遠退き林の声が聞こえる。
触れ合う事さえしない刃の応酬が三度行われた。
「父上、どこまで狂ってしまっているのでしょう。刀は包丁では在りません」
鋭く清浄な声が辺りに染み入るように入ってきた。言の渡と呼ばれる大字の名刀を振るう殺人の最強と後の最終剣王のつがいの戦い。
その二人はまったく変わらぬ着流しを着て息を荒くする事もなく数合を刃の地獄にさらした。
「娘、見つけたに過ぎんよ己の道を父はこの年にしてようやく歩むべき刃の道を制定しただけの事に過ぎん。
もういらんのだよ。大字にあって大字ではない刃の道、太陽など私には輝きすぎて手の届かぬものゆえ。まぁ、お前のような太陽の為に生まれたような奴には分からん話か。歴代最強と呼ばれた三代目を超えたとまで言われるお前には届かぬというものがどういうものかなんてわかるはずも無いか」
だが試合というのはその辺の活劇などに見られるような戦いはまずない。刀は切れるが脆い、技術の無いものが人を切るだけで途中で折れてしまうのは当たり前、切れたとしても刃毀れ等や歪み、そういったものが残ってしまう。だから極力刃同士が重なり合う事を避ける、鍔迫り合い自体もともと戦闘では愚の骨頂極まりないのである。
何よりそういた実戦では読み間が基本だ長い静寂という名の心理戦の後あっけないほど簡単に決着がつく。
彼女と父の戦いは既に十合を重ねていてもなお決着を見ないそれがどれだけ異常か分かるだろうか?
精神の磨耗は一瞬にして極限になるような戦いが回をかさねれはそれだけ疲労は大きい。しかもその間二人が使っている業はすべて同じ、どちらも対応が簡単に浮びながらなおそれでもどちらも傷を負っていないのはその二人の技量ゆえだ。
「頭垂れでは、お前の月には敵わぬか。月と桜花とは輝くためにあるが雅を理解する娘だ」
「土壇場の言の渡に頭垂れ、死刑場の雅じゃありませんか」
ふっと同時に息を吐く、自嘲にも似た二人の表情は変わることはない。
理解しているのだろう二人ともが、肉親同士でつぶし合うその背徳よりも殺しあうという技量の限りを尽くせるその事実に対して度し難いほどの狂気を感じながらやめられない自分たちに。
この狂気とめらるものがいる筈はない。
刃狂い、月の地獄に映える二人は爛々と輝き続ける。
「父上、どうも私もその道に狂いそうですよ。どうも私も太陽では輝きが強すぎる」
「そうか、狂い果ててるのはお前も同じか」
月下の決斗。
才能に輝く二つの刃はその光を押し込める。首を切り落とすために作り上げられた頭垂れ、永遠の探求三日月、二人のその最高の一撃は技量の全てを斬る事にこめるような一振りだ。刃とのぶつかり合いはその場で刀身の死滅を意味するような衝撃が加わるのは必定の状況、二つの刃の重なり合う一瞬その余りの剣速から刃の間で何か共鳴のような音が響く。
そして重なり合った瞬間二人の刃はその持ち主の技量に耐え切れず破裂した。
刀身が鈴の音を響かせ銀の雨を降らせる。二人の体を破片が体を切り刻み血の線が後方に糸のように伸びて輝いた。地面を踏みつける二人破片になった刃を確認しながらさらに一歩、破片と渦を作り上げながら残り刃を振るう。
もう根元に少しの刃しか残っていない、数センチの刃を振るった。刀同士の鍔がぶつかり砕け散る、殆ど殴り合いと変わりはしない二人の決闘。
音の衝撃が地面を液状化させ泥濘で二人は地面に転がりそうになる。けれど刃を振るう者たちは止まらない、転がりながら頭垂れの為に納刀、最速を作り上げる為に完全なまでに愚鈍。鞘走りさえないのならそのような行為は無意味。
だが今まで鍛えてきた業の癖がここで出る。頭垂れとは上段からの抜刀による兜割りの極地。
故に己が信じる最高の業がここでは欠点になった。
三日月は一生涯極める事ができない終曲。その道を選んだ彼女は完成系の技にはない能動が含まれる。日々研鑽、ある程度の完成を見る剣技とは違い唯振る動作に終りはないどの技にも言えることだが。彼女の終曲はそれ他の技に比べてその濃度が高い、そして何より抜刀術ではない。
そのラグが彼女の勝利を呼ぶ。
彼女の父親の首には致命の刃が斬り放たれる。衝撃が喉を食い破りころりと首が地面に転がった。
ポンプをくみ上げるように血が溢れ、彼女に血という名の勝利の美酒が降り注いだ。
「幕です。この道の名前は月狂い、大神の遠吠え、刃のための道。これから後まで極める事のできる人間なんて居ないでしょうが、父上貴方の見た道は誰よりも人から外れた異端の道ですよ。貴方を殺した私でさえ極める事はできないでしょう」
ですが、
「ならばどんな手段を持ってしても極めて見せましょう私が」
折れた桜花投げ捨てる。ピョンピョンと跳ねながら歩き出す。
死体に一瞥もせずに彼女は歩き始める。
後に月殺しと呼ばれながら真実に月を目指す大字の当主だ。
***
彼女の凶器は静かなものだった。元々が大川(五大名以前の名家の一つ)に嫁ぐ事が決まっていながら己が剣の腕のみで当主を打倒した彼女はその婚約ですら力ずくで終わらせてしまう。
大字の天才は総じて神篝と呼ばれるのだが、彼女はその拝命を断る。
「自分はもう刃を持つ剣士ではない」
それが彼女の言葉である。
彼女に与えられた花鳥風月の大名刀を彼女は破壊してしまった己の武器を破壊した自分に剣士としての価値は無いと言い切ったのだ。
