幕間 姫には蕾を、騎士には花を

 リール卿がその土地を手放し隠居をする。そう聞いた時、誰もが驚いたろう。
 王城の近くに大きな屋敷を残し、国に対する全ての権力を失った。それこそが大罪人であり彼の直弟子、そして彼の養子であるが息子であるユーグルに対する赦免が理由であったのは間違いない。これにより国は傾くのじゃないかと思うほどの動揺が起きる、国としての基盤であり象徴であった英雄の失脚、同時にリール地方という、普通の人間は手に余る領地を任せる人材がいないと言う事実はこれからの先行き不安にさせる。
 考えても見れば、彼は緩やかに国を破滅させようとたくらんでいるのじゃないかと邪推さえ出来る。

 実際は全て感情任せの行為だが、そう思う人間ももしかしたら出てくるかもしれない。当時の彼の評判がいいはずもないのだ、後はともかく今は英雄を失脚させ、王族に喧嘩を売り国家に喧嘩を売った極大レベルの犯罪者、よくそんな人材を一応は軍事的な要所であるとりでの司令官にすえようと言う発想が出来たのか、それも今では閑職どころか厄介払いの為だけに使われる要塞の司令官だからこそ許されたと言ってもいいだろう。
 貴族達も彼に暗殺者を送ろうと言う発想もない、なぜなら彼はそれをやられれば気付き報復する存在であることを目の前で見せ付けている。

 その存在がただでは死なぬと言い切り、無用の恨みを抱えていても、その代償がどれほどのものか予想が付かないのだ。
 単騎でありながら頭から数えた方がいいような天才騎士達相手に大立ち回りをした挙句、精霊姫を本来であるなら殺せた存在なのだ。誰がどういう侮蔑を重ねようと、その存在に容易く関わりプライドを汚すようなまねをすれば、屍になるのはどちらが早いかと。
 ここまで派手に暴れまわった所為だろう、逆にそれが抑止力と化していたのだ。

 それでも暗殺者が何人か送り込まれたようだが、それが彼の睡眠妨害以外にはなることはなかった。
 準備もあるが、蛮人の妻であるフランメルによってかなりの説教をされたり、お前に渡すはずだった領地を自分で台無しにしてどうするなどと攻められたりと、色々彼にもあったようだが、気にすんなと彼は言うだけ言ってなだめようとするがそれぐらいじゃあ流石に止まらない。

「すこしは一応息子を信頼しろよ」

 と、実はユーグルには甘い母を煙に巻いたりと、色々あったようだがその際に姫から貰った剣をフランメルに渡している。
 こっちに戻ってくるまで使うつもりは一切ないと言う覚悟とともに、絶対に戻ってくると言う確約だろう。決意だけはよく分かるが、あまり人にそういう行動を見せない彼が取った行動に彼女もひどく驚いていた。
 素直じゃないと言うのもそうだが、強情で自身の心に対しては寡黙、感情は豊かなくせに彼女の夫の様に性格が悪い。

 強情を強情で上塗りしたような性格は、本当に血が繋がっていない家族かと言いたくもなる。だがそんな彼だからこそ彼女はユーグルを息子と受け止められたのかもしれない。

「あの子は昔から本当に変わらない。すごく分かりづらいけど可愛い子なのに、分かってもらえないかもしれないけど」

 彼女は少しばかり彼との過去を思い出す。出会いはそう言えばすごく唐突だったと、蛮人がこいつを息子として育てると声を大にして言い放ったのだ。種無しと揶揄されることもあった彼が、自信の後継者として見つけ出した子供は目つきの悪い、下から上を睨みつけるような卑屈な子供だったことを覚えている。
 いきなりあなたの夫の愛人の息子ですと言い放ったあたり、あの当時からひねくれていたのじゃないかと、笑いが出そうになる。
 だたあの当時はフランメルも若かった所為か夫に詰め寄って、大泣きをしてしまい、ユーグルは罰が悪そうに冗談だったけどごめんなさいと素直に謝った姿は歳相応の子供だった。

 蛮人も生涯の妻はフランメルだけと言い張り、浮気もしなかった為に、本当に種無しだったのかも分からないが、子供の出来なかった彼女にとっては、養子とはいえユーグルの存在は戸惑いばかりだっただろう。
 彼との生活は彼女の日常を一変させたが、いい方向に変わっただけで、元々頭の良い彼は彼女にだけは素直な良い子供であったと言う。今の性格を知っている友人や主人なら、本当に誰だよそいつと言いたくなるような素直な子供であったのは間違いないらしい。

