終章 生まれてきた事全てに対して

 ルッスは海晴を担ぎ城門に向けて歩いていた。
 ボロボロと崩れる体は彼の体全てが塩の塊に変わっていくことの証明だろう。魔導機であった救世は壊れ塩の塊に変わるが、その代償は海晴の命だったようだ。そんな仲二人は語り合っていた。

「なあこれでいいんだよな頭」
「ああ、幸せだよ最後の最後に俺は救われたんだぞ。ルッコラさんにもお前にも、こんな幸せな事はないよ」

 だがルッスは思うあんたはまだ救われていないんじゃないかと、けれど海晴は本当に穏やかな表情のまま幸せだと告げる。
 彼の生涯でここまで穏やかだった日々はルッコラの時でさえなかっただろう。ただ何もかも終わらせた彼は、崩れる体さえ誇らしいのだろう自慢げだった。

「けど本当にいいんだな、裏切りって」
「ああ俺の死体を徹底的に辱めろ。じゃなければ宗教国にお前たちが潰されるだろう、なら俺が人質をとって行わせたといえばいいだけだ」
「慈悲深さを主張している宗教国であればそれで落とし前をつけるだろうってか」

 ああと彼は疲れたように息を漏らした。
 ルッスはその言葉を聞いて最後まで自分を無駄に使う人間だと思うが、仕方ないのだ。どうせ海晴はどうあっても死ぬのだ。
 体は塩の塊になって少しずつ崩れ落ちる、ぼろぼろと誰もそれが人の体であったものとは思わないだろう。けれどそれが海晴を殺す世界の抵抗なのだ。

「いやそれさえ時間稼ぎだ、少しでも潔癖な奴らがいれば殺しに掛かる。だから後は全部お前に任すんだよ、今からどうせこの大陸は戦乱の世になるだろうし、お前ならその中で上手くやれるだろう。最後の最後まで信頼しているしな」
「冗談じゃない、何で一番面倒な部分を俺に丸投げするんだよ。頭がそんなことすればいいじゃないですか」
「そりゃ俺じゃあ無理だからだろう、お前は俺より上に立つ器だよ。それに手段は見せてやったろう、あとはお前が自分のやり口をそれにアレンジして見せればいい、出来なきゃお前は裏切り者だ」

 死にかけているくせにやけに楽しげな声が響く。
 彼はルッスが失敗するなんて全く思っていないのだ、信頼すれば裏切られるまで一生をかけてその存在を信じてしまう。だがちがうそれはただの確証だった、海晴はルッスを信頼ではなくその実力を信頼していた、この男ならその程度の事やりきると。

「冗談じゃないですよ、あんたを裏切るぐらいなら死んだ方がいいって言ってるでしょうが」
「ならその程度こなせよ。楽勝だろう、少なくとも英雄相手に一騎打ちやらかすよりはましだ」

 違いないと二人して笑いあう。考えてみればこれだけ楽しい会話はなかった、海晴とルッスの間には一つの信頼があったのかもしれない。
 お互い歯に衣も着せていないのに、楽しそうに見える。楽しかった気がした、必死になって駆け抜けたその地獄も後ろを見てみれば、懐かしい出来事のように思える。

「けど俺はもう死ぬだろう」
「ああでしょうね。それだけの事をしてきたんだ死んで当然ですよ」
「本当にその通りだ、本当にその通りだよまったく、救いのない人間だよ」

 そんなことは知ってた、そんなことでしか自分を海晴は保てなかっただけだ。

「だからこんな風に裏切られて死ぬのが一番なんだよ」

 世界は綺麗かもしれないけれど、どこまでもまっさらな世界なんてあるはずもない。崩れる体を感じながら塩の道筋を作り上げて、彼らは城門にたどり着いた。
 誰もが騒然としていた、海晴の体がボロボロになっていくだけじゃない。本当に賢者を倒したと言う証明がそこになされているのだ、それは誰もが驚くような奇跡の所業だ。
 そしてもう彼が死ぬ事も明確であったのだ。