空凱将軍も彼女の剣の腕を惜しみ後継者を早く作る事を厳命するのだが彼女はそれを受け取る事はなかった。
だがこの頃から彼女の行動は奇行に近いものを見せていた。呪代八家
呪代八家とは
「当主!!なぜあのような者達と会うような真似を!!」
「なに私の刃を作ろうと思ってな。
「しかし呪詛崩れの愚か者どもと」
「なぁに私の妄執を受け止められるだけの刃を作るにはそれ相応ののろいが必要だ」
まだなにかいいたそうな顔をしていたが彼女は気付かなかった事にして歩き出す。
「だが神篝のあなたには本来武器なんて!!」
そう神篝と呼ばれるものに本来武器は必要ない。斬るという技量を極めつくす事によってあらゆるものを刀と同等に操ってしまう存在に刃は必要などありはしないのだ。
達人が武器を選ばない、神篝とはその手に触れるその存在全てを刀として操る存在なのである。彼女のもう刃を持つ剣士ではないという言葉はそう言うことも意味していた。
「私は神篝を辞退する。私には神篝の光は強すぎる」
「ですが、貴方にとっての最高の刃桜花は既に」「否、最高ではなく最適な刃だっただけに過ぎない」
彼女はそれを否定する。
「なぜ、我が家の大名刀で会ってもあなたと同等足りえないのですか」
「私と同等では駄目だ、刃と同等に私がなるからこそ成長があり刃の極みにたどりたどり着く。刃が私に合わせる道なんて興味も無い、私が刃に合わせる道が私の道だ」
だがそれは二人の父が選んだ凶器にして破綻の道。
この大陸に渡る大字初代そして聖女の呪いが刃を強くしていくその為だけに力を得ようと彼女達の父がそうやって刃を鍛えるために市民を皆殺しにしていった。空凱将軍の近衛隊である透凱と呼ばれるこの国最強の軍隊さえも彼の手によって殺された。
月狂いと呼ばれた大字の当主の凶行だ。
それは彼女によって阻まれた。
「あね……うえ、だがそれはあの道に」
「狂気だろうな、気にするな私はまだ。そこまで人でなしになれるほどの狂気にうずもれてなんていない」
そうだ彼女は狂気なんかに埋もれてはいない。
もっと悪質で醜悪だが美しい刃、いまだ鞘を知らない無粋の一刀。
「まだにすぎんがな。だがきにするな菱」
彼にとっては、昔から代わらない圧倒的な存在感をそのままに彼女は笑う。収まるすべを知らぬくせに彼女は彼を安心させるために、今までとなんら変わりない人間としての笑みを形作る。
「この時代で私が何か起こすことはありえない。だがまぁ、お前の言うとおりに破綻するだろうな私は一人では」
表情と言葉が真逆だった。ぎしぎしときしむ木の路を歩きながら、彼女に追いつこうと必死に彼は走り出す。
確かに彼女は刀に関しては無敵だったがそれだけに過ぎない。頭脳では弟に劣り、政治では兄負け、文学では妹に劣った、性格では当然のように前者すべてに敗北するレベルだ。
「待ってください!! 何をするつもりなんですかあなたは、この時代ではなくても子に孫に子孫に一体どれほどの迷惑をかけるような事を……」
そこで言葉は停止させられる。
ただそっと彼女の手が弟の首に添えられているだけに過ぎない、だがそれで致命。それこそが大字の至りのひとつ神篝、すべてを刃かさせる異端の道のひとつだ。今ここに添えられた刃ひとつで首を切り落とす事など造作もない。
ましてや手を動かすだけで空気を刃と代えるような存在がその程度できぬはずもない。
「黙れ、こと戦闘で私がお前に負けるなぞ不意打ちでも、億に等しき時間が要る事ぐらい分かるだろう」
「黙れるわけがないでしょう。貴女がどれ程の存在かぐらいは、知っています」
弟の言葉を聴いて彼女はここで弟の首を切り落とす事はなかった。単純な話だ、ここで弟を殺せばまた邪魔が増えるただそれだけの話だ。弟が殺されなかったのはただそれだけの理由でそれ以上はない。
「私はもう刃以外で人を切り殺す事などしはしない。空凱の御大にもそういってある、お前の怯えるような事はする事はないさ」
「信じてもいいのですか?」
「勝手にすればいい、お前がそう思うなら邪魔をするがいい。そのときは容赦はしないがな、そこまで私は優しくないぞ、確実のそっ首叩き落す」
――――これが彼の姉の正体だった。
刹那の悪寒とともに彼は崩れ落ちる。家族の中でもっとも彼と仲のよかった姉はすでにつきに魅入られた狂気の死者だ。
動けないのはその存在が発する常識をゆがめるような殺気。呼吸さえ停止させるような地獄が彼の心臓を射抜く。
「お前如きに私を止めようと言うのがそもそも無理な話だ。あの時、父上を殺すはずだった役目から逃げ出したようなお前ではな」
肉親殺しとはどこの世でも大罪だ。彼はそれを果たす事さえ出来なかった、彼が月の道を怯える理由はそこだ。彼女の弟は父親が母親を切り殺したときにその場所にいた、男そして怯えて何も出来なかった。
その言葉が止めだ。
「お前如きのただの光でわが執念が止められるか下郎」
呼吸が止まるような苦痛、極度のストレスが彼の胃を絞り上げ反吐を撒く。
「月に怯えたお前は燕を得たところで何も出来はしない。だがそれでもお前が当主になるのだろうな」
整えられもしない神を後ろに流し彼女はさらに速度を上げて弟から離れていった。
これが姉弟最後の別れになるとはまだ決まってもいない事実であった。