「懐かしいわ、あんなに良い子なんだけど、流石はシャイカさんの息子なんでしょう。他人に誤解されることに関しては、本当にそっくり」

 なにより昔の約束をずっと守り続けるところもそっくりだと、まったく違う人間で、考え方もまったくと言っていいほど違うはずの二人だと言うのに、根っこが変わらなさ過ぎて血のつながりが全てではないと今更ながらに思ってしまう。
 彼には間違いなく彼女の愛した男の血が流れている。それは別に血統などと言うものではない、根底の意思、存在を確立するための骨の部分が似ている。
 ただ漠然と家族であるよりも、自然と作り上げられた精神の血統は、彼女にとってさえ誇らしく、自分達の息子であると言い張れる代物であったのは間違いないだろう。

 しかしそれだけ似ていても、二人して否定するのは間違いないのだろう。そのあたりもきっと似たもの同士と言われるゆえんであろう。
 その二人が違うところは唯一つだけかもしれない、見えすぎた俯瞰の騎士は自分に限界を見てしまった。そしてまっすぐな騎士はたがえようと何をしようと変える事無く走り続けて、そしていつか力尽きようとも自分の限界を定めようとしない。
 この二人の親子の違うところ、ユーぐるは子供のように諦めを知らない。しかし蛮人はそれを認めてしまった。

 彼らが違うのはそこぐらいでそれが彼らを分けている。
 いつか月をつかめると信じる息子と、つきには手が届かないと知っている男、若いときはそれぐらい無謀がちょうどいいが、それが息子であれば心配しそうなものである。だがこの家族は全員がまともであるわけもない、大英雄六騎士の蛮人、そしてそんな男がほれた女、そしてそんな男が認めた息子、正気とは思えない構成だ。

 いくら夫が失脚しようとも、息子はきっと何かをしでかし、何かを成し遂げる。
 彼女にはその自身と確信があった。根拠なんてないのかもしれないが、親馬鹿と言われても仕方ないぐらいに、フランメルは息子に対して、心からの信頼を寄せてしまう。

「うまく生きることが出来ないでしょうけど、きっと不器用なりに必死に生きてくれると思うの」
「相変わらずお前はあいつに対して甘すぎるぞ」
「だって、あの子は出来ないことは言わない子なの。シャイカさんだってそう思うでしょう」

 いつからいたのか彼女の独り言に蛮人が入ってくるが、彼女は気にした様子もなく楽しげだ。
 左遷どころか追放に近い処分だと言うのに、凱旋のように出て行った息子の姿を見て彼女は、がんばってと声をかけることしかしなかった。と言うよりあそこまで自信満々に追放されれば、心配よりは応援のほうがふさわしい気もするだろう。
 実はフランメルよりも親ばかである蛮人は、無愛想な顔をしながらもうむとかすれる様に呟く。

 子供の生まれなかった蛮人にとって、彼だけが自分を次ぐことの出来る、いや超えることの出来る存在だと思っている。
 ユーグルはきっとそんな自分の思惑さえも超えてくれると願っているからこそ、必死になってかばったりするのだろうが、そもそも彼はかばう必要がないほど自分でどうやってでも生き延びることが出来ると思っているのだろう。
 その策まできちんと組み立てているはずだ、ジャムセッションのように即興で確固たる旋律を流してしまう、その調和にすら淀みがなく一つの完成を組み立てられる。

「だがその程度でなければリールの名はやれんよ」

 リール、それは蛮人が位置から作り上げた国と言ってもいい。彼の忠誠心がなければ間違いなく危険分子の一つであり、その気になれば反乱を起こして国一つを侵略できる力を誇っているとされている。国の総人口の三割を占め、経済的には王都よりも活発であるとされ、更なる発展を遂げようとしている経済の要所。同時に蛮人と言う反則が作り上げた都市であり、その膨大な政務をこなせるものが現在いない状況の都市だ。
 引継ぎの為に蛮人が今も動いているが、仮にも治世の剣とさえ呼ばれる蛮人が己の知識と才覚のすべてを使って作り上げた都市を、たやすく受け継げる人材がいるはずもなく。
 リールと言う地方に対する扱いは微妙なことになっている。

「誰にも継がせる気がないからあんなふうに発展させたのでしょう。あの子の為に」
「継がせる気がないと言うわけでもない、私が思う限りあいつ以外に出来ないようには作ったつもりだが、あれと同じ以上の才覚を持つものならどうにでもなるだろう」