「あんた、大丈夫とかい聞くのは野暮なんだろうね」
「ああ、けど終わりだ全部終わるこれで。長かった、だから最後の始末をつけるかルッス」

 そう言うと彼は海晴を地面に転がす。
 そして蹂躙ではなく鉄製の剣を抜き放ち、海晴の首元に一度添えた。

「ちょ、え、どういうことだい。ルッスよこいつだけは裏切らないんだろう」
「ああ当然だろう、裏切らないにきまってるでしょう。これも全部策略の内ですから」
「あーそうそう、これでお仕舞いさ。俺が死ななきゃお前ら全員が殺されるぞ、折角全員生き残ったのにそれはないだろう。一人の命でこれだけ救えりゃずいぶんといい代償だろう百万殺しの命はそのぐらいの価値はあるさ」

 一人だけ彼の死を否定するが、周りがそれを否定できるはずもない。
 何しろここにいるすべてが彼を裏切るつもりでいたのだ。そんな自分たちの心の疎ましさを知ってか知らずか、心を読むように海晴は自分が死ぬといっている。そんな心の内側を見られたようで他の長は口を塞いだままだが、ロスティアンの族長がその中から飛び出してくる。

「なるほどそれが貴様の裏切らないと言う言葉の真意か、だがそのあとはどうする」
「それもルッスがいればどうにでもなる。そのための方法も教えてある、出来なかったらお前らが裏切った時だけだ」

 地べたに転がったまま卑屈な表情で笑う。
 だがその表情は先ほどまでと変わらず穏やかに見えた。

「最も貴様らがルッスを裏切るだけの力があるとは思えないんだがな」
「それならいい貴様が裏切っていないのなら、どうでもいい。言ったろ我らはお前に賭けると」
「そうかい、まぁいいよ。結局俺は最後の最後まで自分勝手なだけだ。本当に馬鹿らしいぐらい自分勝手だよ」

 だがそれだからこそ成し遂げられた事もあった。
 絶望におわれて涙に屈辱をまぶして、その上で汚物にまみれそれを食わされるような悪夢だったが、それできっと彼には幸せがあったのだろう。
 そうでなければここまで穏やかになる事もないだろう。

「本当にありがたい限りだ、俺の勝手にこれだけの人間がついてきた。満足だよ、信頼だけじゃないだろうどうせここにいるやつらは、だがそれでもついてきてくれたことには感謝する、そしてその感謝に見合うだけの事はする」

 図星の人間も当然いるだろう、だが海晴はそれさえ感謝すると言い放った。
 気まずい者もいるかもしれない、だが気にしない彼は全てに感謝した。裏切られるはずの人生に、初めての裏切り以外の奇跡があった、彼にとってはそれだけで幸せなのだ。だからもう腕まで塩になっても彼は変わらずに感謝した、そろそろ喋るのも限界だろう。

「だから頼むルッス、これで俺は終わりだ。後は全部任せた、信頼してるぞ裏切るな」
「了解、これからはこっちでどうにかしますよ。あんたは精々こっちの活躍でも見て悔しがってください。それがあんたに対する復讐だよこっちの、精一杯こっち側であんたを認めてやる、けどあんたはこの世界にいない、こんな復讐があってもいいだろう」
「ああ、ああ、構わない。だからこそ感謝し続けてやる、裏切らないと信頼しているからな、だがこれで喋るのもきつくなってきた、トドメを頼む」

 無言のまま彼は頭を下げた。そして彼の首にそえた剣を大上段に振り上げる。

「人生の中でこれほど幸せだった時間はこの世界に着てからじゃなければなかった」

 海晴は遺言のように言葉を漏らす。ルッスはその言葉全てを聞き届けて、結末をつけようと考えた。

「誰かに信頼される事も、誰かに恨まれる事も、誰かに喜ばれる事も、全部なかったんだ。一人は嫌だった、けど俺はあの世界で一人だった、奇跡は起きて孤独じゃなくなった、感謝する、この世界に生きてきた全ての人間に感謝する」

