんだよ」

 まさに今、この要塞指揮官である騎士は、あまりにも絶望的な状況に追い込まれ、騎士三人全員が顔を白黒させ、させ結局命を諦める以外の手段を彼らは持たなかった。二人の新米騎士の動揺も層だが自分の心を落ち着ける為に彼は煙草を一本くわえて、火をつける。だが普段吸わない背もあって軽く咽てしまうが、空気を変えル為の手段なので、多少でも絶望に染まった色を払拭できればそれでよかったのだろう。

「何を言っても緒戦は絶望だらけだ。キースクリフ、アイシャネンス、お前らに命じる裏切り者を殺せ、俺はその間に一つ英雄譚を作っておく」

 二本の剣を持って、面倒くさそうに歩き出す。

 ここで死ぬのは仕方ない事だともうすでに諦めているところもあるのだろう。同時に裏切り者の殺害が終われば撤退も許すと彼は言っている。先ほどの自殺宣告に二人の騎士は驚いたような表情をしているが、あまりに緊張感のないジョークに、一瞬彼がなにを言っているのか分からず戸惑っているうちに彼は、砦の外へと歩き出す。

 一瞬の空白の後、多分裏切った部下の悲鳴だろう声が響き、扉が大きく開かれた。
 二人して視線を合わせて、大慌てで走り出す。砦の門をしめて少しでも時間を稼ぐ事、そして今いる裏切り者全てを皆殺しにすること、それが彼らに与えられた命令であり、果たすべき責任だ。

 もう勤続十年に成るベテラン不良騎士は、その閉まった扉の音を耳に入れながらそれ以上に大きな人の悲鳴に埋もれ始める。

「本当に人生ままならない、と言うか人生が上手くいかな過ぎるんだよ」

 けれども、敵の放つ怒声は、そんな冗談みたいな愚痴さえも、ねじ伏せて彼の命を轢き殺そうとしていた。
 だがそれで彼は止まるような男でもなく、同時にこの国の騎士とは、国における戦力の象徴、兵器の名前でもある。ただの一振りにて敵をなぎ払い、撫で斬りにする様は、誰が見ても圧倒的であっただろう。

 まるで血の壁が出来上がるように、彼の前に死体が八人ほど用意されて、噴水のように噴出していた。
 血の雨が目の前のものに降りかかる瞬間、獣の如く敵の前に躍り出て、部隊指揮官らしきものを殺害するまでそう時間は掛からなかった。戦場に起きた数秒の空白、ただ楽しくもなさそうに敵を睨みつけ。

「だから、俺が死ぬはいやだから、代わりにお前ら取り敢えず死んでくれ」

 疲れたように言葉を紡ぎ、ただ敵を圧倒する様に砦の前に立ちはだかった騎士は、その心の中に自分の死を認める事だけはしないように、敵に剣を向けて、溜息混じりにつぶやいた。

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