 もっとも私はあいつ以上に狂った思考をした奴を知らないがなと後付して。この人も親馬鹿なんだと理解させられ、フランメルは困ったような楽しげな笑いをこぼす。
 しかも彼はその都市を少なくとも成長を見越した考えで動かしていた、だからこそ彼女にはわかる、どこまでも信頼があってのことだが、恐ろしいほどにスパルタなのだ。あの砦で、少なくとも王都に戻るほどの功績を上げ、さらにはそこに自分の仕出かした悪意を帳消しするレベルと言う異常な難易度が付け加えられている。
 そして王都に準じる都市の領主に認められるだけの何かを残す必要がある。それは蛮人の功績さえも上回る何かを残さなくてはいけないのだ、それをやり遂げると確信している夫も、本当にそれを成し遂げるであろう息子も彼女にとっては非常識だが、出来ないと彼女も思わないところが、いろいろと汚染されている。

「普通と言う言葉がどこかに消えたようなお話です」
「普通だよ、誰もが教えるあきらめないと言う意味は、そのままの意味なのだ。あの馬鹿はそれを実行できるだけ」
「それが無理だと言うのに、出来る人々はすべて狂人か偉人だけです」

 一つ忘れてると彼は指を立て見せた。彼女ももう一つ分類があるのかと首を傾げてみせる。それが年相応だと言うのにどこか愛らしい。
 実はそれに惚れ直している蛮人は、少しだけ言葉を失い視線を彼女からそらす。
 それを取り繕うように声を少しだけ大きくしながら、思い出し笑いのように笑気を言葉に含ませ、自分の照れ隠しをしながら、訂正を加える。

「馬鹿がいる」

 それに何を思ったのか、ただぼんやりと夫に視線を合わせて、一度重々しく頷く。

「そういえば」

 目の前にもその馬鹿がいたと、納得せざるをえない。
 何しろ彼女は若いころからこの英雄の隣にいて、それはそれは苦労をかけられたのだ。言い寄ってくる女も多かっただろう、なにより戦場に出るたび激戦区に平然と突っ込んでいっている彼の情報を聞くたびに、心を痛めたのは言うまでもないことだろう。
 帰ってくるとわかっていても、もしもと言うのは常に恐怖の要因になってしかるべきだ。
 
「そうですね」

 馬鹿は何も考えずに、真っ直ぐとそこに向かうことはだけはやめない。
 出来るか出来ないかじゃなく、やりつづけるだけ、それでも成し遂げてしまうものをきっと目の前の蛮人のように英雄と言うのだろうが、あの子の場合はどうなのだろうと、少しばかり思案を重ねてしまう。
 その彼女の反応に気づいてはいたが、蛮人はそれに対して何も言わない。

 馬鹿に論理が通用するかと、もっともあれは馬鹿だが愚かではないと言う確信もあった。あいつは英雄になどはならない、ただ漠然と貫くだけだろうと言う核心もあった、過去ではい現在、未来ではない現在、きっと彼は別の呼ばれ方をするだろうが、蛮人にとっては興味の範囲ではない。

「あのスラムであいつと出会って以来、何もかもが驚きに変わってしまった」
「治安維持のために向かったら、竜爪騎士団上位騎士二十名が一人の子供に返り討ちにあったというあの子の最初の伝説ですか」
「ただ策のみで、あやつは騎士を悉く倒していった。あの時私がいかなかったらと思うと、今王都は火の海だったのではないかとすら考える」

 ただの子供が上位の騎士をたやすく地に伏せさせたのだ。
 そのときの蛮人の恐怖はどれほどだったか、あの当時はまだ戦争上がりの騎士たちも揃っていた。実戦を知る騎士たちを多少の油断があったとしても、簡単に倒せるようなものではない。その子供はただの知略のみでそれを成し遂げたのだ、剣の一振りで終わってしまいそうな子供がそれをたやすく行ったとき。
 その心胆を凍えさせる子供の戦いに、戦慄を越える何かを感じてしまっても仕方ない。そうやって彼さえも策によって絡めとろうと企んでいた様だが、策を超える純粋な力の前にはどうしようもなかったようで、蛮人によって止められることになる。

「運命と言うならあれがそうだろう。戦争よりも何よりも、私はあそこであいつに出会ったことが、生涯にわたる功績だと信じている」
「本当にあなたは馬鹿らしいほどの子煩悩ですよ、もっと優しくしてあげてもいいんじゃないですか」
「そうか、まだ甘いと思うのだ。あいつには少しばかり難易度が低いと、だからこそ今回は突き放してみたのだが、もうどうなっても知らん」