 誰かが剣を掲げる、それに合わせるように戦勝の変わりに突き上げる剣は、ただ一人の悪魔のような英雄の葬送の儀なのだろう。
 誰もが怯えた悪魔だが、その命の全てを彼らに払って救ってくれたのだ。全滅するはずだった彼らを、詳しい内容を知らない人間には英雄にしか見えない、だがそれでも感謝の念は突き上げられた剣の数だけ存在する。

 もう視界も定まらないのにその剣の葬送を見て彼は嬉しそうに笑った。
 ここまできて全部を間違えてきたのに、最後の一つだけは間違えなかったのだ。

 誰もが感謝しているわけじゃない、誰もが彼の死を否定しようと思っているわけじゃない。
 けれど彼はそれだけのことをした誰もが信じただけの事だ。
 感謝じゃない、憎しみでもなんでもない、ただそれは偉業を成し遂げた事に対する報酬だ。彼の周りは墓標のように剣が点に向けて突き上げられていた。

 ただその光景を見ながら、自分がこの世界に認められたことだけは分かったのだろう一つのしずくを地面にこぼして。
 彼は最後を告げた。

「じゃあなお前ら、俺の終着駅はここだ、だからずっと我慢してきた言葉がいえるよ」

 それが海晴の最後だった。
 満足げに笑顔を浮かべたまま、誰もに告げる最後の言葉をつむぎその地獄に染まった彼の生涯は終わりを迎える。
 ルッスは剣を振り下ろし海晴を殺す、命の全てを尽くして死ぬと言う一歩手前まで彼は言葉を叫んだ。

「ああ、本当にこれが最後だ。ずっと言いたかったんだよこの言葉を、ごめんなさい、本当にごめんなさい」

 それが彼の生涯における最後の言葉、誰にもに伝える最後の絶望。何よりも自分と言う人間が嫌いだった男の遺言だ。

「生まれてきて、本当にごめんなさい」

 その刃の落ちる全ての人生に後悔はなく、ただ自分が生まれてきた事にだけ彼は涙を流した。
 絶望はなく転がる首さえも穏やかなものだったが、その彼の言葉に少しでも彼を慕っていたものは涙をこぼしたと言う。けれど一人だけ涙を流す事さえ許されない男がいた、彼を殺した男である。

「謝ったのは一体誰になんですかね。けどこっちも泣いていられない、これから先もあんたの負債を抱えて生きるんですからね」

 だがそれでも海晴はそれでよかったと彼は思っている。
 彼の振り返った後悔だ、それぐらいのことを許されないほど罪深い人間かなどルッスにも誰にも分からない。

「まぁ、あとは裏切ったりしないから寝ててくださいよ頭、それぐらいのこと信用してもらいますよ」

 それが空の音色になって鎮魂の言葉に変わった。
 多分それは海晴にとって最も相応しい物なのだろう。

 そしてこれまで全てをルッスだけは否定しない、それはただ必死なだけの人間の叫びだ。ただ一人の孤独に耐えて、自分を追い詰める全てに認めてくれと嘆きの声を上げ続けた、たった一人の人間の生涯の軌跡。
 それをひとり見続けてきたからこそ彼は涙を流す事をしないのだろう。

 ただの日常を奇跡と呼んだ、哀れで理不尽な悪夢のような英雄の為に、彼だけは涙を流す事はしないのだ。後はもらった武器を肩にかけていつものように軽口で、最後の最後にいたわりの声をかける。

「今までご苦労様でした。あとはゆっくり眠ってください」

 それできっと海晴は満足して死んでいくのだ。
 彼を知っている人間の最上の別れの言葉であったのだろう。

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