 これ以上自分があいつに出来ることはないと確信していた蛮人は、国がどうなろうと知ったことかと全部を投げた。
 彼にはこれ以上の予想はつけられない、自分の息子はある一点においてはすでにとっくに超えてしまっているのだろう。予想など出来るはずがない、これから彼が何を仕出かそうと驚く役割で十分だと、隠居の老人は隠居したままで十二分。

「後は若い奴と現役の爺婆連中がどうにかすればいい」

 今まであいつに手を焼かれ続けたのだと彼は愚痴る。
 これからはどれだけの人間が彼によって迷惑をこうむるか、それに右往左往するのは自分以外の誰かであるのなら、それを酒の肴にするのも一興だろう。今回のことで、ユーグルは完全に自分の手から離れてしまっている、仕えるべき主君も見つけ、忠誠の方向もその剣の担い手もさえも自分で用意して見せた。

 すでに自由に動き回ってしかるべき年であり、いまさら親の手など必要もないのだろう。
 
「だがきっとお前と私以外は後悔するだろうな。あいつを自分の目の届かないところにおいたことを」
「でしょうね、あの子がただで転ぶほど甘いものじゃないのは、一時間付き合えばわかることなのに」
「わかっても想像の上を行く埒外だぞあいつは、簡単にどうにかできるのなら私が苦労するはずもないだろう」

 だがどうなってもあれは止まらないのなら見ているだけで十二分だ。
 蛮人やフランメルは、ただこれからの息子の展望がどれだけ王国を揺るがすかと考えて、人知れず二人で楽しげに笑って見せた。

***

「姉様、うちの従僕がひどく厳しいのですがどうにかしてくれんじゃろうか」
「あーあの人の教育は、なんと言うか、壮絶そうですね」
「我は剣のみで生きるつもりだと言うのに、俺が戻ってくるまでに、指定した内容を勉学を励まないと殺すじゃぞ」

 そう言って、彼が紙に書いた内容をバンと机に叩き付けながら姉に見せる。
 最初は宿題を嫌がる子供のだだと、高をくくっていたニュルクスだが、彼の書いた紙の中身を見た瞬間表情がびしりと固まった。なんというか中身がすさまじい、従者が天才だと言うことを彼女たちは忘れていたのかもしれない。
 なにしろあの男、知の剣とさえ呼ばれる蛮人の後継者なのだ。そんな男がただの馬鹿であるはずがないのだ。

「あの人は、なんというか、騎士になるよりも政治家としての道を歩んだほうがよかったんじゃないですか」

 紙に書いてある内容は、はっきり言えば勉学に使う資料やその上での支持などのだが、内容が膨大すぎる。なにより彼女の限界を常に用意しているのだ、一月の間にこれだけならマスターできると言うぎりぎりを彼は用意して、その次の月にはさらに難易度を上げてなおかつ、彼女の限界をぎりぎりこえるぐらいの内容を、こんな教育スタイルがあるのかと思えるほどのスパルタぶりだ。
 出来ないと否定でないよう、だが許してくれと頭を下げたくなるようなぎりぎりをついている。

「やつは、我の成長まで見越しておる。出来ないわけないよなって言うあの視線が恐ろしい、奴は、主だろうがなんだろうが、容赦と言う言葉を知らんのじゃ」
「しかもこれはあくまで出来て当然の部分、これ以外も要求しているのでしょう」
「悪魔じゃ、奴は、主に対する天敵じゃ、じゃがあれが我の唯一の臣下、何より唯一つの財産、少なくともその程度で出来なければ主足りえんと言うことじゃろうが」

 何よりあいつはそれが出来るのじゃろう。
 部下にコンプレックスを抱きそうじゃと、途方にくれたような声を上げる。実際あの時彼が自分の騎士にならなくてよかったとないし思ってしまったニュルクスは、少しばかり反省するべきだと思った。妹がだんだんと成長しているのはわかるが、それが著しいと自分さえ置いていかれたように感じてしまう。
 少しばかりさびしくも感じるが、あれの影響力も良し悪しであるが、強すぎるだろうとこれから自分が王になるとして、彼の振りまく迷惑に耐え切れるだろうかと思うと頭が痛くなってしまう。

 いつか妹も汚染されて開き直るに決まっている。
 なにより彼女は確信している、あの男なら間違いなくあの砦からあらゆる手段を用いて出てくるに決まっているのだ。彼女からしてみれば、父王は間違いなく甘い処断をしている、あれの底は六騎士に劣るものではない、とくに剣ではなく政略に関してなら政の剣、知略の剣、政略の剣、治世の剣、など様々な異名で語られる蛮人の後継者なれば、六騎士の上にさえ立てる事は間違いなかった。
 そんな男があの程度の裁きでどうにかなるわけがない。
 王族殺しという不可能させも可能にさせるような化け物なのだ。主の命令があればきっと彼は反乱さえも成し遂げてしまうだろう、そういう類の存在がユーグルであると彼女はつく認識させられている。

 刃の方向性が決まったことはいいが、その使い手がどうなるか、それは進化として彼女を教育している彼ですらわかっていないだろう。
 自分を操るだけの力をつけさせるための訓練だ今は、彼が隣に着くようになった時彼女は更なる悲鳴を上げるのだろうが、それが完了したときこそユーグルと言う剣は果断を持って振るわれるのか、愚を盛って振るわれるのか、もっとも使い手を選ぶ刃が愚を持って振るわれる事を是とするわけもないのだ。
 そうなったときはきっと妹は殺されているのだろう。そう考えると、今も必死にどうすればいいのじゃーと叫ぶ妹が薄氷の上で踊っているようにしか見えなくなり、ハラハラとした心持にさせられる。

「じゃがあの臣下は、どうあっても我の物だと言い張りたいのじゃ。我は、あれに相応しくならずにはいられない」

 それは跳ねた水音のような響きであった。幼い独占欲と聞かれればそうかもしれないと言ってしまうかもしれない。
 だがその剣の姫は、精霊の姫さえも上塗るような渇望を表情に纏う。ぞっとするような感情は、自然とニュルクスに息を飲ませ吐く事さえ許されない何かを彼女に振りまく。そこにいた少女は何かを経て何かに変貌している、それをなんと言うか分からないが、いい物なのかは分からない。

「あの馬鹿の上を行く馬鹿は、姉様にも兄様にも、傅く事はない、天地神明あらゆる存在に頭を下げない男は、誰にも傅く事はないのじゃ」
「そうですね、そんな事をしようと思えば、私のように完全に命を奪われるだけになるでしょう」

 だがそんなことは今のニュルクスにはどうでもいい。自然に吐いた皮肉の様な言葉は何の価値もなく流れるだけで、妹はただそれを聞いているのか聞き流しているのか、沈黙に威圧を混ぜて獣のいななきのような響きで語る。
 何を言っても聞いても分からない、あれが変えた訳ではないだろう。あの馬鹿はただ見つけるのがうまかっただけだ、あらゆる騎士たちが絶望にうめいて、ただの精霊の姫を殺そうと悪意が動いていたとき、ただ彼女は責任から止めに間に入ったのか、それとも命の賭けをしたくて入ってきたのか、今ではそれさえも分からない。

 彼女は気丈に悪意を睨んでいて、悪意に対して騎士のように立っていた妹は背中しか見えず、見えず、だがきっと彼女は今と同じ表情を彼に見せていたのだろう。
 多分今浮かんでいるそのすべてが、メイギスと言う姫が抱えている膨大な器の片鱗、土地も要らず、金も、権力さえも要らず、ただ一人の騎士を欲しがっている妹、そのうちに燻る何かはきっと、精霊と同じはずの自分でさえも塗り替えてしまう。

 あの騎士はそれを見つけたのだろう。精霊なんぞと言い張る男は、この姫が抱えているであろう何かに気づいてしまった。
 誰一人気づきもしない何かを見出し、本人さえも気づかないそれを見つけ出し、家族でさえも見えない何かを抉り出し、それがニュルクスという姫を救うだけの価値のある物、よりにもよってそのまま気づかなければ誰もが平穏に暮らせるはずのそれを引き釣り出しやがったのだ。
 今までの妹とは間違いなく違っている、鏡合わせの無限の自分さえもこんな風に離れないだろうと確信するそれになりつつある。

「変わったわね、まるでお父様みたい」

 それを人は王と呼ぶのだ、自分さえも跪かせる様な器の持ち主を、あの騎士にはその器がありながらその性格と言う致命的な欠点が、人を寄せ付けず孤高を気取らせるが、この少女はもはや転げ落ちる様に王に成り果てるだろう。

「我が王じゃと、無理じゃ無理、姉様が王になるのじゃ、我はそんなつまらぬ者になりたくないのじゃ」

 しかし彼女はそれを否定する。王を面白くないと言い切った少女の言葉に、彼女は肩の力も抜けたように、だが責める様な目をして始めた。
 これからそれになると言うのに、その自分さえも跪かせるだけの器があるというのに、あの騎士が気に入ったのもそこだろうと断言できるのに、彼女はそれを否定する。

「私はなるんですけど、それに」
「我はあいつの主であればいいのじゃ、それにあいつ以外が我の騎士になるのも今となっては癪に触るしのう」

 それはまるで惚気のようだ。彼もそういえば王に向かって同じようなことを吐いていた。
 悪意の騎士は、その精神構造からすべてに至るまで天に唾するような馬鹿だ。その馬鹿が主と仰いだこの姫君、聖人かはたまたそれ以上の極悪人か、今はまだその選別すらも出来ないだろうが、だからこそ問いただしたくなるあの騎士に、お前の主はいったい何なんだと。
 それは彼女の感じる大器の予感であり、精霊に与えられた恐怖のようなもの、ただ漠然と存在するだけで、ひれ伏すようなその器の先に何を見たと。

 彼女は思うのだ、精霊として生まれた自分だが、こんな物にはなりたくないと。
 ただ孤高を保つのではない、巻き込む津波は、暴力的に人をひきつけると言うのに、見向きもされない。

「あの男は何かをするのだろうこれから、何かをし続けるのじゃろう。じゃが、我はそれを一番最前席で見たいのじゃ、それが主の特権じゃと思っておる」

 こんな面白い権利は誰にもやれんと、彼女は笑ってみせる。
 彼女が言う男は確かに何かをするだろう、偉業かもしれないし別の何かかもしれないが、死ぬその一瞬まで何かをきっと成し遂げてしまう。傲慢に傲慢を極めたそれは、点にすらいつか剣を立ててしまうかもしれない。
 直感で動く馬鹿であるが、そのうちに秘める策略家としての本性は常に冷酷だ。
 
「不良になったみたい」

 だが姉がつぶやくのはそんな言葉、本来言いたい言葉は飲み込んでいるが、きっと妹もその器を持ちながら、たった一人の臣下を持つだけで終わってしまう。
 しかしながらその臣下らならこれぐらいの事は言い切ってしまうだろう、だから飲み込む、なら俺一人が大国に準じてやると、一人で大陸さえ飲み込む何かになってしまおうと、彼女の知る騎士はそれぐらいのことは言う。
 誇大妄想卿など彼は後に呼ばれるのじゃないかと思うほど、傲慢にそう言い切ってくれる。

 そしてそれを嘘にきっとしないのではないかと、たった二人の大国、そんなものを夢想しさせてしまう何かをあの二人は持ちえてしまっている。

「不良などと失礼じゃぞ、不良なのは我が臣下じゃぞ」
「随分と辛辣な評価ですが、あの人に並び超える程度じゃないときっと許されませんよ。そういう人で、あなたもそういう人だから臣下と言っているのでしょう」
「うむ、そうじゃそうなのじゃ、あいつは馬鹿じゃが、性格以外何もかも我より上と来ている。だがあいつに並び立つなら、あれを超えなくてはならない」

 それはきっと気の遠くなるような話だろう。
 あの騎士はただ漠然と最強でいるだろう、三剣がどうとかではない、そもそも状況が戦争であるのなら負けないと言い張るような反則だ。手足をもぎ取られてでも勝利すると言い張って見せることだろう。
 彼女の騎士はそういう男だ、心さえも頑強で、ただ漫然と生きている者には、少しばかり毒が強い。

「長いのう、しかもこれを超える修練か、我はただ一人の臣下と領地の為だけに、今までを超えなくてはならんのか」
「ですがその価値がない騎士ではありません。何しろ私も欲しがるほどだったのですから間違いないですよそれは」

 今となっては手も届かない騎士だがそれだけは彼女にも言い切れた。
 
「そうじゃのう、我は奴の主であり剣の担い手、唯一つだけ姉様よりも優れたところ、そしてそれだけが兄様や姉様さえも上回る唯一つじゃ」
「剣だってその一つでしょうに」

 彼女はそれを補足するように追加する。
 おおそれがあったとメイギスも雄々しく笑う。さらに心に自信という頑強な鎧を纏わせて、我こそが最強と言い切るように、姫は王のように傲慢に答えるだけだ。

「ならばそれこそ我の領分だ。ことの剣の腕なら我が王族の中で最強なのだから」

***

 王国には後継者と呼ばれる六騎士のなかでも、三人だけ実は後継者と呼ばれている者たちがいる。
 それこそが王国三剣であるのだが、これはその者達が公表する事もなかったので、今まで知られていなかった話だが、ユーグルの暴走によって、その三剣と呼ばれたものたちが英雄の後継者と言う事実が広まってしまう。
 その一人は不快な感情を隠そうともしない、外騎士と呼ばれる他国より現れた、かつての六騎士の盟友の弟子である血黒と六騎士黒赤の弟子、魔剣と呼ばれた騎士は酒場で、親友である原因を睨みつけていた。

 それを攻め立てる事を何時もならとめると言うのに、ロレリアはそれを別段とめることもなく楽しげに酒を呷っていた。
 周りの空気はあらゆる意味で険悪だ、何しろ王族を殺そうとした大馬鹿者と、今なお王国最強の名を持つ者達が一同に会している。見るだけなら全員が時の人なのだ、だがその中に大反逆者が混じっていたから周りは最悪だろう。
 誰もがいつかはやると思っていたとは思っていたが、ここまでやりきると恐怖の対象でしかないユーグルと言う存在。
 そして竜爪、銀翼、の最強と呼ばれる騎士団においてなお最強と呼ばれた二人の騎士は、楽しげな空気と険悪な空気に気だるそうな空気を交えて、混沌としていた。

「おい、馬鹿王。とりあえず言うことがあるんじゃないのか」

 最初にそう切り出したのは、ロオジャであった。
 そこにはひどいほど責めるような言葉と棘がある。言われるとは分かっていたが、ユーグルもどう説明していいか分からない。
 ここにいるロオジャとは、ある意味ではユーグル以上に反逆者としての素質がある男だ。そういう意味でも、言葉が荒いのだろう。

「えーと、いつかやると思ってました」
「それは僕やロオジャの台詞じゃないのか」
「違う、なんでそこに俺がいないんだ。お前が人に跪く姿なんて、王様がギロチンかけられる光景よりも奇跡だろう」

 この言葉で大体、魔剣と呼ばれる男の本質が分かるだろう。あらゆる意味でお祭り男、彼は見たかっただろう、何しろ自分の師匠だろうが誰だろうが、頭を下げるなんて自殺するよりも公卿と言い張る男が跪く、こんな面白い見世物があるだろうか。
 ロレリアもさすがにロオジャの発想は理解できないのか、目を丸くする。ユーグルはただ酒を少しだけ喉に流して、言葉を選ぶ必要もないように口を緩くした。

「そりゃそうだろう、お前らあの姫さんを目の前で見ておきながら、どれだけ勿体無い真似してんだよ。いや俺も同じか、一回目は気づかなかった、だが二回目は嫌でも分かったぞ、特に俺やお前ならほれてもおかしくないぐらいにいい姫さんだ」
「は、あのはっちゃけ姫様がか、剣の才は凄まじい物があるが、それだけだと思ってたが違うのか」
「確かにそれは僕も聞きたいよ。メイギス様は確かにおおらかで、ユーグルを下におくような人ではないけど」

 二人の言葉を聴いて彼は手をたたいて笑い出す。周りさえ騒然とするだろう酒場は彼の笑い声で、喧騒さえをとめてしまった。
 ただ笑うだけならともかく、すでに稀代の反逆者は、おいそれと笑うことすら許されないのだろう。逆らえば殺されるかもしれない、そういう考えが浮かんでも、彼は仕方なの名意ことをやらかしている。
 一応名目としては、二人の騎士によって監視されての自由行動であるが、そんなこと気にもしない彼は、一瞬で楽しい場所を葬儀の場へと変えやがった。

「お前達は、俺に並べる奴らだろうが、俺は追い抜く気満々だけど、そんな奴らが人を見る目がないなんて笑えてくるぞ」

 少しは使える知恵を身につけろと彼は笑う。
 彼らの中で参謀担当だった男の言う台詞でもないだろうが、この言葉で少しばかりロレリアもロオジャも表情を真剣にさせた。この言葉はある意味では、決別の言葉にさえ聞こえるのだ、お前らの参謀役はもう無理だと。

「どうやら本当にあの姫さんにお前は惚れ込んでるようだな」
「いや、そういえば師匠も堂々と惚気てたと言っていた気がするけど」

 同時にユーグルという自然災害に嗜好性が出来たことで彼らは少しだけほっとした。
 小さく纏まるとは思わないが、その歩く道が増しになったと思えば彼らも少しだけユーグルの未来に対して明るさを感じたのかもしれない。だが確かに決別に響くその言葉、そしてユーグルはああだこうだと、否定しない男だからこそ、今の言葉は事実であるとさえいえる。

「誰にもやらないぞ、ありゃ俺だけの主だ。一度手に入れたなら、俺は国だって相手取るぞ」

 本音を言えば適当な姫を主に据えて、そこから王国をのっとるぐらいの手腕を見せるんじゃないかと、彼を知っている誰もが思うだろう。
 だが関係が深いものはそうは思わない。そこにいる馬鹿は、自分の言葉に異常なまでの執着を持っている、だからこそ言っている言葉に嘘はない、ましてこういう場所で騙りをのたまう様な事をする奴じゃない。
 そう考えると、

「もうさ、好きな様にやれば、なんか止めたりするの馬鹿らしくなった。それに今はどうにもユーグルのほうが上にいるようだし」
「だな、少しばかり騎士団に染まりすぎたって感じがする。お前のライバルを自称してるんだこっちも、少しばかり置いていかれるのは、困るんだよ」
「じゃあさっさと追いつけよ。俺は誰に対しても、手加減はしないぞ、主であろうが、友人だろうが、ライバルだろうが、離れたのなら一生が追いつけないところまで走ってやるだけだ」
  
 上等と言ったのは誰だろうか、彼らは分野が違うながらも同等の存在。
 ならば負けるわけにはいかない、追いつけなくなるぐらいに必死に走り続けるユーグルという馬鹿に対抗する大馬鹿者達、それこそがロレリアやロオジャなのだ。
 幼い頃から天下御免の大馬鹿者を見て、負けぬようにと馬鹿のように貫き続けた、ユーグルと同等の稀代の大馬鹿者、種類は違えどここにいる三人は総じて同じ存在。

 ただ酒の席であろうとなかろうと、彼らは常に思い続けているのだろう。死んでもこいつらに負けてたまるかと、だがいまは、いやもう少し先までユーグルは彼らをリードする。彼らはただ漫然と王に仕えていただけで、その主を定めようとなどと考えたことはなかった、傲慢に倣岸な友人が見つけた主の自慢に、ようやく彼らも方向性を考えようとしているのだろう。
 自分の主は自分で言いとさえ言った男が決めた主が、どういう物かは興味があるが、もはやここにいる騎士がその主をくれてやることはないだろう。この男の今までの発言が独占欲の塊であることを否定させない。

「止まってくれるなんざ思ってないが、簡単には追い越せそうになさそうだな。とりあえず師匠を超えておくか俺は、お前がこっちに戻る間に」
「僕もそうするかな、それだけじゃ足りなさそうだから色々とやっておくおけど」
「好きにしろよ、ただ戻ってきたとき、また差は開いてると思うが、覚悟は出来てるんだろうな」

 当然だと何も言わずに頷く。
 どうにでもしろと、ただ追い抜くと決めたからには、彼らもまた止まらない、愚かで愚かな歩みはただまっすぐと進むだけだ。これはきっと師匠でさえしらない、彼らの心にある愚かな感情は、ただ一人の男が彼に見せ続けた才能以上の才覚、限界を見もしないその愚直な様は、国にさえ容易く喧嘩を売る男が彼らに植え付けた感情だ。
 彼の才能は他人を馬鹿にすることではないだろうかと思うほど、その感情は近しいものなら誰にでも伝染する。不可能を知らないのは馬鹿のすること、だが馬鹿だからこそここに彼は立ち続けられる。

「それにさ、追い越すだけじゃないか。そのとき鼻で笑ってあげるよ」
「追い越すだけだろう、止まっても止まらなくても何もかわんねーよ」

 その言葉を聴いてこの腐れ縁は死ぬまで、変わらないことを確信しつつ一度グラスを鳴らして、本当に困ったように、だがとても楽しそうに、

「上等だよ馬鹿友」

 笑うようにささやく。
 その言葉と表情の柔らかさに少しばかり驚くが、彼が友人と認めた二人、親友と認めている二人、何よりライバルと信じた二人に使った言葉は、きっと彼らにはきちんとした意味では届いていないだろう。
 だがきっと何かは届いている、二人で笑うだけで、その内に秘めた闘争心の炉に薪をくべる。

「追い抜いていくから、さっさと走り出せよ」

 一つだけ乾杯の音が響いて、王に呼び出されたときの話が始まった。
 それは当然のように笑い声が響くものだったが、周りにとってはどうだったか言うまでもないだろう。
 だが、こんな奴らだからこそユーグルと言う存在に対して、友人と言い張れるのだろう。そしてユーグル自身もそういえるのじゃないだろうか。

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